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これは大きな一つの物語の始まりだ。

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これは大きな一つの物語の始まりだ。

リアクション



2、嵐の前の静けさの前に


 大会の主催メンバーの控え室は、まるで広い社長室のようだった。
 大きな机とソファー、大型のロッカーなども完備してあるその部屋に、大会関係者が並んでいる。
 しかし、その顔は例外なく険しい。それもそのはずで、今、大きな机の上にある電話を使い、九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)がテログループと交渉をしているのだ。
 彼女はゴール地点近くにある病院にいたのだが……急患が運び込まれ、その人たちが爆弾の被害にあったという話を聞くと、いても立ってもいられずに飛んできた形だ。
 主催団体に交渉ができるものもいなかったため、【心理学】の特技と【行動予測】のスキルを持つ彼女が話しをすることになったのだが……


『悪いけどなあ、こっちが定めたルールを変える気はねえよ?』


 ずいぶんと軽い感じの男との進まない会話に、彼女も少々苛立ちを感じていた。


『つってもなあ、こっちはテロをしているんだ。人を避難させるような時間なんて、さらっさら用意させるつもりはねえ。そっちだって、大会を中止するつもりはないんだろう?』


 「当たり前だ!」と一人の男が立ち上がって言った。大会スポンサーの代表者であるという男は、秘書の女とロゼに制されておとなしく席に着いた。


「しかしだ、三十分に一度の爆発、というのはあまりにも頻繁じゃないかい? 観客にばれたら大混乱だ。わざわざそんな頻繁にことを起こす必要はないだろう?」
 ロゼは落ち着いた声で言う。
『だからさ。これは俺たちからのサービスだよ。爆発は三十分に一度だ。それは変えねえ。ただし、どこで爆発があるかは教えないぜ?』
 男は楽しそうに言う。
『最初みたいに人気のないとこで爆発するか、観客席が丸々吹っ飛ぶか。当たりは一回だ。その当たりの一回までどのくらいの時間があるかどうか、な』
 笑いながら言う男の声に、ロゼを含めその場の全員が表情を変える。
『もし、こっちの要求が全て通ったなら、場所を教えてやる。それまで、三十分ごとにキッチンタイマーでも動かしてるんだな!』
 男がそう叫んで、電話は切れた。たちまち、部屋に集まっていた者たちから、怒りの声やら壁を叩く音やらが聞こえてくる。
「ふう……」
 椅子に背を預けたロゼに、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)が近づいてきた。
「どう、ファイリングは」
「自己顕示欲の強い、二十代から三十代の男性。そのくらいしかわからないよ」
 交渉に相当の神経を使ったのか、ロゼは息を吐きながら言う。
「地方の一大会を脅すにしては要求内容があまりに過大ではないか?」
 ローザマリアの隣でグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)が、彼らの要求リストを眺めながら言う。金銭と、地球側各国の囚人の解放、が現在の要求だ。
「たしかにそうね。なにか裏がありそう」
 ローザマリアも言う。そして、ロゼの耳元に口を寄せた。
「話を聞いたんだけど、【嘘感知】には引っかからなかった。とりあえず、ここにいる連中は、なにも知らないみたいね」
 聞こえていたロゼと、グロリアーナだけがこくこくと頷く。
「でも、ここにいるメンバーが無関係なだけで、紛れている可能性はある。どちらにしても、今は情報が足りなさ過ぎる」
「そうであろうな。次の爆発までは?」
「十分もない」
 グロリアーナの言葉に、ロゼが壁の時計を見て答える。
「でも、さっきの口調からすると、本命の爆発まではまだ時間があると考えていいと思う。おそらく、あと二回くらいは人気のないところでの爆発だろう」
「しかし、それが目的かもしれぬぞ? 緊急の設備を破壊したり」
 グロリアーナは指摘する。
「それでも、よ。人が死ぬよりはよっぽどマシ。とにかく、本命の爆発までになんとか、場所だけは見つけてもらいましょう」
 ローザマリアが答え、ロゼとグロリアーナは頷いた。
「みんな、聞こえたかい? 私たちはなんとか情報を集めてみるから、爆弾の発見は頼む」
 ロゼが手元に置いてあった無線機に声をかけた。
 了解、と、多くの契約者たちの声が無線機から流れる。
「わらわたちは、病院に行ってみようと思う。怪我をした人たちの中で、なにかを見た人もいるかも知れぬ」
 グロリアーナはそう言った。
 去り際、ローザマリアは電話機の近くに小型の通信機の機能を備えたサングラスを置く、「一応、ね」とロゼに小さく口にし、その後、壁際を手でなぞりながら扉に向かって歩く。【サイコメトリ】による透視にも、怪しい光景は見られなかった。



 ゴール地点周辺



「了解」
 ゴール地点の観客席を見て回っていた涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)も、通信機に向かって声を出していた。
「よくわかんないね……なにが目的なんだろ?」
 ヴァルキリーの集落 アリアクルスイド(う゛ぁるきりーのしゅうらく・ありあくるすいど)も、通信機から流れる男とロゼのやり取りを聞き唸り声を上げていた。
「本当の目的はよくわからないな。でも、現に爆弾は爆発していて、怪我人も出ているんだ。向こうが本気なのはわかる」
 涼介は無線機を強く握りしめる。
「ふむ……」
 その近くにいる、武神 牙竜(たけがみ・がりゅう)は険しい顔のまま、考えごとをしていた。
「要求が変だな……もし通ったとしても、大会が終わるまでに全ての条件を満たす、時間がなさ過ぎる」
「もしかしたら狂言でしょうか。別の目的が?」
 武神 雅(たけがみ・みやび)龍ヶ崎 灯(りゅうがさき・あかり)が牙竜に問う。ちなみに、契約者たちが使っている無線機は、彼女がスキル、【用意は整っております】、【資産家】によって用意したものだ。
「ふむ……聞いたことのない組織である以上、実際に爆発を起こして、名前をアピールする、みたいな理由はあるかも知れぬな」
 武神 雅(たけがみ・みやび)が腕を組んだまま答えた。
「なるほどねー。そういう考えもあるんだあ」
 アリアクルスイドが感心したようにうんうんと頷いて言う。
「だとしたら、」
 牙竜が考えたのは、有名人に重傷を負わせることだった。契約者、芸能人、アイドルなど、ここにはそれなりに有名人が集まっている。となると、
「セイニィ、俺の側を離れるなよ」
「え?」
 牙竜と行動をしていたセイニィ・アルギエバ(せいにぃ・あるぎえば)の突然の言葉に、セイニィは顔を赤くした。
「愚弟、いきなりなにを言っている?」
「不謹慎です」
「ち、違う! 目的が話題集めなら、セイニィが狙われる可能性だってあるだろう!?」
 牙竜は慌てて口にする。セイニィも「なんだそういうことか……」と小さく呟いて、プルプル首を振っていた。
「牙竜、あたしは平気。とにかく、爆弾探しを優先しましょう」
「ですが、目的がわからない以上は、」
 灯が言いかけるが、
「どちらにしても爆発は起こる。巻き込まれるか巻き込まれないかじゃなく、今は被害を起こさせないことを考えないと」
 セイニィが言葉を続けて、灯は口を閉ざした。
「そのとーりですよ。大会もまだ途中なんだ、花火を飛ばすにはちょっと、早いですからねえ」
 四人の近くでしゃがみこみ、客席を見回していた紫月 唯斗(しづき・ゆいと)が声を上げる。
「しっかし、折角の祭りに水をさすんじねーですよと、まったく。このご時世にテロたぁなにを考えてんだか」
 あふ、と小さくあくびをして唯斗が続けた。
「唯斗くん、あなたはなんというか、ずいぶんと軽いな」
 涼介がそう言う。
「そうですね。ま、軽いっつーか緩いっつーか」
 立ち上がって、両手を上へと伸ばす。「ふざけてんじゃないわよ」とセイニィが言うが、
「んじゃあ、爆発が起こるまで硬い顔でいろってかい?」
 首だけをセイニィのほうへと向け、唯斗は言う。
「こういうときこそクールに、落ち着いて行動、ですよ。お堅いままだったら、なにかを見落としてしまう可能性だってある」
 両手を下ろし、手を腰に当てて唯斗は続ける。
「とにかく、今はなにもわかっていないですから。どんな些細なことだって逃さないようにしないと、ね」
 そして、体ごと振り返ってそう言った。
「うん……確かに、そうだな」
 牙竜は頷いて、
「とにかく情報を一つも逃さないようにしないと。セイニィ、雅、俺たちは客席を。異常がないか、不審人物はいないかとか、そのあたりを重点的に」
「ええ」
 セイニィと灯が頷いた。
「俺も行きますよ。騒ぎを起こすのが目的なら、見届ける奴がいたっておかしくない」
 唯斗が言い、牙竜も頷いた。
「私たちは、反対側から行くよ」
「なにかあったら、連絡してね!」
 涼介とアリアクルスイドも駆け出す。
「私も私なりに情報を集めよう。なにかわかったら連絡するよ」
 雅はそう言って、彼らとは反対側へと歩く。「気をつけて」という牙竜の言葉に振り返り、小さく笑顔を浮かべながら、
「セイニィ……行ってらっしゃい、お義理姉さんと言ってもよいのだぞ?」
「言いませんっ!」
 そんなセイニィとのやり取りに笑い声を上げて、雅は去った。



 ゴール地点近くの病院



「急な来訪でごめんなさい。ちょっと、話を聞かせてもらっていいかしら?」
 被害者が運ばれた病院では、リネン・エルフト(りねん・えるふと)ミュート・エルゥ(みゅーと・えるぅ)が怪我をした人たちに対して聞き込みを行っていた。
 軽症なものがほとんどで、爆発があったとはとても思えない。本当に、人気のないところで爆発したらしい。被害に遭った人も、ちょっとした検査だとか道に迷ってだとかで偶然にそこを通った人がほとんどだ。
「あとはここね」
 が、一人だけ例外がいた。一人がもろに爆発に巻き込まれ、意識不明の重体だ。特別治療室に入れられているらしく面会はできないが、容態だけでも見ておこうと、リネンたちは特別治療室の隣、ガラスで仕切られた部屋に入っていった。
「あら?」
 そこには先客がいた。メガネをしている長身の、首からカメラを提げた一人の男が立ち尽くし、ガラスの向こうの、包帯だらけの人を眺めていた。
「あなた、確か前に会ったわよね」
「リネン・エルフトか」
 その男には見覚えが合った。クリスマスにケーキ屋で手伝いをしたとき、リネンから見てライバルだった店の手伝いをしていた男だ。
「確か、ワースト……? カースト? とかなんか言われていたけど」
「違う。俺は……」
 男はメガネを指で持ち上げながら、


「俺の名は土井竜平(どい りゅうへい)。またの名を……瞬速の性的衝動(バースト・エロス)」


 そう名乗った。思っていた以上にひどい二つ名に、リネンは難しい顔をする。
「ええと、彼は知り合いですかぁ?」
 ミュートが聞くと、竜平はこくりと頷く。
「あいつはダチだ。それと、師と仰ぐ人物でもある」
 竜平はカメラを掲げた。
「いつ目を覚ますのかも、わからないそうです」
 奥にはもう一人いた。枝々咲 色花(ししざき・しきか)だ。彼女は奥にあるテーブルに無造作に置かれているものを一つ一つ手にして調べているようだ。おそらく、彼の私物だろう。
「それ、彼のカメラね。見せてもらっていい?」
 リネンが言うと、色花がカメラを持ってきた。
「怪しいものはなにも写ってません」
 色花は言う。写っているのは飛行機、観客席の様子、カメラマンの様子、などなど。それからはもうしばらく前の写真で、関係のある写真はなさそうだった。
「失礼するでありますよ」
 小さな声がして、部屋の扉が開かれる。姿を見せたのは葛城 吹雪(かつらぎ・ふぶき)、そしてコルセア・レキシントン(こるせあ・れきしんとん)だ。
「確か、バーストエロス、とか呼ばれていた人ね」
 コルセアが竜平を見て言う。
「いかにも。俺は土井竜平。またの名をバー「葛城も、お見舞い?」「そうでありますよ。それと、聞き込みに」……」
 リネンと吹雪が話を始め、竜平は名乗れなかった。少しだけ寂しそうな表情に、コルセアは「あはは」と小さく笑う。
「彼であるな。一人だけ、昏睡状態のものというのは」
 ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)も部屋にやってきた。グロリアーナがガラス越しに彼を見る。
「ひどいの?」
「怪我は心配ないそうです。問題は、意識が回復しないことだそうで……」
 ローザマリアの言葉に、色花が答える。その答えに、場の空気が少しだけ沈んだ。
 グロリアーナは彼のカメラを見て、写された写真を眺める。
「……彼がテロの一員だという可能性は?」
 そして、カメラを見ながらそんなことを口にする。
「む」
 そのアイデアはなかったな、という顔を吹雪がした。
「言われてみれば、なんで人のいないところに、彼はいたんでしょうねぇ?」
 ミュートもそう口にした。
「ありえない。彼は普通の一般人だ」
 竜平が少しだけ声音を上げて答える。
「しかし、重症なのは彼だけなのであろう? 本人に自覚がなくともなにかを運ばされ、それが爆弾だったとか、裏切ろうとしたから巻き添えにされた、とか」
「それは……」
 竜平が否定しようとするが、否定しきれずに言葉に詰まる。
「その可能性はないと思うのでありますよ。もし爆弾を運ばされたとか、巻き添えにされたということなら、死んでないとおかしいのであります。爆心地の近くにいたとはいえ、怪我自体は包帯を巻けば治るようなものですむのなら、巻き込まれたのは偶然なのでありますよ」
 吹雪が言う。竜平も安心したような顔をするが、
「……ただ、今回のテロ組織そのものがよくわからない以上、否定はしきれないであります」
 続けて口にした言葉に、竜平が小さく息を吐いた。
「とにかく、起きて話を聞けば、なにかわかるかもしれないわね」
 ローザマリアが口にする。
「って言っても、ただ待ってるわけには行かないわよ」
 コルセアが言う。
「爆弾がある……多くのメンバーが動いているらしいが、人数は多いほうがいい。葛城吹雪、お前はこのレース会場、爆弾を仕掛けるならどこに仕掛ける?」
 竜平が元傭兵という経歴を持つ吹雪に聞いた。視線が吹雪に集まる。
「そうでありますね……」
 吹雪はうーん、と小さく口にしてから、
「……大本命は、観客席の周辺。人気のないところと言えば、観客席から離れた場所にある、関係者しか入れない場所を狙うでありますね。トイレとか、爆発が客にバレる場所は狙わないでありますよ」
 避難する可能性があるでありますからね、と続ける。
「ロゼ、聞こえた? 施設の図面かなにか、用意できるか聞いてくれる?」
 ローザマリアが通信機に声をかける。『わかったよ』という声が、皆の耳に届いた。
「テロの仲間にしろそうでないにしろ、彼がなにか知っているなら、狙われる可能性もあるわね」
「そうですねぇ。護衛のため、ワタシたちは残りますぅ」
 リネンとミュートが言う。
「頼む」
 竜平が言い、ミュートが「はいですぅ」と答えた。
「それじゃあ行きましょう」
 ローザマリアが言い、グロリアーナ、色花、吹雪とコルセア、そして竜平は、部屋を出た。
「そういえば、」
 歩きながら、コルセアが口を開く。
「うちの蛸は何処に行ったの?」
「奴ならさっき、戦場に向かったでありますよ」
 その場違いな言葉にその場にいた全員が首を傾げた。



 ゴール地点周辺



 そして、戦場。
「見せてやろう、我の職人芸をな!」
 イングラハム・カニンガム(いんぐらはむ・かにんがむ)はドリフトを決めながら屋台を特設会場の一角に付け、コテと楊枝とソースとマヨネーズを手にした。
 そして、屋台に火を入れると、プレートの上で焼きそばを転がし、たこ焼きを作り、お好み焼きをかき混ぜながら接客に応じ始める。
「すげえオーラだ……」
「ああ。気迫っていうのか、なんか、ものすごいものを感じる……」
「でも蛸だよな」
「蛸だな」
「蛸だ」
「なんで蛸がたこ焼き売ってんだ?」
「ママー、蛸がたこ焼き作ってる」
「しっ、見るんじゃありません!」
 並んでいる客からはいろいろと言われていたが、イングラハムに気にする様子はない。
「クレープ食べたいな」
「クレープであるな! お任せあれ」
 近くを通りかかった人の独り言を聞き、触手でクーラーボックスから材料を取り出し、お好み焼きと混ざらないようにクレープを焼く。そして、そこにイチゴとクリームを乗せてクレープを作り上げた。
「お嬢さん、クレープをどうぞ」
「あ、どうも」
「たいやき食べたいな」
「お任せあれ!」
 プレートにたいやきの型を置き、材料を混ぜ合わせてたいやきも焼き上げる。
「チャーハン食べたいな」
「お任せを!」
「もんじゃ食べたいな」
「お任せあれ!」
「チョコバナナ食べたいな」
「お任せ!」
「りんご飴食べたいな」
「「それは無理だろ」」
「お任せあれ」
「「できるのっ!?」」
 水あめをかき混ぜ、りんご飴をも作り上げた。
「ふはははは! 我に作れぬものなし!」
 基本的に屋台で売っているようなものならなんでも用意できるという、謎の能力を持つイングラハムは注目を浴び、屋台の売り上げは順調だ。
「このお好み焼き、タコがいっぱい入っているな」
「そうね」
 お好み焼きを買っていったカップルが、はふはふと少しずつほおばりながら、そんな会話をする。嫌な予感に、振り返った。
「「……まさかね」」
 そして、屋台に立つイングラハムの姿を見て、そう言っていた。



「ん? なんだあの人だかり」
 そんな場所の近くを八草 唐(やぐさ・から)が通りかかる。
「うわ、蛸がたこ焼き作ってやがる……なんだありゃ?」
 そしてその光景を見て口にした。
 だが、列に並んでいる人たちは半信半疑だが、買って食べている人を見ると予想外の味に喜んでいるようだ。話題が話題を呼び、行列が行列を呼び、列ははける様子がなかった。
 蛸の近くに行ってみる。無数の触手を使い、それぞれの材料をそれぞれ混ぜ合わせ、組み合わせ、伸ばし、そうやって器用に全ての注文を一人でこなしていた。
「人間業じゃねえ……」
 唐はその様子を見て口にする。
「ん?」
 料理に関しては器用であるが、売り上げの管理は適当のようだ。地面に置いた小さなケースに硬貨を入れているのだが、何枚かがこぼれている。紙幣に関しては、風に煽られたのか数枚が離れた場所にあった。気づけば触手で拾い上げているのだが、気づかないとそのままにしているようだ。
 今も一枚の紙幣がケースに入らず、ひらひらと唐の近くに。
「………………」
 唐はそれを見つからないようにまず足で隠し、紐を結ぶ振りをしてそれを拾い上げた。
 ちょろいぜ、と口にし立ち上がると、
「八草」
 後ろから突然声をかけられ、八草はぎぎぎ、とゆっくり振り返った。
 そこに立っていたのは色花だ。病院はすぐそこで、ちょうどいまこちらに来たところだった。吹雪たちも「やっているでありますね」とイングラハムの様子を見に来ていた。
「そのお金、どうしたんですか?」
「あー、いや、その、風で飛ばされたみたいでな」
「返すんですよね?」
「えっと、その、な」
「ですよね?」
「……はい」
 唐は色花に紙幣を渡した。色花は軽く息を吐いて、それをイングラハムの元へと渡しに行く。
 そのままその場を去ろうとした唐だが、その腕を戻ってきた色花が抑えた。
「八草、手伝って」
「手伝う? なにをだよ」
 色花はかいつまんで事情を説明する。
「んなことが起こってんのか」
 唐が言うと、色花はこくりと頷いた。
「探偵でしょ? なにか、私たちは気づかないことに気づくかも」
「へ、当然」
 色花が言うと、唐は胸元を叩いた。
「なんつったって、名探偵だからな!」
 自身たっぷりにそう言う。
 今この状況はただのスリ師でしかないのだが……色花はそのことは口にしないでおいた。




「関係者しか入れないようなところに、簡潔に出入りできるようにして欲しいんだけど」
 数人のメンバーが事務局に赴いて、水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)が代表してそう言う。彼女たちは参加者団体の調査などをしていたのだが、末端のスタッフまでは情報は行き届いてなく、いちいち説明して回るのも手間だし、なにより、説明すべきでない事情もある。
 許可証のようなものがあれば、スタッフに止められることなく中へと入れるのだが。
「スタッフジャンパーとかを着れば、止められることはないですけどね」
 スタッフが言う。
「それでいいよ。とりあえず『ここは関係者以外立ち入り禁止です』って言われるのが面倒なだけだからな」
 ハイコド・ジーバルス(はいこど・じーばるす)がそう言葉を返した。
「ただ、ジャンパー、予備があまりないんですよね。あ、そうだ」
 ごそごそと奥にあるケースを漁っていたスタッフが、ずいぶんと薄っぺらい布切れを手に戻ってきた。
「これはいっぱいありますよ」
 出てきたのは……レースクイーンの衣装だった。
「なんでそんなものが余ってるのっ!?」
 マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)が叫ぶように言う。
「傘もある……うわ小道具は完璧」
 衣草 玲央那(きぬぐさ・れおな)も、そのスタッフの準備のよさに乾いた笑みを浮かべた。
「……仕方ないですな。女性陣はこれに着替えてもらいますか」
 アルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)は言い、ハイコドは頷いた。
「スタッフジャンパー、何枚かはあるんだろう? 貸していただきたい」
 藍華 信(あいか・しん)が言い、数枚のジャンパーを貰い受ける。
「うわっは、エローい」
 ソラン・ジーバルス(そらん・じーばるす)はどことなく嬉しそうだ。他にも玲央那、ゆかり、マリエッタは着替えることに。
「エメリアーヌは、着ないのか?」
「んー? 私はいいわよ。ジャンパーもあるし、基本あんたと一緒に行動だし」
 女性陣の中でもエメリアーヌ・エメラルダ(えめりあーぬ・えめらるだ)だけはレースクイーンにはならなかった。女性だけで行動するかもしれない玲央那やゆかりたちは着替えていたが。
「うう……」
 別室で着替えている間、マリエッタは他のメンバーを眺めながら唸り声を上げていた。
 ゆかり、玲央那、そしてソラン。皆スタイルがよく、特に胸元は充実している。
 それに比べて自分はまな板体系……ため息が出る。というか、
「胸元が合わない……」
 レースクイーン衣装は大きい人向けに作られているのか、スカスカになってしまっていた。
「大丈夫ですよ」
 着替えの手伝いをしていた女性スタッフが、にっこり笑顔でなにかを手渡す。
「胸パッドです。実はこれ、結構使ってるレースクイーンも多いんですよ?」
 笑い話のように言うが、なんのフォローにもなってなく、むしろ、マリエッタの傷口に塩を塗る形の発言だった。マリエッタは泣きそうになった。


「というわけで」
 そうやって着替え終えたメンバーが、参加チームの控え室や倉庫の並ぶ一角へと集まる。
 先ほどまでは他のスタッフに止められたりもしたが、服装のせいか今度は止められることはなかった。
「怪しい連中がいないか、爆弾がないかのチェックね。手分けして探しましょう」
 ゆかりがおのおのに指示を出した。
「参加者が書かれているパンフレット。それと、経歴などもある程度調べておいた」
 信が数枚の紙とパンフレットをそれぞれに渡す。それを手に、メンバーは散った。
「おい見ろよ、あの子」
「お、可愛いじゃん」
 レースクイーンの格好だからか、視線がものすごい。マリエッタはいつもより大きめの胸元を隠すようにパラソルを広げて前に広げ、
「絶対に爆弾を見つけてやる……見てなさい」
 半ばやけくそのように呟いた。
「ソラ、潜入宜しく」
 ハイコドは【裳之黒】を身に纏い、そう口にした。
「えー、か弱い乙女を1人で行かせるつもり〜? そうでなくてもこんな格好なのに、捕まってあんなこととかこ〜んなことされたらどうするのよー」
 ソランは不満を言いながらも、腰と頭に手をやってくねくねと体を動かしながら言う。
「乙女ね……俺には胸のデカイ女のテロリストだったらほいほい付いて行きそうな女しか見えないな」
 小さく笑っているハイコドに代わり、シンが答えた。
「信、後で爪研ぎの刑ね。家に居る兎たちや狼たちにゴリゴリと爪研ぎの木の代わりにされる刑」
「それ本気で拷問だからやめろ」
 びし、っと指をさして言うソランに、シンは息を吐いて答える。
「俺は上から見て回ってるよ。安心しろ、ちゃんとソラのことは視界に入れておくから」
「むー、絶対よ?」
 ハイコドは「ああ」と小さく答え、そのまま空へと舞い上がる。
「飛行艇にぶつかったら笑えるわよね」
「笑えないって……」
 高く上がってゆくハイコドに向かってソランが小さく呟いて、信が静かに突っ込みを入れた。
「よし、じゃあポムクル、よろしくね」
「了解なのだー!」
 ソランは【柔らかポムクルさん】を呼び出した。小さな小人が、ソランの周りに集まる。
「これ、超小型ボイスレコーダーと集音マイクね、見つかりそうになったら逃げるのよ?」
「わかったのだー!」
 ポムクルさんたちはそのままわらわらと散っていった。
「俺も調べて回ってみる」
「ええ、なにかあったら教えて」
 小さく手を振り合い、ソランと信も分かれた。
「ねえ君、どこ所属の子?」
「よかったら俺たちのピットに来ない? お茶くらいご馳走するよ」
 レースクイーン姿の玲央那は、なぜか男たちに捕まっていた。
「はいはーい、そこまで」
 困った顔をしている玲央那の近くに、スタッフジャンパーを着たエメリアーヌが向かってくる。
「レース中に他のスタッフへの声かけは禁止よ」
 エメリアーヌが言うと、「んな規則あったか?」など疑問の声を上げながらも、男たちは散っていった。
「すいません、ありがとうございます」
 玲央那はぺこりと頭を下げる。
「いいのよ。服装が服装だから気をつけなさい。あっちは平気そうだけど」
 ゆかりたちも声をかけられていたが、ゆかりははきはきとした受け答えで男たちの誘いを受け流していた。
「さすがシャンバラの大尉さん」
「全くよね」
 二人してうんうんと頷く。
「玲央那、君も私たちと一緒に行動を。単独だと、かえって時間がかかりそうだからね」
 アルクラントが言う。
「そうね……ご一緒させていただきます」
 玲央那はそう言って、エメリアーヌに並ぶ。エメリアーヌは信からもらったパンフレットをじっと眺めていた。
「参加者もいろいろね。個人団体もあれば、企業団体もある。しらみつぶしに探すにしても、控え室みたいなのはたくさんあるのよね?」
「スタート、中間、ゴール、それぞれの地点にあるはずだわ。規模が大きいのがスタートとゴールで、中間地点はスタッフ控え室みたいな感じだと思う」
 パンフを見ながら言うエメリアーヌに、玲央那も答える。
「調べる箇所は多い。大変だな」
 アルクラントがそう言って、あごに軽く手を当てた。
「しかし、奴らの本当の目的はなんなんだろうね。要求にまとまりがない」
 そのままの姿勢で歩きながら、ふとアルクラントが思いついたことを口にする。
「お金はともかくとして、各国囚人の解放、本気だと思います?」
 玲央那が聞く。アルクラントは「うむ……」と唸ったあと、少し間を置いて口を開いた。
「わからないな……指定した全ての組織が仲間だとは考えづらい」
「エメリアーヌさんは?」
 玲央那がエメリアーヌにも聞くが、
「考えるのは私の仕事じゃないわ」
 そう言って、パンフを閉じた。
「とにかく、今は爆弾を見つけないと。どれだけ時間があるかわからないわ。迅速に行きましょう」
 気づくと、三人は参加者の控え室兼倉庫の近くまで来ていた。
「そうだな。今は考えるより行動だ」
「ええ」
 二人も頷いて、施設の中へと立ち入っていった。




 中間地点周辺




 中間地点でも、契約者たちが爆弾発見に向けて調査を行っていた。
「こちらセレン。今のところ、特に異常はないわね」
 セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は、セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)と共に報道カメラの並ぶ一角にいた。カメラマンを装い客席を撮影し、怪しい人影などがないかの確認をしている。
「……ふう、それにしてもよかった」
「ん? どうしたのセレアナ」
 セレアナがふと言葉を呟き、セレンはカメラから目を離して振り返る。
「会場が会場だから。てっきりレースクイーンにでもされるかと思って」
「あははは」
 セレンは笑って、ノートパソコンの画面を指し示した。
「それは大尉に任せておいたわよ」
 画面には監視カメラかなにかの映像が映っており、ゴール地点で聞き込みをしている水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)の姿があった。レースクイーンの衣装だ。
「大尉なにしてるのっ!?」
「いや、スタッフジャンパーがなくて、あの衣装だけあったんだって」
「ゴール地点に行かなくてよかった……」
 セレアナが安心して大きく息を吐く。
『ウィルです。AからB地点、問題ありませんでした』
 通信機から声が入り、セレンがカメラを向ける。観客席の一部から、こちらを見ているメンバーたちの姿があった。
 

『りょーかい。次をお願い』
 報道席からセレンが手を振って合図を送る。それにウィル・クリストファー(うぃる・くりすとふぁー)は手を振り返す。
「しかし、こうやって一つずつ探索するのは、なんというかじれったいのう」
 ファラ・リベルタス(ふぁら・りべるたす)は息を吐いて言う。
「でも、具体的な位置が分からない以上、しらみつぶしに探すしかありませんからね。とにかく被害が出るような爆発が起きる前に、なんとしても爆弾を発見しましょう」
「その通りね」
 ウィルの言葉に答えたのは芦原 郁乃(あはら・いくの)だ。
「それに、観客席に仲間がいる可能性もある。私たちがうろうろしてたら、そいつらだって動き出すかもしれないでしょう? こうやって動くことに意味はあるわよ」
「その通りですね。そのために、セレン様たちも見てくれているのです」
 言葉を続ける郁乃に、秋月 桃花(あきづき・とうか)が同意する。
『て言っても、それにはちょっと視線が少ないわね。リアルタイムで対応するにはもうちょっと人数が欲しい』
 聞こえていたのか、セレンの声が通信機から聞こえてきた。
「そういうことなら、任せて」
 郁乃が少し後ろで控えている女性に声をかける。
「密偵を放わよ。まずは【夏のお嬢さん】こと『なみこさん(仮)』! 爽やかな色気で、それとなく聞き込みしてきて」
「わかった。いってくるわね」
 なみこさん(仮)は郁乃に手を振って、そのまま歩いていった。
「……あの人、寒くないんですか?」
 ウィルが彼女の服装を見て言う。冬だというのに、Tシャツにズボンという涼しげな格好をしていた。
「夏はずっと水着だから。それと比べれば厚着よ」
「ええ……」
 そのよくわからない基準にウィルは疑問の声を上げる。
「次に【クラーケン娘。】こと『なぎちゃん(仮)』! 怪しい動きを見かけたら、なにしてるか調べるのよ」
 次に出てきたのは足元をついてきていたイカだ。
「はいでゲソ」
「えっと……なぎちゃん(仮)ゲソはいろいろやばいからやめようね」
「ゲソ?」
 なぎちゃん(仮)は「なにが?」とでも言わんばかりに首を傾げた。
「桃花たちも、郁乃様を支援すべく調査に参りますよ」
 桃花は【使用人】を呼び出した。
「ミア(仮)さん、聞き込みをして回りましょう」
「はい」
 【使用人】のミア(仮)はぺこりと頭を下げた。
「……なんだか、面子に不安が残るのじゃが」
 ぺたぺたと地面を歩いていくなぎちゃん(仮)を見つめてファラが言う。
「見た目はともなく、私の優秀な従者とペットよ。必ずなにか掴んでくるわ」
「桃花たちもいますからね」
 郁乃と桃花はそうやって頷き合った。
「そうか……まあ、期待して待っておこう」
 ファラはウィルと顔を見合わせて言った。



「こちら歌菜ーっ、こっちも異常ありませーん」
 遠野 歌菜(とおの・かな)は通信機に向かって声をかける。
「このあたりなら、全部の場所をチェックできるね」
 歌菜の隣で騎沙良 詩穂(きさら・しほ)が言う。ちょうど歌菜たちがいる場所は、客席、参加チーム控え室、主催者などの来賓席、全てを見回すことができた。
「参加チームなら、機材を持ち込んだりとかもできるはずだよな」
 一緒に行動している千返 かつみ(ちがえ・かつみ)が言う。
「その通りだな。時間もないんだ、彼らの調査には私たちが行こう」
 千返 ナオ(ちがえ・なお)のフードの中からノーン・ノート(のーん・のーと)が声を出す。彼は参加者チームが書かれているパンフレットを手にしていた。
「怪しげな団体はなさそうですね。一応、主催者側も調査しているみたいですし」
 ナオが言う。
「主催者側に密偵がいれば、キツいけどね」
 詩穂が来賓席を見て言った。ガラス張りの来賓席には、いかにも立場の高そうなスーツの男たちが、グラスを傾けながら談笑をしている。
「羽純さん、話を聞いてきてるんだっけ?」
「うん。ちょっと探りを入れてくるって」
 詩穂の言葉に、歌菜が答えた。改めて見ると、来賓席に見知った顔もある。月崎 羽純(つきざき・はすみ)もその一人で、なにか、話を聞いているようだ。
「それにしても、飛行艇のパイロットねえ」
 歌菜がノーンの見ているパンフレットを覗き込んで口を開いた。パンフレットはフルカラー、有名選手の写真まで入っている。まるでグラビア雑誌のようだ。
「かっこいい人でもいる?」
 詩穂がそのように聞くが、
「ウチの旦那以上の人はいないよ」
 歌菜はそのように答えた。
「あはは、相変わらず仲いいですね」
「やー、のろけちゃって。もう」
「ちが、そういうんじゃなくて!」
 ナオと詩穂の指摘に少し赤くなりながら歌菜は叫んだ。
「だったら、羽純さんが飛行艇のパイロットになったりしたら、モテるんじゃない?」
 かつみは言う。
「パイロットねえ」
 そういえば、そんなことやってたこともあったっけ。まあ、腕は悪くないんだけど……





 歌菜はレースクイーンの格好で、パラソルを持って羽純を待っていた。
 一機の飛行機から、羽純が降りてくる。
 酸素ボンベを外し、ゴーグルを外し、ヘルメットを脱いで、整備の人に敬礼をしながら、まっすぐこちらに向かってくる。
「あ、やべ。酔った」
 歌菜の目の前で、羽純の体がぐらりと揺れた。歌菜は慌てて、彼の体を支える。
 酔った? パイロットなのに情けない。と、歌菜は少し意地悪な口調で言う。
「違うよ」
 羽純は支えている歌菜の手を取って、こちらをまっすぐに見つめた。


「歌菜があまりに可愛いもんだから、それで酔ったんだよ」





「やばい私も酔っちゃいそう!」
「え、え? 歌菜ちゃん飛行機とか見ていると酔っちゃうタイプ?」
 赤くなった顔を抑えて叫ぶ歌菜に詩穂が驚いて聞いた。
「あー、ううん、なんでもないの。ちょっと、羽純くんがキザで」
「???」
 詩穂は首を傾げた。
「よし、じゃあとりあえず、俺たちは、参加チームの連中に話を聞いてくる」
 かつみはそう言って、ナオと共に駆け出した。ノーンが手を振り、詩穂たちも手を振り返す。
「歌菜ちゃん、詩穂は向こうを見てくるね」
 詩穂はかつみたちとは違う方向を指差した。
「うん、なにかあったら連絡して」
 歌菜の言葉に詩穂は頷き、軽く手を振って去る。
「ふう……来賓たちも、細かいことはわからないそうだ」
「わわわわわわーっ!」
 そこにちょうど本物の羽純が現れ、歌菜は思いっきり飛び引いた。
「……どうした?」
「ううん、なんでもないの、なんでもない。そっか、うんうん、じゃあ、私たちも調査しよっか」
「……ああ」
「それと、今はあんまり近づかないでね。ちょっと、酔っちゃそうだから」
「……?」
 赤い顔のまま見上げる歌菜に、羽純は疑問符を浮かべた。



「さてさて、各地点共にとりあえずは通常通り、大会が行われているんだな」
 同じく中間地点を回っている朝霧 垂(あさぎり・しづり)は、飛んでいった飛行機を見てそう口にする。
 観客に避難するような様子はない。やはり客には知らされず、大会は続行らしい。
「客に被害が出ないように、爆弾を見つけて解除もする、か。厄介だな……」
 周りを見回しながら、垂はそう口にして歩いていた。が、なにか嫌なものが目に入った気がして、先ほどまで自分が向いていた方向を改めて眺める。
「って、んん!?」
 垂の視線の先には、“災厄体質”で有名な雅羅・サンダース三世(まさら・さんだーすざさーど)が立っていた。
「雅羅!?」「雅羅さん!?」
 偶然にも隣にいた人物と声が重なり、隣を見る。
 そこにはフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)を始めとした四人のメンバーが存在し、垂と同じように雅羅を指さしていた。
「フレンディス。誰だよ雅羅を呼んだのは」
「知りませんよう」
 意気投合し、そんなふうに話す。
「マジかよ……雅羅がトラブルに巻き込まれる体質だってこと、知れ渡ってると思ってたんだけどな……」
 垂が息を吐くと、
「確かに。なんか嫌な予感がするな……」
 フレンディスの隣のベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)が垂と同じく息を吐く。
「しかしご主人様、逆に言うと、雅羅んについて回ればそこではなにかが起こるということでは?」
 忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)がそう口にした。
「……確かに雅羅はトラブルを引き寄せる体質の持ち主だ。でも、逆に考えてみれば、雅羅を注意して見張っていればトラブル……つまりは、爆弾に行き着くんじゃないか?」
 垂もあごに手を当てて言う。
「だったら、みんなは雅羅さんと一緒に行動して、なんかあったら連絡する形にしよう。オレは観客席のほうを見てくるよ」
 ジブリール・ティラ(じぶりーる・てぃら)はそう言って、観客席のほうを指差す。
「おい、なに考えてるかわかんねえ連中がいるかもしれないんだぞ、一人じゃあ危険だ」
 ベルクが言うが、
「大丈夫。オレこういうの慣れてるし。それに、子供のほうが怪しまれないだろ?」
 ジブリールはそう言って笑みを浮かべた。
「なんかあったら飛んでくるからさ。連絡してくれよ!」
 そう言い、ジブリールは飛んでゆく。
「マスター、爆弾は危険故、被害者が出る前にてろりすとさんの野望を阻止せねばなりませぬ。ここはジブリールさんを信じて、私たちは私たちで行動しましょう」
 フレンディスはベルクに言った。
「そうだな……今はあいつを信じるか」
「はい。頼りにしておりますが、くれぐれも無茶はいけませんよ……?」
 二人は言い、ジブリールの去ったほうを向く。
「雅羅ーっ!」
 そうしてジブリールが立ち去ってから、垂が雅羅に声をかけていた。
「垂さん。それに、ベルクさんたちも」
 答えたのは雅羅と共に行動していた想詠 夢悠(おもなが・ゆめちか)だ。雅羅も振り返る。
「テロが起こっている会場に、どうしておまえがいるんだ。さらにひどいことになるぞ」
「……人を諸悪の根源みたいに言わないでくれる?」
 雅羅は息を吐いて言う。
「毎回毎回、そう都合よく厄介なことに巻き込まれるわけないじゃない。むしろ今回は私の周りにはなんにもなくて、拍子抜けするくらいの展開を期待しているわよ」
「……おい、夢悠、どうだった?」
「一応警戒しながら歩いてるけど、そこまでおおそれたことは起きてないよ」
 夢悠は言う。
「ま、せいぜいケンカしている客を仲裁したり、落し物をしたおばさんと一緒に探し物したり、売り子にビールを引っかけられそうになったくらい」
「思いっきりいろいろあるじゃねえか!」
 垂が叫んだ。
「そりゃあ、間違いなくなにか起こるだろ。それを見越して、オレも雅羅と一緒に行動してるんだから」
「こらそこ!」
 少し離れた場所で肩を組んで話す夢悠と垂に雅羅が叫ぶ。
「雅羅は客席を調べてるのか?」
 ベルクがうー、と唸っている雅羅の肩を叩いて言う。
「そうよ。やっぱり、客席に仲間がいたとしてもおかしくないし」
 ふう、と息を吐いてから雅羅は言った。
「なにかありましたかー?」
 フレンディスが言うと、
「なにもないわよ。見なさい、私がいるからって、いつもなにかが起こるわけじゃないんだか……わっと」
 言っている最中に、雅羅の体がよろけた。なにかと思って皆が見ると、雅羅のおしりあたりにぶつかったのか、小さな女の子がその場に座り込んでいた。
「うっ……」
 そして、雅羅と目が合うと、


「びえーっ!!」


 泣き出した。
「わ、わ、どどどどうしたの!?」
「おい……いきなりトラブルじゃねえか」
 垂が息を吐いて言った。
「うるさいわね! えーと、ちょっと、ね、ほら、泣き止んで? ね?」
 雅羅があたふたしていると、夢悠が女の子の近くまで行き、「大丈夫? 痛くない?」と声をかけた。夢悠と目が合うと女の子は突然泣き止み、じっと夢悠の顔を見つめ、
「おにいさ……お姉さん?」
「いやオレ男だから。呼ぶとしたらお兄さんだからね」
「可愛いお兄さん」
「か、可愛い?」
「だっこー」
「ええ……」
 突然女の子が手を伸ばして抱きついてきた。
「ロからはじまってリで終わるアレか」
 垂がにやにやしながら言う。
「うるさいよ! えっと、お父さんとお母さんは?」
 夢悠は子供を抱き上げてそう尋ねる。
「パパ」
「パパがいるのか? パパはどこ?」
「パパ、見つからないの」
「見つからないって……」
 ベルクがフレンディスと目を見合わせる。
「迷子ですかねえ」
 フレンディスも答え、
「そうみたいだな」
 垂も答えた。
「?」
 女の子は首を傾げた。



 

 スタート地点周辺




 綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)は相方のアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)と一緒に、レースクイーンとしてこのイベントに参加していたのだが、裏で事件が起こっているということを聞きつけ、今は周囲を注視しながらこの場所を歩いている。
「観客が多い。こんなところで爆発が起きたら……」
「ええ」
 観客席には多くの人がいる。こんな場所で大規模な爆発が起きたらと考えると、気が気でない。
「いざとなったら避難誘導とかもしないとね」
 さゆみが続け、アデリーヌが頷く。警戒しながら歩いている最中にも、予選レースに出場する飛行艇が数台、飛び立っていった。そのたびに多くのフラッシュがたかれ、大きな歓声が上がる。
 そしてそのいくつかのフラッシュは彼女たちにも向けられている。二人の格好からして撮影されるのは仕方ないのだが、なんとなくいやらしい視線も多く、緊張状態を保っている二人にとっては不快なものも多い。
「……さゆみ、7時の方角あたりから連続して撮影されているのですが」
「ええ……しかもなんだか……感じたことのある視線よね」
 さゆみが振り返ると、影が物陰に隠れた。さゆみは息を吐く。
 距離は遠い。追っても逃げるだろう。ならいっそのことここから声をかけてやろうと大きく息を吸うと、
「こ、こら、あっち行け!」
「ワン!」
 人影の近くになにかが向かってきて、姿を現した。
 それは知り合いかと思ったが……いやまあ知り合いであることに代わりはないのだが、思っていた方ではなかった。
「ハイパーのほうじゃない」
「SAYUMINさん……」
 犬に追われている小柄な人影は、カメラを掲げて少しだけバツの悪い顔をし、


「そうです。僕は皆口虎之助、またの名を、絶大なる性的欲求(ハイパー・エロス)!」


 いつもの感じで名乗った。ちなみに犬に追われて逃げ回りながらだ。
「その犬は……」
 アデリーヌが言う。
「俺の犬。怪しい人物がいたら追いかけるように言っておいたんだ」
 虎之助の後ろから酒杜 陽一(さかもり・よういち)が現れた。虎之助を追いかけていた犬は彼の【シャンバラ軍用犬】だ。
「確かに怪しい人物ではあるけど」
 さゆみは言い、陽一の近くに行く。
「陽一さんも来てたんですね」
「ああ、なんか大変なことになってるみたいだから」
 言いながらも、陽一は【ホークアイ】等を使って周囲の警戒を怠らない。
「二人は仕事の最中なんじゃないのか? 大丈夫?」
 陽一が尋ねるが、
「危ないことが起こっているのに、なにもしないでいるのも落ち着かないですからね」
 さゆみがはっきりとしたく口調で言い切った。
「どんな連中なんです、その、テロリストとかいうの」
 アデリーヌが尋ねる。
「さあね。さっき、ロゼさんとの会話を聞いてたけど、随分、非現実的な要求をしていたな……もしかしたら、なにかの撹乱かもしれない」
 陽一が少し険しい顔で言った。
「観客席は一通りこいつらと一緒に回ってきたんだが、特に問題はなかった。今から、参加チームの倉庫を回ろうと思ってるんだ」
 続けて言う。
「そういうことなら、私たちも行きますよ」
「ええ。人数は多いほうがいい」
 さゆみたちも言う。陽一は「心強いよ」と笑みを浮かべて言い、シャンバラ軍用犬を連れて歩いていった。
「で、あんたはどうしてついてくるの?」
 少し歩いて、ついてくる虎之助を見る。
「……テロリストとかって、なんの話です?」
「あー、うーんとね、」
 言うべきか迷ったが、なにかわかるかもしれないと思い話すことにした。
「この会場でそんなことが起こっているんですね」
 虎之助は息を吐きながら言った。
「なにか知っていることは? 撮った写真の中に、なにか変なものがあるとか」
 陽一が尋ねるが、
「いえ、特にありません」
 虎之助はカメラを確認しながら言った。
「というか、今回はなにを盗撮するために来たのよ」
「そりゃレースクーンですよ。それと、カイザーと」
 さゆみの質問に、虎之助は即答した。
「カイザー?」
 陽一が聞き返す。
「空の皇帝、カイザーです。今回の大会での数少ない予選免除の選手で、レースでの優勝経験は数知れず、寡黙でクールでイケメンで、大人気の人なんですよ」
「詳しいですね……」
 アデリーヌが息を吐いて言う。
「もしかして、あれのこと?」
 さゆみが前を指差して言った。
 四人はすでに参加チームの倉庫付近に来ていて、さゆみが指さした先にはサインをねだられたり写真を撮られたりしている一人の男がいた。
「はいはーい、順番だよ、子猫ちゃんたち」
 男はにやにやしながら女の子たちに応対している。
「ずいぶんと軽い男ですね」
「彼はカイザーじゃないです。でも彼も予選免除の有名な選手、ロイさんですね」
 ロイは女の子と並んで写真を撮ったりして楽しそうだったが、
「見て、カイザーよ!」
「ああ、本当!」
 ロイの周りにいた女の子たちが離れた場所にいる男を指さし、いつの間にかほとんどの女の子は離れていってしまった。
「……ちっ」
 ロイは不機嫌そうな顔になって、手にしていたヘルメットを投げ捨てた。スタッフと思しき他のメンバーが、慌てて拾いに行く。
「なんか、感じの悪い奴ね……で、あっちがカイザー、と」
 さゆみがそちらを見る。確かに雑誌などでも見たことのある人物だった。今は女の子に囲まれているが、表情一つ変えずに黙々とサインなどに応じている。
「すごい人気だな」
 歩きながら、陽一も口にした。
「あれを取るのが目的ですか? あなたらしくもない」
 アデリーヌは言って振り返るが、虎之助は目をきらきらさせてカイザーのほうを見ていた。
「……パーエロ?」


「本物のカイザーだぁ!」


 アデリーヌが話しかけると、虎之助はカメラを抱えてぴゅー、っと走っていってしまった。
 そして、「カイザーさん、こっち向いてください!」と女の子に混じって何枚も写真を撮っている。
「……エロにしか興味がないと思ってましたけど」
 アデリーヌが言う。
「ええ……なんか、女の子みたい」
 さゆみも息を吐いてそう言った。
「陽一さんじゃないですか。それに、さゆみさんたちも」
 近くから声がかかり、三人が振り返る。そこには鬼龍 貴仁(きりゅう・たかひと)がいた。
「貴仁さん。ここの調査を?」
 答えたのはさゆみだ。
「ええ。爆発って言うから爆弾を探してる感じですけど、なにせ飛行艇のレースですからね。もしかしたら、別の手段による爆発の可能性もあるかと思って」
 言って、親指を飛行艇に向ける。
「飛行艇を突っ込ませる、か。なるほどね」
 陽一はそれだけで理解したのか、あごに手を当ててそう言った。
「でも、一通り調べたけど問題なかったですよ。でもま、なにがあるかわからないですからね。一応、爆発の時間に近くなればついていこうと思ってますけど」
 貴仁は【水雷龍ハイドロルクスブレードドラゴン】を指さした。
「そっか。さすがに空中での捜査は無理だな。そっちは任せるよ」
「了解です」
 言って、貴仁はその場を去った。
「よし、じゃあ倉庫の調査だ。頼むぜ」
 陽一はシャンバラ軍用犬に言い、犬も「わん!」と元気よく答えた。
 さゆみたちも陽一の後に続き、歩いていった。