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リアクション
■ 今はまだ、帰れない場所 ■
「あたし東京に行ってみたいわ」
パートナーのマリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)にせがまれて、水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)は困ったように笑った。
「東京といっても、そんなに変わったものがある訳ではないんですよ」
「でも行ってみたいの。カーリーの故郷は東京なのよね? ついでだから実家に帰ったらどうかしら。この時期は帰省する人も多いみたいだし」
無邪気に頼まれて、ゆかりはついそれに頷いてしまったけれど……正直乗り気ではなかった。
国立大学法学部を中退して教導団入りしたいとゆかりが言った際、両親は反対した。
特に父親……警察庁の高級官僚である父親とは元々しっくりいっていなかったこともあり、強硬にパラミタ行きを決めたゆかりと父親との関係は完全に拗れてしまったのだった。
それ以来、何度か東京に降りることはあっても、ゆかりは実家に顔を出さなかった。
2年以上戻ることも連絡することも無かった実家に戻ることを考えると気が重い。
けれど、逆に考えればこれは良い機会とも言えた。自分の感情に任せていてはいつになっても実家に顔を出すことは出来そうにないけれど、これは思い切って帰るきっかけになるかも知れない。
そう思って、ゆかりは東京見物がしたいというマリエッタと分かれ、実家へと向かった。
ゆかりの実家は世田谷区の閑静な住宅街にある。
道の両側に立ち並ぶ家の庭に夏の花が咲き乱れているのを見ながら、ゆかりは見知った道を歩いてゆく。
そう、あの角を曲がれば実家が見える。そうすれば家まではほんのすぐだ。
けれど角を曲がる直前でゆかりの足は止まってしまった。
今更顔を出すのはやはり気まずい。両親と会って、何を言って良いのかも分からない。何も言えないかもしれないし、酷い言葉を口にしてしまうかもしれない。
頭の中で自分が帰ったところをシミュレーションしてみたものの、どうしても上手く考えられなくて、結局ゆかりはそこから引き返してきてしまった。
さりとて他に行く場所もない。
途方に暮れたゆかりは、学生時代によく通った喫茶店に入ると、炭の席にぽつねんと座った。
そこに。
「カーリー!」
呼ばれたゆかりが弾かれたように顔を上げるとそこには、2歳年上の姉、水原 まなみがいた。
「よく似た子が喫茶店に入っていくと思ったら……一体今まで何してたの! ここにいるってことは家に行ってきたの? お父さんたちに会った? 何か言ってた?」
驚いてぽんぽんと質問を投げかけてくる姉に、ゆかりは気弱に微笑んだ。
「今日、パラミタから帰ってきたんだけどね……でも、家に帰りづらくて……近所までは来たんだけど、どうしても足を向けられなくて……だから、こうしてスゴスゴとこんなところで時間を潰してるの……なんだかバカみたいよね……」
ぽつ、と手に何か当たる感触がして、見るとそれは涙だった。
泣いているという実感もないのに、涙だけがこぼれて落ちる。
「あれ? ……どうしたのかしら? 私、なぜ泣いてるの……? なぜ……ねえ、どうして……こんなに近くに、帰れる場所があるのに、どうして帰れないの……どうして……私は……っ……」
それ以上の言葉は嗚咽に消されてしまい、ゆかりはテーブルに身を投げ出して泣き崩れた。
「カーリー……」
自立心が強くて決して弱音を吐こうとしない、けれど本当は打たれ弱くて脆い妹のゆかり。きっと物凄く心細い想いをしてきたのだろう。
「……泣きたいときは素直に泣きなさい」
それが今のあなたに必要なことだから、と姉はゆかりが落ち着くまで、ずっと頭を撫で続けた。
結局、ゆかりは実家に戻らないままパラミタに帰ることにした。
あなたがそうしたいのなら、とまなみも強いて帰宅を勧めることはしなかった。
その姉にゆかりは両親にあてた短い手紙を託した。
『 ごめんなさい。いつか必ず帰ります。 』
今はまだ帰れない。けれどいつか必ず――その決意をこめて。