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サラリーマン 金鋭峰

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サラリーマン 金鋭峰

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 ヤマバ土建――。
 現在、スタジアム建設を行っているのは、山場建設の子会社である。大石は、この子会社にリストラ社員を出向させ、スタジアムの未完成を口実にまもなく倒産させる予定だ。借金額も大きい。
 テロが起きなくても工事の進捗が芳しくないのも当然のことであった。
 金ちゃんは、スタジアムの建設現場に向かった。
 そこは、埼玉の再開発地区。ここにドーム状巨大スタジアムを作ろうという、官民上げての一大プロジェクトだ。どうやら、野球やサッカーだけでなく、多くのスポーツが楽しめるかなりの造りらしい。だが、金ちゃんが建設現場に着くと、昼間だというのに工事の音があまり響いていない。
 まだ半分ほどしかできていない不恰好なスタジアムは、ほとんどが放置されたままになっていた。造りかけたものの、破壊され雨ざらしになっている部分もある。テロリストに襲撃され、その後修繕も追いつかず、とりもなおさずできるところからやっていこうといったところだろうか。資材や工作機器も足りていないようだった。
 敷地内では、薄汚れた格好の労働者たちが思い思いに散らばっており、サボっている。暇つぶしにキャッチボールをしたり、焚き火をして昼間から酒を飲んだり、荒れ放題だ。とりあえず、タイムカードだけ押して日給はもらいうという腹積もりらしい。
「……」
 金ちゃんはそんな現場をつぶさに見て回った。覇気も活気も感じられないまま、現場を管理しているヤマバ土建の事務所の扉を開けた。そこは、事務所というよりも、建設現場の片隅に立てられた大きなプレハブ小屋といったほうが正確なほどのボロい建物であった。それが数棟並んでいるだけだ。
「お疲れ様です、団……、いえ金さん。お待ちしておりました」
 出迎えてくれたのは、この建設現場の庶務を勤めている董 蓮華(ただす・れんげ)であった。彼女は教導団の一員で、金ちゃんの顔を見るなり緊張して敬礼しそうになったが、すぐに申し訳なさそうに事務所内を見回す。がらんとしていて、ほとんど誰もいない。一人か二人、仕事も無くぼんやりと据わっているだけの状態だ。
「せっかく来ていただいたのに、ほとんど誰も働いていないんです……」
「話は聞いている。大石の私利私欲に使われている子会社らしいな」
「さすが団長。すでに調べてこられたのですね?」
「当たり前だ。敵を知らずして戦ってどうする」
「はっ、これは失礼いたしました。……、それから金……さん。これからこの現場でのあなたの補佐は、僭越ながら不詳この私、董蓮華がお引き受けいたします。小間使いのごとく何から何まで全てお申し付け下さい」
「その心意気感謝するが、ここはパラミタでも教導団内でもない。私は一介のサラリーマン、金ちゃんだ。構わないから気安く接したまえ」
「ありがたきお言葉……」
 かしこまりかけて、蓮華はハッと気づいてややうつむく。
「すいません。わかってはいるのですが、どうしても構えてしまって……」
 彼女にとって、金鋭峰という人物は雲の上の存在だ。決して手の届くことのないであろう、至高の崇拝対象。ただひたすら尽くすのみだ。
 その金ちゃんは、だらけた事務員たちに喝をいれるでもなかった。やる気のない者は相手にすらしないといった様子。特に気にすることもなく、事務所から出て行こうとする。
「さっそく現場を見て回る。誰もやらないなら、私がやるまでだ」
「あ、金……さん。作業着は用意はできてますので」
 蓮華はスーツ姿のままの金ちゃんを呼び止め、まっさらの作業着とヘルメットを渡す。
「……ほう、こういう衣装もたまにはいいものだな。軽くて機能的で動きやすい」
 スーツの上着を脱ぎ、代わりに濃紺の作業着を纏った金ちゃんは、その感触を楽しむようにしながら、自分の全身をぐるりと見回す。
「とてもよくお似合いです、金さん」
 蓮華は代わりに受け取った金ちゃんのスーツの上着をいそいそとロッカーにしまいこんだ。
「はい。ではご案内いたします」
 蓮華は停滞しきった現場の中、キビキビと動き始める。


 
「俺は小坂 巡(こざか めぐる:ザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる))だ、スタジアムの電気水道関連を担当している」
 金ちゃんが建設現場に向かうと、早速一癖もふた癖もありそうな職人が待ち構えていた。値踏みするように、上から下までじろじろ眺め回して、ふっと鼻で笑う。
「アンタがどんな経歴を持ってるかは知らないが、新人の指示で何とかなる程この現場は甘くない……せいぜい命を大事にする事だ」
「なに……?」
 金ちゃんが巡を睨み返すと、反対側から声がかかる。
「おい、小阪、そんなの構ってるなよ。どうせ三日ほどでやめちまうんだからな」
 傍で焚き火に当たりながらだらりとだらけているのは、小阪の下で働く労働者の東郷(とうごう:強盗 ヘル(ごうとう・へる))であった。顔を覆うマスクをつけた不気味な男だ。
「金ちゃんだか何だかしらねえが、俺達を動かしてえんならまず行動で示して貰うのが筋ってもんだぜ。ま、無理だろうがな……へっへっへ」
「そう言っていられるのも今のうちだ」
 金ちゃんは小阪をにらみつけたまま言う。
「君たちはすぐに働くことになるだろう」
「へぇ……、ま、頑張りな」
 そんな声に送られて、金ちゃんは次へと向かう。


「主任、山場建設の本社からまた新しい監督が来ましたけど、会ったほうがいいんじゃないですか?」
 このヤマバ土建の事務職OLとして派遣されてきていた遠野 歌菜(とおの・かな)は、金ちゃんの来訪を告げに経理課までやってきていた。経理課といっても、課員は主任とあと一人しかいないのだが。
「どうせまた、三日でやめるんでしょう……」
 対応したのは、この会社を維持管理するために大手派遣サービス会社から派遣されてきていたヤマバ土建の経理課主任のクレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)であった。
 クレアがパラミタから日本にやってきたとき、すでに前任の経理課員は全て嫌気がさして逃げてしまった後だった。帳簿を見たら逃げたくもなる。
 負債総額数十億円。それがヤマバ土建の実態だ。大石が裏金を作るために負わせた借金。もうスタジアムを完成させる以外には、完済の方法はないだろう。
 クレアの派遣社員としての仕事はたった一つ。スタジアムが完成するまでこのヤマバ土建を延命すること。しかもリストラなしで。
「頭痛いですわ。怠けている連中にまで日給を払わないといけないなんて」
 雇っている以上、労働法により最低賃金は保証される。何とか銀行から借りてこられたらしいいくらかの現金はあるが、それもそろそろ底を尽きるだろう。
 自給6000円。定時勤務でも一ヶ月で100万円を超えるまずまずの報酬だ。会計士の資格を持つ彼女の腕の見せ所である。
「今さら人員などよこさないでほしいですね。どうせまたすぐに逃げるんですから、日給分無駄です」
 クレアはため息をつく。
 もらった給料分はしっかり働く。雇い主に決して損はさせない仕事ぶりだ。が、それ以外の仕事はしないし関わらない、関わりたくも無い。それが彼女のモットーである。
「では、適当にあしらっておきますね」
 歌菜が一通りの業務報告を終えて部屋から出ようとしたときだった。
「そうはいかぬ。挨拶くらいはしておかないとな」
 あろうことか、金ちゃんなる目つきの鋭い男は強引にこの部屋に入ってきたではないか。
「私は本社の庶務課から来た金鋭峰だ。これからこの現場の指揮を取らせてもらう」
「そう、ご苦労様。事務所に机もロッカーも用意してあるから、好きなところに座ってくれていいですよ」
 クレアは金ちゃんには全く興味なさそうに、帳簿に目を通しながら一応しぶしぶ返事だけはしておく。
「怠けている作業員が多いが、なぜ働かせない?」
「対応はしています。ただ、それは監督の仕事です。私は、警告を無視した労働者の日給を最低賃金以外はカットするだけですから」
「冷酷だな。君は、作業員たちと向き合ったことすらないだろう」
「ええ、私の業務には関係ありません。それは労務課の仕事です」
「まあいい……では私は一ヵ月後によい結果を報告できるように励むとしよう。期待していただいて構わない」
「ええ、せいぜい期待しています。スタジアムが完成しさえすれば、万事解決ですので」
 とクレア。
「それから、もう経理課に勝手に入ってこないでください。今度来たら警備員呼びますよ」
「なるほど。承知した」
 金ちゃんは、意外と素直に頷いて部屋から出て行った。
 やれやれ、とクレアは肩をすくめる。これまた面倒くさそうな男がやってきたものだ。


「本日付でこの現場の監督に赴任になった、金鋭峰だ」
「帰んな」
 ここは事務所とは離れた、現場作業員たちが詰め掛ける詰め所。顔を見せに現れた金ちゃんを待ち構えていたのは、十人ほどの屈強な男たちだった。筋肉を見せびらかしながら威嚇してくる。
「君たちはなぜ働かない……?」
 金ちゃんのセリフに、部屋の一番奥で座っていた男が、くわえタバコで振り向いた。頑固な職人の顔だ。荒垣 正信(あらがき まさのぶ:エッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす))、58歳、職歴40年以上。テロの起こった現場に残った、現場作業員達の元締めだった。離れていてもその鍛え上げられた肉体ははっきりとわかる。現場でつけた鋼鉄の筋肉だった。金ちゃんにも負けない鋭い眼光は知性も宿しており、一目で只者ではないのが見て取れる。その彼が、低くはっきりと通る声で言った。
「何か勘違いしてないか? 働くか働かないかは現場が決めることだ」
「言いたいことはあるだろうが、ばらばらにあちらこちらから手をつけてもまとまらなくなるだけだ。まずは管理を一元化する」
「……」
 金ちゃんの言葉など興味がないように、正信はまた背中を向けた。
「おい」
 さすがに少しカチンときた金ちゃんが正信に近寄っていく……前に、屈強な男たちが立ちはだかった。痛めつけてやろうとポキポキ指を鳴らす。
「やめねぇか!」
 正信が言う。
「その拳は人を殴るためのもんじゃねえ。造り、建て、興すための拳だろうが。しまっておけ」
 その声は、屈強な大男たちすら押しとどめるものだった。正信はもう一度言う。
「とにかく帰んな、金ちゃんとやら。結局、血反吐を吐いてのた打ち回るのは、現場だ。それがわかってからもう一度来な」
「待遇が不満なのか?」
 金ちゃんが聞くと、正信はふん、と鼻で笑った。
「不満なもんかね。現場一筋40年以上。今の会長さんがこの会社を興したときからお供して、いい仕事させてもらってるぜ。それで満足だ」
「なら、何が気に食わない」
「何が気に食わない、だと……? 小僧、てめえ本当に現場監督か!?」
 正信は激昂したように立ち上がり近寄ってきた。
「テロが起こるかもしれない現場で作業員達を働かせて、何とも思わねえってんなら、てめえ、監督以前に人間失格じゃねえのか!? あのテロで何人怪我したか知ってるか? 今度は現場の人間に死ねと命令するのか?」
「……」
 金ちゃんは、正信の勢いとあまりの正論に口をつぐんだ。
「金ちゃんとやら、てめえ、どれほどのお偉いさんかは知らねえが、現場の厳しさってやつを知らねえだろ。椅子に座って命令を下していれば、人は勝手に動くと思ってやがるようだ」
「私は部下をおろそかにしたことは一度たりとも無い。常に彼らの事を考えながら指揮を執っている」
 金ちゃんは少しむっとしたようだった。
「それが頭でっかちだっていってんだよ。人間は計算で動くもんじゃねえ」
 正信の人間としての円熟の前には金ちゃんとて若造なのかもしれなかった。
「俺たち現場の人間は、国をどうこうする力は無ぇし、時代の流れを決めることもできねぇ。だが……それでも、【だれか】にとっちゃぁ何よりも重い命かもしれねぇんだぜ?」
「……」
 金ちゃんはしばらく黙って正信を見つめていたが、ややあって身を翻す。
「またくる」
 そう言うと、彼は詰め所から出て行った。
「あの男は鋼鉄だ。権威や力づくなどでは絶対に動かない」
 金ちゃんは正信の本質を見抜き、しばらく間をおくことにしたらしい。
「……」
 正信は、そんな彼をじっと見詰めていた。