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【真相に至る深層】後日談 過去からの解放

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【過去からの終焉――水底より】



 調査団の機材撤収など、諸々の作業も終わり、都市に満ちていた独特の空気が段々と陰りを帯びると共に、神殿の中も変質を始めていた。少しずつ力が失われ、遺跡に残っていた魂たちの気配もおぼろげになりつつある。
 朽ちていく魔方陣、錆びていく調度品、ひび割れていく床や柱たち。それらが、外の都市と同じように変じていく様子に、ゆっくりゆっくり確実に、都市が終わりに近づいていくのが、判る。

 そんな神殿の中で、少女たちの魂はその最後の時を迎えようとしていた。



「…………そろそろ、時間じゃな」

 刹那の呟きに、金糸雀は器用に頷いて見せると、ぱさりと小さな羽音と共に離れると、そこが自分の定位置だからと言わんばかりに、都市を見下ろせる窓辺に止まると、深くその頭を下げた。
「ありがとうございました」
 その言葉に軽く首を傾げる刹那に、金糸雀の姿をとった少女は続ける。
「長くかかりましたが――わたくしの願いは叶いました。あなたさまのおかげです」
 見たかった空、知りたかった世界。憧れていた願いは叶えられえて、もう望むべくはないと、幼いその声は穏やかだ。本当ならもっと、知りたいことも触れたいものもあったのではないか、と思わないでもなかった。まだまだ世界には、彼女の知らない世界がたくさんあるのだ。だが、それは言うだけ野暮と言うものだろう。彼女は彼女なりに、最後の時間で世界を見たのだ。その幸福を壊すような真似も、したくなかった。
 だから刹那は、部屋を出て行く最後の瞬間に、首だけで振り返るとこう、口にした。
「またの」
 さよならではない。もう逢う事は無いのは判っているが、それでもその存在が心の中から消えてしまうわけではない。勿論、時間は流れ、接続が消えてしまえば、人の記憶は薄れるもので、永劫に留めておくことは出来ないかもしれないが、それでもきっとふとした瞬間に、彼女のことを思い出すのだろう。
 そんな思いを受け取ったのかどうか。
「また、お会いしましょう」
 そう、最後は人の姿へ戻ったその少女は、刹那に向かって微笑んで見せたのだった。



 同じように、最後の時を迎えようとしていたもう一人の少女は、自身の消え行く時を悟って、燕馬の手を小さく握った。その様子で燕馬の方も、別れの時が来たことを悟ったが、いざその時が来ると、お互いに言葉が上手く見つからず、視線が交わること数秒。
 先に口を開いたのは、少女の方だった。
「……私のことを、覚えていて、くれますか?」
 父が紡ぎ巫女に都市の記憶を後世へ託そうとしたように、自分も自分と言う存在を残しておきたい。そしてそれを託せるとすれば、貴方しかいない。そう、言葉にしなくても伝わってくる感情に、燕馬は勿論、と強く頷いた。
「――任せておけ」
 安心しろ、と言いたげなその声も態度も、信頼が置けると判っていた。判っていたが、少女はそれだけでは「足りない」という心の声に従うようにして、その手で招くようにして燕馬を屈ませると、不思議そうにするその首へと腕をかけて、そのまま顔を近づけて唇を押し当てた。燕馬が、驚きに目をまん丸にする中、数秒。だんだんとその姿が淡くなり始めた頃合で、ようやく離れた少女はその口元を――今まで、ずっと表情を失っていたその顔を、微笑ませた。
「乙女のファーストキスです――これでもう、この都市を忘れられませんね?」
 光に還ろうとする少女のその顔は晴れやかで、悪戯の成功した子供のようで、そして泣くのを堪えた女の顔で。忘れないで、私を、と。全身が、その笑顔が、それを訴えているように見えた。
(……くそ、いい笑顔しやがって)
 心中で照れくささが毒づいたが、その視線を逸らすことは出来なかった。目に焼き付けるようにその微笑を見つめると、確信を持って、それは口に出せた。
「あぁ、忘れないよ」
 忘れないさ、君を。決意と、思いとを込めたその一言に、少女は消え行く最後の時まで、満足そうに微笑を浮かべていたのだった。



 そんな風に、都市で、神殿で、それぞれが別れの時を迎えている中、皆の見守り、見送る視界の中でも、一人、また一人と、還って行っていた。

 ビディシエが飄々と遠ざかるその背中を、リディアとコーセイがのんびりと追いかけながら、まるで遠出しに行く友のように、美羽たちを振り返って手を振り、ディバイスと兄弟のように並んでいたカナリアも、最後ニキータに抱きしめられるのに微笑み返すと、二人の頬へと小さな口付けを残して光に溶けた。そうして次々に溶けていく光は神殿を満たし、段々と失われていく龍の力とはまた違ったもので満たされていくのが判る。
 そんな中、皆とは違って独り、躊躇いと後悔ばかりが渦を巻いている様子のパッセルに、大柄な男が近づいた。その影に気付いて見上げたパッセルはそのまま息を飲む。
 ビディリードだ。会いたかった、会うのが恐ろしかった相手の突然の接近に、自分のしたことに向かい合うのを恐れ、パッセルは思わず俯いた。
「ごめんなさい。私は……」
 言いたい言葉は沢山あるのに、喉がつっかえて出てこなかった。謝りたいことも、お礼も、色々な言葉があるはずなのに、どれも出て来ない。ただ、あのままの日々が続けばそれで良かった筈なのに、どこで間違ってしまったのだろう。そんな後悔の滲むパッセルの様子に、ビディリードは何も言わず、ただわしゃわしゃとその頭を撫でた。
 驚いて目を見開くパッセルに、都市が解放されたからなのか、龍への執着としがらみから解放されたからなのか。平穏な日々の頃にあったビディリードの顔で、ただ苦笑するようにしながら顎をしゃくり、その背中を軽く叩いた。何も言わず、何も語らず、けれども何も言うなと慰め宥めるように、いつかの遠い時そうしたように、先を行く背中が歩みを促してくるのに、パッセルは泣きじゃくるようにして駆け出すと、しがみつくように手を伸ばして、その腕を取ったのだった。
「……あんた達も、早くここから出たほうがいい。そろそろ、維持するのも限界だ」
 そんな彼女たちを見送って、口を開いたのはディミトリアスだ。
 見れば、漸くその同調を解いたらしく、元の姿に戻ったディミトリアスの隣に、人型をとったポセイダヌスが佇んでいる。
『我はもう、眠る―――もう二度と会うこともないだろうが……』
 そう言って、最後の時を向かえる前の、深く長い眠りに落ちようとするポセイダヌスはその目が一同をゆっくりと見回すと、そのままポセイダヌスは頭を下げた。
『――小さき者よ……感謝する』
 そっけない一言だったが、その中に込められた感謝の気持ちがどれだけ深いかは、聞いている皆にもよく伝わった。本体へ意識が戻っていったのだろう、その姿が掻き消えていくと、その感慨にふけっている間もなく、慌しく一同は動き出した。
 龍が眠ったということは、都市もまた沈み行く時が来たからだ。
「帰ったら、ちゃんとアニューリスさんのところへ謝りに行ったほうが良いよ」
 遺跡からの撤退の最中、去り際、そんなことを口にしたのは北都だ。また頬に紅葉を貰わないようにね、とからかうのにディミトリアスはどうもそれは既に覚悟済みのようで苦笑し、歌菜はそれにくすくすと笑った。
「心配をかけたんですから、仕方ないですよね」
「……判っている」
 頷いたディミトリアスが、ため息をつきながらも、無事に終わることの出来る幸福がその顔にあるのを見て、歌菜は安心したように笑ったが、不意に振り返ったイグナーツが、少し難しい顔をしているのに「どうしたんですか?」と首を傾げた。
「いや……本当にこのままで良いのかと、思って」
 彼が案じているのは、アジエスタのことだ。本人が望んだこととは言え、このまま彼女にだけ押し付ける形で終わってしまって良いのだろうかと。自分達も添うべきではなかったのだろうかと気に病んだ様子だったが、それについては望とヒルダが不意に顔を見合わせて「大丈夫じゃないですかね」と口を開いた。
「彼女が本当に、一人ぼっちになれると……思います?」




 そう、正にその時――一人また一人、海へ、光へと還って行く者達の魂を、紅の塔の中で見送っていたアジエスタは、不意に近づいた気配に目を瞬かせていた。
 
「…………姉さま?」
 
 その声に応じて、気まずげな様子で影から姿をのぞかせたのはオゥーニだ。
「いや、ほら、他の人の前に顔を出せる立場じゃないから、ねぇ?」
 どうやらずっと、こっそりと様子を伺っていたらしい。傍にジョルジェも控えていたが、邪龍の復活より更に前に死亡していたこともあってか、余り事情は良くわかっていないらしく首を傾げたのに、オゥーニが軽い安堵にそばに寄ると、アジエスタが「姉さま、それは」と硬い声を上げた。
「ああ……これ?」
 その声に、オゥーニが髪をゆるくかきあげると、首筋には黒い鱗のようなものが見えた。ジョルジェは首を傾げたが、アジエスタにはその気配だけでわかる。それは、邪龍の鱗だ。どうやら、一万年の間ずっと邪龍に取り込まれたまま過ごしたために、魂の一部にそれが食い込む形になってしまったらしい。
「幸い、ここから増殖したりはしないみたいだけど……おかげで魂が歪んで、皆の様には逝けないのよ」
 オゥーニは首を竦めて軽く言ったが、それは魂が縛られてしまったのと同義だ。息を呑んだアジエスタに、オゥーには宥めるように微笑んで、寧ろ愛しげな様子でその鱗の上をなぞる。
「貴女を愛したことが罪なら、これはその罰。つまりは二人の愛の証と言う事よ……冗談だってば」
 囁くような声にアジエスタが何か反論しかけたのを制して、オゥーニは笑って肩を揺らすと「でも、貴女を愛した事は私にはそれ位に宝物なのよ」と優しく言って、アジエスタの気配を辿るようにオゥーニは微笑を浮かべた。
「それに、悪いことばかりじゃないわ。こうして……貴女が最後を迎えるまで、見守ってあげられるもの」
 どれだけ長い時間だろうと、関係ない。こんな形になってしまったけれども、こうして最後まで傍にいられるのなら、寧ろ願ったり叶ったりだと言わんばかりに、オゥーニは塔の、正確にはそこに宿るアジエスタの魂に触れるようにして手を伸ばした。それに、淡いぬくもりを感じるのは決して気のせいではないだろう。そして、アジエスタが、嬉しいのか切ないのか、自分でもわからないものに、子供の頃のように泣きじゃくっているだろうということも。
「愛してるわ、アジエスタ……だから泣かないで。これは私の望みなの」
 姉としてその背中をなでてやることが出来ないのだけは心苦しいが、最後にはこの塔も効力も失うのだろうから、それまでの辛抱だ。その時を今から楽しみとするように目を細めながら、オゥーニは「そうえいば、これだけは言っておかなきゃと思っていたのよ」と思い出したように口を開いた。
「来世までにしっかり男を見る目は鍛えときなさい」
「ね、姉さま!」
 からかい半分、本音半分の言葉に、アジエスタが声を裏返させたのに、平穏だった頃の二人の関係を取り戻したことを実感して、オゥーニは笑みを深めたのだった。