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2月14日。

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2月14日。
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リアクション



16


 岩沢 美月(いわさわ・みつき)がリンスやクロエ、紺侍を巻き込んだ事件を起こしたその日から、まだ一ヶ月と経っていない。
 そして、岩沢 美咲(いわさわ・みさき)が美月と共に謝りはしたものの、新堂 祐司(しんどう・ゆうじ)はタイミングを逃して謝れていなかったせいもあって。
 ――クソ。入り辛い……!
 入口の前で立ち往生していた。
 相変わらず、工房の中からは楽しそうな雰囲気。甘い香りがするのは、きっとクロエなり来客なりがチョコ菓子を作っているからだろう。
 入りたい。入って行って、笑い合ったりしたい。詫びの意味を込めて、チョコも持ってきたのだ。渡せないでいるのもなんだか嫌だ。
 考えること数分間。
 閃いた。
 ――思いついた……!
 ――詫びを入れつつ、いつもの俺様を表現できる方法を……!
 それは。
「リンスゥ! この前はスマーン!!」
 扉をぶち破ってのスライディング土下座。
 ――これなら、俺様の謝罪の気持ちや俺様らしさ、両方とも出てるはずだ!
 どうだ、と視線を上げると、冷めた目で見られていた。慌てて土下座の姿勢に戻る。
 ――お、怒ってる!? これは怒っているのか!?
 ――やっぱりアレか、前回に引き続き何アホなこと……とか思われているのか!?
 ――でもこれが俺様だ、俺様らしさだ! スマン!
「祐司の登場方法ってさ。回を増すごとにレベルアップしてるよね」
 しかし、思っていたほど声は怖くなかった。というか、よく聞いてみればいつも通りだ。
 そーっともう一度視線を上げてみると、表情もやっぱりいつも通りだった。冷めた目、と思ったのは、後ろめたい気持ちから見た何かだったようだ。
「いつか工房ふっ飛ばされるんじゃないかって気が気じゃない」
「大丈夫だ、美咲が一瞬で直すぞ! ふはははは!」
「さすがに無理でしょ」
「さすがに無理よ」
 同時にツッコまれた。美咲からはドライバーの柄で殴られるオマケ付きである。
「ドアは直せるけど、工房は無理だわ」
「おお、もうドアが直っているとは。大概人外に近付いて行くな!」
「誰のせいだ。普通にドア開けて入りなさいよね、まったく……」
 でもそれでは自分らしさが出ないではないか。
 だからその意見は右から左に流しておく。
 さて、謝罪もできたものだし、工房を訪れなかったブランクや溝もできていないし。
 ――後は。
「……あー、」
 チョコを渡すだけなのだが、いざ渡すとなると謝罪より難しい。
「何」
「いや、チョコ」
「同性同士で? ……ああ、友チョコってやつか」
「違う! 友チョコじゃない、詫びチョコだ!」
「初めて聞いたけど、そんなの」
「や、まあリンスが友チョコって認識でいいならそれでもいいが、俺様としてはだな、なんだ……詫びの気持ちが強いっていうか」
「?」
「……だー! 何でもいいから受け取れ! そして食え! いっぱい食って、もっと心身ともに健康になれ!!」
 べしべし、押し付けるように渡す量は尋常ならざる量である。
 長方形の箱が一つ、二つ、三つ、四つ。
「いや一人でいくつ渡す気」
「うるさい食べろ太れBMIを標準まで上げろ!」
「あ、ごめんたぶんだいぶ低い」
「食えー!!」
 五箱、六箱、七箱。
 大量に渡して、少しすっきりした。
「これを食べて健康的になるように! 俺様は親友としてリンスの元気な姿を見ないと心配でならん!」
「あー。善処します」
 渡し終えたので、くるりと振り返り。
「もちろんクロエちゃんや紺侍にもある。迷惑かけたな、一杯食ってくれ」
 二人にも渡した。紺侍がやたらと感激していたがあれは何なのだろう。


 美月があれだけ思い悩んでいたと知って、リンスに対して抱いていた答えの出ない『好き』の気持ちは封じ込めた。
 大事なお友達。
 そう結論付けることにした。
 ――それで、いいはず……よね?
 新たに答えの出ない問題が出て来たけれど、それごと封じる。知らない振りをする。
 それで納得しなくてはいけないのだ。
 ともあれ、今考えるのはそのことではない。
「リンス、クロエちゃん、紺侍くん。この前はうちの美月が御迷惑おかけしてごめんなさい」
 深々と頭を下げる。きちんとしきれなかった謝罪をしなければ。
「や、オレはほら、結局最後にやるって決めたのはオレっスから。美月さんだけが悪いわけじゃねェし」
「わたしも、もうきにしてないわ! しゃしん、きれいだし、すきよ?」
「終わったことだし、いいんじゃない? そんなに引きずらなくてさ。それに岩沢も反省したんじゃないかな」
 リンスが見たのは、美月の姿。へろへろとした様子でレジに立っている。
 美咲が美月に与えた罰。
 それが、『リンスや紺侍の仕事を無料奉仕一ヶ月』である。
「何かあったら言ってね? すぐに教育的指導するから」
 その言葉に、紺侍が「美雪さん怖ェ……」と呟いたが聞こえない振りをした。
「それはそうと……はい、チョコレート。祐司じゃないけど、この前のお詫びと、いつも頑張ってるご褒美よ。そこそこ美味しいはずだから」
 少しは名のある店のものにしてみた。お詫びだし、ご褒美だし、良い物の方がいいと思ったからだ。
「祐司にもあるわ。
 ……あくまで、ご褒美だから。……美月を許してくれたことに感謝してのことじゃないから……」
 後半に行くにつれて言葉が消えるのは、恥ずかしいからなんかじゃない。きっと。
 たぶん、一番気付いてほしくて、一番気付いてもらいたくなかったリンスと祐司は言葉通りに受け取ったはずだ。無表情と高笑い。いつも通り過ぎる。
 ありがとう、と笑うクロエも気付いていなさそうだ。たまに鋭いけれど、いつもは素直な良い子だから。
「ドモ。イイお姉さんっスね」
 ただ、紺侍は気付いたらしい。苦笑するように笑っていた。


「私からもチョコあるよ! クロエちゃんやリンスお姉ちゃん、紺侍お兄ちゃんのために作ってきたんだー!」
 岩沢 美雪(いわさわ・みゆき)は、笑顔で三人にラッピング済みの袋を渡した。
 チョコを作ったり、クッキーを焼いたり。
 美味しくできるようにと試行錯誤を繰り返しながら完成したそれは、自分でも美味しそうだと思える出来だ。
「祐司お兄ちゃんや美咲お姉ちゃんから『美味しい』って言ってもらえたしね。おいしいよ!」
 ありがとう、と受け取ってもらえると、こっちまで嬉しくなる。
「あとねあとね。この前あげたお守り出して〜! 定期的に【禁猟区】かけてあげないと効果ないから、かけちゃうね!」
「そういうものなんだ?」
「そういうものなの! リンスお姉ちゃん、意外と知らない?」
「うん、知らない。美雪は物知りなんだね」
「物知りだよ! えへん!」
 胸を張ってみた。すごいねと言われるのも、好きだ。
 不意に視線を感じた。紺侍が美雪の持つお守りを見ている。
「紺侍お兄ちゃんにも作る?」
「え、いーんスか?」
「いいよ! はい! 【金運上昇】のお守り!」
「わー……、……うわあ悪意のモヤモヤ出てきやしねェ。いっそ悪意でもあればよかったのに。てゆーか、ならつまりフレデリカさんのチョコは天然ってことっスね。兵器ってことっスね」
 お守りから悪意のしるしが出てこないなら良いことだろうに、紺侍は項垂れるから。
「?? 紺侍お兄ちゃんどうしたの? 私、悪いした?」
 不安になって問い掛ける。
「いえいえ、美雪さんのお気持ちはありがたく頂戴しました。アンタイイ女になりますね」
 涙を拭う素振りをしながら紺侍が言うと、
「うちの可愛い美雪を口説かないでもらおうか!」
 祐司が紺侍から美雪をガードした。
「大丈夫っスよーオレ同性愛者だからァー」
 紺侍の言う意味はよくわからなかったけれど、
「お守り、ありがとうございます。オレ、これからはまっとうに頑張るんで応援してくださいね」
 喜んでくれているみたいだから、満面の笑みで「うん!」と頷いた。


 さて、無料奉仕を強いられた美月はと言うと。
 ――あはは、今日はバレンタインでしたか。ですよね。
 ――……商業イベントですね。
 ――でも、商売できないですね、あたし。
 ――無料奉仕の最中ですものね。……あはは。
「なんであたし、こんなみじめなことしてるんでしょうね」
 意図せずして言葉が出て来た。
 無料奉仕といえどレジに立っているのだから、マイナスの空気を放たないように気をつけてはいるのだけど。
 それでももはや心神喪失状態である。今なら軽く押されただけで倒れる自信がある。
 ――人を呪わば穴二つ、ですか……。
 もうするまい、と誓いながら紺侍とクロエに近付いた。
「お詫びのしるしです……もうしません、ごめんなさい」
 ショコラティエのチョコを、渡す。
「リンスさんにはこちらを……」
 一方リンスに渡したものは、血世孤霊斗である。
 ――これを食べて、せいぜいお腹を壊せばいいです……。
 ――あたしからの、ささやかな仕返しです……。
 渡した瞬間、力尽きた。


*...***...*


 クロエを待つ間に思い出すのは、去年のバレンタインのこと。
 幸せな人達を滅ぼす夢を見たりしたものだ。
 今年は何もするまいと思ってはいたけれど、クロエがお菓子を作るから、味見という名の強奪に行けと天啓を受けたり、アレフティナがそわそわそわそわと落ち着かないからスレヴィは工房まで来てみたわけで。
「おまたせ!」
 お茶会まできっちり済ませて来たクロエが言った。
「よし、じゃ行くか」
「? いくってどこへ? なにをするの?」
「デート」
「でーと?」
「なんてな。ヴァイシャリーを散歩するだけ。行き先はクロエとストルイピンに任せる」
 プランは特にないので、遊びたがっているアレフティナにぶん投げた。このメンバーなら、たぶんどこででも楽しいし。
「おんなのこにリードしてもらうようじゃだめって、このまえよんだほんにかいてあったわ」
「何読んでんだよ……大丈夫、ストルイピンはウサギだし」
「スレヴィさん、それどういう理屈ですか」
「いつもの俺の理屈」
 アレフティナの苦情は聞き流し、先行して街へと歩き始めた。
 と、置いていかれないぞとクロエが前に出た。アレフティナが隣に並ぶ。スレヴィは歩く速度を落として、二人の後ろを歩いた。
「クロエさん、前にクロエさんにお話ししたゴンドラのこと、覚えてますか?」
「おぼえてるわ! もしかして、」
「ええ。せっかくですから、乗りませんか?」
「いいの? のる!」
 かくいう流れで、ゴンドラに乗れる場所へと向かい。
 三人揃って、ゴンドラに乗り込んだ。クロエが座り、その隣にアレフティナが座り、クロエの正面にスレヴィが座る。ドアが閉まるとほぼ同時、ゴンドラが宙に浮かんだ。ゆっくり、ゆっくり、高度を上げて行く。
「ヴァイシャリーはいい雰囲気の街ですね。こうして空から見ても、それが伺えます」
「リンスとよくおかいものにいくけど、すてきなところよ。みんなとってもやさしいの」
「そうですか。お買い物に行くのもいいかもしれませんね。クロエさんお薦めのお店に行ったりしたいです」
「おすすめ……だれかとたのしめるばしょは、ケーキやさんくらいしかしらないわ」
「ケーキ屋さん! 行ってみたいです。クロエさんのお薦めなら、是非」
「あのおみせなのよ」
「えっ、どれですか? 見えません」
「あれよ。あのまるいかんばんの」
「?? どれでしょう……」
 ゴンドラはかなりの高さまで上がっていて、肉眼でヴァイシャリーの街まで見るのはかなり難しい。
 それなのにクロエはあっさり見付けていた。足の速さもさることながら、彼女の身体能力(というのは人形なので正しい表現なのかはわからないけれど)は並外れているようだ。
「この力で犯人逮捕に協力か。なるほど」
 合点がいったので頷いておく。
「? なあに、どういうこと?」
 疑問符を浮かべるクロエに、どうしようか今からかおうかと一瞬悩んだ。ポケットには紺侍から購入した、クロエの面白おかしな写真が潜んでいる。
 ――これ見せたら、どんな顔するかなー。
 恥ずかしがるだろうか。怒るだろうか。
 ――……泣かれたらちょっと困るなあ。
 反応を想像しているうちに、
「あ! 百合園女学院が見えます。大きいですね、綺麗ですね。クロエさんは百合園に通っているんでしたっけ? 学校、楽しいですか? 勉強は?」
 女学院を見付けたアレフティナがはしゃいだ。クロエの疑問符も吹っ飛んで行く。
「ううん、わたしがっこうにはいっていないの。いろいろもんだいもふつごうもあるから」
「そうなんですか……すみません、聞いてしまって」
「きにしてないわ、だいじょうぶ。だって、おべんきょうはおうちでもできるわ」
「クロエさんは偉いですね……私、学校に通ってますけど、勉強はどうも苦手で……えへへ」
「しりたいことがわかると、たのしくなってくるの」
「うーん……クロエさんが教えてくれるなら、頑張れる気がしますけど」
「じゃあ、いつかおしえられるくらい、あたまをよくしてみせるわ!」
「楽しみのような、それはそれで恥ずかしいような」
 そこでふっと沈黙が降りた。二人を見ていたスレヴィに、クロエの視線が向けられる。
 頃合いかな、とスレヴィはにっこり笑って、
「聞いたよ」
 さっきの話の続きをしてみた。
「?」
「盗撮騒ぎで大活躍だったんだって?」
「……そうでもないわ」
 ぷぅ、と頬を膨らませる。紺侍からは『クロエさんに追い回されてヤバかったっス』と聞いていたのだけれどはてさて。認識の違いか。まあいい。
「そんなクロエの雄姿を手元に欲しいと思って紡界に頼んだものがコレ!」
 ばばん、と取り出した写真を突き付けてみた。
 例の、ラジオ体操をするクロエの写真である。
「…………」
 きょとんとした顔で、沈黙されてしまった。
 経過すること十数秒。
「…………」
 じろり、睨まれた。
「……えーと、クロエ?」
「よくないとおもうの」
「よくないって」
「とうさつはいけないことなんでしょう? いけないことを、ひとにたのむのはもっといけないとおもうの。もちろんやることもいけないけれど。
 もくてきが、どうしてもしなきゃいけないことならつよくとめられないけれど。こうしてわたしをからかうためだけに、そういうことはしてほしくないわ」
 しん、とゴンドラ内が静まり返った。アレフティナがあわあわと、クロエを、スレヴィを、交互に見ている。
 ――真面目に怒られた。
 どうしようか、とスレヴィは後頭部を掻く。表情を窺い見るも、クロエにしては珍しく読み取ることのできない顔をしていた。
「ごめん」
 素直に謝ろう。
 そう思った。
「クロエが嫌がるなら、もうしない」
「……ほんとう?」
「本当。あ、でもこの写真は記念に持っておきたい。だって可愛いし。な、ストルイピン?」
「そこで私に振るんですか!? ……や、うん、……ふふ、可愛いですね。どうしてラジオ体操をなさっているんです?」
「? へん? ながいおやすみのときは、まいあさたいそうをするものだっておそわったからしてみたんだけど……」
 それは確かに事実だが、言葉が足りていない。
「間違ってないけど、間違いだよ」
「?? どういうこと? スレヴィおにぃちゃんのいうことはなぞなぞみたいね。……ところで、アレフティナおにぃちゃん。いつまでそのしゃしんみてるの?」
「あはははは。……あっそうだクロエさん。これチョコです。タシガンのお店で売っていたんです、買ってきました。霧と薔薇の香りがするそうですよ?」
「あ! ごまかそうとしてるー!」
「ご、ごまかしてるわけじゃないですよぅ。だって今日はバレンタインだから〜!」
 他愛もない話から、いつも通りの会話になって。
 ほっと一安心している自分が居ることに、気付いた。
 ――まあ、クロエには笑っていてほしいしな。
 ――……この写真をどうこうする気はないけれど。
 部屋の引き出しの奥にでも入れておくか、と思っていたら、
「スレヴィおにぃちゃん! おわびとして、こんどわたしとアレフティナおにぃちゃんにケーキをごちそうすることをようきゅうするわ!」
 びしり、指を突き付けられてそう言われた。
「……クロエはともかく、なんでストルイピンにも?」
「ひごろのおわび!」
「…………ま、それでお姫様のご機嫌が直るんだったら、しますよ、ええ」
 どうせならクリスマスの時のように執事ごっこでもして嫌がらせしてやろうか。
 そんなことを考えている間に、ゴンドラは地上に近付いていた。