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幻夢の都(第1回/全2回)

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幻夢の都(第1回/全2回)

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第2章 黄金都市の霧 3

「ねぇ切ちゃん、アスターを見に行きたいわ」
 始まりはそんな言葉からだった。
 好奇心旺盛な魔女の娘であるルーン・サークリット(るーん・さーくりっと)がそんなことを言い出したから、七刀 切(しちとう・きり)は首根っこを引きずられるまま、噂の〈黄金の都〉に足を踏み入れることになった。
 ルーンは知識を神のごとく崇拝している魔女である。アスターもその興味の対象の一つで、危険意識よりもはるかに知識欲が勝ることになる。アスターの生態から技、力の原理の一片まで、ルーンは知りたくて堪らないのだった。
 そしていま、切とルーンはアスターを目の前にしている。
 黄金都市に足を踏み入れてしばらく歩き回った末の出来事だった。辺りを霧が立ち込み始めたと思うや、ふいに竜の影が姿を現したのだ。竜は律儀にもアスターの名を名乗り、切は唖然とした。
 が、ルーンは驚くよりも幸運を喜ぶほうが先だった。アスターにいくつかの質問を投げかけて、知りたいことを知っていく。その質問は難解かつ知己に富んでおり、切の理解の範疇を越えていた。早く終わることを願いつつ、それを見守るやしばし、ルーンはアスターにお礼を言って、ふいに――雷術の魔法を叩き込んだのだった。
「なにをしてくさってますのっ!?」
 切が愕然と驚くや、
「それじゃ頑張ってね、切ちゃん」
 ルーンはそう言い残して、自分だけそそくさとその場を脱した。
 無論、アスターの怒りを買ったのは言うまでもない。その怒りの矛先は切に向けられていた。
「は、嵌められたぁー!」
 切は嘆きつつ、アスターの攻撃から身をかわした。
 獰猛な牙を剥き出しにした巨大な竜は、鋭い爪で切を引き裂こうとする。その姿は黒い鱗に覆われていることが分かるが、果たして、それが本物かどうかは判断が困るところだった。
 相手は夢や幻の力を操ると言われている邪竜だ。目の前のこれに実体がないとも考えられる。
 切は愛用の大太刀を構え、精神を集中させた。
「斬れないなんて思うな。これは斬れる。ワイは斬る。これは斬れる。ワイは斬る」
 乳白金の髪の下で漆黒の瞳が研ぎ澄まされていく。精神は一つの事象に形を変えていく。『斬れる』――そのことを信じることが、剣技において最も大切なことだった。
「これは斬れる! ワイは斬る!」
 大太刀を振り上げて、刃をアスターの頭上からたたき落とした。
 七刃流剣技と呼ばれる独自の剣技である。刃は輝く闘気のオーラを纏い、そのパワーとスピードを最大限に引き出す。アスターの身体は真っ二つに割れて、二つの半身はずぅんと大地に沈んだ。
 終わったか。そう思った矢先のことだった。
 ふいに霧が歪みだし、切の前で二つになったはずのアスターの身体が霞み始めた。アスターの半身は霧に紛れるようにして消える。切はそれを呆気に取られて見ていた。
「どうやら幻だったみたいねぇ」
 ルーンが残念そうに言いながら切のもとに戻ってきた。それまで安全圏にいたようである。
 切はようやく事の成り行きを納得し、
「……まだ、甘ぇかぁ」
 つぶやきながら、剣を大地に突き立てた。



 樹月 刀真(きづき・とうま)らが邪竜アスターと対峙したのは、〈黄金の都〉に足を踏み入れてからしばらくしてのことだった。街の様子を散策して回っていたとき、突然、霧が辺りに立ちこめ始めたのだ。すると慌てるや、邪竜アスターのその姿を現していた。
 突然のことに刀真たちは唖然としたが、すぐに体勢を整えてアスターとの戦いに身を投じた。もともとそれが目的だったのだ。今更慌てる理由などない。
 アスターは強靱な鱗で刀真らの刃を受け止め、獰猛な牙を剥き出しにし、鋭い爪で襲いかかってきた。同時に、竜の息を吐き出し、刀真たちを圧倒する。
 その戦闘模様は明らかに実体のある存在のそれだったが、刀真は慎重に事を構えた。敵は夢や幻の力を操ると言われている竜である。どれが幻でどれが本物か、じっくりと見極めなければならない。
 そう考えた刀真がアスターと刃を交えていたとき、ふいに、敵の攻撃を避けきれずに漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)たちが竜の激しい息吹をまともに受けてしまった。
 月夜たちの脳裏にそれまでとはまるで違う光景が去来したのはその時だった。
 玉藻 前(たまもの・まえ)封印の巫女 白花(ふういんのみこ・びゃっか)。二人の仲間がやられてしまった、と思うや、刀真と二人きりの部屋に月夜はいた。
 玉藻と、そして白花も同様だった。
 いつの間にか、三人の娘は刀真と二人きりの空間にいたのだ。
「刀真……?」
 呆然とつぶやくと、刀真はふいに穏やかな微笑を浮かべた。
 それはこれまでの刀真が見せたことのない優しい笑みだった。怜悧で淡々とした戦場に生きる者特有の鋭い目とは違う、柔和な微笑み。いつもは見え隠れするだけのその刀真の優しさが、その部屋では表立って現れていた。
 刀真はゆっくり近づいてくると、娘の身体をぎゅっと抱きしめた。
「と、刀真っ……」
 突然のことに慌てる娘だったが、刀真の手はより強い力を込めてくる。
 刀真がこんなことをするはずないとどこかで分かっていても、これはこれで幸せではないかと、見知らぬ自分が自分に囁いた。そう、幸せなのだ。ずっと欲しかったただ一つの愛を、ただ一つの優しさを自分が手に入れた。そのことが娘の心を陶酔させてゆく。
 私を好きにして欲しい。
 囁くと、刀真は音もなくうなずいて、娘の身体へと手を伸ばし――
「やめろ!」
 途端、刀真の激しい声が放たれるや、三人の娘がいた空間はひび割れて粉々に砕け散った。
「刀真……?」
「刀真さん……?」
 三人の娘はいまだに現実と幻がごっちゃになっていて、放心したような様子で刀真を見つめていた。
 刀真はその瞳に憎悪の炎をやどしながら、アスターに振り返った。
「――覚悟は、いいな」
 例え幻であったとしても、三人を弄んだ罪は償わせるつもりだった。
 ワイヤークローがアスターの身体を掴み取り、刀真の身体を引き上げた。相手の顔近くまで跳躍した刀真は、右の白の剣を振り上げた。
「これで、終わりだ!」
 三つの剣線が一度に襲いかかり、アスターの身体を引き裂く。
 大地にくずおれたアスターに続いて、刀真は地に降り立った。すると、周囲の霧が徐々にかすんで消えていった。
 その様子に目を奪われてると、気づいたとき、
「……消えた……?」
 倒したはずのアスターの亡骸は跡形もなく消え去っていた。
 あれすらも幻だったというのか。しかし、確かに実体があった感触はあったというのに。
 アスターの身を斬り裂いたはずの白の剣を見つめながら、刀真は考え込む。
「刀真さん、大丈夫ですか?」
 ふいに、心配そうに白花が声をかけた。三人の娘はようやく現実感を取り戻したらしく、元の様子に戻っていた。三人が一様に不安げな目で刀真を見ている。
「……大丈夫だ。とにかく、アスターは逃がしただけかもしれない。他の場所も調べてみよう」
 刀真は言って、剣を腰の鞘に戻した。
 あの霧がもしやアスターの力に関わっているのか。
 霧の竜――ミストドラゴンのことを思い起こしながら、刀真はまだ油断は出来そうにないと思った。