校長室
【蒼フロ3周年記念】パートナーとの出会いと別れ
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■ 龍の見る夢 ■ シャンバラ大荒野の南の端。 絶壁から流れ落ちる小さな川の少し上流に、書物や地球人に興味津々、変わり者と呼ばれる好奇心旺盛なドラゴニュートが集まる、こぢんまりとした集落があった。 変わり者と呼ばれるだけあって、集落の住人への周囲からの風当たりは弱くなかった。自分たちの主義こそが正しいと信じる者たちにとって、それらを悠然と超越する変わり者集団など、目障りなだけなのだろう。 外界である地球の智を得ることを善しとしない者。パラミタから排除されるべき存在である地球人との関わりを良く思わない者。そんな同族たちからの襲撃に備え、自警団とも呼べるものを作らねばならないのは馬鹿げた話だが、そうしないと普通に暮らすことさえ妨げられてしまうのだから、やむを得ない。 ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)も、その自警団の一員だった。 とある深夜。 見張りの当番となったブルーズは、集落とその付近の巡回に出掛けた。 四つ足で歩くドラゴニュートにはランタンは不便なものだ。だから夜中の巡回には、誰かが集落に持ち寄った古い指輪から精霊を呼び出し、灯火の代わりにするのが常だった。 ただ、その日は星の美しく瞬く夜で、満月の明かりが地面に淡く描く影も消してしまうには惜しいほどの風情だったから、精霊の明かりはごく弱く、役に立つのか立たないのかという程度に抑えておいた。 太陽の投げる影とは違い、蒼みがかって見える自分の影と共に、ブルーズは見回りを開始した。 不審なものはないか確認しながら歩いてゆき、見張り当番の日には習慣のように足を止める場所までやってきた。 そこは虚空へと突き出した崖。そのすぐ脇を集落の大事な水源でもある川の水が、昼の日差し、夜の星の輝きを弾いて流れ落ちる様を眺められる場所だ。 緑豊かな地に住む人は、荒野には何もないと言う。 荒れ果てているばかりの寂しい場所だと。 確かに、人に有用な緑も豊かな土も他の土地と比べてあまりにも少ない。 けれど起伏に富んだ地形に岩や土、砂や水が織りなす景観は美しい。何も遮るもののない静寂と満天の星と月明かりは心を癒す。 己の利を物差しにしなければ、荒野もまた豊かな場所と言えるだろう。 気に入りの場所でしばし景色を愛でていると、ふと、崖の先で何かが動いた。 ブルーズはすぐさま精霊を指輪に戻すと、息を潜め、足音を殺して、そちらに近づいていった。 月明かりに浮かぶ影は小さい。2本足で歩く人間の子供のように見えた。もっとも、こんな時間にたった1人で荒野をうろつく人間がいれば、の話だが。 だがそれは確かに人間の子供だった。 少しでもバランスを失えば、そのまま崖下へと転落するだろう崖と空の境界を、子供はゆっくりと歩いている。時折ふらりと揺れるのは、重力に引かれてのことか。ひどく危なっかしい。 物好きにも、こんな場所で自殺しようというのか。そう思ったのは、月明かりに照らされた人影から伝わる感情が、無気力、拒絶、失望、悲哀、無関心……そんなものばかりだったからだ。 「……地球に行く溜めに飛び降りるなら、ジャッパンクリフの方が向いていると思うが」 ぽそりと声を掛ると、さすがにその人影も驚いたようだった。声のした方角に身体をねじった拍子に、ぐらりと大きく揺れる。 「危ない!」 ブルーズは懸命に駆け寄り……二本の足で走って、落ちそうになった子供の腕を掴んだのだった。 相手の感情が伝わる、 人の言葉で声を掛ける、 二本足で駆け寄る。 そんなおかしなことが起こっているのにブルーズが気付くのは、まだ少し後の話。 月明かりの荒野、絶え間ない水音。 そんな中で黒崎 天音(くろさき・あまね)とブルーズは魂を分け合ったのだった――。 大荒野の隠れ里で、ブルーズは目を開けた。 「……どうやら随分と昔の夢を見ていたようだ」 あれはかつて共にいたパートナーと出会った夜の出来事だ。もうすっかり記憶のどこかに消えてしまったのかと思っていたが、どこかの片隅にしまわれていたようだ。 ブルーズは漆黒の巨体をくしゃみひとつして起きあがらせた。 どのくらい眠っていたのだろうか。いつの間にか、鼻の先が苔むしている。 「そういえば、ファルと茶飲み話をする約束をしていたな」 人と会うなら苔色の鼻はまずい。ブルーズは苔をガリガリとそぎ落とし、体に積もった土を払い落とす。 その目がふと、自分の爪に留まった。 黒檀のような爪の付け根に、黄金の縁取りで『ねいるあーと』のように埋め込まれた、白い小さな欠片――。 あれは脱皮の回数で言えば、どれくらい前のことになるのだろうか。 「僕が死んだら、骨は全部ブルーズにあげるよ。食べちゃっても良いけど」 そんな馬鹿げたことを口にして笑っていたものだが、ブルーズには人を食す習慣はない。常識あるドラゴンとして、その辺りはきちんとしたつもりだ。 ただ、自分の心に刺さり続ける棘のような、この一欠片を除いて。 いつかこの場所もナラカに飲まれ、そこに住まうことになっても、ナラカの底でエンシェントドラゴンとも邂逅した『あれ』ならば、自分を探し出すだろう、とブルーズは小さく存在感のある欠片を見つめる。 ――魂が循環する世界で、我らはまたお互いの魂に巡り逢う。 確信に似た出会いの予感を感じながら、その瞬間を待っている。 きっとまた自分を手こずらせるだろう相手と、自分の時間が交わるその刻を。