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【真相に至る深層】後日談 過去からの解放

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【真相に至る深層】後日談 過去からの解放
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【更け行く夜の帳の中で】
 

「調子はどう?」


 二日目の治療院。
 スカーレッドの病室にお見舞いの品物を飾りながら、ルカルカが首を傾げると、スカーレッドは寝台から上体起こして「まあまあ、と言った所ね」と肩を竦めた。重症具合は一同の中でも相当酷い方だった割りに、ルカルカが使用した神宝『布留御魂』のおかげもあってか、傷口が傷んだりする様子等、特に変わったところはなく、ルカルカはほっと息をついた。
「直ぐに手当てしてくれた子がいたもの、この程度でいつまでも寝てはいられなくてよ」
「だからといって、無理をされても困るが」
 呆れたように言って、ダリルが手渡したのは、独特な香りのするお茶だ。
「栄養価が高いし、気の流れにも良いらしい」
 少しでも症状を緩和すれば良いが、と差し出されたそれを受け取って、スカーレッドが口をつけていると、ルカルカは「本当はね」と唇を尖らせた。
「ルカルカ特性スタミナフードを持って来ようとしたんだけど、ダリルがダメだって言うのよ。酷いと思わない?」
「スタミナフード……?」
 スカーレッドが首を傾げたのに「ん?ネバトロ丼よ」と、ルカルカは顔を輝かせて説明を始めた。
「オクラとヤマイモとトロロと納豆を器に開けて、卵と鮪の赤身入れて、ぐりぐりかき回して粘りを出しまくったらホカホカごはんにかけて醤油を……」
 そこまで説明したところで、ダリルとスカーレッドが非常に微妙な顔をしているのに気付いて、ルカルカは唇を更に尖らせた。ねばねばで美味しい、という日本人的感性は二人はどうやら持ち合わせていないらしい。
「……なに、その顔。これが栄養あって、スタミナつくんだってば!」
「なんだい、美味しそうな話してるねぇ?」
 そんな会話に、面白がるようにして部屋へ入って来たのは、スカーレッドの見舞いに来た氏無だ。
「まぁ、皆色々とお疲れ様。束の間のもんだけど、しっかり英気を養って頂戴よ」
 そう言って笑った氏無だったが、帝国とシャンバラの間を行き来し、なおかつ遺跡と治療院とも行き来していることもあってか、のんびりとして見えてもどこか疲労が見え隠れするその横顔に、ルカルカは苦笑した。
「大尉もかなーりお疲れモードな顔してるね」
 と、肩を竦めると「駄目よー」と指を振った。
「ノー過労死、ノー労災。教導団はブラック企業じゃないんだから、調査が終わったら休暇を取ってよね」
 教官らしくしようとした、らしいルカルカの言葉と口調に「えぇと……」と氏無は何とも言えない顔で、珍しく言葉を捜すようにしていた、が。
「そうだ大尉……その休暇の前に、調査報告書の写しが貰えるようなら貰いたいんだが」
 続くダリルの言葉に、一瞬虚をつかれたように目を瞬かせ、その顔が普段とは違う種類の苦笑を深めると、大きなため息と共に肩を竦めた。
「あー……キミらね……一応思い出して欲しいんだけど、ボクはまだ任務中で、キミらはボクの上司じゃないし、部下じゃないし、ボクの任務とキミらの任務は違うよね? まぁ軍隊ってものに夢を見るのは自由だから、止めはしないけどさ、教え子に笑われない内にちょっと勉強しなおしておいで」
 珍しく声に棘の含んだ物言いをして、氏無はにこりと何時もどおりの笑みを浮かべなおした。
「ボクもいい加減年だからね、キミの言うとおり“現場から引っ込め”って感じだけど、中々、そうもいかないんだよねぇ……それと、まぁ、一応忠告しておくけど、任務中の軍人さんにはさっきのセリフ、言っちゃ駄目だよ?」
 すんごく失礼だからね、と続いた言葉に、意味判らない様子でルカルカが首を傾げた、その時だ。
「――失礼する」
 扉を軽くノックすると共に、入ってきたのはマグナス・ヘルムズリー(まぐなす・へるむずりー)だ。
 法務局のトップであるマグナスは、氏無がエリュシオン帝国で世話になり続けていることに対し、国軍としては
滞在の為の行政手続きが必要であり、少々ややこしい話だからということで直接ここまで出向いたらしく、どうやら、書類手続きのために氏無を呼びに来たようだ。
「ご足労おかけして、申し訳ありません、大佐」
 頭を下げた氏無のその口調、態度に一瞬ちらりと探るように見たマグナスは、苦笑と共に肩をすくめる様子に氏無側の事情を悟ったのか、頷きと共に息を吐き出した。
「ところで……報告書の写しをどうとか言っていたのは、聞き間違いか」
 その言葉に僅かにダリルが姿勢を直したのに、マグナスが続ける。
「報告書というものは、作成者の責任がそこに重くのしかかる。その重要性を認識せず、安易に情報を横流しして貰おうなどとは言語道断だ」
「まぁ大佐、そのへんで……病人の枕元ですから」
 淡々とした声を遮ると、氏無は一人知らん顔をしていたスカーレッドを恨めしげに見やって息を吐き出した。
「全くもう……あんまりボクの胃袋を苛めないでおくれよ? 三人とも」
 そう言い残し、氏無は顔を見合わせる一同を残して、早々に立ち去ろうとするマグナスの後を追うようにして部屋を後にしたのだった。


「休暇を取れ……か。態度といい、侮辱だと訴え出て構わんと思うが」
「そのような意図はなかったでしょうし、ボクは気にしてませんよ」
 廊下を歩きながら、氏無は苦笑しながら肩を竦めた。任務中の軍人に休暇をとれ、と言う行為が持つ意味を多分彼女は知らないし、教導団はあくまでも教導団であり、国軍の一部でしかない以上、教導団の教官としての権限は、教導団員のみに対してであり、国軍兵には通用しないという事も、これから学ぶ事だから、と肩を竦めた氏無に、マグナスは眉の端だけを僅かに上げただけで追求せず、代わりに別の質問を口にした。
「……帝国への滞在は、まだ長引きそうか」
「ええ」
 頷く氏無の顔は普段よりも幾らか固く、浮かべる苦笑もどこか痛みを堪えるようなそれだ。問う意味の無意味さに、マグナスは「了解した」と端的に返した。
「手続きは進めておく」
 お願いします、とそれに応じる氏無の目は、どこか遠い昔を見るように治療院の外を見やった。
「出来るだけ……ご迷惑はかけないようにしますよ」
 吐き出された言葉へ返答は無く、治療院は夕闇の中へとゆっくりと飲み込まれていったのだった。





 その、夜。

 闇に落ちる遺跡の中で、その二人は不思議な相対の中にあった。
 かつては親友同士として顔を合わせたはずの二人の間に今あるのは、どこまで行っても重なり合うことの無い思いであり、暗闇よりも更に暗く深く、濁ったそれだった。
 アジエスタにとっては、親友だと思っていた相手の最後の裏切りを忘れることなど出来はしなかったし、ファルエストの方にしても、アジエスタを殺しきれなかったことへの無念も、彼女へ抱く憎悪も消えたわけではない。未だに色濃く憎悪が揺れるその瞳に見つめられて、苦い顔をするアジエスタに、ファルエストは口元を歪めるように笑った。
「……アジエスタ、あなたを殺せなかったことは……いいえ、あなたを殺す程度のことでは、私は癒やされない……満たされない……」
 吐き出される呪詛のような言葉に「ファルエスト」とアジエスタが口を開きかけたところで「判ってるのよ」とその声は遮った。
「あなたを殺したって、その存在を全否定したって、終わるはずなんかない。人の心は、憎悪に飲まれた瞬間から、その狂気のみを糧にするしかなくなる。憎悪に犯されて、穢されて……他に何の救いも得られなくなることも判ってた」
 その声の中に、悲しげな響きがあることが、アジエスタを揺らす。かつては微笑みあったはずの、手を取り合ったはずの仲間で、友へと腕を伸ばそうとしたが、それより先にファルエストの目が殺意にぬるりと光った。
「……それでも、私はあなたを憎むことを選んだのよ」
「……ッ」
 喉を押し潰されるような感覚に、アジエスタが怯む中、伸びたファルエストの手がその首筋に爪を立てた。お互いに肉体を失った存在だ、傷がつくはずも無いが、その手はそのままぐっと力が篭ってもう片方の手がアジエスタの身体をまさぐった。命を奪える箇所をなぞり、顎を取り、唇が触れそうなほど顔を寄せたファルエストは、ぞわぞわと背筋を寒くさせるような声で、こう続けた。
「私はあなたを殺せなかったから……生きることも死ぬことも叶わず、彷徨い続けるの……」
 


 それはまるで呪いのように響き、水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)は悪寒に身体を跳ね起きさせた。
「夢……? いいえ……今のは……」
 呟いて、ゆかりは全身から噴出す嫌な汗に、眉を寄せた。
 戦っていた時も感じていた、あの深い憎悪と狂気は、ここに来て更に粘度を増して絡み付いてくるようだ。意識を侵食してくる気配に、思わず身体を抱きしめたが、全てを真っ黒く塗りつぶすようなその恐ろしく穢れたものは、ゆかりの抵抗を許さないように痛みを伴ってずぐずぐと奥まで押し入って来る。まるで犯されているようだと歯の奥がかたかたと震えた。
 その時だ。
 控えめに扉を潜る音がして、氏無が部屋を訪れたのだ。手に明かりのひとつも持たない様子は、夜中の女性の病室を訪れるのには不適格ではあったが、暗闇の中を見るその目はいつになく鋭く、お見舞いというよりは巡回中と言った方が近い様子だ。視線が室内を動き、そこでゆかりが起きていたことに気付いたようで、その表情を僅かに緩めた。
「ごめんよ、起こしちまったかい?」
「…………」
「大丈夫かい、ゆかりく……んッ!?」
 ゆかりは首を振ったが、その様子が余りに可笑しいのに気付いて、氏無は首を傾げると、ゆっくりと近づいて、そっとその顔を覗き込んだ。が、その次の瞬間。唐突に伸びた腕が氏無の首を捉えて、そのまま自分の方へぐいっと強引に引き寄せたのだ。ぎしり、とベッドが軋み、突然のことに目を瞬かせる氏無は殆どゆかりに圧し掛かるような格好だ。軽い戸惑いに氏無が瞬いている内に、その腕は更に力をかけて自身へと引き寄せた。
 深夜、明かりもなくベッドの上。この行為の意味を理解できない氏無ではなかったが、軽いため息を吐き出すとわざとらしくギッとスプリングを軋ませてベッドに乗り上げると、背中に腕を差し入れて上体を起こさせ、そのまま軽く抱き寄せた。
「……大尉」
 意図と違う行動に、咎めるようにゆかりが囁いたが、氏無はその背中を軽くぽんぽんと叩くと「よしなさい」と静かに言った。
「こういうお誘いは嫌いじゃないけど……自分を傷つけるためにっていうんなら、付き合うわけには行かないよ」
 その言葉に反論しかけて、けれど直ぐにゆかりは言葉を飲み込んだ。見透かされている。そう感じて唇を噛んでいると、続いて頭を撫でる硬い手の気配がして、ゆかりは目を閉じた。この黒い気配を掻き消すためなら、何でもする、どんなに滅茶苦茶にされたって構わない、そんなつもりではいたが、それが通用する相手ではない。そして、この憎悪に犯される恐ろしい感覚を伝えることも難しいだろう、と悟って「申し訳ありません」という言葉だけが口から漏れた。
「いいから、寝ちまいなさい……」
 囁くような声が言うと、ゆかりが頷くより早くその意識をやや強引に眠らせると、氏無は不意に零れた涙を拭い、悪夢に魘されはしないかどうか暫く様子を見た後で、部屋を後にしたのだった。





 その、直後のことだ。

「……それで、キミたちは何の用なんだい?」

 廊下を歩む足を止めた氏無に「ふふ」と低く笑う声がした。
「やはり気付かれていましたか、氏無大尉」
 そう言って、闇から解け出るように現れたのは天樹 十六凪(あまぎ・いざなぎ)だ。
 氏無が軽く目を細めたのを認めて、十六凪は「改めて、自己紹介させていただこうかと思いまして」と慇懃に頭を下げた。
「僕は秘密結社オリュンポスの参謀を務める天樹十六凪と申します。……いえ、大尉には、秘密結社・真オリュンポスの代表と名乗っておいたほうがいいでしょうかね」
「そういや、あの時もそんなこと言っていたねぇ」
 その際は姿こそ違っていたが、遺跡でクローディスを狙っていた際に名乗られたその名を思い出した氏無が、僅かにその姿勢を変えたのに「ああ、そう身構えないでください」と十六凪がにこりと笑みを浮かべる。
「ここで事を構える気はありません。今回は、こちらも戦力をかなり失っていますからね」
「そりゃあ助かるねぇ。ボクはほら、この通りもう年だから、どんばちはきつくってねぇ」
 その言葉に氏無もいつものようにのんびりとした笑みとともに肩を竦めて見せたが、害意はありませんよと言わんばかりに両手を広げてみせる十六凪と氏無の間に流れる空気は、深夜だということを差し引いても酷く冷たいものだ。
 お互いの視線が探るように交わされる中で、唐突に、空気が動いた。
 隠行の術で闇に溶け込んでいたデメテール・テスモポリス(でめてーる・てすもぽりす)が、氏無の直ぐ脇の壁をすり抜けて一気に接近をかけたのだ。死角からの疾風迅雷の先制攻撃だ。身を翻そうとする、氏無の反応は間に合っていない。毒の塗られた刀が、氏無の首を狙って閃く。が、次の瞬間。
「おやおや、元気な童じゃのう」
 こちらも唐突に現れた和服姿の女の袖口から伸びる刀が、デメテールの刀を遮っていた。細められた妖艶な目の奥の怪しい光に、デメテールは危険を感じてぱっと飛び離れると、十六凪を庇うように前へ出た。
「なんだー、うじうじとかいうヒゲのおっちゃんだけじゃないじゃーん」
 軽く拗ねるような様子のデメテールに、氏無はくつくつと笑った。
「やだなぁ、事を構える気は無いんじゃなかったんじゃないのかい?」
「すみません、これはこちらの監督不行き届きです」
 十六凪は困ったように苦笑した。事実、デメテールへ指示したのは護衛のみだったのだが、報酬のプリン増量目当てに先手必勝と勝手に手を出したのだ。だが、空気こそ張り詰めたものの、お互いの表情に変化は無い。氏無が十六凪の言葉を信じていなかったこともあり、十六凪が氏無が無防備で歩いているとは信じていなかったためである。それぞれの白々しい笑みが交わされる中、十六凪は「既ににご承知かとは思いますが」と何事もなかったかのように続ける。
「僕の目的は世界征服です。近いうちに、大尉とは矛を交えることになると思いますから、一度、きちんとご挨拶をと思った次第です」
 そうして、丁寧な会釈とともに微笑むのに、氏無は「なるほどね」と肩を竦めた。
「それは、存分に叩き潰して良いよってことかな?」
「お手柔らかに」
 からかうような氏無の言葉に目を細め、十六凪は口元を引き上げるとすっと身を翻した。
「ざーんねん。プリンは諦めるかー」
 そんなデメテールの呟きを引き連れて、氏無がじっと見守る中、二人の姿は影の中へと再び解けて遠ざかって行ったのだった。