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リアクション
■ 雪遊び ■
イギリス、ロンドン。
妻と過ごした家周辺へと朱 黎明(しゅ・れいめい)は戻ってきた。
懐かしい我が家だけれど、家には入らずにおく。
家に入ってしまったらきっと、幸せだった頃の思い出が蘇ってしまう。そんなことは今の黎明には耐えられない。
友人に会いに行こうかと思ったが、いきなりの訪問は躊躇われる。
故郷に帰れば行く場所は自然にあるだろうと考えてここまで来たけれど、どこに行くのも気が進まずに黎明は困った。
仕方がないから散歩でもしようか。
地球に帰ってきてまで自分は何をしているのだと思いながら、黎明はロンドンの街並みを眺めながら当て所無く歩いた。
足の向くままに進んでいたはずの黎明は、やがて公園を通りかかった。
何の変哲もない公園。
しかしその公園に足を踏み入れた途端、黎明の脳裏に鮮やかに思い出が蘇る。
「ここは……」
そこは、学生時代に黎明が妻と訪れた公園だった――。
当時、黎明は20歳。ロンドン大学に通う学生だった。
ロンドンにはあまり雪は降らない。けれど東からの強い風が雪を連れてきたのか、その日はドカ雪となった。
黎明は雪が嫌いだった。
理由は単純だ。寒いから。
だからその日の黎明は、いつもより少しだけ不機嫌な面持ちで大学の講義に向かおうとしていた。
そこに声をかけてきたのは、同じ大学で講義を受けている友人のアシュリー・ゴールドスミスだった。
「こんにちは。今日は良い日になりそうね」
「どこがだ」
仏頂面で答えると、アシュリーは笑う。
「どうしてそんなに楽しく無さそうなの? こんな素敵な雪の日なのに」
黎明と真逆に、楽しくてたまらない様子でアシュリーは言うと、黎明の腕を掴んだ。
「公園まで付き合って」
「これから講義なんだが……」
言外に迷惑だという雰囲気を滲ませながら黎明は言ったが、アシュリーは構わず腕を引っ張った。
その頃の黎明は貧弱で頼りなさげな風貌の学生だった。何なのだろうと思いながらも、アシュリーの腕を振り払うことも出来ず、黎明は公園まで連行された。
公園に着くと、アシュリーは両手で雪を掬って見せる。
「ね、雪遊びしよう」
「……アホらしい」
そんな用件だったのかと呆れ、黎明は大学へ戻ろうとした。講義をさぼってまで、何故わざわざ寒い遊びをしなければならないのか、意味が分からない。
けれどそう言った途端、顔面にアシュリーの投げた雪玉が命中し、ぱっと雪を散らした。
ひょろひょろ貧弱だった黎明は、その衝撃だけで雪の上に尻餅をついてしまった。
「いきなり何を……っ」
雪玉をぶつけられたことよりも、それによってあっけなく倒れてしまった情けなさに苛立って、黎明は負けじと雪玉を作ってアシュリーへ投げつけた。
「ふふっ」
けれど、アシュリーはふわりと髪を揺らしてそれを難なくかわすと、また次の雪玉をぶつけてくる。
アシュリーの雪玉はどれも見事に命中するのに、黎明は何度投げてもアシュリーには当たらない。
頭に当たった雪玉が顔にぽたぽたしたたり、服にへばりついた雪も溶けてぐっしょりと黎明を濡らす。
襟から入ってくる水が気持ち悪くて、溶けかけの雪を振り落としていると、それを見たアシュリーは思い切り笑った。
(なんてイヤな女なんだ)
無性に腹が立つのだけれど、それと同時に何故か笑ってしまう。
なんて無茶苦茶で、なんて愉快な女なんだろう。
雪の中をはね回り笑い声と歓声を響かせるアシュリーは、心底活き活きとしていて楽しそうだった。
それから3ヶ月後。
黎明はアシュリーに告白をしたのだった。
その頃には黎明は雪が好きになっていた。
理由は単純だ。雪が降れば……アシュリーと雪遊び出来るから――。