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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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 その人は、『白い先生』と名乗っていた。
 
 金髪碧眼が忌まれていたのは戦時中の話、といってもドイツ・イタリアは同盟国であるため、後世の人が思うほどには西洋人アレルギーはなかっただろう。しかも終戦後一年ともなれば大量の連合国進駐軍が上陸しており、東京、それも都心部では金色の髪も青い目もそう珍しいものではなくなっていた。
 しかし渋谷で『白い先生』――と名乗ったエメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)は、そんな状況下でも十分すぎるほどに目立っていた。
 1946年に滞在中の彼は、常に白い三つ揃いのスーツに白手袋をはめ、長い乳白色の髪、白い肌を晒して、その名乗り通りの白い人物として渋谷にあった。蒼い瞳と周りより頭一つ高い背とがっしりとした体格のせいもあり、一日も経つ頃にはちょっとした有名人であった。
「この三日間しか来ないけどお勉強会しますよ。今日は二日目、お菓子と鉛筆あげます。大人も参加歓迎です」
 お菓子と鉛筆、というのがかなり効いているようだ。簡易的に作った学問所は、あっという間に満員である。
 しかしエメが感心したのは、人々が予想していたよりずっと勉強熱心だったことだ。無論、食べ物も求められたが、それと同じか、あるいはそれ以上に、老いも若きも学問を求めていた。自由な学問が困難だった戦時に押さえつけら得ていた知的欲求が爆発したかのようである。
 エメが教えたのは三科目、算数と英語、それと応急手当の技術だった。
「いいですか、『under』というのは『下に』という意味で……」
 決して広くない簡易学問所に、立ち見まで出た状態で白い先生が講義する。
 黒板は板切れ、ノートは板チョコの包み紙の裏という最低に近い環境であるというのに、最高学府の授業以上に濃密な時間が流れた。後世と違い授業中に寝るようなのはいない。乾いたスポンジが水を吸うかのごとく、集まった人々は熱心にエメの言葉を聞いていた。授業中であっても頻繁に質問が飛んだ。
「さあこれで午後の部も終了です。また明日」
 参加賞となるお菓子の自作のクッキーとマドレーヌ、これを一つずつ配り終え、くたくたになったエメは、ようやく無人になった学問所のベンチに腰を下ろした。嵐が去ったかのようだ。つい最前まで溢れんばかりに人が集まり、熱気で破裂しそうだったのだから無理もない。
 後世ではありふれた音、しかし、この時代ではなんだか新鮮な音がした。
 自動車のエンジン音である。学問所の前に大型自動車が停止していた。
 しばらく待つと、杖をついたか細い青年が入ってくる。青白い体を上物のスーツで包んだ彼は『観世院公彦』と名乗った。
「職業かい? 道楽者だよ」
 運転手らしき制服を着た男に付き添われ、エメの隣に腰を下ろした青年は、そう言って自嘲気味に笑った。
「道楽、ですか?」
「ただ、僕の道楽は少し、世間とは違うかもしれない」
 公彦は語った。これからの日本に必要な人材を育てる、その手伝いをしているのだと。
「僕の家は、山向こうにある地主だ。幸い、土地も家屋も戦果をまぬがれた。それどころか、戦時中は戦争関連で荒稼ぎしたから、資産は戦争が始まる前よりずっと多い。あまり詳しいことは言えないが、こうして戦後になってもどうやら安泰のようだ」
 公彦は明言はしないものの、エメもその意を理解した。進駐軍ともなんらかのつながりがあるということだろう。
「それは祖父や父が辣腕をふるったためであり、誰かがやらなければならなかったことだ。僕自身は、このことを否定するつもりはない」
 ここで公彦は軽く咳き込んだ。エメが背をさすろうとしたが、「大丈夫」というように青年は手を振り、やがて収まった。
「失礼した。肺が悪くてね……どこまで話したかな? ああ、観世院家が資産家というところまでだったか。けれどね、僕は道楽者として、この資産で日本の国に貢献したいと思っている。具体的には、有望な若者を書生として雇い、彼らの育成を援助しているのさ。僕はご覧の通りだから……」
 と言って公彦は、自身が肺病持ちでありおそらく長くは生きられないこと、加えて脚も悪く、徴兵検査にはあっさりと不合格になったことを伝えた。
「この体だ。兵隊になることすらできなかった。こんな自分が日本の将来になにかできるとしたら、この程度のことなのでね。出自は関係ない。熱意のある人、能力がある人が花開く手伝いをしたいんだ」
 エメは、この青年の中にジェイダスに似たものを感じていた。見た目の麗しさは言うまでもない。ジェイダスと公彦の容姿には共通項が多い。しかしそればかりではなく、胸の中にある情熱の炎のようなものも感じるのである。
「観世院氏の噂は聞きました。昨日と今日、集まった人たちにも知っている人は少なくなかった。小姓を囲っている男色家という人もいましたが……」
「美しい人は、好きだよ」公彦は静かに微笑した。「けれどこの体では、愛したり愛されたりというのは難しい。きみなら判ってくれると思う。そういうのとは、違うんだ」
 言い終えないうちにまた咳が襲ってきて、しばし公彦は背を丸めた。今度は、エメが背中をさするのを断らなかった。
「お考えに賛同します。勉学は経済活動ではありません。とりわけ現在の世情では、後ろ盾のない者には専念する事が難しいでしょう。向学心、向上心に溢れる若者に援助をする……貴方はノブレス・オブリージュを果たす、本当の『貴人』だと私は思います」
「なぜだろう。白い先生、僕は褒められたくてやっているわけではないはずなのに、きみに肯定されるのは素直に心地良い……」
 呼吸が落ち着き、公彦はすっと立ち上がった。
「先生、特に熱意のある若い芽を見つけたら、どうか僕の所に紹介状を書いてあげてほしい。もう一日学問所を開くんだよね。また会いたいな」
「ええ」
 並び立って、エメは恭しく一礼した。
「私からも、是非」