リアクション
○ ○ ○ 「皆さんどこに行ってしまったのでしょう……」 タシガンの薔薇で、エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)は奔走していた。 食事に向かったはずの、鬼院 尋人(きいん・ひろと)や黒崎 天音(くろさき・あまね)らスタッフがいつになっても戻らない。 それだけではなく、頼みの綱のパートナー達の姿も突然見えなくなった。 「にゃーん」 「にゃー」 「にゃーーーー」 何故か子猫の姿だけが多い。多すぎる。 「にゃ……」 両方の前脚が白い黒猫が、エメの方に寄って来た――しかし、触れる直前に離れる。 「ああ、更衣室まで入ってきてしまったのですね」 「にゃん、にゃにゃ」 真っ白いラグドールの子猫が、エメに何かを話しかけている。 「ふにゃ、にゃ、にゃ」 もう1匹、黄金毛並みのノルウェージャンフォレストキャットは、エメのズボンの裾に噛みついて、引っ張っている。 「後で相手をしてあげますからね」 そう言って、相手にはせずにエメは着替えはじめる。 濡れタオルで体を拭き、スプレーをして、今まで来ていたのと同じコスチュームに。 戦場のように忙しい場だが、客に汗を見せたり、忙しなさを見せたりするつもりはなかった。 素早く着替えを終えて、展示に戻ろうとしたエメだが。 「にゃん、にゃにゃにゃああ!」 黄金の毛の子猫だけが執拗に、エメの足に絡みついてくる。 「寂しいのでしょうか。仕方ありませんね」 エメは子猫を抱き上げて腕で包み込んだ。 「にゃー、にゃんにゃー!」 何かを訴えようとしている子猫をよしよしと抱きしめて、落ち着かせようとして顔を摺り寄せたり、暴れそうになったらぎゅっと抱きしめて、動きを奪ったり。 そんなふうに世話をしながら、客の対応に戻った。 「にゃーん(ラドゥ様が来てるー)」 ラグドールの子猫……に変身してしまったリュミエール・ミエル(りゅみえーる・みえる)は、エメへの説明を諦めて、先に喫茶コーナーに来ていた。 客の忘れ物を差し入れと勘違いして、説明も読まずに皆に配り、皆を猫化させてしまった張本人だが、リュミエール的には細かいことはどうでもよかった。 ラドゥに近づくなり、ジャンプして膝に乗っかる。 「き、貴様、下りんか!」 ラドゥは振り払おうとするが、その手にリュミエールはしがみついてすりすり。 彼は今、真っ白ラグドールの仔猫だ。歩くぬいぐるみのような、愛くるしい姿だった。 「は、離れろ」 ラドゥは手を振って――決して乱暴ではなく――子猫を振り落そうとするが、リュミエールは離れずにすりすりを続ける。 「ははははっ。可愛いじゃないですか。害はないし、膝の上に置いていけばいいですよ」 護衛としてラドゥについてきていた、ゼスタ・レイラン(ぜすた・れいらん)がリュミエールの背を撫でて、気持ちよさそうに目を細めた彼を両手で抱き上げて、ラドゥの膝の上に乗せた。 「何故ここに下す!? 貴様の膝の上に乗せればいいだろう」 「いや、俺一応仕事中ですし。いざという時に機敏な動きが出来ねーんじゃ、ヤバイでしょ領主様!」 ぺしぺしとゼスタはラドゥの肩を叩く。 「むう……」 そう言ったまま、ラドゥは拳を握りしめた。 「あ、オレンジケーキと、チョコレートパフェ追加ね!」 エメが見えた途端、ゼスタが声を上げる。 彼の視線が逸れたその間に、ラドゥの指がラグドールのちっちゃな掌をちょんと押した。 「にゃん」 肉球をぷにっとされて、ラグドールは小さく声を上げる。 その後も、指で喉を撫でられたり、しっぽを撫でられたり控えめにラドゥの指がラグドールを可愛がるが、ゼスタの視線が戻った途端、指は拳の中にしまわれて膝から遠ざかる。 「猫が多いな……もしかして、うちのハムが飲んだ薬となんか関係が」 タシガンの薔薇を訪れた瀬島 壮太(せじま・そうた)は、奔走しているエメの姿と、沢山の子猫を見た後、自分の腕の中の白い子猫を見下ろす。 「にゃん」 小さな鳴き声を上げたこの白猫は、パートナーの上 公太郎(かみ・こうたろう)だ。首に赤いハートのチャームを付けた雑種の子猫の姿をしているけれど、本来はジャンガリアンハムスターの獣人だ。 公太郎は小柄な体格のせいか、獣人としてではなく本物のハムスターと思われがちで、何故か猫と出会うと追い掛け回される傾向にある。 話し合おうとしても、取り合ってもらえないのが現状だった。 獣人として非常に屈辱的と感じていた公太郎は、猫化する薬の話を聞き、薬を飲んで猫になった状態で猫と話し合ってみようと思ったのだった。 「にゃーん(我輩が誇り高き獣人であること、我輩は追いかけまわされるおもちゃではないことを猫に話して聞かせるのだ)」 そう思いながら公太郎は壮太の腕の中から飛び降りて、猫が沢山集まっている喫茶コーナーの方に歩き出す。 「エメ」 颯太は、そちらにはいかず、厨房に向かっていくエメに近づいて、何やら変わった薬が出回っているようだと説明をしたのだった。 その上で。 「人手が足りなそうだから、手伝ってやろうか」 そう壮太が言うと、エメはほっとしたような表情を見せた。 「ありがとうございます。……でもいいのですか?」 「もちろん……っと、あー……」 壮太はちょっと顔を逸らし、ぶっきらぼうに言葉を続ける。 「親友が困ってるとこを見過ごすわけにはいかねえし」 「助かります」 そう言って、エメは壮太の手をとって喜び、淡く微笑んだ。 「まあ、オレは喋りがこんなんだから薔薇学生徒みたいな接客は自信ねえけど、紅茶ならきちんと淹れられるからよ。……あんたんとこの執事にきっちり仕込まれたからな」 執事とは、エメのパートナーでもある片倉 蒼(かたくら・そう)の事だ。 「蒼ちゃんは何処にいるの?」 ぴょこんと、ミミ・マリー(みみ・まりー)が壮太の後ろから顔を出す。 「喫茶コーナーにいるっていうから、見にきたのに……」 蒼の姿も、先ほどから見当たらない。 「申し訳ありません、すぐに戻ると思うのですが……」 エメはそう答えることしか出来なかった。 久しぶりに会えると思って、楽しみにしていたのに、どこに行ってしまったのだろうと、ミミは少し寂しく思う。 「で、オレは何をすればいい? 茶を淹れようか」 「お願いします。紅茶を2つと、フルーツケーキの用意をお願いします。紅茶のカップは蓋つきのものにしてください。動物の毛が入ったりしないように。私はその間にチョコレートパフェを……あと、【本日犬猫喫茶】の張り紙をお願いします。それから……」 エメはお礼とお詫びに、後日壮太を喫茶コーナーに招待すると約束をして、びしばし指示をだし、壮太をこき使い始める。 「らじゃー。任せとけ」 壮太は早速湯を沸かし始め、茶葉とフルーツケーキの用意をしていく。 「ありがとうございました」 ミミはトレーを持って客が帰った後のテーブルに近づき、皿を片付けていく。 台布巾でテーブルを拭こうとした途端、子猫がテーブルに乗って、台布巾を咥えてテーブルに落し、前足で懸命に拭こうとしだす。 顔と胸元と、両方の前脚が白い黒猫――蒼だ。 「あれ、すごいすごい、頑張ってるね。猫なのに偉いんだね」 蒼だと知らないミミは、子猫の手から台布巾をとって、頭を撫でてあげる……。 「ここは僕が拭くから大丈夫だよ」 「にゃー……」 小さく鳴いて、黒猫は俯いた。 そのしぐさがかわいくて、ミミは黒猫を優しく抱き上げて、えらいえらいと頭と体をなでなでしてあげるのだった。 黒猫――蒼はますます照れて、視線を彷徨わせてにゃあにゃあ小さな声を上げていた。 「それじゃ、一緒に頑張ろうか」 「にゃー……」 それから一緒に、黒猫とミミはそのテーブルのお片付けを始めた。 黒猫はスプーンやゴミを咥えて皿の上にのせて。 ミミはそのお皿をトレーの上に乗せて、黒猫に汚れている場所を教えてもらいながらテーブルを丁寧に拭いていく。 「ラドゥ様、申し訳ありません。いらして下さっている時に、このような状態で」 エメが紅茶とスイーツを持って、テーブルに戻った時。 ラドゥの足下には変わらず子猫が沢山集まっており、テーブルの上にも子猫――公太郎が乗っかっており、スコーンを食べていた。 更にラドゥ膝の上には、見覚えのあるラグドールの子猫が乗っかっており、眠っているようだった。 「……本当に申し訳ありません」 エメは再び深く詫びる。そして事情を説明し、事態の収束を図っていると報告をする。 それから、改めて違う日にお招きしたいとも。 「別に貴様が悪いわけではないだろう」 フンッと、ラドゥはそっぽを向く。 「へいきへいき、この子達は俺らがちゃんと面倒みるからなー」 ゼスタが雌猫を一匹抱え上げてぎゅうっと抱きしめて撫でる。 ラドゥはフンッとまた鼻を鳴らすが、猫だらけの環境を嫌がってはいないようだった。 「あの、もしよろしければですが……」 スイーツを並べ、紅茶を出した後。 エメは台本を2冊、ラドゥとゼスタに差し出した。 「劇の代役をお願いできないでしょうか」 台本には【霧けぶる魔都に捧ぐ小夜曲】と書かれている。 登場人物とストーリーは以下だ。 展示会場に展示されている『吸血鬼が三人死んでこそ価値がある本』という言葉に相応しい逸話を持つ一冊の本に纏わる劇。 語り部……解説役 装丁職人……恋人の為に最高の装丁を施した一冊の本を作成する 職人の恋人……優しさと美貌故に横恋慕され恋人を失う 横恋慕する男……恋敵の職人を暗殺者を雇い殺害 本を狙う貴族……コレクター。本を手に入れる為に様々な手を使う 暗殺者……雇われの暗殺者 ラストは暗殺者以外全て死亡。自害した恋人の血を受け本の装丁が変化 「我は暗殺者役なのだが……。依頼主もターゲットも居ないという状況だ」 喫茶コーナーを手伝いながら、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)はため息をつく。 「むぅ……天音達はどこへ行ったのだ」 「案外この中にいたりして」 ゼスタはラドゥの足下を見て、ぼそりと言った後。 パラパラと台本をめくっていき。 「可愛い女の子とのキスシーンがあるのならやってもいい」 と言いだした。 ラドゥは台詞がないのなら、出てもいいという返答だった。 「キスシーン……は、お相手の方に聞いてみませんと。台詞の方は極力少なくさせていただきますので、ご協力いただけましたら幸いです」 難しい注文だと思いながらもエメは2人に感謝をして、更衣室に戻り調整を試みることにした。 その頃。 「わうっ」 「にゃーん」 厨房で作業をしていた壮太の元に、子犬と子猫が顔を出した。 「ダメだぞ、こんなところに来たら。熱湯被ったら大変なことになるからな」 そう言って、壮太は2人を厨房の裏へと誘導する。 「食うか?」 裏口から外へと出して。こっそりペット用のクッキーをあげる。 壮太は小動物が好きだが、元ヤンキー。可愛がっている姿など人に見られるわけにはいかない。 だけれど、今ここには自分しか人はいない。 「可愛いなぁ、お前達」 しゃがみこんで、嬉しそうに2匹を撫でて撫でて可愛がる。 2匹はとても疲れているようで、ふらふらだった。 「わん」 「にゃー」 クッキーを食べて大きく尻尾を振っている子犬の首には、銀の薔薇がついた赤い首輪。 「……ん?」 落ち着きのない子猫の首には、緑のリボンに銀の薔薇。 「……」 見覚えがある模様、だ。 「ま、さかお前たち……」 「わん」 「にゃん」 にこにこ、2匹は壮太を見上げてとっても幸せそうだ。 「へ、変身してるならしてるって言えよ!」 そう叫ぶと、真っ赤になって壮太は裏口から厨房に飛び込んでいった。 「にゃー!」 途端、子猫――に変身した天音が揺れたドアノブにじゃーんぷ! 「わううっ(黒崎、それにぶら下がったら危な……)」 「にゃん?」 重みで下へと下がったドアノブから落ちてくる子猫を、子犬――尋人が背中でキャッチ。 「にゃん、にゃ、にゃあ?」 お礼を言ったかと思えば、次の珍しい物を発見し、子猫は駆けて行ってしまう。 「わう、わんわん(そっちは階段だよ、黒崎!)」 次にタシガンの薔薇の正面入り口に到着するのはいつになることか……。 数時間後。 薬の効果が解けた時。 黄金の毛並みの子猫は、抱きしめられながらエメの腕の中にいた。 「……」 子猫の正体はジュリオ・ルリマーレン(じゅりお・るりまーれん)。誇り高き、シャンバラ古王国の厳格な騎士だ。 エメは体格の良いそんな彼を更衣室で強く強く抱きしめていた。 即、互いに体を離した2人だが、微妙な空気が流れていく。 「あ、でもほら、凄く可愛い仔猫ちゃんでしたよ?」 頑張って微笑みを浮かべながら、エメがフォロー。 しかし、ジュリオは無言でさらにぐったり。 「ああ、いい夢見られた。枕が最高だったからね」 そんな中に、身体をぐっと伸ばしながら入ってきた、リュミエール。 エメの笑顔と、ジュリオの血走った目が、彼に向けられた。 「少し、話があります。そこに座ってください」 「覚悟はできているな、貴様……ッ」 「え? あ、ああ。あのジュースなかなか美味しかったよね、うん。それじゃ僕は片付けに……」 逃げようとしたリュミエールの襟首がむんずっと掴まれ、更衣室の中に引きずり込まれる。 ズガガーン 大きな雷が、タシガンの薔薇の更衣室に落ちた。 |
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