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月下の無人茶寮

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月下の無人茶寮
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リアクション

その人に紡がれ、繋がる想い
 

 武骨に岩肌の出た内壁も、ランプの灯りの風情でどことなく瀟洒な趣さえ感じる。涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)は、白いテーブルにミリィ・フォレスト(みりぃ・ふぉれすと)と向かい合って座り、何気なくその様子を見渡した。
「本当に誰もいないのか。不思議だな」
 これで給仕が銀の盆を持って歩いていたら、普通のレストランと同じように思えるだろう。だからこそ、その姿が見えないのはよけいに不思議に思われた。

 遺跡研究者たちの説明によれば、飲食によるセラピーを目的とした施設らしいが、その点、医食同源を旨とする涼介には、興味深いと感じるものがあった。
 記憶に残る飲食物が饗されるという、この施設。
(思い出の味というのは人によって違うはず)
 同じ料理でもその味付けが微妙に違うから、その作り分けができるというのはよっぽどの腕がないとできない。
(その精度を高めるのが魔法の役割なのだろうか……?)
 気がつくと、ミリィも、物珍しげに周りを見ている様子だった。
「さて、食事は……」
 客が注文する必要はないシステムだとは聞いているが、さてどうするのかと、涼介が視線を店内からテーブルの上に移すと。
「お……」
「まぁ」
 料理の盛られた白い皿が、そこにあった。
「いつの間に……」

 クラブサンドの皿だ。

「これは……」
 涼介には見覚えのあるものだった。
「彼女の作ったものだな……まさに」
 見たことがある――いや、よく知っている。
 程よく焼いたトーストの間にベーコン、ターキー、レタス、トマト、マヨネーズを挟んだクラブサンド。
 そして、ありありと見える気がした。
 このサンドイッチの皿を微笑んで差し出す彼女、ミリア・フォレスト(みりあ・ふぉれすと)の姿が。

「懐かしいな、これは。……初めて作ってもらったのはもう、結婚する前になるな」
 ミリィを相手にしながら、涼介は半ば一人ごちるように呟いた。
 結婚前、長い時間をかけてレポートを書いたりレシピを纏めたりと一人忙しく、食事を取る暇もない涼介に、ミリアがよく作ってコーヒーと共に出してくれたものだった。
 まるで、涼介の記憶から抜き出してきたかのように、思い出の料理は鮮明に目の前に再現されている。いや、そのサンドを目にして涼介の中で記憶が甦ってくるとともに、相乗効果のようにサンドもますます克明に、思い出の中にあるそれと同一のものとして、涼介の目に映るかに思われた。
 ――あの多忙だった頃、コーヒーを飲みながらちょっとだけ手を止めてそれをつまむ、その瞬間は、涼介がほっと落ち着けるささやかだが大切なひと時だった。
 手に取って、一口噛みしめる。

 あぁ、そうだ、これだ――
 懐かしい、胸の中にある味だ。
 あの時の、長時間紙に向かって文字を埋めた後の少しぼんやりした視界と疲労感、ミリアから受け取った皿の感触、コーヒーカップから立つ湯気、レポート用紙を広げたテーブルの上の灯りの陰影までもが、脳裏を掠めるのだった。


「確かに、このクラブサンドの味は……お母様が作るクラブサンドそのものですわ」
 サンドを一口食べて、ミリィもまた頷いていた。
 それが魔法の力で再現されていることに驚いているのか、輝く目を大きく見開いている。
「そうだな、確かに彼女の味だ」
 追憶に耽る声で、涼介が相槌を打った。
「この味、私がまとめていた『レシピ集』のものを元にして、改良を施したものだと言っていた、まさにその味だ。
 実に見事に再現されているよ。……美味しい」
「えぇ。マヨネーズをタルタルソース風にして、味と食感のアクセントにする事でこの味が生まれるんでしたわね。
 よく覚えておりますわ。わたくしにとって、このサンドイッチは、お母様から習った初めての料理ですから」
 大切そうにサンドイッチの一片を両手で持ち、ミリィは朗らかに話し始めた。

「今でも覚えていますわ。お母様から初めて料理を習ったあの日のことを。
 お母様と一緒にキッチンに立って……
 包丁の持ち方や火の使い方。料理をする際に大切な心構えのこと。すべて教えて頂いたのですわ」
 ミリィの心にもまた、鮮やかに甦っているだろう。
 オーブンで色づくトーストの香りや、火を通したベーコンのパチパチと脂が爆ぜる音や、洗ったレタスの瑞々しい色。
 ドキドキしながら包丁を握って、具を挟んで膨らんだパンに刃を入れる時の感触。
 それを微笑んで見守っているミリア――母の優しい眼差しが。
「まるで昨日のことのように……鮮明に覚えていますわ」 

 自分にとっては妻の味で、彼女にとっては母の味。
 自分の大切な思い出の味が、彼女にとっても大切な、温かな思い出を秘めた味。
 2人にとっての大切な人によって紡がれ、彼女の想いによってそれぞれの思い出が繋がるような。
 涼介は、不思議な感慨を覚えていた。


「ねぇ、お父様。
 わたくしが初めて料理を作った相手って誰だと思いますか?」
 ほんの少し悪戯っぽくなってこちらを見るミリアの目に、涼介は思いから立ち返って彼女を見る。
 誰だろう? と目で問いかけると、その目が少しだけはにかむような色を差して笑いかけてきた。
「それは……今、目の前にいる人ですのよ」
 そう言った、ミリアの笑みにつられるように、涼介も笑った。

 幼い娘に初めての料理を振る舞われた時、自分はどんな表情で、どんなことを言ったのだろう。
 訊いてみたい気もしたが、結局口にはしなかった。
 彼女にとっては思い出、自分にとってはこれから先の話だ。
 その時が来るまで、楽しみにとっておこう。