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【DarkAge】空京動乱

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【DarkAge】空京動乱
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リアクション


●クランジη(イータ)

「伯爵、あんたがかつて『リュシュトマ少佐』と呼ばれていた国軍少佐だってのはわかった。けど、どうしても理解できないところがある」
 シリウス・バイナリスタは通路を歩きながら言った。
「どうして今まで身を隠していた。そして、なぜ今ごろ姿を見せた!?」
「そのような質問、シリウスにできる権利があって?」
 リーブラ・オルタナティヴが目を怒らせた。
「少佐にも事情があったんだろう、ボクも、その言い方はひっかかるな」
 サビク・オルタナティヴもいい顔はしなかった。
 これまでのシリウスなら、二人にやりこめられ自分の問いを引っ込めただろう。しかしこのとき、シリウスは引かなかった。
「いいや、権利はあるね! これまでの戦いでレジスタンスはたくさん死んだ。エデン攻略戦でも犠牲になった仲間はいる。伝説上の人物リュシュトマ少佐……いや、空京暗黒街の顔役『伯爵』がもっと積極的に協力していいれば、死なずにすんだ命は絶対にあるんだ」
「興味本位のそしりは免れないだろう。けれど、僕も知りたい。あなたが動いた理由を」
 御空天泣も言葉を加えた。
 黒い巨漢のバーテンは無言で『伯爵』を見た。
 すると初老の『伯爵』は、淡々とこう返答したのである。
「理由か……私のような存在がレジスタンスには必要だと思った。表立って活動せず、裏からバックアップする存在が。だから身を潜め、名を隠していた」
「それがどうして出てきたか……まさか単に、レジスタンスに勝ち目が出てきたから?」
 ラヴィーナ・スミェールチは否定を予想してこう問うたのだが、
「それもある」
 伯爵は認めた。
「気になる言い方ね、伯爵。慎重派のあなたが突然、一気に勝負に出たってわけ? 失敗したらここまで築いてきたネットワークも終わりだっていうのに」
 ムハリーリヤ・スミェールチが猫のような表情を見せたが、伯爵は泰然としていた。
「私は癌だ。末期状態で、もう長くない。行動に出るにはこの機しかなかった」
「そういうことかよ……死に花を咲かせる…………オレにはそういうの、わかんねぇな」
「わかってくれとは言っていない」
 なおもシリウスはなにか言おうとしたが、その前に伯爵が口を開いた。
「ここだ。扉の向こう、『エデン』の制御装置がある。確実な情報だ。ここまでたどり着くのに長い時間と資金を要した」
 このとき、彼らから数歩遅れて同行していたバロウズ・セインゲールマンの表情が一瞬にして変化した。血の気が失せ、心拍数が上がっていた。
 ――やはり。
 バロウズは皮膚感覚でそれを理解していた。
 求める相手はこの扉の向こうにいる。バロウズの、いやクランジΩの『姉妹』だ。
 だがこのとき、バロウズの変化に気がついた者はなかった。
 扉は開いた。
 突然視界が開けた。天井の高いホールだった。部屋の奥に高い柱がある。それ以外に目に付くものはなく、がらんとしていた。建築材も内装もまったく異なるが、地球の古い聖堂に似た雰囲気だと天泣は思った。
「ここにいたか!」
 バロウズは伯爵とバーテンを押しのけた。シリウスのことも突き飛ばすようにして場所を空けさせ、彼は対物ライフルを抜いて構えたのである。
「おい! なにすんだ!」
 シリウスの抗議の声は聞いていない。彼は標的に呼びかけた。
「さぁ、今日は賑やか過ぎる状況で失礼するぞ? 『愛しい妹』……クランジη(イータ)!」
 バロウズの射線の先、柱の下部に一人の少女が埋まっていた。
 奇妙な状況だ。彼女の上半身は露出しているが、下半身は柱と一体化しているのだから。柱から少女が『生えている』というほうが適切かもしれない。
 少女の上半身は裸身だった。一切服を着ていないのだ。濃いブラウンの髪は、切る者がなかったのか伸び放題の蓬髪だが、顔かたちは端正で、丁寧に整えれば美少女といえよう。半分眠ったような眼で、バロウズのこともだらしなく口を開けた状態で見ていた。
「クランジηですって!」
 ムハリーリヤは驚きつつも、バロウズを妨げるべく腕を伸ばした。柱の少女がクランジだとして、殺す必要はないではないか。
 しかしもう間に合わなかった。バロウズのライフルは弾丸を吐き出している。
 だが銃弾は、打ち出されるやその中途で、ほぼ直角に弾道を変え天井に突き刺さった。
 このとき、バロウズから見て九時の方向、そこにあったもう一つのドアが開いた。
「イータの能力は『重力制御』、彼女こそが……『エデン』をこの天に上げ、支えているのですわ!」
 立っていたのは白い着物の少女だった。長い帯状の白布で眼を隠している。クランジμ(ミュー)だ。
 彼女だけではなく、フレンディス・ティラ、ベルク・ウェルナート、忍野ポチの助も一緒だった。
 ミューは言った。
「オメガ、いえ、クランジキラー・マリス! あなたもここを目指していたなんて……まさかここで鉢合わせすることになろうとは……」
「データでしか知らないが、その姿は妹(シスター)ミューか」
 バロウズはまるで、そうすることが生まれつき定められていたようにミューに銃を向けた。
 向けた瞬間にはもう、引き金を引いていた。
 そのときにはミューもみずからの目隠しを引き剥がしていた。紅い眼が銃弾を捉える。
 弾は宙に留まった。時間の流れを極限にまで遅くされたのだろう。
「噂のメデューサ・アイズというやつか……」
 バロウズは言いながらも、次弾を撃つべく銃身を上げる。
「一瞬、肝を冷やしました」
 フレンディスはかく言うや、鍛えた忍びの脚でほぼ一息にバロウズの手元に飛び込んでいた。
「こいつ!」
 バロウズは避けようとしたが間に合わない。フレイの手刀で銃を叩き落とされている。
「伯爵……彼女は敵か? それとも味方になるのか?」
 天泣が問うと伯爵は慎重に答えた。
「クランジμか。集まっている情報は少ない。だが現時点、敵ではないと判断できる……彼女はクランジ側の異分子だ」
 このときバロウズを取り押さえていたのは、フレイやベルクではなくシリウスだった。バロウズの襟首をつかむと、彼女は怒りの形相凄まじく彼に詰め寄っていた。
「テメェ狂犬か! クランジと見れば反射的に撃たねぇといられねぇのか!」
「無関係な人間に責められるいわれはないな。だがその質問に対する回答はイエスだ。クランジは……姉妹(シスター)はすべて即殺す。……なにせ、沢山沢山待っているんでな。一人ひとりに時間はかけられない」
「なにを意味わかんねぇことを……!」
「あんたには理解できないだろう……理解してもらいたいとも思わない」
 シリウスとバロウズの口論に、リーブラとサビク、フレイは意識を向けていた。
 伯爵と天泣、ラヴィーナとムハリーリヤ、それにポチの助は、柱と一体化しているイータおよび紅い眼のミューを交互に見比べていた。
 立て続けに様々なことが起こりすぎたのだ。短いながらほぼ全員の心に隙が生じていたのは否めない。
 この状態で、中心人物とはいえぬバーテンにただの一人も注意しなかったことを誰がとがめられよう。彼は伯爵の部下に過ぎず、前に出ず、ほとんど背景のようでしかなかったのだから。
 このときまでは。
 バーテンはいつの間にか、ミューの真横まで来ていた。
 そして彼はだしぬけにダガーナイフを抜くと、ミューの脇腹を刺した。
「謀反人ミュー、やっとこの距離まで近づくことができた」
 そこに大柄なバーテンはもういなかった。黄金の半仮面をつけた少女が立っていた。クランジκ(カッパ)、変身能力を持つ彼女はここでようやく正体を現したのである。
「いわゆるクランジの気配は、そこにいるイータやオメガが出していたからな、自分の存在を隠すのは楽だった」
「……こんな……! こんなことって……!」
 ミューの眼から光が消えている。彼女はκに視線を向けたが、κに変化はなかった。
 生ぬるく赤いものがダガーの刃を伝いしたたり落ちている。
 されどそれは、ミューの血ではなかった。
「!」
 κはようやく気づいて、声にならない呻きをもらした。
 刃は中ほどで握られていたのだ。第三者、ベルク・ウェルナートの手に。
「――手が痛ぇぞ。まあ、剥き出しの刃物を素手で握ってんだから当然だが」
 ぐいと引いてベルクは、κの手からダガーを奪い取った。
 鮮血がまた、薔薇の花を散らしたように床に飛び散った。
 ミューはバランスを崩し片膝を突いたが、アサシンダガーはそれほどの深手を与えたわけではなかった。少なくとも致命傷ではなさそうだ。ポチの助がすぐ彼女の傷を押さえている。
 κはベルクと距離を取った。黄金の仮面の下から、燃えるような視線を向ける。
 されどベルクはその目に真正面から相対してもなんら臆さず、そして掌の傷すら意に介さぬように、普段の口調で言ったのである。
「聞いたことがある、『変身能力のあるクランジ』ってやつを。ったく……妙な男がいるからさりげなく注目してたんだ。見た感じレジスタンスご一行と、噂の『伯爵』って風体だったが、一人場違いなのが混じっていたんでな」
「ベルクさん!」
 急転する事態に狼狽するフレイに、ベルクは切れていないほうの手を上げて見せた。
「まあ大丈夫だ。怪我しちゃいるがな。俺も、ミューも」
 ミューはうずくまっており目の光もないが、強い口調で声を上げた。
「イータ! わたくしたちはあなたを解放しに来たのです! 聞いて下さい……イータ!」
 柱と一体化した少女はなにも言わなかったが、ミューの意志は届いたのだろう。
 κの体が空に浮かんだ。
「待て!」
 κの言葉はそれきりになった。直後、凄まじい速度でκの体は空に向かって急上昇したからだ。まるで、彼女一人だけ天地が逆になって、空目指して『落ちて』いったかのように。
 明かり取りの天窓を全身で突き破り、一瞬でκの姿は皆の視界から消えた。
 このときバロウズは床に落ちた銃を拾おうとするも、いち早く察したフレイに押さえ込まれている。だが彼は、それほど失望していない。
 ――κ、成層圏までそのまま行くんだな。
 フレイに間接を取られ床に組み敷かれたまま、バロウズはなぜか、温かい気持ちで空を見上げていた。
 κがどうなるか、ありありと想像ができる。
 あの巨大なエデンを空にとどめることのできるイータだ、κを地球から棄てることなどたやすいことに違いない。
 κの体は摩擦熱で真っ赤に溶けていくことだろう。クランジだからすぐに燃え尽きはすまいが、まずあの灰色のスウェットスーツが縮れて消し飛び、肌が剥がれ内部の機械が露出する。血は沸騰し骨が砕け……そして最後にあの黄金の仮面が消し炭のようになって終了だ。
 この手で始末できなかったのは残念だが、それはバロウズにとってとても、ロマンティックな想像だった。
 ――無残だな。
 考えるだけで穏やかな気持ちになる。
 ――それがふさわしい、シスター。今はとてもとても無残に死ね。アリアがそうして死んだようにな……。
 バロウズは目を閉じた。黙祷を捧げでもするかのように。
 ψ(サイ)、ν(ニュー)、χ(カイ)、π(パイ)……バロウズが手にかけた『姉妹』たちだ。直接手を下したわけではないが、κについても同罪であるとバロウズは考える。
 ――κ、責めは『あちら』で聞こう。とはいえ、『あちら』では俺一人に頓着していられるか分からんほど沢山の恨みごとを聞くことになるかもしれんが……そこは頑張ってくれ。兄として健闘を祈るよ。
 バロウズは目を開けた。
 ――『心から』な。
「あなたは……」
 天泣は、バロウズを見て言った。
「あなたは……泣いているのか」
「いいや、笑っているのさ」
 バロウズは答えた。