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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~1946年~

リアクション

 
 渋谷警察署へと場面は転換する。
 倉多輝彦は階段を駆け上った。
「署長!」
 急を知らせるべく署長室に飛び込むも、そこには署長の姿はなく、副署長の山葉一郎がいるだけだった。
「署長はお逃げになった。いや、私が用事を考案して逃げていただいた」
 一郎は振り向いて告げた。
「署長は残念ながら、戦力にならない」 
「……副署長は、やはりこれを予期していたのですね」
「ああ。もうじき、大陸系の暴力団を中心とした不逞集団が、新竜組に率いられ攻め寄せてくるだろう」
 その計画は前からあった。噂だけなら、もっと前から流れていた。
 焼け野原になったとはいえ渋谷は都会中の都会だ。酌めども尽きぬ利権という甘い汁が、たっぷりと湧き出している。この地は常に、暴力団の欲望の対象なのである。
 だが山葉副署長の就任以来、渋谷警察署は東京の他の地域に比べても極端なまでに取り締まりを厳しく行っていた。ゆえに当然ながら、以前からさまざまな暴力団、とりわけ大陸系のギャング連に渋谷署は激しく憎まれていたのだ。それは、諸派の連合となる新竜組が誕生してからも同じである。いや、むしろ新竜組の黒幕と言われるウォンという男は、怨嗟の炎を巧みに煽っていたという。
 警察署が暴力団の攻撃を受けるなど前代未聞だ。この情報をキャッチしても、本来の渋谷署の責任者となる署長はこれを信じず、ギリギリの段階になるまで放置していた。副署長の一郎は一人、これを歯がゆく思っていたのだった。
 そのツケが、これだ。
 かくてこの日、この蒸し暑い夜、ついにかねてからの計画が実行されたのである。新宿だけではない。首都圏の暴力団が結集した可能性があった。不穏なトラックが何台も近づいてくるのが、署長室の窓から見えた。トラックの荷台には、戦闘準備をした荒くれ者が満載されていた。ダイナマイトの箱すらある。
「連中の狙いは我々を倒し、署を制圧して力を見せつけることだろうな……そうなれば私は殺されるか、生き残っても更迭は確実だろう。その後は飾りだけでも警察が戻るだろうが、もう、暴力団の傀儡になるのは目に見えている」
 だが一郎は狼狽してはいない。沈着な態度は毫も揺るがなかった。静かな怒りと決意だけが、その目にあった。
 少し遅れて芹澤礼二も入ってきた。彼もとうに事態を把握している。
「まずいですね、副署長……かなり包囲されてしまっている」
 派出所から、音無穣も駆けつけていた。彼は署内を一巡りしてきたという。
「どうやら……連中が手をまわしていたようです。過半の職員が逃げ去っています。まともに残っているのは署長と私たち、あとは数人の警官がいるだけです。周辺の派出所に要請しましたが、果たしてどれだけ応援が駆けつけてくることか……」
 一郎は頷いた。
「その事態は想定していた。逃走した職員にも守るべき家族がある。生活がある。私に、彼らを咎めることはできない」
「しかし……」
 輝彦が身を乗り出した。警官たるものが持ち場を離れて逃げ出すということが、彼にはどうしても許せなかった。
 それ以上言うな、とでもいうかのように一郎は開いた掌を前方に突きだし、告げた。
「音無巡査部長」
「はっ」
 一郎は目を伏せて、署長室の続き部屋の扉を開いた。
 そこには、山葉加夜が青ざめた顔をして立っていたのである。加夜は結局、記憶が戻らぬままこの日まで署に滞在していた。危険を察した一郎が、素早くここに連れてきたのだ。
「まだ連中の包囲は完成していない。彼女とともにここから脱して石原肥満に接触せよ。彼女の身柄の保護を頼むのだ。それと……援軍を願い出る」
「ですが彼らは愚連隊ですよ。少女の保護はともかく……力を借りるなんて」
 穣はいくらか得心がいかない口調である。だが一郎は聞かなかった。
「区民の協力をあおぐのだ。本来彼らを守る我々が保護を頼むというのは矛盾ではあるが、非常事態ゆえそうは言ってられない。……この状況だ。これまで、曲がりなりにも秩序のあった渋谷ではあるが、警察署が暴力団の手に落ちるようなことがあれば、たちまち悪徳の支配する地域へと堕すだろう。私は石原を買っている。彼なら、そのような事態を看過しないだろう」
 一切の責任は私が取る、一郎ははっきりと言ったのである。
 穣にはもう、拒否する言葉はなかった。
 入れ替わるようにして加夜が言った。
「いち……いえ、山葉副署長さん、私、ここに残って皆さんと一緒に戦います」
「気持ちだけ受け取っておくよ、お嬢さん」
 あ、また……と加夜は思った。
 また、一郎は涼司そっくりの目をした。
 続けて一郎は告げた。
「倉田刑事、芹澤刑事の両名は、署内の警官隊を二手に分けよ。それぞれが指揮を執れ、正門と裏口を守るのだ。加えて……」
 彼は言った。
「留置所の二人を釈放するように。彼らが志願するなら、やはり署防衛の手助けを依頼せよ」
「そんな……いくらなんでもそれは……」
 礼二が言いかけるが、その肩を輝彦がつかんだ。
「やります。俺が説得してみせます。彼らなら貴重な戦力となってくれることでしょう」