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リアクション
「いやああああああああーーーーーーっ! だーーーれーーーかーーーー、助けてーーーーーーっ!!」
ドップラー効果を伴いながら、エンテに乗った舞香にひっぱり回されるハリールの悲鳴が湖に響き渡る。「お願い止めてー」と、目のあった人全員に言うが、みんな笑って見ているだけで、だれも本気でとりあおうとしない。
ロートラウト・エッカート(ろーとらうと・えっかーと)もまた、くすくす笑いながらビーチからその様子を眺めていた。
「あ、エヴァルト。お帰り」
ビニールボートをビーチへ引き上げ、歩いてくるエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)に気づいてそちらを向く。ここに座りなよ、と言うように、ぱんぱん横の砂をたたいた。
「あの子、面白い子だね」
あぐらをかいたエヴァルトに、にこにこ笑ってロートラウトが言う。
「そうだな。正義感の強い、まっすぐな子だ。変に行動力がある分、まっすぐすぎるところが弱点でもあるが」
エヴァルトは何かを思い出しているような表情で、遠い目をして答えた。それが何かは、ロートラウトには分からなかった。おそらく先日、掲示板で募集されていた東カナン北カフカス山までの護衛任務での出来事だろう。あれはたしかハリールを護衛する任務だったから……。
「いいなぁ」
ロートラウトはひざを抱いていた手を放して伸びをする。
「みんなと旅って、楽しかっただろうなぁ。ボクも行きたかったなー」
(遊びじゃなかったんだが)
実際、今思い出しても波瀾万丈の旅だった。途中でハリールが敵の手に落ちたときは、殺されるんじゃないかとひやひやしたものだ。
だがすべては終わったことだ。
内心で苦笑しつつも言葉にはせず、ただ「そうか」とだけうなずいて見せた。
「今度は一緒に行こう」
「うんっ」
元気よく返事をしたあと、不意に笑みを消してロートラウトは真面目な表情をつくる。
「それで……さっき、何話してたの?」
「さっき?」
「ほら、ここ来てすぐ、あの子ボートに誘ってたじゃん?」
「ああ、あれか」
ぽりぽり鼻の頭を掻きながら、少々気まずい思いでエヴァルトはそのときのことを頭のなかで反すうしてみた。
ためらうような間をとったあと、のろのろと口を開く。
「いや、あれから日にちが経って、どうなのかと……気持ちの整理がある程度ついたんじゃないかと思ってな」
「うん」
「言ってみたんだ。『せめて故郷の村に帰ったら、そっちでも伯母上の簡易な墓くらい作ってやってもいいかもな。迷うことなく、とっとと母の下に行って謝らせるためにも…』って」
「それは……」
ロートラウトは言葉を続けられず、絶句した。目をしぱたかせ、少し逡巡するような間をあけたあと、言葉を選び選び口にする。
「でも彼女、たしかその人の命令で父親を食い殺されて、母親も追放の無理がたたって病死したんだよね?」
しかもその故郷の村って、父方の村で……。
さすがに最後の言葉は口にできずに飲み込んだ。
もしかしたら自分がそう思うだけで、実際はそんなものでもないのかもしれないし。
「そうだ」
エヴァルトはうなずく。そしてロートラウトがますます奇妙な顔をしていることに気づかず続けた。
「その許可をどこに求めるかだが。諸悪の根源のアタシュルクは……まぁ、あの一族については問題ないだろうな。国のために誰彼構わず騙したりしたセテカでさえこれといったお咎めなしなんだ、たかだか一氏族の嘘くらい不問になるだろう」
「ふーん」
そのことに関しては、ロートラウトは分からなかったので何とも思わなかった。
実のところ、あの事件は「事件」として存在していない。エヴァルトの言うとおり、アタシュルク家は長年の罪の発覚を恐れて口をつぐみ、これにかかわった12騎士たちもそれぞれの思惑から固く口を閉ざした。訴える者がだれもいなかったから、それは何も起こっていないも同然となり、だれも処分されたり咎められることはない、というのが真相である。
しかし、当事者であるエヴァルトにとって、あれは実際にあった出来事であり、事件だった。ハリールや、ほかの者たちにとってもそうだろう。
「アタシュルク家が何のお咎めもなしだというなら、新しく氏族長になったセイファとやらに折を見て話せば分骨くらいはさせてもらえるんじゃないか、と話した。今はバシャン・アタシュルクの葬儀などで忙しいかもしれないが、喪が明ければ向こうも落ち着くだろうからな」
「ハリールは、なんて?」
「『考えてみる』と……」
そう答えたハリールの表情は、決して芳しいものではなかった。視線をそらし、うつむいて、ずっと湖面を見つめていた。
そのときのことを思い出し、またもエヴァルトは考え込む。
自分は急ぎすぎたのだろうか。すべて終わったこととはいえ、まだ彼女のなかでは生々しい、生きた傷なのかもしれない……。
そのときだった。
「もうっ! 何シケた顔してんの!」
どーーーんと思い切り突き飛ばされた。全く予想だにせず、何もかまえていなかったエヴァルトは簡単に吹っ飛んでいく。
「考えるって言ったんでしょ? ならボールはあっちの陣地にあるの! エヴァルトがくよくよしたってしかたないよ!
それより、せっかくレジャーに来たんだからさ! ガンガン泳ごうよ! ボク、機晶姫用フロート脚部持ってきたんだ! これで波乗り――って、アレ?」
話に夢中で、気がつくと、ロートラウトの視界にエヴァルトの姿はなかった。
打ち寄せる波の向こう、沖の方で、湖面から2本の足が飛び出している。
「アレ? ……アレ?」
ピクピクけいれんしているそれを見て、もしかしてやっちゃった? と思いながらロートラウトは頭を掻いた。
「ハリール、大丈夫?」
浮き輪にもたれ、ぐったりしているハリールにリリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)が声をかけた。声は一生懸命親身になろうとしているが、どうにも口端がひくひくと笑いにひきつっている。
「だ、大丈夫……」
ハリールは顔の向きを変え、リリアの方を向くと、ふうと息をついた。
「見ていたけど、なかなかすごいスパルタだったわね」
「そうね。でも舞香の言うとおりにしたら本当に最後は25メートル以上泳げるようになってたし。舞香のおかげね。
あーあ。でも、疲れた〜〜〜」
浮き輪の上で腕枕をするハリールを見て、そのかわいらしさにリリアはくすくすと笑う。
「お疲れさま。目標は達成できたんだから、今はゆっくりして、一緒にぷかぷかしましょ」
「ええ」
ハリールもにっこり笑って返す。そうして2人はしばらくの間、穏やかな波にゆうらりゆらゆらと揺られるままに浮いていた。
すると、リリアの視界でパシャッと音をたてて突然エメラルドグリーンのイルカのような生き物が空中へと飛び出す。
「あっ、あれを見て、ハリール!」
身を起こしたリリアは、大急ぎイルカを指さした。2人の前、イルカは水しぶきをあげてまた水のなかへ隠れてしまう。その勢いで大きな波が生まれ、リリアとハリールの浮き輪は高く上下した。
「驚いたわ。あんな大きな生き物もここにはいたのね」
「触れるかしら?」
ハリールの問いに、リリアはちょっと考える。
「さあ、どうかしら? 野生動物は大抵の場合、人間を警戒するものだから。でもここは隔離されたオアシスで、人間とあまり触れあっていないみたいだから。イルカは好奇心が強い生き物だというし。もしかすると、反対に人間に興味を示して、向こうから近寄ってくるかもしれないわ。だから追いかけたりせず、向こうから近付いてくるのを待ちましょう」
「そうね」
ハリールはうなずき、次にビーチの方を向いた。
「ところでエースくんは泳がないであそこで何をしてるの?」
ハリールが指さした所では、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)が持ち込んだクーラーボックスの前にしゃがみ込んで何かをしていた。ハリールたち湖の方に背中を向けているので、何をしているかはさっぱり分からない。
「ああ、あれ。持ってきたアイスの準備をしているのよ」
「アイスの準備?」
「なんでもあなたに猫カフェで今度出す予定の新作アイスの試食をしてもらいたいんですって」
「へえ…」
その言葉に、ハリールはせっせせっせと手を動かしているエースへと注目する。しかしリリアが見ているのは、その隣に立つメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)の方だった。
軽く胸の前で腕組みをし、メシエもまた、こちらを見ている。微動だにしないあの様子からして、ずっとそうしているのだろう。
(……どうせ、私が何かヘマをしないか監視しているんだわ)
リリアは口先をとがらせた。
彼女がそう思うのも無理はない。なにしろ湖にいるハリールの元へ向かおうとしたところを呼び止められ、振り返った彼女に向かってメシエが言った言葉は
「あまりはしゃいで彼女の限界を無視することのないように」
というものだったのだから。
信用がない。
(なによ。てっきり一緒に泳ごうって言ってくれるとばかり思ったのに)
メシエのばか。そうしたら私だって、今ごろ……。
「どうかしたの? リリア。急に黙り込んじゃって」
「えっ? あ、ううん。何でもない」
顔を赤くして首を振ったものの、ちょっと考えて、リリアは何気ないふうを装って訊いた。
「ハリール……あなた、だれか好きな人、いる?」
「えっ!?」
今度はハリールが顔を赤くする番だった。見るからにあせっている。
「いるの?」
「いないわ。だって、そんなこと考える余裕もなかったんだもの。ずっと、対話の巫女としてあの地へ行くことだけ考えてて……」
そしてきっと、あの地で自分は死ぬのだとばかり思っていた。
「でも今は余裕ができたでしょう?」
「ううう……」
がじがじがじ。浮き輪の端を噛み始める。
「じゃあ、どんな人が好み?」
「……知的な人。もの静かで、紳士的で、いつも思索にふけっているような……ちょっと皮肉げな口調で、クールで」
「えっ」
思わぬ言葉を聞いて、どきっとした。
それって……メシエにあてはまらない? まさかハリールの好みのタイプって……メシエ?
「あ、あの、ハリール。言っておかないといけないことがあるの。実は私とメシエは――」
急に余裕がなくなって。切羽詰まった思いで、ハリールに自分たちが恋人同士であることを告げようとした矢先。
「歳は絶対35以上ね! 空大のアクリト先生のような!」
きゃっ、言っちゃった! ハリールは赤く染まったほおを両手ではさんで恥ずかしそうに隠した。
「し、渋好みね」
(ハリールってばオジコンだったのね)
ハリールは魔女で実年齢は180を超えているのだから「おじさんが好き」というのとは微妙に違うとは思うが、外見が17歳の少女である以上、やっぱりそういうふうにしか見えなかった。
「前に講演しているのを見て、すてきな人だなって……。実際にお会いしたことはないけど、でもきっとそうだと思うの!
あ、ところでリリア。さっき何か言ってなかった?」
「え? あ、ああ……そうね」
えーと。
「エースが呼んでるみたい。きっと準備ができたのよ」
リリアは少し早口でそうごまかすと、気付かれないうちにハリールの浮き輪を引っ張ってビーチへと向かった。
「さあハリール、意見を聞かせてくれないかな」
エースは冷えた器に盛った3種類のアイスクリームをハリールの前に並べる。器のとなりには、それぞれそのアイスが入ったパッケージを置いてあった。そのどれもがかわいい、まるまるとしたマンガ風の猫のイラストがついている。
「右端が『ジャパニーズ・ボブテイル』、三毛猫だよ。真ん中が『ラグドール』人気のサバトラだね。で、左端が『シャルトリュー』灰青色単色。フランスの宝と称される、とても気品ある猫なんだ」
「ね、猫の……アイス?」
用心深くひそめられた声を聞いて、ハリールが何を考えているか悟ったエースは、プッと吹き出してしまった。
「ははっ。材料は本物の猫じゃないよ。猫をイメージして作ったアイスってこと。まあ正確には、ひなたぼっこしていた猫のおなかをくんかくんかしたときの香りが楽しめる、というのがコンセプトで開発した物なんだけど。
売り文句は『ふわふわな太陽の香りが堪能できます』」
エースの説明を聞いて、ハリールはさらに頭がこんがらがってしまった。
(猫が材料じゃないのはよかったけど、猫のおなかの香りの味? ふわふわな太陽? 太陽ってふわふわなの?)
「それって一体――」
「いいから、食べて食べて。従業員にも手伝ってもらって、今味のリサーチ中なんだよ。きみにはぜひ、獣人村育ちの観点から穿った意見をお願いしたいな」
エースが見守るなか、ハリールは順々に口にしていく。
「おいしいわ。でも多分、それだけじゃ駄目なのよね。ええと、猫カフェに置く商品だったら……」
ハリールがした提案は、こうだった。
・猫カフェには猫のにおいがしているから、そのなかでにおいを強調するなら普通より強め・濃いめにした方がいいのではないか。
・かおりを楽しみたいのであれば、甘さは抑えた方がいいかもしれない。
「あと、コーヒーで、ルアクだったかルアックだったか……たしか、猫のかおりがする高級コーヒーがあったと思うの。それも参考にしてみるといいんじゃないかしら?」
「そうか。ありがとう。シャンバラへ帰ったら、さっそく試してみるよ」
エースはメモに書き留めて、にっこり笑った。
それから、みんなで輪になってアイスを食べた。食べながらの話題になったのは、今回の旅行でのお土産物についてだった。
「環境破壊になるから、ここの物を取って帰るのはしたくないな」
というエースの言葉に、メシエが答える。
「先ほどセテカたちに聞いたのだが、ここから少し北へ向かった所にある村で木工細工の工房があるそうだ。体験教室も開いているらしいから、そこへ行ってみてはどうだろう」
「へえ、それいいな!」
「そうね。アミュレットとか作れるといいわね」
ちら、とメシエを盗み見る。その視線の意味は、メシエにはすぐに理解できた。
「私が作ってあげよう。きみにぴったりの物だ。きっと気に入る」
そうするのが当然のように指をとられ、軽くこすられて、リリアのほおがほんのりと染まる。
「ハリール、きみも一緒に来るかね?」
先の2人のやりとりを見て、2人の関係を察したハリールは首を振った。
「遠慮するわ。約束があるの。でも、誘ってくれてありがとう」
「そうか」
その後、アイスを食べ終わったエースたちは連れ立ってその村へと出発して行った。
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