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リアクション
●Wish you were here
戦場はすでに、満月とヌーメーニアーという母子の伏せている場所から、ずっと中心街よりに移動していた。
セレンフィリティ・シャーレットとセレアナ・ミアキス、そしてタウの攻撃が巨大蜘蛛を圧しているのだ。生物の蜘蛛を真似た機械が多数、黒い鉄屑となってほうぼうに転がっている。
このとき、
「白花」
樹月刀真は涼やかな、なにか憑物でも落ちたかのような顔でパートナーを振り返った。
「今から俺が跳ぶ方向に、氷柱で足場を作ってくれ」
「でも……これ以上は」
白花は言いかけたが、これでは刀真は聞かないと思い表現を変えた。
「武器がもうありません」
「いいんだ」
「けれど……」
「頼む」
白花は刀真の眼を見た。
棄てばちになっている眼ではない。
特攻して月夜のもとに行こうという意思は感じられない。
ならば白花は、首を縦に振るしかないではないか。
「……わかりました」
その返事を聞くなり刀真は助走をつけて跳んだ。
高く。
すぐその前方に、白い氷の柱が立ち上がって足場となった。
刀真はこれを足がかりにして黒い鷲のように跳んだ。
さらにもう一度、やはり新たな足場を踏んで翔んだ。
するとゼータの首、つまり、いまは蜘蛛の制御装置に成り果てた首が狂ったように笑い出した。
「いひひひひひひひひひひひひひひひひ」
刀真とゼータは今、互いの視線を交換できるほど近い位置にいる。
「ひひひひひひひひひひひひひひひ」
耳障りなゼータの哄笑を無視し、刀真は右腕を振りかぶった。
なにも持たない右手だ。それなのに、敵を斬りつけようという動作に出た。
今まで何度も繰り返してきたように、その名を叫びながら右手を振り下ろす。
月夜が死んで使えないはずのその技の名を。
「顕現せよ、黒の剣!」
ありえないことだ。されどそれは現実に起こった。
光条兵器、黒い刀身の片刃剣が忽然として刀真の手に顕現したのである。
剣は突き刺さった。蜘蛛機械の脳であるゼータの顔面に。より正確に描写すれば、ゼータの眉間に。その刃はもちろん、手元の柄に至るまで。
ぼッ、とゼータの首が火を噴いた。
刀真は剣から手を離す。
――あのさ、ごめん。
脱力したように両手を広げ、背中から落下する。
――俺、お前に言わなきゃいけないことがあったんだ。
このとき刀真は、肉体を失った月夜への言葉を呟いていた。
「愛してる、俺が終わるまでずっとそばにいてくれよ。
お前じゃなきゃ駄目なんだ」
どさっと落下した刀真は両眼を閉じてはいたが、胸を上下させ呼吸していた。
ゼータが絶叫したようだが、もう彼はそれを言葉としてではなく風音のようにしか聞いていなかった。
「見て」
アテフェフがラムダに、蜘蛛機械を指さした。ゼータの頭部が破壊されたせいだろう。これまで軍隊のように整然と動いていたものが、突如制御を失って、めいめいでたらめな方向に進み始めたではないか。蜘蛛同士もつれ合って倒れるものもある。背を地につけ、脚だけじたばたとうごかしてもがくものがある。襲いかかってくるものもあったが動きは緩慢で、ラムダの冷凍線で簡単に釘付けにできた。
このとき視界にある物を見つけると、アテフェフはラムダに後を任せ弾かれたように駆け出していた。目指したのは、地に転がるスカサハの頭部だ。
――まだ助かるかもしれない。
手遅れかもしれないが。
「……」
セレンは、担いでいたロケットランチャーを投げ捨てた。もう弾は残っていない。
「頃合いね」
セレアナを振り向いて言う。
「頃合い?」
「そう。これはちょっと寄り道しただけ。まだ情報攪乱は終わっていない」
セレンは眼を細めた。それが、笑みを意味しているのか決意を意味しているのかセレアナには判らなかった。
噂を広めよう。クランジにしてみれば人間などペットか家畜みたいなものだと。
流言を飛ばそう。クランジが飽きたら捨てられる、爆破にしても、レジスタンスと市民でぶつけて流血沙汰を楽しもうとする奴らのヒマ潰しだと。
「偽りの平穏の世界には、もっとずっと、混沌が必要だから」
と言ってセレンは駆け出した。
セレアナは彼女に続く。このとき彼女は、
――でも私は、セレンにとっての平穏でありたい。
そう願った。