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32


 神代 明日香(かみしろ・あすか)は、日本のとある山間の片田舎に生まれた。
 都内から離れに離れた場所にあったため、空気こそはよかったがそれ以外はてんでだめ。
 不便な場所にあるため人口も少なく、必然的に同年代の子供もいなかった。
 が、それは神代の者にとっては好都合だった。
 なぜなら、神代家は代々魔法使いの家系であるからだ。魔法が奇異の目で見られることは神代の歴史の中では既に経験済み。
 だからこそ、人の少ないこの場所で細々と暮らしていた。
 魔法が使えることを隠し、普通の子供として生きてきた明日香にはひとつだけ奇妙な思い出がある。
 それは、同年代の女の子のこと。
 初めて出来た友達で、年齢は十二歳くらいだっただろうか。身長は今の明日香と同程度で、幼いながらに小柄なお姉ちゃんだな、と思っていた記憶がある。
 和服を着て、背に垂れた薄茶色の長い髪を風になびかせ、いつも柔らかに微笑んでいた。
 彼女と出会ったのは、明日香が山中でひとり魔法の修行をしているところを見られたことが原因だった。
 魔法使いであることを慌てて誤魔化そうとする明日香に、彼女はにこりと笑って言った。
「すごいね」
 変だと言われなかったことが、認めてもらえたことが嬉しくて。
 明日香は、すぐに彼女に懐いた。
 修行と称して毎日彼女のいる山へ向かい、日が暮れるまで話し込んだ。
 山で遊んだり、修行をしなければいけないときは付き合ってくれたり。
 毎日が楽しかった。
 けれど、それは束の間の出来事。
「遠くへ旅に出なくちゃいけないの。だから、もう二度と会えないんだ」
 ある日突然告げられた答えに、明日香はなんと返したのか覚えていない。
 ただ、次の日から山へ行っても、彼女の姿はどこにもなかった。
 彼女の名前を呼ぼうとして、初めて名前も知らないことに気付いた。


 月日が経ち、幼かった明日香も成長して、経験を積んで。
 遠くへ旅立つことの意味も、彼女の存在も、理解した上で。
「今日、ここに来ればなんとなくおね〜ちゃんにもう一度会える気がしたんです〜」
 明日香は、あの日遊んだ場所のような、ひと気のない山に来た。
 目の前には、懐かしい彼女の姿。驚いたように、明日香の顔を見ている。
「えへへ。なんとなく、あたりました。なんとなくって、すごいのです」
 にこにこ笑って彼女に近付き、隣にすとんと腰を落とす。すると彼女も明日香の隣に座った。
「昔も、こうしてよく並んで座りました」
 空を見上げて、流れる雲を見て。
 ゆっくりと過ぎていく時間を、二人で過ごしたことを、まだ覚えている。
 木に登ったりもしたし、草原を駆け下りたりもした。
 魔法が上手くいかなくて、泣きそうになった時も慰めてくれたっけ。
 数々の思い出が、昨日の出来事のように浮かび上がり。
 それが、次々と口をついて出てきた。
 彼女も笑って話を聞いて、たまに「違うよ、それは」と話に混ざったりもして。
 そして、ああ、こうして話していて、明日香は確信した。
 ――やっぱりおね〜ちゃん、亡くなっていたのですね。
 生きている人間とは、明らかに異質な空気。
 わかるのだ。今の明日香には。
 悟られていることを、彼女も気付いたのだろう。
「……明日香ちゃん。私ね、」
 話し始めようとした彼女の唇に、明日香はぴっと人差し指を突きつけた。
「詳しい説明なんて、必要ないです」
 曖昧だからこその暖かさ。
 優しい嘘の使い方。
 嘘をついていることがわかっていたとしても、それが心配させまいとする心遣いだと知っているから。
「お引越しならしょうがないですから」
 明日香も、嘘を重ねた。
「おね〜ちゃんが居なくなって、しょんぼりしました。寂しくて泣いたりもしました。でも、今日会えて、みーんな吹っ飛びました。
 会えて、嬉しいです、おね〜ちゃん」
「明日香ちゃん……」
 にこにこ笑う明日香に、少女が泣きそうな顔をした。そしてそのまま、笑った。
「私が居なくても、笑えてるね」
 それから、嬉しそうに頬を寄せる。
「はいです。お友達、いっぱいできました〜。修行の成果もあって、魔法もなかなか得意ですよ〜」
 されるがままになりながら、明日香はつらつらと近況を報告していく。
 友達と何をしたとか。
 独占したくなるような、そんな相手を見つけただとか。
 その子がいかに可愛いかとか。
 でも、今ちょっと大変で落ち込んでいるから、力になってあげたいとか。
「それとそれと、最近はですね〜」
「明日香ちゃん」
 言葉を、遮られた。
「?」
 疑問符を浮かべながら、明日香は少女を見つめる。
「私ね、そろそろまた、行かなくちゃいけないから」
「あらら。楽しい時間は過ぎるのが早いですね。何とかならないものでしょうか」
「ごめんね。でも私、明日香ちゃんと話せてよかったよ。楽しかったよ」
「はいです。おね〜ちゃん、また遊んでくださいね」
 その、『また』があるかどうかなんて、わからないけど。
 約束するんだ。
 次があるように。
 去っていく彼女の背に、「ありがとう」と呟く。
 聞こえたかな?
 どうだろう。
 振り返らなかったから、聞こえなかったかもしれない。
 でも、肩が震えていたから、聞こえたのかもしれない。
 明日香の肩も、震えていた。
 食いしばった歯も、気を抜くとかたかた鳴りそうだ。
 頬を伝う涙だけはどうしようもなくて、でも、彼女が見えなくなるまでは、涙声など漏らすものかと拳を握り固めた。