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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

リアクション

 自転車のペダルを踏み込んで、後の時代にメイドさんがティッシュ配りするあたりを疾走する。銀輪がさーっと回り風が顔に当たる感覚は悪くない。このままずっと走っていたいくらいだ。まあ、サイクリングに来たわけではないのでそんなノンキは言ってられないわけだが。
 これは董 蓮華(ただす・れんげ)の話だ。彼女は現在(ややこしいが1946年としての現在)、同じ東京でも秋葉原にいたりする。
 来たくてここに来たわけではなかった。時間遡行の途上、エリザベートがはぐれそうになったのを見て、慌てて手を伸ばしたところ自分もなにやら軌道がそれてしまったようなのだ。
 時間旅行は新幹線とは違う。他の地域に着地したり、数時間から一日程度のずれが生じることもままあると聞いていたので、それは仕方ないということにする。
「のっけから警護対象と逸れた……なんてスティンガーに叱られちゃう」
 置いてきたパートナーのことを思い出していくらか気落ちしつつも、とにかくペダルをこいでこいで、渋谷方面へ向かうのである。いま彼女にできるのはそれだけだ。
 この自転車はタイムワープ時に持ち込んだものだ。もちろん2022年型のスマートな自転車ではなく、古めかしくタイヤの太いレトロな自転車である。加えて、服装はもんぺ風のものを作って着てきた。
 途上、自作のキャラメルを秋葉原の闇市で地図に交換し(ソーセージもほしかったが物資不足の世の中ゆえ入手できなかった)、あとは体力勝負、こいでこいでこぎまくる。たった二輪しかないけれど、四輪駆動のパワーマシンのように、でこぼこ道を力強く走る……つもりが、蓮華は自転車ごと前転して倒れそうになったのである。
 急ブレーキ。
 見たのだ。
「あれ? あの犬は……?」
 あの色、姿、かしげる首の角度……吉井 ゲルバッキー(よしい・げるばっきー)ではないか。
 無論、人違いならぬ犬違いの可能性はあるので、蓮華は自転車を降り、手で押しつつ駆け寄った。
「おーい、ゲルバッ……」
 と言いかけたが、何があるか判らないので自制した。
「おーい、そこのわんちゃん、どうしたのかなー?」
 すると犬はスルスルとバラック小屋の間に入り込み、行き止まり付近で振り返った。そして告げた言葉が……
「わんわん」
 であった。犬は蓮華を見て尻尾を振り、口をぱくっと開けて挨拶したのである。
「おっと、やっぱり別の犬……? いや、これが1946年のゲルバッキーだったということかしら……?」
 しかしこの、あまり高度な知性を感じない……というと失礼だが要するに犬並みの知性があるようにしか見えない犬が、あのゲルバッキーだというのか。やはり他犬の空似という可能性も疑ってみたほうがいいかもしれない。
 思案していた蓮華に対し、いきなり。
(久しぶりだな、董蓮華よ)
 けろりとした表情でゲルバッキーが言ったのである。正確には口を開いてしゃべったのではない。恐らくはテレパシーだと思う。ただ、普通のテレパシーとはどこか肌触りの違う声が、蓮華の頭に響いたのだった。
「あ……うん、でも久しぶりって、さっきまで会ってたよね?」
(そうか。どうやら蓮華は、もう少し後の私と接触したようだな)
「もう少し後の?」
(そうだ)
 ゲルバッキーは割と最近、その契約主である吉井真理子の実家を空襲から護るためにタイムワープしたことがあるという。このタイムワープも2022年のできごとなので、蓮華のことを知っていてもおかしくない。
「つまり、いま私と話しているのは、今回の石原肥満さんの事件でタイムワープしたゲルバッキーというわけじゃなくて、少し前の吉井さんの事件でタイムワープしたときのあなたってわけ?」
(ややこしいな)
「自分で言わないでよね! ま、そういうことでしょ」
 でも、と蓮華は首をかしげて、
「その吉井さんの事件は無事片付いたんでしょう? どうしてまだ、1946年の秋葉原でウロウロしてるわけ?」
(現代に帰ろうと考えているのだけれど装置が壊れてしまったために、秋葉原の闇市で電子部品を調達しつつ、装置を修復しているのだ)
「なるほど……って、犬が部品を買ってる姿を当時の人がどう思うんだろ……?」
(大丈夫だ。当時の人間が捨てたものを拾い、人目のないところで修理している)
「あ、わかった、さっき『わんわん』とやったのは一般人向けの演技ね? 私がこの時代の一般人風の変装をしてたから、念のため……」
(いや、呼びかけられてすぐに董蓮華とわかった。駄犬のフリをしたのはお前をからかうためだ)
「あんた、いい性格してるわ」
 ちょっと蓮華はむくれたが、まあ腹を立てていても仕方がない。
「私、エリザベートを探さなきゃならないの。彼女の装置がなければ2022年には帰れないし……あなたも来る?」
(いや、遠慮しておこう。説明を始めると長くなるので単刀直入に言うが、エリザベートの持っている装置は帰る場所が異なるため、私は帰れないのだ。ここで電子部品の調達を続けるとしよう)
「そう……じゃあ、あなたはあなたで頑張って。私は私で頑張るから」
「わんわん」
「また普通の犬のマネをして……からかってるんでしょ?」
(違う。今のは犬語で『がんばれ』と言ったのだ)
「えっ、そうだったの、ごめん……」
(嘘だ。からかっただけだ)
「あんたそういうことばっかしてるとロクな死に方しないからね!」
(すまんすまん……役に立てず申し訳ないが、幸運を祈るぞ)
 かくて蓮華はゲルバッキーと別れ、ふたたび自転車のペダルを猛烈にこぎはじめたのだった。