校長室
年の初めの『……』(カギカッコ)
リアクション公開中!
●ハルカちゃん ポートシャングリラの一角、洒落た喫茶店で緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)はアルバイトをしている。年始早々仕事というのは億劫なものだが、彼はさして気にしていないようだ。むしろ、 「ヘルプ要員の仕事は稼ぎ易くていいのですー」 と、気軽にシフトを入れていた。 遙遠は働き者だ。そもそも、ここの仕事は結構気に入っている。「ハルカちゃん」と店の人間にも常連客にも呼ばれ、愛されているためかウェイトレス仕事は楽しい。 小さな「ハルカちゃん」はかりそめの姿、本当の遙遠は端正な顔はしているが青年で、身長だって180センチを優に超えると知ったら、彼らは仰天するだろう。そう、彼はちぎのたくらみを使用して女児に扮し、店のマスコットキャラみたいにして労働に勤しんでいるわけである。 喫茶店で働いていると、外を色々な人が行き交うのがわかる。サングラスをかけシルクハットを被った怪しい初老の紳士、福袋を買いすぎたのか、埋まるようにして運搬している男性、ピンク色の虎なのか猫なのかよくわからない着ぐるみ……そうした人たちを観察するのもこの仕事の楽しみの一つではある。 ゆえにか彼女は、不思議な光景に気づいた。 普通の人なら見逃しているような光景だ。 喫茶店から見て斜め奥には二件の店があり、その間は狭い空間になっている。通路というには狭すぎるし、そもそも行き止まりになっているので、野良猫がたまに入っていくだけのものなのだが、ここになぜか、ソバ屋か何かの店員らしい若い男が入っていった。 あの空間は左右の店の物置がわり(立て看板などが置かれる)になっているので、たまに人が入ることはあるが、ソバ屋だかラーメン屋だかに用があるとは思えなかった。なにか盗む気だろうか? 「……?」 しばらくして、隙間から人間が出てきた。 しかし、さっきの店員ではない。杖をついた老婆である。しかも老婆は杖を持っているのに杖など不要な様子で、つかつかと歩み去った。さっきの若者とは体格も顔も全然違う。 老婆は、袖を引かれてギョッとした表情になった。 「いらっしゃいませ〜♪ 広告の福袋はこちらとなるのですよ〜」 老婆の腕を掴んでいるのは十二歳くらいの少女だ。ウェイトレスらしき制服を着て、上目づかいに見ている。 「いや、自分は福袋なんて……」 老婆は腕を振り払おうとしたが、少女……ハルカちゃんが出し抜けにこう言ったので動きを止めた。 「こんなところで何をなさってるのですか? クランジΚ(カッパ)さん?」 老婆は眼を細め、 「なんのことやら……」 と言いながら自分の懐に手を入れようとした。するとその手も止めて、遙遠は口調をがらりと変えたのである。 「遙遠……緋桜遙遠です。お忘れですか?」 「貴様も姿を変えられるのか」 クランジΚはもう、演技をする気はないようだった。アサシンダガーを抜こうとしていた手も戻している。 「もし宜しければこの後お時間……は無さそうですかね?」 では歩きながら話しましょう、と遙遠は提案した。 「あ、遙遠の心配はご無用です。バイトよりも貴方とお話しする時間の方が大切ですから、後から適当に言い訳するだけですので」 「……そんなことより自分の命の心配をしろ」 憮然とした表情だが老婆(Κ)には、戦おうという意思はないようだった。 「今日はどうしたんです?」 「言えない」 「いいでしょう。じゃあ、もう一つだけ訊いて良いですか? 答えてくれるなら、Κさんがここに来ていることは私の胸の内に秘めておきます」 「……信用しろというのか」 「信用してくれないんですか?」 それにしてもこの老人、キビキビ歩く。 Κが黙ってしまったので、遙遠は追いつくよう小走りで続けた。 「以前の話の続きですが…もう少し楽しく生きてみてはどうかと思います。楽しみって割りと色んな所に転がってる物ですよ。この格好だって」 と、幼女化した自分を指して、 「遙遠にとってはある種の楽しみです。演じる事で……色々と得られる物も多いですし。 あ、そうそう、遙遠はΚさんみたいに様々な変身はできません。主にこれだけです」 それで、と、改めて遙遠は問う。 「貴方の楽しみは何ですか?」 「楽しみなどあるものか。自分は命令を受けてこなすだけだ。今の命令は裏切り者の捜索……だから貴様のことは見逃しておいてやる」 「そうですか……だったら、いつか遙遠はΚさんの楽しみを探してあげたいです。ところで演技のことを言うと、やはりその見た目でさっさと歩くと変ですよ。杖も持っているのに」 「……」 Κは足を止めた。 「嫌でなければまた、遙遠の普段の格好でもしてはどうですか、それならば、さっさと歩いても変じゃない。矛盾しないように、今日、遙遠はバイトが上がって帰宅するまで、この姿を解きません。いいですね」 老婆は黙って女性用トイレを見た。 「提案、受け入れてくれるんですね……なら、これあげます」 ハルカちゃんは巻いていたショールを解いて手渡した。 「こんなもの……」 「寒くなると重宝しますよ。どうぞ、発信器を仕込むなんて下衆なことは決してしていませんから」 「借りるだけだ。いつか返す」 「それでいいです。じゃあまた」 遙遠は手を振った。老婆は、またつかつか歩いてトイレに姿を消した。 「あ、そういえば、遙遠に変身するのであれば」 彼は気づいた。そうすると青年姿の遙遠(に化けたΚ)が女子トイレから出てくることになるわけだが……。 「ま、まあ中性的な容貌ということで許してもらえるでしょう……」 待っていたらΚも出ずらいだろう。 そろそろ仕事に戻るべく、遙遠は背を向けて小走りで店を目指した。