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リアクション
■4――一日目――10:00
一通り注射器とアンプルを配り終えた、アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)は、疲れたようにパイプ椅子に背を預けた。
そこへラスト・ミリオン(らすと・みりおん)を纏い、奈落人のグリード・クエーサー(ぐりーど・くえーさー)が憑依した状態の、ナイン・ルーラー(ないん・るーらー)が現れた。ナイン達は3人で、1人の者――トリニティを名乗っている。大きな目的や行動の意思決定は、主としてナインが行っているが、三人で一つであることに代わりはない。紛れもなく、揃った彼らがトリニティだった。
「誰が『死人』で何人いるのかわからない以上、『山場の秘祭』そのものをどうにかしたほうが早いと思うんだよね」
束ねた茶色い髪を揺らしながら、率直にナインが切り出した。
すると指を組んで、両肘を長机の上に付き、アクリトが目を伏せた。
「必ずしもそうとは言い切れない事情があるんだ。私の推測が著しく外れていなければ、秘祭は我々生者の側も、逆に利用できるかも知れない――仮にそうではないとしても、どのようにして、秘祭を阻止すると言うのだね?」
「秘祭について何か思う所があると言うことだね――どうにかするために、ですか。それには、やはりまずは調査が必須みたいだ」
ナインの声に、瞳の色を濃くしてアクリトが頷いた。
「生き残ること、その点が重要だからな……中々調査を頼めるような、人手が足りない」
「確かに死人にとっては、害となるアンプルを配布したキミは、死人からも殊更狙われる立場にありそうだね。良かったら、僕たちが護衛をするよ」
「その気遣いが有難い。ただ出来ることならば、先程君が言った通り、秘祭の調査も誰かが行わなければならないのは事実だ、だから――」
「分かったよ。僕たちは、護衛のかたわら、しっかりと秘祭について調査して、アクリトに報告することを約束する」
「心強い。調査は日中に行う事を勧めよう。健闘を祈る」
アクリトはそう言うと、ひとまず調査に出る事にした様子の、ナイン達を見送った。
そこへ入れ違うように、新たな足音が響いてきた。
現れたのは、クローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)とセリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)だった。
シャンバラ教導団のイントラネットの情報を元にこの地を訪れた二人は、予想以上に物々しい周囲の空気に、顔を見合わせる。
アクリトが民俗学のフィールドワークをしているとの事だったから、いくつかの関連施設を回ってきた彼らだったが、開けた場所でアンプルを配っているアクリトと遭遇するというのは、想像していない事だったようである。
アンプルと注射器を受け取りながら、クローラが黒い瞳に真剣さを宿して、机の上に手をついた。机が軋む音が、辺りに谺する。
「アクリト、聞きたい事が山ほどある」
「なんだね?」
淡々と応えたアクリトの前で、クローラが努めて冷静に尋ねた。
「この村について知った経緯は、何だ?」
「パルメーラが関係している。今は未だそれ以上のことを言うつもりはない」
アクリトは回想するように、パートナーであるパルメーラ・アガスティア(ぱるめーら・あがすてぃあ)の名を出した。
「どうして?」
セリオスが尋ねると、アクリトが少しばかり迷うように瞳を揺らす。
「まだ確信が持てないからだ――導出した結論を、証明する術が無い。そのように不確定な状態で君達に話すことは、誠意有る行動ではないだろう」
「うーん、必ずしも納得できないけどなぁ……そうだ、祭りって言うのは?」
セリオスが重ねて尋ねると、アクリトが顔を上げた。
「私の推測では、死人にとっても、我々生者にとっても大切な祭事だと考えている」
黙々と聞いていたクローラが、それから腕を組んだ。
「では、アンプルの中身――この薬の正体と所持の理由は?」
「薬物が必要になる可能性を念頭に置いて、この村に来たことは否定しない。だが、実験段階とはいえ、この状態までに仕上げたのは、此処へ来てからだ。効果は、死人の動作……そう言って構わないのか、矛盾する言葉だから私には分からないが、その動きを止める、というものだ。所持している理由は、端的に言えば死人を倒したいからに他ならない――あるいは、自身が成り代わった時に、死人として行動したいとは思わないからだ。利己的な理由かも知れないな」
アクリトの口調はあまり感情がうかがえるものでは無かったが、何処かそこに自嘲的な響きがあるように聞こえた。それも手伝い、クローラは率直に尋ねることにする。
「――貴方は生者か?」
「私は、自身が生者であることを証明できない。その様子だと、君達はアンプルの効能にも疑念を抱いているのだろう?」
「生者なら薬を打てる筈だ。――俺達は、もう少しこの村の調査をしようと思っている。調査の効率化の為、互いに身の証を立てないか?」
「……私は既にアンプルを打っている。私の分を打ったわけではないが。無論、君達の前で起きた出来事ではないから、証明になるようなものは何もない。この腕の注射痕を見せた所で、それは変わらんだろうな」
「複数本打つと弊害があるのかな?」
セリオスの声に、アクリトは首を振る。
「では、予備を打って見せて欲しい。皆に配る数を所持していたなら、予備もあるのが自然だろう。無いなら、それこそ薬そのものが不自然だぞ」
「予備が無いというよりも、生成できた数が限られているんだ。私は此処で身の潔白を証明する為に、対抗手段を減らすつもりはない。信用できないのであれば、疑ってくれて良い。仮に君の目の前で、誰かのアンプルを注射する機会があっても、それ自体を私が入れ替えている可能性だってあるだろう」
「要するに予備があろうが無かろうが、貴方は俺の前で死人か否かを証明できないという事になるな」
クローラが言うと、アクリトが俯きながら頷いた。
「その通りだ。だから寧ろ、君のように冷静な判断が出来る人間には、死人に対抗する為に尽力して貰いたい」
その声に、クローラとセリオスが顔を見合わせた時、そこへ足音が響いてきた。
新しく訪れたのは、ジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)とフィリシア・レイスリー(ふぃりしあ・れいすりー)だった。
「そうは言っても、いくら死人を片付けても、根本をどうにかしないと話にならんだろ?」 遠巻きに聞こえてきたアクリトの声に、ジェイコブが言う。
短い金髪が凛々しく、均整の取れた筋肉をした彼は、一人考え込むように頷いた。強面すぎる外面と粗暴な行動からは、中々想像しがたいものがあるが、彼はUCLAで経済学の学位を取得し、卒業した過去を持つ秀才でもある。
「その通りですわ」
フィリシアが同意してから、同じシャンバラ教導団の人間であるクローラとセリオスの姿に優しく笑って会釈した。彼女はジェイコブの参謀役をする事も多い。一見すると、たおやかで年齢より大人びた印象の美人だ。長い薄茶色の髪と緑色の瞳がとても綺麗だ。
「どうしてここへ?」
クローラが尋ねると、少し逡巡するようにしてからジェイコブが応える。
「シャンバラ国軍の任務で、丁度地球に降りていたんだ。それが済んでパラミタへ戻ろうとしたところ、別件で『死人の村』に関する調査命令が出た」
「国軍の?」
驚いた様子で息を飲んだクローラに対し、フィリシアもまた頷く。
「恐らく私達の他にも、国軍の勅命を受けて、派遣されて来る方々がいると思います」
「だからオレはアクリトの護衛をしつつ――すこし、この村と秘祭について調べてみようと思っている」
そう告げたジェイコブは、アクリトの視線を幾ばくか気にするようにしてから、クローラとセリオスを手招いた。
頷いて二人は、少し歩いてからジェイコブを見据える。
「――正直な所、アクリトから件のアンプルを渡されたものの、一本だけでは数も足りないし実験段階の物では効くかどうかすら分からない以上……実質、役には立たないからな、それよりは『山場の秘祭』について調べる方が良いと判断している」
「なるほど。俺とセリオスも、アクリトの所在地を探る過程で、少しずつ村の地理や、祭りや村自体に関連がありそうな民俗学的な施設を調べた所だ。こちらも、もう少し深くそれらを調べることにしようと思う――そして、戦略的に必要な地理の把握に努めたい」
「それは教導団全体にとっても助かりますわね」
フィリシアが微笑むと、クローラが頷いてから、セリオスを見た。
「行くとするか」
「そうだね――君達も、健闘を」
セリオスがそう言って二人に手を振る。そうして、クローラとセリオスは歩き始めた。
一方、残ったジェイコブとフィリシアは、アクリトの側へと戻りながら、考えていた。
――死人……ゾンビが関係しているのだろうか。
UCLAで学んでいた時に、僅かに触れたことのあるゾンビ学のことを回想しながら、ジェイコブは、この村で何が起きているのかについて、真剣に考えていた。
「まだアンプルの配布も残っているようですし、少し離れて現状の把握に努めてみてはいかがですか?」
「ああ、そうだな」
フィリシアの声に頷いて、ジェイコブもまた歩き出した。
そして、二人の影が、少しばかり遠くなる。
その時のことだった。
「アクリト・シーカー教授」
凛とした声が響き渡る。
「国軍の命を受け、調査に来たクレア・シュミット大尉だ」
死に汚染されたこの村の事を、国軍もなにか掴んでいるらしかった。だからこそ、これまでの経歴・実力共に定評のあるクレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)に、今回調査命令が下ったようである。
堅くしっかりと着こなした服が、彼女の均整の取れた肉体によく似合っている。
その上で、厳しさと冷静さを併せ持つ黒い瞳を、彼女は真摯な様子でアクリトへと向ける。黒いショートの髪が、静かに風で揺れていた。
「そうか、国軍が……」
何度か頷いたアクリトが、注射器とアンプルを手渡しながら、短く吐息する。
代々軍人の家系に生まれた彼女の大人びた眼差しが、その作業をしっかりと見守っていた。受け取りながら彼女は考える。
――よく都合良くそんなものをもっていたものだ。
率直な所、彼女はそう思わなくもなかったが、そこは偶然もあり得るだろうと、全てを無下に否定することもしなかった。
――そもそもアリクトは信頼出来るのか?
――死人でないという保証は?
――このアンプルが、実は『人間』を害するものでないと言いきれるのか?
冷静な思考で、クレアは手渡された品を眺めながら、首を傾げた。
――まずは、疑うことから始めなければならない。
――疑われたアリクトは、不快に思うだろうか? いや、彼も学術の徒なれば、疑う方が当然なのだと思うのではないかな。
そこまで思案したクレアは、嘆息すると、正面からアクリトを見据えた。
「貴方は、生者か?」
「そうだ。もっとも――今日、何度も繰り返したことではあるが、私にはそれを証明する術がない」
「アリクトが死人でない――というのは『自明の理』ではない」
「その通りだ」
「ならば、証明し、その上に確実なことを少しずつ積み上げていくしかない」
クレアのその言葉に、虚を突かれたようにアクリトが顔を上げた。
証明する――それは根底には、生者である事を、一定の割合でとはい、信用してくれているのだろうと、判断できたからである。
「無論私とて、貴方を無心に信じているわけではない。だが、証明する事ができるのであれば、事態の収束の為にも手は貸そう」
そうは言いながらも、実際クレアは、前提となるのは『今、自分とパートナーは生きている』という事のみだと理解していた。
だからこそ――この上に定理を積み上げていかねばならない。
「まず私は、アンプルの効果が『死人を倒す』ものであることを確認しようと思う」
「適切な判断だろう――実際、私は次に君と会った時、自分が死人になっていない事も保証できないからな」
「安心してほしい。少なくとも今、私には三人の信頼できる相手が居る。必ず村の調査と集束を図るという任務、遂行してみせよう。――行こう」
クレアはそう言うと、伴ってきたパートナーに振り返る。
まず視線があったエイミー・サンダース(えいみー・さんだーす)が、三つ編みにした赤い髪のお下げを揺らして、クレアに頷き返した。
「なんせ他人は、生きてるか死んでるかすら判らないしな」
エイミーのその声に微笑して、クレアが歩き始める。
そこへ普段の穏和そうな表情に、少しばかり影を覗かせハンス・ティーレマン(はんす・てぃーれまん)が声をかけた。
「アンプルが確かに『死人』を倒す為のものであると確認出来るまでの間、アリクト氏の身柄は確保あるいは保護しておくべきだと考えます。もしアンプルが人間に害をなすものならアリクト氏は死人だろうと考えられますし、そうでなければ『アンプルについて最も詳しい人間』であり、死人に狙われる可能性が高い」
するとパティ・パナシェ(ぱてぃ・ぱなしぇ)がおずおずと声をかけた。
「だったら、アリクトさんを保護――もしくは確保? をする間は、なるべく人が集まっているところにいてもらう方が良いのでは?」
離れるよりも、隣にいた方が良いのではないかというパティの声に、クレアが首を振る。
「仮にアクリトが狙われることがあるとして――死人とて思考がないとは限らない。相応の策を練ってくる可能性がある。仮に私が死人となってアクリトを狙うとすれば……そうだな……」
冷静に手法を考えるそぶりで、クレアが片方の掌で口元を覆った。
「……兎も角、必ずしも人混みの中に身を置くことは得策ではないだろう――ハンスの言うことには一理ある。だがそれも、まずはアンプルの効果を確かめてから再考する方が良いだろう」
クレアはそう告げると、パートナーの皆を一瞥した。
「頼りにしているぞ」
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