校長室
年の初めの『……』(カギカッコ)
リアクション公開中!
●音楽が終わったら ホテルのパーティ会場に夜が訪れている。 それを待っていたかのように、夢見るような音楽がフロアに流れはじめた。 食事はしばし休憩、ダンスの時間である。 「リンネさん。お手をどうぞ」 博季・アシュリングが手をさしのべる。 「でも、リンネちゃんダンス得意じゃなくって……」 尻込みするリンネだが、大丈夫、と博季は請け負った。 「私がしっかりリードします。信頼して下さい」 「じゃ、じゃあ任せちゃおうかな?」 おずおずとリンネは応じた。 「さあ」 と御神楽陽太が環菜を誘う。こうした場面は慣れたもの、環菜はそっと彼の手を握った。 ウィラル・ランカスターも社交ダンスには親しんでいる。 「私たちも行くとしましょう」 と、照れる雪住六花を巧みにいざない、二人でワルツのステップを踏む。 そんな中ザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)も、求めた相手をダンスパートナーとして誘い出すことに成功していた。 「大ババ様、もしかして少し酔われてます?」 そう、ザカコの相手はアーデルハイト・ワルプルギスなのだ。 「バカを言うでない。私がワインの一本や二本で……! とはいえ、ザカコの持参したワイン、あれはなかなかのものであったな」 ほう、とアーデルハイトは熱い息を吐き出した。ザカコが持参し、手ずから注いでくれたのは真っ赤なワイン――嘘か真実(まこと)か五千年熟成という超々年代ものだという。 「ははは、思い出してみるとほとんど全部私が一人で空けてしまったのう」 かく言うアーデルハイトの頬は紅い。良い酔い方をしているようである。 「じゃが、ザカコは呑まなくてよかったのか?」 「いいえ。今年もまだ忙しい日々が続くと思います、大ババ様をねぎらうための持参品でしたので私は不要なのです。楽しんでもらえただけで十分です」 くるりと二人はターンを決めた。リード役のザカコもさすがだが、アーデルハイトも巧みだ。年季が入っているだけあって、少々の酔いで足並みが乱れるようなことはないのである。 音楽がぐっとテンポを落とした。恋人たちのための曲調だ。ムーディに、いくらか官能的に盛り上げる。 いつしかザカコとアーデルハイトは、抱き合うようにして音楽に身を任せていた。 アーデルハイトの美しい首筋に、うっすらと汗がにじんでいるのをザカコは眼にした。ワルツとワイン、この両方がもたらしたものであろうか。幼く見える彼女ではあるが、はっと息を呑むほどに艶やかな光景だった。それを眺めるのが罪悪であるかのように、ザカコはそっと視線を外すと、 「アーデルさん」 彼女の耳に唇を寄せ、囁いたのだった。 「よろしければ少し席を外しませんか。さきほどのワイン、もう一本用意してあります。景色を眺めつつグラスを傾けるというのは?」 「悪くない話じゃな」アーデルハイトは紅い唇で笑みを作った。「ダンスで喉が渇いてしまった」 音楽が終わった。 二人は一礼してきっちりとワルツを締めくくると、新たに始まった音楽に送られるようにしてバルコニーに向かった。 強盗 ヘル(ごうとう・へる)はダンスに加わらず、離れた席でエリザベート・ワルプルギスとチーズをつまみつつ会話していた。今日の彼はスーツ姿。ポケットからは白いハンカチも覗いておりなかなかにダンディーである。 「……挨拶が遅くなってすまなかった。というわけで校長、今年も宜しく頼むぜ!」 と彼が言って校長の元を離れるのと、ザカコがアーデルハイトと共にバルコニーに消えるのは同時だった。しばらくヘルはそれに気づかず、 「さーて土産土産っと。マナー的にはアウトだが、孤児院のガキ共に食わせてやる分だから勘弁な!」 と、余りそうな料理を選んでタッパーにわしわしと詰めていたが、ようやくここで彼は、ザカコたちが踊りの輪から消えたことを知った。 「アーデルハイトもいないな。とするとザカコは……」 邪魔はしないぜ、ヘルはそう呟いてタッパー詰めに戻った。 彼の思うようにさせてやりたい。 ホテルの周辺を、一望できるバルコニーだった。 すでに陽は落ち、眩しいほどの夜景が広がっている。 手すりにもたれながら、ザカコとアーデルハイトはグラスを持ちあげた。瑠璃色の液体が揺れる。 「では、いただきます」 「元々ザカコの持ってきたワインじゃろうが。遠慮するでないぞ」 ザナドゥのことなど、最近のトピックを交換しつつ酌み交わす。 外に面する場所ゆえ寒いが、酒が入り火照った身ならばちょうどいいくらいだ。 「思えば、この一年で色々な事が動き始めましたね」ザカコは言った。「アーデルさんにとっても、色々な決着が付いて新しい時間が始まっていくと思います。自分も微力ながら、手伝わせてもらいます」 「頼むぞ」 アーデルハイトは小さくうなずく。先ほどよりザカコが自分を呼ぶ際、『大ババ様』ではなく『アーデルさん』と呼ぶようになっていることには、気づいているのかいないのか、いずれにせよそれを表に出すことはなかった。 少し、畏まって、それでも熱っぽく、ザカコは彼女に返答した。 「はい。自分にはルシファーの様な力はありませんが……貴女を笑顔にしたい気持ちなら誰にも負けません」 「……」 アーデルハイトはグラスを置いた。 その隣に、ザカコもグラスを置いた。 ザカコはアーデルハイトに向き直っている。はっきりと、述べた。 「自分はアーデルさんを愛しています」 そして彼は、彼女に息継ぐ間を与えず、さらに胸の内を明らかにしたのである。 「アーデルさんの『新しい時間』を共に歩ませてもらえませんか」 これがはじめてではない。一度、ザカコはアーデルハイトに自身の想いを告げたことがある。しかしそのときはあまりに多くのことがありすぎた。ゆえに回答は得られなかった。この日も、アーデルハイトはずっと彼とともにありながら、あえてそのことには触れぬままであった。ザカコもそれに合わせて良き共にとどまった……このときまで。 「お返事をお聞かせ下さい」 真剣な面持ちで、ザカコは口を閉ざした。審判を待つかのような表情だった。 「……逃げるわけでは、ないのじゃがな」 アーデルハイトは手酌でワインをつぐと、グラスを手で転がし、揺れる赤い波を見つめながら言った。 「そのような重要な求めに、即答できると思うのか? すまぬが、考える時間がほしい」 ぐっと呷ってワインを流し込み彼女は続けた。 「じゃが私にとっての時間は、ザカコ、お前の考える『時間』とは長さが違うかもしれんぞ。なにしろ生きてきた長さが違うゆえにな……それを待てぬ、というのであれば、私はお前に、あるいは。お前は私に、ふさわしい相手ではなかったということじゃろう」 空いたばかりの彼女のグラスに、再度ワインが満たされた。ザカコが注いだのだった。 「……わかりました。ならば今日はここまでにして友人同士に戻り、ともに残るワインを楽しみましょう」 「おいおい。酔わせても急にOKしたりはせんぞ」 と言いながらも、アーデルハイトはまた楽しそうに笑って唇にグラスを運ぶのだった。