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帝国の新帝 束の間の祭宴

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帝国の新帝 束の間の祭宴

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 まどろみの荒野 



 一方で、ラヴェルデと同じ公邸の一室で、今も療養を続けているヴァジラの方はと言えば、案外に賑やかな状況だった。

「戴冠式の前ならいざしらず、反逆者扱いっぽい今のヴァジラさんの面倒なんて、せっかくのお祭りに行けなくなってまでやりたいメイドさんなんか、きっと居ませんうさ〜♪」
 本人の前でずけずけと口にしながら、見舞いに来た足で、そのまま看病を続けているティーと、そんなティーを手伝い、イコナが包帯を取り替えたりと、甲斐甲斐しい看護が続けられている部屋は、バタン! と大きな音を立て、新たな来客者を迎えたところだった。
「ぅおい〜〜っす、調子はどう? あ、これお見舞いの品ね〜」
 一瞬人かどうかも怪しむほどの大量の食料やら飲み物やらを抱えて入って来たのは、アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)だ。
「いやあもう、大変だったよ。行く先々不審者扱いだし!」
「アーグラさんに通してもらえてよかったワネ」
 ぷんすかと言いながら持ち込んだものを、ベッド近くの机にどかっと重ねて、イスを引き寄せて近くに座り、ヴァジラの顔を覗きこんでアキラは笑った。
「思ってたより元気そうじゃん」
 ティーたちの看病のかいもあって、倒れた時に比べれば顔色も大分良くなっており、イコナが作ったスープも喉を通るようになっていた。ただ、まだ相変わらず本調子とは言えず、流石にこれだけ大量の食べ物は口に出来そうもない。ちょっと残念げにしたアキラの隣で、もっしゃもっしゃと人形らしからずおいしそうに食べ物を頬張るアリスは可愛らしく小首を傾げて見せた。
「残念ネ。これ、とっても美味しいノニ」
 そう言って、食べていた大きな菓子パンを半分に割ると、そのうちひとつを皿に載せると、他の食べ物を避けて机の上へ置いて「お裾分けヨ」とアリスは笑った。
「もうちょっと元気になったら食べてミテネ」
「……わかった」
 その言葉に、ヴァジラが意外にも素直に頷くのに、ティーたちが顔を見合わせて笑みを浮かべるのに、ヴァジラは軽く首を捻りつつ、イコナから差し出されたスープに口をつける。選帝の間で見た激しさから打って変わって、案外に大人しくしている様子に、食べる手は止めず、世間話のような調子でアキラは口を開いた。
「処分とかもう決まった?」
「いや」
 その言葉に、ヴァジラは溜息と共に首を振った。
「正式に決まるのは、式典の後だと聞いている」
「そう」
 おおよそ予想していた通りの回答に、アキラは短く頷いただけだった。エリュシオンの問題であり、内政に干渉するような余計な口出しをするつもりはないようだ。その意図を判っているのかいないのか、それ以上ヴァジラも語らず、沈黙を守っていると、頬張ったパンを飲み込んで一息ついてから「まあ、ゆっくり考えてくるといいよ」と目を細めた。
「これからどうするのか、とかねぃ」
「これから、か」
 その言葉に微妙な表情を浮かべたヴァジラに構わず、アキラはあっけらかんと笑う。
「うちの先代女王なんてひどいんだよ、今や派遣のバイトの清掃業とかやって日々頑張っているんだから」
「バイト……」
 全くどうなってるんだろうねうちは、笑うアキラの言葉に、呟いたヴァジラの声には何故そうなった、と言う疑問が滲んでいる。そんないちいち珍しい反応をするヴァジラを面白がっているように、ことさら笑い声を大きくするアキラにヴァジラは小さく肩を竦める。
「余に清掃業など、向いているとは思えんがな」
 判り辛いが冗談のつもりだったらしい。一瞬流れた奇妙な空気に、何でもない、とヴァジラは目をそらした。これもかなり判りにくいが、外したことが判って気まずかったのだろう。アキラがイコナたちと思わず顔を見合わせて口元を緩ませる中、部屋をノックする音が、新しい見舞い客の訪れを継げた。
「失礼する」
「わ、すっごい一杯」
 優と共に入ってきた美羽は、アキラが持ち込んだ食料や、イコナの持ってきた果物たちがずらっと並んでいるのに驚き「こりゃ、食べきれないかな?」と言いつつも持ち込んだドーナツをヴァジラへと差し出した。逆らわず受け取ったヴァジラは、がさがさと袋をあけたかと思うと首を傾げた。どうやら馴染みのない菓子だったようだが、まじまじとそれを見やっている様子は、相対した頃と印象が随分変わっているようだ。少なくとも、まったく他を寄せ付けないような切り付けるような気配がなりを潜めて見えるのに、美羽は優と共に少し表情を緩ませて、アキラの持ち込んだ食べ物の相伴に預かりながら「食べれない人間の前で、よくもまあ楽しげに食べてくれるものだな」とヴァジラの眉根を寄せさせた。

 そうして賑わう中、ヴァジラの食事も済んで、皆が一息ついたところで、これまで口を挟まずにいた東 朱鷺(あずま・とき)と、ディミトリアスを伴って部屋を訪れていた桐ヶ谷 煉(きりがや・れん)が口を開いた。
「体の調子が戻っているなら、そろそろ聞かせていただけますか?」
 朱鷺の言葉に視線を向けたヴァジラは、先日選帝の間で見えた折の言葉を思い出して「ああ」と頷いた。
「真相が知りたい……そうであったな」
 その言葉に頷いた朱鷺に、拒絶する風なく「何が聞きたい」とヴァジラが促したが「何処からでも結構ですよ」と朱鷺は肩を竦めた。
「およそ、知りたいことは似たようなものでしょうし」
 と、促すような視線を向けられた煉が、軽く頭を下げて見せつつ「それなら遠慮なく」と口を開いた。
「俺が、俺たちが知りたいのはアールキングの目的だ……奴はどこにいて、何故色々と回りくどい手を使ってくるのか」
「場所は判らん」
 短く応えて、ヴァジラは息を吐き出した。
「接続していた時分なら或いはわかったやもしれんが、そもそもあれは他の世界樹と違って自ら動くことができる。易々と居所を掴ませはせんだろう」
 そう言って、続く質問に答えるべく、かつて交わした会話を思い返すように目を細めると、ヴァジラは続けた。
「回りくどいのは性質であろうよ。あらゆる場所に、あらゆる者に、深く根を張り広がっていく」
「大地に根を張るのではなく、闇の中に根を張る、というわけですか」
 朱鷺が興味深そうに言うのに、煉は「それで……」とヴァジラへの質問を続けた。
「お前は何故、アールキングに協力したんだ」
「今更語るまでもないと思うが?」
 問われた言葉がおかしかったのか、ヴァジラは不遜さを取り戻したようにくくっと喉を震わせて笑った。
「余には、力が必要だった。奴は、ユグドラシルを落す手段が必要だった。それだけのことだ」
「アールキングは、貴方が皇帝候補となるだろうと、わかっていたんですかね?」
 朱鷺が首を傾げるのには「さあな」とヴァジラは眉を寄せた。
「少なくとも、奴が警戒していたのはドージェと、その力に近いもの、その力に関わるものだった。そのうちの1つがブリアレオスであり、そのために余を探し当てたのだろう」
 自分より優先度はブリアレオスの方が高かった、と。自身の出自のこともあって、自嘲気味に肩を竦めるヴァジラに、イコナが表情を曇らせ、煉も眉を寄せる。だが、同情よりも今は訊ねなければならないことがある。首を振って、煉は問いを続けた。
「ブリアレオスは、いったい何だったんだ」
「詳しいことは余にも判らん。ドージェと同等たる存在を得るために作られた、と言うこと以外はな。結果的に、作ったはいいもののドージェ以外に動かすことが叶わず放置されていた……その内にウゲンがその力を利用しようとし、余が生まれたとわけだ」
 言って、息をついたヴァジラに「そういえば」とアリスが口を挟んだ。
「あの子はどうするノ?」
「さあな」
 ヴァジラはそっけなく言ったが、その眉が僅かに苦く寄る。
「解体されたとは聞いていないが……どのみち、余と同じように処分が決まるだろう」
 ブリアレオスは、ヴァジラにとって自身の武器であり、手足であると同時に、自身の作られた理由そのものだ。例え、自身の存在を虚しくさせる理由のひとつであったとしても、切り捨てられるような存在ではないのだろう。わずかに声のトーンが下がったのに、アリスはその手に触れた。
「キット、あの子も一緒に行きたがってるワ」
「…………」
 その言葉に、ヴァジラは何とも言えない顔で沈黙した。今は壊れていても、兵器だ。それを手元へ戻すということの危険性を考えれば、簡単な事ではないだろうが、願いだったのか、アリスへ気を使ったのか、ヴァジラは可能なら、と小さく頷いた。
「アールキングに操られる可能性は無いか?」
 そんなヴァジラに、念の為、といった様子で煉が訊ねると「ブリアレオスを直接操れるなら、余は必要なかったであろうよ」と、ふん、と鼻を鳴らしてヴァジラは視線を不意にどこかへと投げた。
「いずれにせよ、ユグドラシルを滅する最大の機会は、失われたのだ。アールキングは迂闊に仕掛けてきはしまいが……」
 それで諦めたりはしないだろう、と、アールキングの性格を我が身で知っているヴァジラが言ったが「関係ない」と煉は首を振った。
「ヤツが俺たちが住むこの世界を壊そうとするのなら倒すだけだ」
 迷いなく言い切るのに、何を思ったか、ヴァジラは挑戦的に目を細めた。
「出来ると思うのか? 奴の根は深く、長い。それこそ……気の遠くなるほど昔から伸ばされ続けた、根だ」
「……そうだな」
 その言葉に、ぽつりとディミトリアスが頷いた。
「一万年という長い年月の間、大陸を密かに蝕み続けていたのだから」
 そう語るディミトリアスは、今は落ち着いて見えるが、心中の程は定かではない。抑揚をなくした声が、今まで見てきた状況を思い出すようにしながら、ぽつぽつと吐き出された。
「次に何処をどう狙ってくるかは判らないが……はっきりしたことはいくつかある。奴の狙いは、今のパラミタの支配権ではなく、パラミタの崩壊の後に誕生する新たな世界だ。目的が破壊である以上、これからも手段を選ばず大陸に牙をむくだろう」
 その言葉に、煉は眉を寄せながら、はっきりした決意でぐっと手の平を握った。
「自分の手は下さず、誰かを背後から操り、陥れ、利用する、そのやり方が気に食わない。ここまで関わってきたんだ、これまでの落とし前はこの手できっちりつけてやるさ」
「やってみればいい……やれるものならな」
 挑むような煉に、目を細めたヴァジラが口元を歪めるような笑いを浮かべたのに「そういう話は、ここまで」とアキラが唐突にパンッと手を鳴らした。
「折角良くなって来てんだから、あんまし興奮させないこと」
 ヴァジラが怪我人だってわかってる? と釘を刺されて、煉とディミトリアスは顔を見合わせて苦笑して頷くと「また、ゆっくりお話しする機会はありますよ」とイコナが皆にお茶を振舞って回った。それを受け取って美羽が思い出したように「そうそう」と声を上げた。
「セルウスも言ってたよ、『ちゃんと元気になったら、そしたら話しに行くから、待ってろ!』……って」
 セルウスの声を真似て告げると、にっこりと笑う美羽に、ヴァジラは片眉を上げた。
「待っていろ、か……余が逃げるとは思わんのか、奴は」
「思うわけないでしょ?」
 呆れたように、皮肉な物言いをするヴァジラにくすくすと笑って、美羽は即答した。
「ヴァジラはちゃんと判る……って、ルドミラに言ってたんだよ」
 その言葉が予想外だったのだろう。一瞬瞬き、直ぐに思いなおしたようにふん、と鼻を鳴らしたが、僅かに肩を竦めさせたその表情は、かつては無かった緩やかさを帯びたものだ。そんなヴァジラの手に、優がそっと手の平を重ねた。
「ヴァジラ、これだけは覚えていて欲しい。もう貴方の命は貴方だけのモノではない」
 訝しがるように首を傾げる様子のヴァジラに、優は続ける。
「だから二度とその命を粗末にしないでくれ。貴方はもう一人じゃない。俺達や貴方を想う人達が居る。だからこれからは一人ではなく、俺達と共に歩んで欲しい」
 何を思ってか、答えようとしないヴァジラの手を優の手ごとそっと握って、零が微笑む。
「私も、優のこの手に救われた……優を、信じてください」
「……」
 ヴァジラは答えなかったが、手を振り払うこともしない。まだ言葉に出来る程の何かを掴めていないのだろう、幾ばくかの戸惑いのようなものが、その表情に浮かんでいる。その顔を見ながら、イコナが控えめに口を出した。
「ええと……そろそろ、ヴァジラさんはお休みの時間なのですわ」
 此処へ運ばれてきた当初より大分調子は良くなっているとは言え、小さな体はまだ無残な傷跡が残り、放っておけば死んでしまうほどの危険な状態を脱したばかりだ。皆がそれを汲んで一歩引くと、ティーが包帯の上からそっと傷口に触れた。触れた場所から繋がる感覚が、ティーに傷みを伝えてくるが、構わなかった。
「…………」
 ティーとイコナ、二人分の暖かな光が伝わってくるのに、ヴァジラは目を伏せた。
「ヴァジラさんにとって……この世界は憎いものだったかもしれません。これから先も、きっと……ヴァジラさんに優しくないと思いますけど……」
 命を繋ぎとめても、ユグドラシルを危険に晒した罪が消えるわけではない。ヴァジラの生い立ちが変わるわけではない。それでも、とティーは言葉を続ける。
「……私は、やっぱりこの世界が好きです。ヴァジラさんとも会えたこの世界が……」
 そういって微笑み、傷口をなぞった手が、ヴァジラの手に触れた。
「それに今は……この世界で、みんな、待ってます。だから、早く良くなって下さいね」

 ヴァジラは答えず、ただほんの少しの力で、触れてくる小さな手を握り返したのだった。