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幻夢の都(第1回/全2回)

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幻夢の都(第1回/全2回)

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第3章 黄金都市の囚われ人 1

 琳 鳳明(りん・ほうめい)の見ていた夢は、誰からも愛されぬ夢だった。
 片思いの相手からずっと振られ続けるという苛酷かつ熾烈な夢だ。もはやそれは愛の地獄に近い。振られても、振られても、時間は巻き戻って、なぜか相手と二人きりの部屋となる。すると鳳明はまたもや告白をし、あっけなく振られるのだ。
 そんな夢をずっと見ていた。もはやそれが夢なのか幻なのか現実なのか。自分が居る場所がどこなのかすら分からなくなってくる。延々と続く夢の渦中にあって――。
 鳳明はふいに、鋭い痛みを感じた。

「――ぶっ!」
 ガツン、と脳天を鈍器で殴られたような痛みが走って、鳳明は目を覚ました。
「いったぁあぁっ! な、何するのさヒラニィちゃん!?」
 後ろを振り返った鳳明を、南部 ヒラニィ(なんぶ・ひらにぃ)がじっと見下ろしていた。右手で拳を作っており、残念そうに、
「なんじゃ、起きたのか。つまらんの」
「つまらんって何っ!? 何するつもりだったのさっ!」
 ズキズキと頭が痛むのはヒラニィのせいか。鳳明はそう察するが、ヒラニィは悪びれる様子もなく、
「おぬしが勝手に夢に囚われるから、わしが目を覚まさせてやったのだろう。ありがたく思え」
「ゆ、夢っ……? そんなの、見てたの?」
「もう、夢遊病患者そのものだったぞ。霧が出てきたと思ったら、ふらふら〜っとどこぞへ行きおって。ほれ、見てみい。おぬし以外にも、こんなに町の連中が集まっとる」
 ヒラニィは言って、後ろに手を広げた。
 そこにはたくさんの町の人々がいた。鳳明たちが休憩がてらに滞在した町の人々である。しかも、いま自分がいるのが見知らぬ町であることを鳳明は知った。それからはヒラニィから説明を受ける。
 どうやら町全体が霧に誘われるのに巻き込まれ、鳳明もこの〈黄金の都〉に来てしまったようだった。噂には聞いていた夢と幻の都のことだ。邪竜アスターと呼ばれる存在が、鳳明たちを餌にするためにここまで誘い込んだということだった。
「じゃ、どうしてヒラニィちゃんは幻を見なかったのさ」
「あ? わしがこの程度の術にかかるかよ。わし自身、土地そのものが見る夢のようなモンだからな」
 ヒラニィは憮然としながら言った。
 忘れるところだったが、ヒラニィはヒラニプラ南の地祇なのだ。
「わしが守護する土地で好き勝手しおってからに。許せるものかよ」
「ヒラニィちゃんにも地祇としての自覚があったのね」
「なにをぉっ! わしはいつだってヒラニプラ南の土地を愛しておるわ!」
 反論するや、ヒラニィは首を振った。
「ともかく、こんな場所で夢だ幻だに囚われている場合ではない! 鳳明、おぬしの出番だ!」
「わ、私の?」
 鳳明は呆気に取られて、自分を指さした。
「おうとも! 手始めにお主が一曲即興で唄って、こいつらの目を覚ましてやるのだ! 邪竜だかの栄養をわしらがかっさらってやろう!」
「わしらって言ってるけど、それって私一人がやることだよね……」
「えーいっ! いいからさっさとするのだ!」
「も、もう、わかったよぉ……」
 癇癪を起こすヒラニィに急かされて、鳳明は仕方なく立ち上がった。
 歌えとは言ったが、果たして、道具も何もない。マイクもなければ歌詞もなく、本当に即興で、しかも自分の喉のみでやれとヒラニィは言っていた。無茶な注文だが、鳳明はやるだけやってみるしかないと覚悟を決めた。
 すっと鳳明が息を吸って、ぴたっと空気が動きを止めるや、静かに、緩やかに歌声が紡がれた。即興ながらも魔法の力を帯びた歌声は、町人たちの心を少しずつ揺さぶる。それまで虚ろな目でふらふらとそこら辺を歩き回っていた町人たちは、鳳明を見て、ゆっくりと彼女のもとに集まってきた。
 ふいに、一人、二人と、町人たちの目に生気の光が戻ってくる。
「お、俺達は一体……」
「ここは……?」
 口々に戸惑いの言葉を発しながら、町人たちは、まるで歌姫でも見るような目で、瓦礫の上の鳳明を見上げた。徐々に意識を取り戻す町人たちを見ていると、全て元通りになるのも時間の問題に見えた。
「自分で言っといてなんだが……まさかここまで上手くいくとはの」
 無責任な言葉をこぼしつつ、ヒラニィは感心して、うんうん、とうなずいた。



 気づけば、富永 佐那(とみなが・さな)は〈黄金の都〉にいた。
 邪竜アスターの噂を聞き、一足早くに情報収集を兼ねて町に滞在していたはず。それが佐那の覚えている最後の記憶だった。そして目覚めたときには黄金都市のある部屋にいたのだ。
 そこには他にも町の住人が数多くいた。だが、その多くは夢や幻に捕らわれてしまっていて、虚ろな目で辺りをふらふらと歩くだけの存在になっていた。いくら呼びかけても、彼らの心に声を届かせることは出来ない。佐那は自分の力の限界を感じ、エレナ・リューリク(えれな・りゅーりく)に人々の意識を取り戻すことを託した。
 鮮やかな緑の髪に、白皙の透き通るような肌。聖女を思わせる英霊の娘は魔法に満ちた歌を歌うことが出来る。佐那が頼むとエレナはそれを快く受け止め、代わりに佐那は町人たちとともに脱出するためのルートを探すことにした。
「頼みましたよ、エレナ」
「はい、分かりました。そちらもお気を付けて」
 力強くうなずいたエレナからの激励を受けて、佐那は町へと繰り出した。
 その間、エレナは町の人々に語りかけた。
「皆さん、どうかわたくしの話をお聞き下さい」
 それは歌のようであって、神が謳うお告げのようでもあった。
「皆さま。今、皆様の心の中に芽生えた嫌悪感、恐怖感こそ正常な心の反応です。何かを為した事の対価でもないこの無分別、無秩序な富も幸福もない黄金に、何の意味がありましょうか? 紛い物の幸福に、魅せられてはなりません。皆さまが還るべき場所は、此処ではなく、あちらの筈です。違いますか?」
 エレナは部屋の出口を指し示しながら、言った。
 滔々と、説法のごとく語られた言葉に、果たして民衆の目は、動き始めていた。
 それはエレナの言葉が心に直接働きかけたこともあったが、その言霊にやどる魔法が、彼らの心を絡め取る精神魔法を少しずつ浄化したためだった。
 虚ろな瞳に光を取り戻した町人たちは、口々に戸惑いを発す。
「どうして、俺達はこんなところに――」
「ここは一体――」
 ふいに、エレナは町人たちに告げた。
「皆さまが還ると仰せならば、どうかわたくしに付いて来て下さい」
 そのとき、町人たちにはエレナが神託を与える女神に見えたかもしれない。
 彼らはエレナが出口に向かうのを見て、づらづらとその背中を追いかけていった。
 ふいに、空から影が降ってきた。
「エレナ、無事だったんですね」
 風を巻き上げて、箒に腰を掛ける佐那が地へと降り立った。
 町を散策し、脱出への道のりを確保してくれたらしい。途中で、金髪の獣人やその他の、町の人々を救出しようと集まった契約者たちとも合流したようだ。エレナは話を聞いて、町の人々に、早くここから脱出して、元の町に戻ることを勇気づけた。



「良い夢をご覧になって要る所申し訳無いですけれど、さっさと起きてやがって下さい寝坊助頭」
 言いながら、雨宮 七日(あめみや・なのか)は幻覚に囚われている町人に、更なる精神魔法を覆い被せた。『アボミネーション』と『その身を蝕む妄執』という、二つの幻夢が町人に悪夢を見せつける。
 それが一体どんな悪夢なのかは分からぬが、あぐぐと喉をかきむしるように苦しむ町人は、しばらく地面に倒れ、あえぎ続けて、ふいにがばっと起き上がった。汗でびっしょりになったこの世のものとは思えない顔だ。だが、瞳は光を取り戻していて、どうやら意識は戻っているらしい。
 七日はにっこり笑って、
「良い夢は見られましたか」
 町人はその笑みを見て凍りついていた。
 そんな様子を、ぞろぞろと列を作って流れゆく町人の傍にいる日比谷 皐月(ひびや・さつき)は眠そうな目で眺めやっていた。
 町人を幻夢から解放するのは七日の役目で、皐月は脱出のために動く町人の護衛をしていた。幸いにも他の契約者たちと合流したので、彼らを導くのはその契約者たちに任せている。皐月は護衛だけに専念することが出来た。
 それにしても、七日は人々を解放する良い方法があると自慢げに言っていたが、結果的にトラウマになりはしないだろうか。皐月はぶん殴るぐらいしか方法を知らないため、七日に任せるしかないのだが、ある意味では、人々にとっては「ぶん殴る」という方法のほうがありがたいのかもしれない、と思った。
 今さら、言ったところで、どうこうなる話じゃないのだが。
 それにしても、と皐月は空を仰いだ。邪竜アスターの姿が見えないのが不安であった。アスターは黄金都市に捕らえた人々からエネルギーを得て、それを自分の力にすると言われている。となれば、町の人々がこの都市から脱出したら、必然的にアスターの力は衰弱すると皐月は考えていたが、当のアスターが見えぬのであれば、それも本当かどうか分からない。
「皐月さん、大丈夫ですか?」
 ふいに、完全に意識を取り戻した町の男性に話しかけられて、皐月は物思いから引き戻された。
「ああ、大丈夫だよ。ちょっと考えごとしてただけだ」
 皐月が言うと、その男性は安堵した笑みを浮かべ、列へと戻っていった。彼らにしてみれば皐月は自分達を助けに来てくれた恩人の一人だった。皐月は少し、むずがゆい思いを抱く。
 静かに歩き出した皐月に反応して、浮遊する棺が、その後を追った。