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リアクション
【過去からの結末――神殿】
二日目に入り、最初は機材の再搬入や調整、人配などの様々な雑事に追われていた調査団たちも、サブリーダのツライッツを軸に本格的に動き始めた頃。
沙 鈴(しゃ・りん)と綺羅 瑠璃(きら・るー)はそんな彼らの手伝いとして、機材の手配や細かな事務手続きなどを、氏無と共に手伝っていた。流石に門外漢である調査用の機材についてはサポートに留まったものの、彼らが調査行動のみに集中できるよう、ツライッツと連携を取りながら彼女等が進めていたのは主に撤収の準備だ。
「今回は緊急撤収は無いでしょうが、万が一ということもありますし」
瑠璃の徹底した準備振りに、氏無はやることがないなぁとぼやいたが、そんな氏無に瑠璃は僅かに意味のありげな眼差しを向けて「理想を言えば」と呟くように言った。
「都市を覆えるだけの酸素供給が出来ればよいのですが」
それこそエリュシオンの神々でもつれてくる必要があるでしょうね、と冗談めかすのに、氏無は軽い苦笑を浮かべるしかなった、その時だ。
治療院から逃げてきたこともあってかどうか、駆け込むような急ぎ足で慌しく姿を見せたのはシリウスだ。
「戻ったぜ、みんな!」
「お帰りなさい」
ツライッツが笑顔で迎え、交わしたのはお互いに手短な情報交換だ。残された時間は、あと六日と短い。その間に少しでも、この都市のことを知りたいと思うシリウスの気持ちは、調査団の面々と同じだ。
「此処に生きた人、生きたこと……調べあげて、謳おうと思ってるんだ」
シリウスはそう言って、ぐっと掌を握り締めた。
「忘れられないために伝えられたらって思う」
その言葉は図らずとも、調査団のリーダーであるクローディスが常日頃口にし、行動理念としてきた想いだ。ツライッツは「はい」と頷いて、同僚に向けるのに似た親愛を込めて微笑むと、目的の場所まで駆け出していく背中を見送ったのだった。
そんな中、彼等調査団の起点であり、遺跡の中心でもある神殿の大聖堂の真ん中で、ディミトリアス・ディオン(でぃみとりあす・でぃおん)の身体を借りた龍ポセイダヌスが、巫女たちが紡ぐ眠りと癒しの歌を受けながら、静かに最後の時を待っていた。
その横顔はかつての時代に見たのと同じように淡白で、感慨を見出すことは難しかったが、その目が少なくとも穏やかなもので満ちているのを感じて、赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)は「聞きたいことがあります」と口を開いた。
「あの時……邪龍の口にしていた呪い、と言うのは何なのですか」
それに、近くにいたツライッツが僅かに視線を向けた。自身のパートナーにも関わることだからだろう、気にしているのを気配で感じながら、霜月は続ける。
「ティユトスを受け入れていたとは言え、あの時邪龍の牙を受けたのはクローディスの身体です。もし本当にあれが呪いなら、それはどちらに影響の出るものなのですか?」
「傷は、体に……言葉は魂に。触れたものに、痕は残る」
つまりは、両者にであると暗示する言葉に、霜月が僅かに眉を寄せたが、ポセイダヌスは淡々とした口調変を変えず「だが」と付け加えた。
「お前たちの思う、呪い……は、正しくない。呪詛、呪術はその数多ある形態のひとつ。呪いとはそれらの根幹の思想であり、概念……」
小難しい言いように、何人かが首を傾げていると、ポセイダヌスは溜め息のようなものを吐き出した。
「この身体が、不足している。噛み合わぬ……我と時が近すぎる」
先ほどイグナーツが言ったように、直接繋がっている者同士には通じているが、本来は時代が違いすぎるために言語が噛みあわない部分があるらしい。ディミトリアスは大分適応してきているものの、その魂自体はやはり一万年前のものだ。言葉を捜すような様子のポセイダヌスに、調査団員のフェビンナーレに背中を押されながら、ディバイスがタマーラ・グレコフ(たまーら・ぐれこふ)と共に近づいて、その裾を軽く引いた。
「……なんだ」
首を傾げるポセイダヌスに、ディバイスに促されてタマーラが開いた白の絵本に映し出されたのは、蛇と花の物語だ。霊峰に輝く花を愛した蛇と、その蛇のために黒く染まってしまった龍。遠い昔に失われた筈の歌がそこに描かれているのに、ポセイダヌスは目を細めた。その歌い手たちの生きた時代より更に古い時代のもの故に、それ自体の正確さは失われて、抽象的な絵によって描かれたその物語をどこかくすぐったげな様子で眺めていたポセイダヌスは、ページを捲っていた手を止めた。
「……そうだな、それが、一番判りやすいだろう」
そう言って、その指が示したのは、絵本の最後に描かれたページだ。
”海への恩も忘れた哀れな蛇よ、花と共に呪われてあれ”
そう、言い残して水底へ沈んだ黒い龍が、美しい光の花を抱く蛇の外から、二人を囲うようにとぐろを巻く。何かの紋章を思わせるその絵に霜月は目を細めた。
「……邪龍の言う「呪い」とは……「想い」……なんですか?」
「思いは鎖、念は楔……それは契約となって縛り、永劫を結ぶ」
肯定するような龍の言葉に、霜月は複雑な心地で眉を寄せた。なるほどそれで、邪龍が消え行く際に残した言葉に、ポセイダヌスが「そうなのだろうな」と言ったのだろう。失った巫女トリアイナとポセイダヌスの間にあったのは確かに愛情だった。だがそれが、魂を縛り、都市を縛り、人々を縛った。どこにも行けず、何にもなれず、長い長い苦しみを架したそれを、呪いと言うのも、判らないでもない。そしてそれはどれだけ小さくても、傷となって残り、その因果をどこまでも繋げていってしまう。
「……では、彼女のあの傷は」
「それ自体は、呪いではない。だがそこに因果は残る」
その言葉に、ツライッツが何かを言う前に、タマーラがぎゅっと握った手の暖かさに押されるように、ディバイスが「でも」と口を開いた。
「……因果が残って……何かが繋がることが、必ずしも不幸じゃないはずだよね?」
ディバイスはその名に「糸の端を掴む者」という意味を持った子供だ。それ故に、今回遺跡との因果を繋げてしまったこともあって、問うその声には自身への不安も滲んでいる。ポセイダヌスは少し考えて「不幸とは限らない」とは口にしながらも、首を振る動きは重たげだった。
「だがやはり、それは呪いだ……我が彼女を愛した故に邪龍は生まれた。彼女を愛したが故に我等は共に滅び、この都市もまた滅ぶ。幸不幸ではない……ただ、」
その言葉に、ディバイスがタマーラと僅かに顔を見合わせた、その時だ。
「――愛は呪いなんかじゃありません」
不意に、そう口を開いたのは遠野 歌菜(とおの・かな)だ。
ポセイダヌスが目を瞬かせる中で、月崎 羽純(つきざき・はすみ)がそれに続く。
「呪いのように心を縛るかもしれないが、愛があるから、生きていける。俺が、そうであるように」
確かに苦しみも与えるものかもしれない。何かを架すかもしれない。けれどもそれがあるからこそ逆に、その命を繋ぎとめているとも言えるのではないか。その言葉に同意するように、霜月は「そうですね」と頷いた。
「確かに――呪いとも呼べるのかもしれませんが、それが愛情のひとつの形であるなら、逆にそれを縁だと考えることも出来るのではないですか」
邪龍は、因果は巡ると言った。それは苦しみが巡るということの暗示であったのだろうが、裏を返せば、例えば一万年も前のこの絶望を未来へと繋ぐことが出来たように、繋がったそれをもっと別の何かへ、繋げて導くことも出来るのではないか。そう考えれば、巫女の魂に残される因果も、クローディスの身体に残されるであろう因果も、そのための印、と考えられるはずだ。
その言葉に、不意をつかれたようにしてポセイダヌスが目を瞬かせるのに「私たちが、それを証明してみせます」、と 歌菜は、巫女の青年――イグナーツを振り返った。
記憶と想いの深く繋がっていたために、初めて会ったような気はしないが、今までお互いがお互いの視線を借りる形でのつながりであったため、こうしてきちんと向かいう新鮮さと、不思議な懐かしい気持ちに、自然と互いの間で笑みが浮かんだ。
「まずは――お礼を言わせてください。本当に、ありがとうございました」
そんな歌菜の第一声に、イグナーツは首を振った。
「私たちは結局、貴方方に全てを押し付けたようなものだ」
「いいえ、そんなことはありません! イグナーツさんの教えてくれた歌の力があったから、私は戦えたんです」
苦笑するイグナーツに、歌菜はぶんぶんと首を振った。大切な友人たちを亡くさずに済んだのは、そのおかげだと熱心に語る歌菜に、羽純も「俺からも礼を言う」と頭を下げた。
「歌の助けがなければ、俺達はこの未来を掴み取る事は出来なかっただろう……歌菜と俺達に力を貸してくれて、有難う」
「それと……イグナーツさんからしたら、覗き見みたいで気分は良くなかったかもしれないのですが」
そう前置いて、歌菜はイグナーツの手にそっと触れた。魂だけの存在だとは信じられないほど、温かみが伝わってくる。確かにここに生きて、確かに触れ合うことのできた存在がここにあるのだと、歌菜の中に喜びが芽吹いて顔をほころばせた。
「私は、貴方と言う人を知ることが出来て、本当に嬉しいんです」
仕える主に尽くし、家族という大事な場所を懸命に守ろうとした。最後まで迷いなく守りたいもののために立ち、動くことを止めなかったその姿勢は、歌菜の心に暖かな勇気を与えてくれ、負けられないと心を奮い立たせてくれたのだ。そう告げる歌菜の素直な言葉と思いに、イグナーツは目元を緩めたのに、歌菜は「それから」と続ける。
「イグナーツさんに教えていただいた歌……ずっと大切に……伝えていきたいんですが」
僅かに言葉に詰まったのは、その歌の持つ意味合いのためだ。神殿に仕える巫女たちだけが歌う歌は、本来門外不出なのではないか、と。そう懸念する歌菜に、イグナーツは少し考えた後ほんの少し難しい顔をして口を開いた。
「気持ちは嬉しいけど、難しいと思う。今はこうしてまだ魂が繋がっているから、言葉が通じているけれど――本来は、一万年の隔たりがあるからね」
恐らく、接続が切れると共に、言葉や文字を理解することは出来なくなる。最悪、歌の歌詞を発音することも難しくなるかもしれない。だがそれには歌菜は「大丈夫です!」と首を振った。
「歌は心です。歌に込められた思いを覚えてさえいれば、伝えることは出来ます」
「そうだな。前例もあることだし」
羽純も頷いて、ちらりとポセイダヌス――に身体を貸し与えているのほうを見やった。彼の故郷の歌も、幾らかの変質はあったものの、現代まで伝え残されたのだ。時を越えてじかに繋がったのであれば、もっと正確にそれを伝えていけるはずだ。
「この神殿で歌われていた時のように、その力を残すことは難しいかもしれませんが……歌に込められた思いをずっと残していくことは出来ますよ」
その言葉に、イグナーツは軽く目を開いていると、羽純が歌菜の肩をそっと抱いた。その意図を悟って歌菜が頷くと、二人はかつてイグナーツたち巫女が歌った場所へ立ち、息を吸い込むと声を揃えた。
優しく、暖かく、美しく。
響いたのは癒しの歌だ。
イグナーツ達巫女がかつて歌い、ポセイダヌスを慰めた歌であり、遡る時の中で龍を思う魂が紡いだ想いが、時を越えて繋がり、歌菜の心と唇を通して、空気に溶けて広がっていく。旋律はそのままに、けれど言葉は歌菜たち現在を生きる者たちが、また次の誰かに伝えるために、新たにしていく。優しさを、そして愛情を同じように紡ぎ、心を同じだけ添わせて。愛は呪いではなく、思いを繋げる希望であり、人を生かすものだと。それを絶えず誰かに繋げて証明するために。
そうして歌う歌菜の声に羽純の声が重なり、その腕は歌菜の肩を抱きしめて力強く包み込む。こうして共に歌うことの出来る幸福と、深い深い愛情。それをその態度に、歌に、眼差しに見て、イグナーツは目を細めた。
天涯孤独だったがために、家族に憧れていた。どこかでいつも、繋がりを求めていた。ティーズに導かれて、暖かなそれを手に入れたことに満足していたし、幸福だと思っていたが、こうして未来へ――歌菜達のように、幸せそうな家族の中に繋がっていってくれることは、その幸福を更に深めてくれる。
イグナーツはそれを噛み締めるように一度目を伏せると、歌菜たちの歌へそっと、その歌声を添わせた。
そんな彼らの歌を聴きながら、タマーラはそっとディバイスの袖を引っ張った。
首を傾げるディバイスに、タマーラが示したのは、絵本の中で呪いを吐き出す龍のその目だ。伝承の歌を再現したものであるため、正確な事実ではないようだが、それでも、蛇――実際は龍だが――ポセイダヌスへと言葉を投げかけるその邪龍の悲しみが伝わってくるようだ。タマーラが訴えるように見上げるその視線の意図を悟って、ディバイスは「そうだね」と頷いた。
タマーラとディバイスの二人が、遺跡を探して見つけ出したのは、邪龍の中にあった本人ももしかしたら判っていなかったかもしれない「本当の想い」だ。本来であれば片割れとも言うべき相手への思い。愛情そのものとも言える龍の魂は歪んで淀み、巫女トリアイナへの嫉みは愛した相手自身へすらも及んでいった。嫉みは嫉みを、妬みは妬みを積み重ね、それ自体が大きくなって形を変えてしまったのだ。
「……本当なら……」
呟くタマーラの声に、ディバイスはもう一度頷く。本来なら深い海の愛情を象徴する存在であったはずの存在。ポセイダヌスが花を――巫女を見つけなければ、また違った物語と伝説があったはずだった。だがそれは全て過去の話で、邪龍となり果てたリヴァイアサタンに戻れるべき場所はもうなかったのだ。今残っている純粋な思いだけでもせめて、安らかであればいい。
そしてせめて、そうやって歴史の影にあった悲しみを、誰かが知って伝えていければと、タマーラは失われたその歌を、イグナーツたちの歌にこっそりと乗せるようにして、紡いだのだった。
そして――神殿に響き渡った歌菜たちの歌がかすかに響く、神殿の最上階。
辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)は、その旋律へと覚えている限りの紡ぎ巫女の歌を乗せて歌っていた。都市が終わりに向かおうとしているからか、その記憶も段々とおぼろげになりつつある。それをどこかで惜しむような心地に目を細めていると、ぱたぱたと小さな羽音がして、その肩へと一羽の金糸雀が止まって、高く喉を震わせた。その声に目を細め、刹那は歌を止めると、そのまま視線は揺れる水面と、その下に映る都市の光景から目を逸らさないまま「どうじゃった」と独り言のように漏らした。
「……地上の空は」
「素晴らしかったですよ」
金糸雀の漏らす言葉に、刹那が先を促す様子なのに、その「少女」の声は続ける。
ずっと歌でしか知らなかった空。
どこまで羽ばたいてもその天井は遥か高みにあって、白い雲が浮かんでいるのが不思議だった。いつもは見上げていた海の揺らぎを見下ろすのは新鮮で、きらきらと太陽と呼ばれるものの光を受けてきらめく様は、クリスタルグラスを眺めている時のような胸の高鳴りを感じを覚えた。遠くに見えた緑は多分、森や林と呼ばれるもので、肌の上を流れていくものが風というものだ。
さえずりはどこまでも響くようで、このままずっと遠くまで際限のなさそうな空は、恐ろしいほどに美しかった。世界が広いという言葉の本当の意味を、生まれて始めて知った。
声こそ淡々とさせてはいるものの、そんな年相応に心の弾んだ声音が語るのに、刹那は思わず目元を緩める。
「それは良かったのぉ」
我がことのように口にする刹那に、金糸雀となった「少女」は微笑むように囀って、刹那の隣へと足を下ろすと、そのままお互いに口をつぐんだ。沈黙と静寂が落ちたが、それは苦にはならなかった。一時とは言え、魂と記憶を繋いだため、言葉が無くても伝わるからだ。揺れる水面の下に見える都市を眺めながら、「少女」は様々なことが頭を過ぎっていた。
最初に――アジエスタを見たのは、彼女が確かティユトスと引き合わされた頃合だったと記憶している。夕焼けの色をした彼女の髪色と、物語にあった森の色を思わせる目が、優しくとても強かったのが印象的だった。殆どのものから隔離された自分に、会いに来てくれた彼女。目的があったのはわかっていたが、それでも彼女が優しかったのはその触れる掌で判ったし、騎士として磨かれるたびに、凛とする横顔を見るのが楽しみだった。それが淡くはあるが恋心に似たものだと、最後まで気付くことは無かったが。
「…………」
そんな彼女は、最後に約束を果たしてくれた。都市を、自分たちの魂を縛り付けたのは彼女の我侭でしかなかったのだろうが、結果的に、都市は解放されて自身は解放されて、こうして空を見ることも、実際に触れることも出来る。
その幸福をしみじみと感じながら、最後の時を迎えるまでのその短い時間を、刹那と二人で「少女」はこの窓から都市を眺め続けたのだった。
「一週間、といっていたか…アジエスタは。することも、あわせる顔もないというのに…残酷なことをしてくれる」
同じ頃、神殿の中枢――心殿。
駆け込むようにして訪れたシリウスは、案の定そこにいた、かつて「天狼」と呼ばれた騎士――テティユスが一人呟いていたのを見つけて、声をかけていた。
最初は驚いたように目を見開いたテティユスだったが、その空気で直ぐに、自分と記憶を繋げていた相手だと判ったのだろう。硬くなっていた身体を弛緩させると、シリウスに向き直って目を細めた。
「こうして顔を合わせるのは初めてだな。新しき世界の民」
そう言って、シリウスがわざわざ自分に会いにここまで来たのだと悟ると「全く物好きな奴だ」とテティユスは苦笑を浮かべると、シリウスを手招いてじっとその顔を眺めると、不思議そうに首をかしげた。
「どうしてお前だったのか、未だに悩む。悩むが……お前でよかったのかもしれないな」
「どういう意味だよ?」
シリウスは首を傾げたが、テティユスは答えるつもりが無いのか曖昧に笑ったのに「なあ」とシリウスはもどかしげに顔を近づけさせた。残された時間で少しでも、彼女の心を知っておきたかったのだが、テティユスがシリウスに示すのは、感謝の念と柔らかな眼差しばかりだ。過去は過去、とその目が一線を引こうとしているのに、シリウスは関係ないとばかりに口を開いた。
「アンタの話、聞かせてくれよ」
「語ることは、余り無い。語らずとも、お前は知っている……そうだろう?」
悪戯っぽい笑みに、確かにそうだけど、とシリウスが釈然としない顔つきなのに、テティユスは少し笑って「シリウス」とその名を呼んだ。
「お前には感謝している――邪龍を倒し、無念を晴らしてくれて、ありがとう」
そう言ってその頭を軽く撫でたテティユスは、その目を細めて正面からシリウスの目を射抜くように真っ直ぐ見て、言い聞かせるようにか、ゆっくりとした調子でシリウスに語りかけてきた。
「私のことなど忘れてしまえ。今を生きるお前に、過去の苦痛も悲しみも無念も……もはや遠い昔の、ただの物語のひとつに過ぎない」
そういうものは、全て過去に置いていけばいい。お前は自分の世界の今を生き、幸せに暮らすべきなのだと、まるでそれが叶わなかった自身をそこに託すようにして、テティユスは手を伸ばすと、ぎゅっとシリウスの掌に重ねて握り締めた。
「だが、ここで起きた事は忘れるな。巡る因果を同じ結末にはするなよ……?」
「ああ、わかってるよ」
その言葉に、シリウスは力強く頷きを返した。
「オレ……歌を歌おうと思うんだ。ここで起きた事を、アンタのことを。そうしたらさ――……」
きっと巡る因果は、少しでも良い方向へと向かい、繋がっていくだろう。何より――自分の生きた証を伝えようとしてくれるシリウスの態度に、テティユスの目に、ほんの僅かだが光るものが見えた。
「…………ありがとう」
掠れるような声に、シリウスは繋がった手をぎゅっと握り締めたのだった。
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