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ヴァイシャリーのティラミス



「おーい、シルフィール? あれっ、どこへ行っちゃったんだ? まさか、また家出したんじゃないだろうなあ」
 やっと見つけだした、というよりはとっ捕まえた放蕩妹の姿を探して、キーマ・プレシャスがアパートの中を歩いていました。
「まったく。マサラのことも相談しなくちゃならないっていうのに……。あっ、まさか……。いや、まさかね……」
 何やら悪い想像をして、あわててそれを打ち消したキーマ・プレシャスでした。

    ★    ★    ★

「さあ、みんなの分、たくさん作るですよぉ〜♪」
「うん、お姉ちゃん」
 キッチンにこもりながら、スノゥ・ホワイトノート(すのぅ・ほわいとのーと)ミリア・アンドレッティ(みりあ・あんどれってぃ)が、甘い香りのチョコを湯煎で溶かしながら、様々な型に流し込んでいきました。
 スノゥ・ホワイトノートが師匠となって、ミリア・アンドレッティが弟子のお料理教室です。
「翠さんの分はここにおいてと。次はミリアちゃんの分も作らないとですね」
「えっと、お姉ちゃんの分も作るよー」
 及川 翠(おいかわ・みどり)の分のチョコレートを作り終えると、二人は互いに贈りあう本命チョコの制作に取りかかりました。
 周囲には、甘いいい香りが立ちこめます。
「さあ、そろそろ型に……あれれ?」
「どうかしたの、お姉ちゃん?」
 急に驚いたような声をあげたスノゥ・ホワイトノートに、ミリア・アンドレッティが訊ねました。
「ええ。ここにおいておいたチョコが……」
 なくなってしまっています。
「ああ、ほんと!」
 叫んでから、犯人の見当はだいたいついているとミリア・アンドレッティが軽く頭をかかえました。こんなつまみ食いをするのは、ほとんど稲荷 さくら(いなり・さくら)と決まっています。
「仕方ないですねぇ、作り直しですぅ」
「そうね。頑張りましょ」
 なくなったこと自体ほとんど気にしていないスノゥ・ホワイトノートの言葉に、ミリア・アンドレッティがうなずきました。こちらは、犯人に気づいてはいるものの、稲荷さくらを叱るよりは、チョコレートを作る方が大事だと割り切っています。
「二人とも、凄く頑張っているの。やっぱり時間がかかるの。大変なの」
 ちょっと様子を見に来た及川翠が、感心したように言いました。こちらは、自分でヘタに作るよりも、買ってきた方が美味しいに決まっていると割り切っているので、最初から傍観者です。
「ちょっと作り直しになってしまったんですぅ」
「翠の分は、作り直してるから、楽しみに待っててよ」
「作り直しなの? ははあ……なの」
 それだけで、だいたい状況は飲み込めます。これは……、つまみ食い常習犯の稲荷さくらを捕まえれば、取られたブンと、新しく着く競れた分で、チョコレートは倍増……かもしれません。
「じゃ、ちょっとさくらちゃんを捜しにいってくるの」
 そう言うと、及川翠は外へと飛び出していきました。

    ★    ★    ★

「つまり、刀真さんの胃袋をがっつりと掴みたいというわけですね」
「……うん。がっつり……」
 封印の巫女 白花(ふういんのみこ・びゃっか)に聞き返されて、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)が何かを掴むかのように力強く右手を突き出しました。それでは、ストマッククローです。
 それはともかく、漆髪月夜としては、いつも樹月 刀真(きづき・とうま)のそばにいるのに、忠実に剣の花嫁としての働きしかしていないのが気がかりなのでした。はたして、女の子として、樹月刀真のそばに立っていたことはどれほどあったでしょうか。ただでさえ、封印の巫女白花たちがいるのです。このままでは、異性としての存在感がなくなってしまいます。
「分かりました。私も期待に応えられるよう、全力で協力させてもらいます」
 封印の巫女白花が、しっかりと漆髪月夜の手を握りしめて言いました。
 そこで、カレーというわけです。
 家庭料理の定番であるカレーで樹月刀真の心……いえ、胃袋を掴んでしまえば、もう安心というわけですね。
「カレーは、全ての料理の基本みたいなものですから。頑張りましょう」
 封印の巫女白花が、漆髪月夜を励まします。
「料理の基本……。じゃあ、まずは、さしすせそ……」
 そうつぶやくと、漆髪月夜がドバドバと砂糖、塩、酢、醤油、味噌をカレー鍋の中に投入していきました。
「月夜さん!」
「んっ、隠し味……」
 引きつる封印の巫女白花を見て、漆髪月夜がきょとんとしています。
「刀真のために、愛情たっぷり……」
 いくらたっぷりとは言え、酢や味噌のたっぷり入ったカレーは、いろいろな意味で怖いです。
「せめて、味見してから入れましょうよ」
「ええと、そうする」
 いえ、時すでに遅しですが。
「なんだか、一所懸命だなあ……」
 ひょいと台所をのぞき見した樹月刀真が、真剣な表情の漆髪月夜を見てつぶやきました。こんなに真剣な漆髪月夜の姿を見るのは、本を読んでいるとき以外では初めてです。ちょっと、その真剣な顔に見とれてもしまいます。もっとも、漆髪月夜がカレー鍋の中に何を入れたかを知っていたら、そんな悠長なことも言ってはいられなかったでしょうが。
 とはいえ、こうして見ると、なんだか新鮮かもしれません。きっと、そんな新鮮が見たいからこそ、そばにいるのかもしれません。つくづく、漆髪月夜も女の子なんだと、樹月刀真が再認識します。
 せっかく漆髪月夜が美味しいカレーを作ってくれるのだからと、樹月刀真は突然部屋の掃除を始めました。身体を動かして、お腹を空かせておこうというわけです。
「後の楽しみがあると、結構はかどるものだなあ」
 期待に胸ふくらませて、樹月刀真がせっせと部屋の片づけを続けました。
「刀真、お昼」
 やがて、カレーを完成させた漆髪月夜が、樹月刀真を呼びに来ます。
「おう、今行く」
 いそいそと、樹月刀真がダイニングへやってきました。
「これは、カレーだよな……」
 目の前におかれたカレーを見て、樹月刀真が言いました。
 見た目はちゃんとカレーです。ですが、香りが、ちょっと微妙なような……。とにかく、話は食べてみてからです。
 カレー……ですが、なんだか美味しくありません。甘辛の醤油の味がします。和風カレー……いや、出汁の味はしませんから……ううーん、正直言って今一です。
「うん、まずい」
 きっぱりと、樹月刀真が言いました。
「ううっ……」
 漆髪月夜が、ガックリと肩を落としました。はっきりと言うことはないのに……。
 けれども、はっきり言いつつも、樹月刀真はガツガツと飲み物のようにカレーを平らげていきます。
 ――まあ、それしかないでしょうね。
 樹月刀真ならそうするだろうと、封印の巫女白花が心の中で納得します。
「ごちそうさま。次はもう少しいい物を頼むよ。楽しみにしている」
 ちょっとした照れ隠しか、樹月刀真がぶっきらぼうに言いました。
 ――次を楽しみにしている……、楽しみにしている……、楽しみにしている……。
「うん、次も頑張る!」
 自分にとって一番大事な部分をリフレインしながら、漆髪月夜が嬉しそうにうなずきました。

    ★    ★    ★

「確か、こっちの通りだな」
 事前に調べておいたマップを手に、ジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)がヴァイシャリーの町を歩いていました。その腕をしっかりとかかえ持って、隣を妻のフィリシア・バウアー(ふぃりしあ・ばうあー)が歩きます。
 仕事が一段落しての、まとまった休暇です。それを利用して、教導団の任務のせいでのばしにのばしていた新婚旅行をやっと実行に移したのでした。
 着慣れた教導団の制服から、ちょっとお洒落なワンピースに着替えたフィリシア・バウアーは始終御機嫌でした。彼女にあわせたカジュアルな服装のジェイコブ・バウアーは、珍しくちょっと照れたような表情をしています。
 もともとの性格からか、几帳面に旅の日程を組んでいたジェイコブ・バウアーですが、これから行こうとしている店は、彼にはとっておきでした。
「今度はどこへ連れていってくれるの?」
 ちょっと悪戯っぽく、フィリシア・バウアーが甘い声で訊ねました。
「最高の店だ。おっ、あったぞ!」
 目的の店を見つけると、思わずジェイコブ・バウアーが歩を速めました。
 そこは、こぢんまりとしたケーキ屋さんでした。とびきり美味しいケーキを売っているということで、最近ヴァイシャリーでも有名になりつつある店です。そのおかげで、特に限定版のケーキはなかなか手に入れることができません。
「だが、このオレに攻略できない甘味は存在しない!」
 ドきっぱりと、ジェイコブ・バウアーが言い切りました。事実、下調べの段階でしっかりと予約を入れてあります。
「本当に、甘い物が好きなんだから」
「ふっ、甘い物に対する愛情は、キミに勝るとも劣らないものだ」
 またもや、ドきっぱりと言い切りました。さすがに、これはちょっとフィリシア・バウアーとしては微妙な心境です。もっとも、世の中にケーキと比べられる奥さんが他にいるとは思えませんが。
 とりあえず、店の前にならべられた予約テーブルに二人で座ります。厳ついガタイのジェイコブ・バウアーが窮屈そうにオシャレな椅子に座る姿は、やっぱりちょっと変です。
「いいか、ここのケーキは、それはそれは手間のかかったケーキなんだ。おおっ、きたきた」
 運ばれてきた限定ケーキを目の前にして、ジェイコブ・バウアーが瞳を輝かせました。
「見ろ、このチョコレートケーキの美しさを。表面をコーティングしたチョコレートのつやつやとした輝き。これは、相当の職人が、きちんとした温度管理の下、熟練の技でテンパリングして初めて得られる物なんだ。さぞかし、口溶けまろやかな物に違いない。そして、中に入ってるスポンジとクリーム、そこにはまた違った配分のチョコレートが練り込まれている。特に、スポンジには、チョコレートの苦みを最大級の快感に変えるべく、絶妙のバランスで果実酒が染み込ませてある。そして、このブレンドがまた……」
「うんうん。分かったから、もう食べましょ? お茶が冷めてしまうわ」
 えんえんと語り続けるジェイコブ・バウアーに、怒るでもなくフィリシア・バウアーがにこにこしながら諭すように言いました。まったく、どうして男というものは、好きな物の前では少年に返ってしまうのでしょうか。
 さて、そのチョコレートケーキですが、これがまた本当に絶品でした。一口食べたとたん、フィリシア・バウアーが心の中で敗北宣言を出してしまうほどです。とはいえ、負けてばかりもいられません。旦那を満足させるためにも、お菓子作りの腕を上げなければと、決意を新たにします。
「よかった。これをキミに食べさせたかったんだ」
 満足気に、ジェイコブ・バウアーが言います。
 しかし、これでは、バレンタインデーに、男からチョコレートケーキを贈られたことになってしまうではありませんか。これは、ちょっとフィリシア・バウアーとしてはシャクです。
「でもね、今日は女の子の方からプレゼントをする日なのよ」
 そう言うと、ケーキを一口、スプーンの上に載せてジェイコブ・バウアーにむけて差し出します。
「はい、あーん」
「うえっ!?」
 突然のことに、ジェイコブ・バウアーがちょっとあわてました。
「女に恥をかかせないのっ」
 フィリシア・バウアーに軽く睨まれて、観念したようにジェイコブ・バウアーが甘いケーキを受けとめました。