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第三章 移ろいゆくとき 4

 高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)はロンウェル以外の魔族の街は初めてだった。
 こんなにも、違うものなのか。そう、素直に驚いた。街の構造が違うこともあるが、住民たちの気質も違う。ロンウェルもどちらかと言えば人間に友好的な魔族が多く、街は人間の街に最も近い造りをしていたが――なんというか、アムトーシスの魔族たちは“魔族らしさ”というものに満ちている気がした。もちろん人間や他の種族に対してこれといった敵意は抱いていないが、それはそれとして、アムトーシスは魔族の都として息づいているのである。
 玄秀はそんな違いに驚きながら、アムトーシスの街中を散策した。案内役は、式神 広目天王(しきがみ・こうもくてんおう)だ。ただ玄秀は、広目天王が相手ということもあってか、あまり面白そうな顔はしていなかった。いや、ここのところはずっとかもしれない。ティアン・メイ(てぃあん・めい)を追い出したときから、ずっと――。
 浮かない顔をしている玄秀に気づいて、広目天王が言った。
「どうなされました。あまり心躍らぬご様子ですが」
「……そんな事はない。芸術とやらにはさして興味がないだけだ」
「やはり、側にいるのが我ではつまりませぬかな?」
 広目天王の一言に、玄秀はキッと鋭い視線を向けた。
「一体何が言いたいんだ?」
「何も。ただ、わざわざ篭絡させていた手駒を手放す必要はないかと存じますが」
「僕は自分を裏切った奴は許せないだけだ。……側に置いていたって、信用できない。また裏切られる位ならその前に切り捨てる。それだけの話じゃないか」
「左様でございますか」
 広目天王は平然とした顔で受け答えた。まるで朝食をご用意しようかというぐらいの、普段とまったく変わらぬ声音だ。それが、余計に勘に障る。こいつも僕を馬鹿にしているのか?
「もういい! さがれ……っ」
「……はっ」
 主の想像以上の変化に、わずかな動揺を見せたが、広目天王は素直に玄秀の傍を離れた。
 一人になった玄秀は人通りの少ない路地で立ち尽くした。なにがこんなに心をざわつかせる。なにがこんなに腹立たしいのか。裏切りは大罪だ。許されるわけがない。僕は信じていたのに。信じていたのに……。
 ふいに、玄秀はその淀みに気づいて、つぶやいた。
「……そうか、僕は寂しいのか……」
 消え入りそうなほどか細い声は、誰にも聞こえることがなかった。「らしくないな……」と囁いた玄秀は、そのままふらふらと、誰にも見られることのない場所に行くように歩きだした。


 フィーグムンド・フォルネウス(ふぃーぐむんど・ふぉるねうす)はアムドゥスキアスを誘い出した。
 ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)はいない。彼女は今回は自宅で留守番をしているのだ。アムトーシスにやってきたのは、フィーグムンド一人である。フィーグムンドは、水路を眺める街の通りでアムドゥスキアスと二人になると、すこしずつ、ぽつぽつと口を開き始めた。
「なあ、アム。悪魔にも心はあると思うか?」
「心?」
「ああ。悪魔に、心があるのか――それは私にはわからない。だが、例え悪魔の定義に“想い”は無くとも“感じ入る”事はある。私が、お前の芸術を見る時の様に、だ」
 フィーグムンドの口は重かった。アムドゥスキアスはじっと耳を傾けてくれている。胸に手をやって、勇気を振り絞る。フィーグムンドは続けた。
「不思議と、お前の作品を見ている時、創作活動に打ち込んでいる時、いつも私の感情には波紋が生じ、それが次第に細波となって打ち寄せては、引いて行った。そして気付くと、お前の姿を無意識の内に探していた気がする――自分の中に悪魔らしからぬ違和感が全く無かったと言えば嘘になる。だが、悪魔にそうした感情が存在する事に対する違和感の方が勝っていたのもまた事実だった」
 フィーグムンドはそして、懐から一枚の絵を見せた。
 それは、キャンバスに向かって己が世界を描くアムドゥスキアスの絵だった。
「今だからこそ――私はその違和感と向き合い、忠実になれる気がする。この感じたままの気持ちを、今は何よりも大事にしたいと思える様になったのさ」
 フィーグムンドの声に熱が帯びてきた。いま、伝えるべきことを伝えないと、後悔する。そんな気持ちが、背中を押した。
「アム。時間というキャンバスに、私はアムと一緒に筆を入れたい。あの頃、出来なかった事――アムの隣に居させて欲しい」
 ちゃぷん、と水音が鳴った。水路を渡るゴンドラの櫂の音だった。
 アムドゥスキアスはしばらく黙ったままだった。フィーグムンドも次の彼の言葉を待ち続ける。アムドゥスキアスはようやく口を開いた。
「ごめん、フィー。ボクはその……なんていうか、まだあまりそういうこと、よくわからないんだ」
 フィーグムンドの瞳が揺らいだ。涙か、そうではない思いの雫か。だが、フィーグムンドは強くそこに立ち続けた。
「フィーの気持ちは嬉しいけど。いまのボクにはそれを受け入れるようなことは出来ないよ」
「……そうか。そう、だな……」
 わかっていた結末かもしれないのに。フィーグムンドの心はそれを受け入れることを拒もうとしている。そんな子どもみたいなこと、しちゃダメだ。永い時を生きてきた悪魔の娘は、涙をせきとめて、アムドゥスキアスを見つめた。
「ありがとう。返事がもらえただけでも、嬉しいよ」
「うん。これからも、友達でいてね」
 二人はお互いの手を握った。
 冷たい。だけど、すこしだけじんわりとした温もりを感じる。それがフィーグムンドの心なのかもしれないと、アムドゥスキアスは思った。