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リアクション
■ ちゃっとやってる? ■
実家に向かっている途中にメールの着信音がして、朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)は携帯を開いた。
「……お父様?」
これまでメールなんて送ってきたことはないのに、どういう風の吹き回しだろう。
怪訝には思ったけれど、どんなメールを送ってきたのかには興味がある。千歳は父、朝倉 大悟からのメールを開いてみた。
『 千歳、ちゃっとやってるようだな(^O^/ 』
「無理に顔文字など使わなくとも良いのに」
しかし気になるのはその内容の方だ。
(チャットやってるようだな、だと?)
まさか自分が、『ちーにゃんこ』のハンドルネームでネット住人をやっていることが、父にばれているとでも言うのだろうか。
普段は口下手な千歳だが、ネットの中では違う。語尾に『〜にゃん』とかつけて、フレンドリーな萌えキャラを演じている際は実に饒舌で、パートナーのイルマ・レスト(いるま・れすと)からはネット弁慶と揶揄されているほどだ。
それを父親に知られていたら……?
(まずい、これはまずい)
まずいだけでなく、非常に恥ずかしい。ここはしらを切り通さなければならないと、千歳は素知らぬふりで嘘メール。
『 お父様、何のことですの? 千歳はチャットはあまりやりませんわ 』
父はどう返信してくるか。
待っていたけれど、それっきり父からのメールはなかった。
もう一度さっきのメールを見直せば、顔文字が笑っているのがむしろ恐怖心を煽りまくる。
家に到着する前から既に、パラミタに帰りたいと願う千歳なのだった。
「千歳、今回はお父様と会えるといいですね」
何も知らないイルマはそんなことを言っているが、千歳はそれどころではない心境だった。
正月に実家に戻った時は、神社の仕事が忙しかったこともあり、父とはすれ違ってばかりでろくに話も出来なかった。今度こそ、去年の暮れに勝手に蒼空学園を辞めて百合園女学院に転校した経緯を説明しようと思い、意気込んで来たのだが……それどころじゃない。
(そう言えば……)
この間チャットをしている時、いかにも慣れていない様子の人が入ってきた。打つのも遅いし誤字だらけで……もしやあれが父だったり? あの時は何を話題にしてたっけ……特にまずいことは……。
「あああっ!」
「千歳、どうしたのです? いきなり大きな声を出して」
驚くイルマに何でもないと取り繕ったけれど、千歳には冷や汗が吹き出している。
(ま、まぁ、お母様になんとか取りなしてくれるとは思うが)
母から、年頃の女の子なのだから言葉遣いをそろそろ直しなさいと言われたのを千歳はちゃんと守って、男性口調を改めて女言葉に変えた。まだちょっと慣れなくてぎこちなくはあるけれど、その辺りのこともあるからきっと母は味方してくれるだろう。
そう自分に言い聞かせ、帰ってみれば。
――母は婦人会の旅行からまだ戻っていなかった。
「なんと言う孔明の罠……」
けれどここまで来たら仕方がない。千歳は覚悟を決めて父の前に赴いた。
「ただいまパラミタから戻りましたわ、お父様。やっぱり京都の夏は暑いですわね」
千歳の挨拶に、上座であぐらをかいて座っていた大悟は僅かに眉を寄せた。
(何だこの妙な女言葉は……やはりあれの入れ知恵か?)
妻の千里に勧められた事もあって、帰ってくる娘にメールを送ってみたのは良いが、返ってきたのは妙な女言葉で、チャットはあまりやりませんわ、の返事。一体何を書いてきたのか返信しようとあれこれ弄っていたら携帯はおかしくなるしで、結局放り出してしまった。事情を聞こうにも妻は婦人会の旅行で家を空けている。
黙りこくって考えていると、千歳の視線がきつくなった。
「実は詰問されたチャットのことですが、あれには色々と理由があるんだ、のですわ」
そう言われても大悟には分からない。
(だいたい……チャットって何だ?)
千歳に聞けばもちろん分かるのだろうけれど、それでは父親の威厳に傷がつく。取り敢えず、内心の疑問を見せぬように気を遣いながら答えた。
「チャット? 何のことだ……私はちゃんとやっているようだなと尋ねただけだ」
「ちゃんと? ちゃっとと書いてあったです……ではおかしいか……書いてありましたわ?」
動揺しているものだから千歳の口調はいつも以上に安定しない。
「何を言っているのかよく分からんぞ。読み間違えたのだろう。お前は案外そそっかしいからな」
「なっ……!」
むきになって携帯を取り出そうとしている千歳に、イルマは呆れかえった目を向けた。
会ってすぐから千歳と父親の間にあった微妙な空気。これが男親と年頃の娘との間に横たわる深い溝なのだと納得したイルマは、口論になったら止めるべきか、と身構えていたのだが、どうやらそういうものでは無かったらしい。
「って……あの……これ、コントですか? コントなんですか?」
携帯メールを突きつける千歳と、そんな細かい字は読めんと突っぱねる大悟を眺めつつ、私笑っていいんですかねと、イルマは情けない苦笑を浮かべるのだった。