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リアクション
第2章 集落 1
ここは、どこだ――。
「レンさんっ、気がついたんですかっ!」
気がつくと、レン・オズワルド(れん・おずわるど)は仰向けになって寝かされていた。聞こえたのは、ノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)の声だった。ノアは泣きそうな顔で、レンをのぞき込んでいる。
「ノア……」
「良かったあぁ……ずっと起きないから、死んだかと思ってたんですよぉ……」
「……悪かった。それにしても、ここは……」
黄金都市にいたことはぼんやりとだが覚えている。だが、それから一体、何が起こったのか。レンには皆目見当もつかなかった。
「お目覚めか」
ふいに声が聞こえ、部屋の入り口から老人が姿を現した。
皺だらけの顔に白髭をたくわえた老人だった。見た目だけでもすでに老獪に域に達しており、人間で言えば百歳に近いかもしれないと思わせる。頭部には狼の耳。背後からは尾が垂れている。老人が狼の獣人であることは間違いなかった。
「あなたは……」
「私の名はカーヴ。カーヴ・クオルヴェル。このクオルヴェルの集落の長をやっておる」
老人はそう言って自分の身分を名乗り、それからレンにこれまでの経緯を話し始めた。
カーヴが傷ついたレンとノアを見つけたのは昨日の事だった。それからレンはカーヴの家に運び込まれ、ノアがその看病に必死に努めたという。
レンは、その経緯も驚きだったが、何より、ここがクオルヴェルの集落であり、カーヴと名乗るこの老人が、亡きゼノ・クオルヴェルの父であるという事実に驚いた。
「どうやらここは、ガウルさんが魔獣ガオルヴになったばかりの時代みたいなんです。これも、邪竜アスターの幻術なんじゃないかと……」
ノアが付け加えるように言う。
「そうか……」
レンはうなずき、ひとまずは状況を察した。
だが問題は、これからどうするかだ。思考に耽り始めたレンを見て、カーヴが静かに、
「わしがお主達をここに運び込んだのは、何か因果めいた力を感じてのことじゃった」
滔々と語り始めた。
「因果めいた力……?」
「うむ……。すでにわしはこの集落を治めるほどの気力はなく、引退した身であるが、誇り高き狼の血だけは消えておらぬ。その、狼の血が騒いでおるのじゃ。お主らこそが、この歪み始めたものを元に戻すことが出来る存在かもしれぬ、と……」
カーヴの語る言葉は、まるで脈絡のないものであった。
だが、レンは思う。この老人は、この世界が幻に過ぎないことに気づいているのではないか、と。自分達の世界が虚構と偽りに満ちた中にあるのではないか、と。だからこそ、レン達を異質なものとして感じるのかもしれない。その、狼の本能が。
「この部屋は好きなだけ使ってくれて構わぬ。後は、自由にするが良い」
「ありがとうございます、長。何から何まで……」
「構わぬよ。獣は所詮、獣だが……正しきは何であるか、判断出来ねば、それは単なる魔物に過ぎぬのだからの」
カーヴはそう言い残すと、部屋を去って行った。
それを見届けて、レンはさっそく起き上がり始めた。足を床に投げ出す。だが、包帯を巻かれた横腹がずきりと痛み、苦悶の声をあげた。
「レンさんっ……まだ寝てないと駄目です……っ」
慌ててノアがその身体を抱く。だが、レンは、
「そうも言ってられん。ガウルが……あいつが、待ってるんだ」
痛む身体にむち打って、立ち上がりながら言った。
「俺はあいつの仲間だ……。だから、あいつを、救ってやらなくちゃならない……。それが、俺に出来る唯一のことなんだからな」
レンの赤い瞳が力強い意思を宿していた。サングラスに覆われていない今は、魔力がはっきりと漏れ出している。だがノアは、すでにレンを止められないと分かっていた。せめて、自分に出来ることは――
「……分かりました」
ノアはレンの身体から手を離して、きゅっと直立した。
「私も行きます。レンさんが行く所には、どこまでも。無茶だけは、させられないですからね」
笑顔のノアに言われ、レンは、
「まったく、しょうがない奴だ」
自分と似ているとどこかで思いながら、苦笑した。
戦士の身を引退して早半年が経とうとしていた。集落では何やら騒ぎが起こっているらしいが、一度は引いた身。向こうから助けを呼ばれない限りは、手を出す必要はないと、自分を律していた。
そんな時、ファランの前に現れたのは二人の少年だった。
一人は獣人。そしてもう一人は、獣人らしい犬の耳と尻尾を生やした――人間。獣の血を感じさせないことからそう判断したが、果たして、どうして人間が耳と尻尾を生やしているかはファランには分からなかった。
だが、どこかで、それ以上に二人の少年が自分の想像を越えた存在であることを、ファランは不思議と感じ取っていた。狼の血が成せるものかもしれなかった。
人間の名は清泉 北都(いずみ・ほくと)。そして黒き獣人の名は白銀 昶(しろがね・あきら)といった。ファランはその獣人の少年を見た時、白い耳と尾をしている自分とはまるで正反対だな、と思った。そしてなぜか、その少年が懐かしむような目を自分に向けていることも。
昶は、集落から外れた場所にあったファランの家をわざわざ訪ねた理由を、滔々と語り始めた。
にわかには信じられない話だった。この世界は幻かもしれないということ。そしてこの世界は彼らにとって過去かもしれないということ。そしてファランは未来では既に亡くなり、集落に伝わる『狼の試練』に魂が残されているということ。
昶はファランと一度、その試練で出会っている事を語った。自分に懐かしい視線を向けてきたのはそのためだったのかと、ファランは納得した。
「信じては、もらえないか……?」
昶が逡巡しながら言う。ファランはしばらく思案げに宙を見て、
「……難しいな」
答えるのを躊躇うように言った。昶の顔に落胆が浮かんだ。
「だが……」
それをぬぐい去るように、ファランが続けざまに口を開いた。
「真っ向から否定する気も、ないがな」
「……なら……っ」
「この世界が幻かどうかなど、俺には分からん。もしもお前達の言う事が本当であれば、ここでこうしてお前達と相対している自分自身が幻……そして、いまここで俺が判断していると思っている思考そのものが、幻なのかもしれんのだからな」
ファランは平静な態度で告げてから、湯飲みに手を伸ばした。純和風の居合い部屋になっている場所で、昶達とファランは向き合っている。
ずずっとお茶を飲んで、ファランはちらりと北都を見た。その視線に気づいた北都が、きょとんとするのへ、
「しかし、お前達を見ている限りは……嘘をついているように見えん」
そのように告げた。
「幻か本物か。もしも自分に判断がつかぬならば、狼の本能を信じると良い」
「本能を……?」
「ああ。お前ならきっと分かるはずだ。血に支配されるな。だが、血に従え。そうすることが、道を切り開く鍵となる」
「血に支配されるな。だが、血に従え……」
昶が繰り返すように口にした。
「血は教えてくれるさ。信じるものが何であるかをな」
ファランが静かに言ったそのときだった。ふいに、森のほうから狼の遠吠えが聞こえてきた。ぞわっと、昶の耳や尻尾の毛が逆立った。
「――呼んでるぞ、仲間が」
「……ああっ……。行こう、北都っ」
「う、うん……。ちょ、ちょっと待って」
のんびりとお茶を飲んでいた北都は、慌ててごくっとそれを飲み干して、昶を追った。退室しかかったとき、去り際に昶はファランへと振り返った。
「ありがとう、ファラン。……また会おうぜ」
昶はそう言い残し、部屋を出て行った。ファランは背中越しに手を振った。
二人が出ていって、そっと立ち上がる。壁に立てかけてあった刀を手にして、ファランは静かに瞑想し――刹那、刃を抜き放った。刃は宙を切り、そこにあった風を叩き切った。
「…………聞いておけば良かったな。俺は負けたのか、どうか」
『狼の試練』に魂が眠るようになったという話を思い出し、ファランはぼそっと呟いた。
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