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リアクション
10 戦いは続く。千の命尽きるまで
「! いたよ、アインさん……!」
物陰に隠れてたり、倒れている人がいるかもしれない。そう思ってディメンションサイトを使いながらフロアを巡っていた朝斗は、空京トラベル、と書かれた旅行カウンター近くで気配を感じて店員の座る案内側を覗いてみた。そこに、頭を抱えて震える少女と床に血だまりを作って倒れる男性の姿があった。唇は蒼く、顔の色を失った男性は僅かな痙攣を起こしていた。表情も乏しいが、かろうじて意識だけは残っているようだ。無残な傷口には、タオル一枚と大量のパンフレットとプリントが重ね掛けされていた。赤く変色したそれらは止血の用途を果たしておらず、徒に血液を吸収するだけの結果に終わっているようだった。
「これは……危ないな……」
「わ、私……逃げてきたら、この人が、倒れてて……っ! でも、他に隠れる場所が……!」
朝斗と、そして救護係の腕章をつけたアインを見て、少女は恐慌を来したままに説明する。それが“言い訳”なのだと、死に行く誰かを前に、自分だけ助かろうとこの場所に蹲って時を遣り過ごそうとした罪悪感からの“言い訳”なのだということが伝わってくる。
涙をぼろぼろと流す少女に朝斗はそっと近付いて声を掛ける。背中を撫でようと手を出すと、彼女はびくっと身を震わせた。余程怖かったのだろう。
「でも、血を止めようとはしたんだよね。大丈夫だよ。この人は必ず助けるから」
「応急処置をして、すぐに回復魔法をかければ間に合うだろう。体力だけでも戻してなるべく体を温めれば……」
慎重にタオルと紙類を取り除いたアインは、血を吸ったタオルと手近にあった道具を使って簡易的な止血をしていく。それを確認し、朝斗は再び少女に手を差し出した。
「この近くにもっと安全な場所があるんだ。行こう」
「で、でも……ここから出たら……」
「僕達が守るから、襲われたりはしないよ」
「…………」
そろそろと、少女は歩く意思を見せた。カウンターから頭が出ないように気をつけながら、摺り足で移動する。
「! ……何か来ている」
殺気看破を使っていたアインが短く言ったのはその時で、朝斗は急いでカウンターから顔を出した。自分達についてきたのか、話し声を聞きつけたのか、兎が二羽、こちらに突進してきていた。朝斗は鋼の蛇をサイコキネシスで操作し、兎目掛けて杭を飛ばす。その先端を避けた兎は更に速度を上げようとするが、背後からの攻撃を受けて声なき悲鳴を上げた。兎の避ける先を予測し、追撃した結果である。
兎を貫いたままの杭を、鎖を引いて回収する。
そこで、いつの間にか姿を消していた兎が側頭部から迫ってくる。
「……!」
しゃあっと気勢を上げ、牙を光らせ唾液を飛ばしてくる兎をぎりぎりのところでかわし、朝斗は朧をその頭部に叩き付けた。
「……もう来ないかな」
兎から杭を抜きつつ、周囲を警戒する。
「ああ、殺気は消えたようだ」
応急処置を終えたアインが応え、彼は朱里も持つ銃型HCを操作して重傷者を運ぶ旨を伝えると男性を抱えて立ち上がった。ここからの最短ルートも、怜奈から受け取ったマップデータで確認している。
「行こう。治療スペースはここからそう遠くない」
兎の気配に気をつけながらカウンターを出る。その後ろから少女が、最後にPPW二個を近接モードで起動した朝斗が続く。これならば、間違って一般人に攻撃が当たることはない。
「きゃ……!」
少し歩いたところで、四羽程の兎が多角度から襲い掛かってきた。獣の勘が働くのか、兎達は男性と少女を狙っていた。素早く二人を噛み千切り、逃げ去るつもりのようだ。少女が悲鳴を上げる中で、朝斗はPPWで兎一羽を貫いた。もう一つのPPWからレーザーを放ち、更に二羽を撃退する。
「……危ない!」
狙われた男性を庇って腕を盾にし、思い切り噛み付かれる。防御力はかなり上げているが、それでも腕が軋む音が体を通して伝わってくる。兎は牙を離し、一旦距離を取った。そこで、アインは足を使って歴戦の武術で兎にダメージを与えた。足の骨が折れたのか兎は殆ど動かなくなる。
「まだ、次が……!」
少女が叫ぶ。何とか全てを倒しきったところで、戦闘音を聞いた兎達が集まってきたのだ。先程よりも、数が多い。
「……あ……、も、もう……」
腕の中で、男性が途切れかけた意識の中でうわごとのように呟く。自分を置いて行ってくれ――そう言っているのが、アインには分かった。
「大丈夫だ。諦めるな。絶対に守り切る!」
そして、アインは兎を振り切るように走り出した。その背後を行きながら、朝斗はPPWを操り続ける。念波を飛ばしながら、朝斗は脳裏で元旦に引いたおみくじの内容を思い出さずにはいられなかった。
――『巻き込まれ体質は治りません。諦めましょう』――
頭痛を感じながらも、彼は次々に兎の動きを止めていった。
「……こっちに!」
治療スペースに着いたのは、それから二分程後の事だった。いつの間にかバリケードが作られていて、そこに、朱里から話を聞いた水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)とマリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)が待機していた。まず、少女をバリケードの中に入れると、アインがゆかりに男性を渡す。
「かなり危ない。すぐに回復魔法を」
「分かったわ」
短い会話だけして、ゆかりは治療スペースに戻っていく。
アインと朝斗は、頷き合うとまたフロアへと走り出した。
彼等の時間との戦いも、バリケード前での戦いも、更に続き――
⇔
安全への道。それが最も厳しく険しいのはどこでも同じ。このバリケードから重傷者用の治療スペースへ続く道も同じであった。
距離的な長さで考えればそう遠い道のりではないのだが、負傷者の足では千里の道にも等しく思える。
それに加えて血の匂いに誘われた兎達が群がって来ていたのである。次の治療スペースに続くバリケードの一部を破壊し、壊れた隙間など至る所から侵入してくる兎を跳ね除けながら負傷者を運ぶのは至難の業ともいえる。
もうバリケードを築いた当初の安全性はどこにもなかった。それでも彼らは果敢に挑む。そこに助けを求めるものがいる限り。
「もう少しだから、頑張って!」
「ぐ……ぁ……いた、い……」
負傷者の男性に肩を貸し、支えて励ましながらゆかりはバリケードの中を急ぐ。その背中を軽傷者用の治療スペースから少女が心配そうに見守る。
少女も動向を申し出たのだが、ゆかり達はそれを断った。
重傷者用の治療スペースに続くバリケードは長く攻撃にさらされている為か所々に穴があり、どこから奇襲されるか分かったものではない。少女を危険に晒すわけにはいかなかった。
「くっ! 上からッ!?」
「カーリー、気にしないで走って!」
マリエッタの声に従い、可能な限りの速度で負傷者と共にゆかりは走った。その頭上から数体の兎が奇襲をかけようとしたが――壁から勢いよく飛び出た細い棒に貫かれ、瞬時に物言わぬ肉塊となる。
続けざまに横穴から侵入した兎にはゆかりが懐から取り出した小型のシリンダーボムを投擲する。
シリンダーボムは山なりの起動を描き、飛びかかってきた兎と空中で衝突。そのまま爆散。密集していた数体の兎をまとめて粉々に吹き飛ばした。
(兎の侵入率が上がっている……急がないと、負傷者を運ぶ所じゃなくなるかもしれない……っ!)
三人の目の前に治療スペースが見えてくる。が、その道には数体の兎が待ち構えていた。幸いにも治療スペースに気を取られている為か、こちらには気づいていない。
(……こんな所にまでッ!)
その時、最悪の事態が起きた。一部の壁が兎達によって破壊されたのである。なだれ込むように数十匹の兎がバリケード内に侵入する。鋭利な牙が彼女達に迫った。
が不思議な事態が起きた。急に兎達は何か見えない物に殴られるかのように吹き飛んだのである。そればかりか、耳を掴み上げられるように宙に浮かんだと思うと、次の瞬間に壁に叩きつけられ、ぐしゃりと潰れた。
またある兎は空中で他の兎と高速で衝突し、空に血の花を咲かせる。またある兎は大きく吹き飛んでバリケードから突きだす椅子の足に突き刺さって絶命した。
「兎のせいで……兎のせいでッ!!」
マリエッタの脳裏には兎と遭遇した際の場面が思い浮かぶ。
逃げ惑う人々の事。その人の波に揉まれ、せっかくゲットした服の入った袋を落としてしまった事。
同じ場所に戻ってきた時、見るも無残な姿へと服が変貌していた事。
怒り、怒り、怒り。彼女の感情はその色に染まる。兎が悪い。アレサエ、イナケレバ。イナケレバ、コンナコトニハ。
周辺のバリケードの壁が軋み、嫌な音を上げる。見えない力の奔流は今にも壁をびりびりと引き剥がしそうな勢いを見せていた。
ゆかりはマリエッタのカタクリズムがこの現象の原因であると見抜き、止めに入る。兎を撃退できるのはありがたいが、バリケードが壊れてしまっては元も子もない。
「マリーッ! 落ち着きなさい!!」
その声が届き、彼女の精神は次第に落ち着きを取り戻す。それに合わせるように辺りは静けさが訪れる
「はぁはぁ……どうにかしてやるのは、兎だけにする」
服の恨みはらさでおくべきかーと、幽霊のポーズで表現して見せるマリエッタ。その様子を見てゆかりはほっと胸を撫で下ろした。
ゆかり達はバリケードの中心に作られた重傷者治療エリア、実質の治療スペースの中心に辿り着く。
そこの様相はさながら戦場の野戦病院のようであった。至る所に負傷者が溢れかえり、呻き声や泣き声にも近い声が聞こえる。
治療をする者達の手が休まることはなく、その額には汗がにじむ。
負傷者を運んできたゆかり達に一人の女性が気づき、とたとたと走ってくる。
「負傷者はこちらで預かるよっ! 後は任せて、絶対に助けるからっ」
そういった小さな女性――ネージュ・フロゥ(ねーじゅ・ふろう)は負傷者の治療に入った。それを見てゆかり達はバリケードの補修へと向かう。
横に静かに男性を寝かせるとその腹部に手を当てる。応急処置によって止血はされていたが傷の程度は深くいつまた開くともわからない状態だった。
静かに目を閉じ、意識を傷口へと集中。小さな光がネージュの手に集まり、次第に負傷者の男性の全身へと巡っていく。青ざめていた彼の顔色が徐々に回復し血の気を取り戻す。
呼吸も穏やかになり、彼はもう安心といえるだろう。
ふぅ、と小さな息を吐いて彼を休ませる場所へと運ぶように指示する彼女へ誰かの呼ぶ声がする。
「ネージュさん、この人をお願いします!」
少年に抱えられ、血まみれの女性が運び込まれてくる。彼女の片腕は無残にも肘から先が喰いちぎられており、真っ赤に染まった布で縛り上げられていた。
それだけではなく、腹部や背中にも深い傷跡が刻まれている。見た誰もが言うだろう、あの人はもう……助からないと。
それでもネージュは違った。目の前にいる人に最善を尽くす。例え、助けられない可能性があったとしても。諦めなければそれはゼロではないのだから。
素早く彼女の腕の布を取ると、彼女は手をかざす。光の奔流が掌から溢れだし、負傷者の女性を包み込んだ。
暖かな光が腕の傷を塞いでいく。失った腕を再生させることはできないが、出血を止めることはできる。
力を行使し続けるネージュの顔には疲労の色が見え始めた。予想以上に負傷者の女性は傷が深く内部の臓器にまでそれは達していた。
連続で使い続けた為か、ふらっと意識が飛びそうになるのをなんとか堪える。
(ここで、諦めるわけには……いかないのっ!)
気を張り直し、彼女は力を強める。それに呼応するかのように光は次第に強くなっていく。明滅を続けた激しい光は眩い閃光となって辺りを照らす。光が収まった時には負傷者の女性は穏やかな寝息を立てていた。
肩で息をするネージュは額から流れる汗を拭いながら周囲に気を配る。他にも負傷者はいないか。重傷者はいないだろうかと。
休んではいられないのだ。自分に今できることをする。全力で。
彼女はそう思って治療スペースの中を駆けていった。
⇔
治療スペースの一角、必死に重傷者を回復する女性がいた。
彼女は桜葉 香奈(さくらば・かな)。皆を守る、誰ひとり失う事のないようにと死力を尽くしている。
しかし強力なスキルを続けざまに使用している為か、疲労の色は徐々に濃くなってきていた。
少しでも気を抜けば、倒れてしまいそうなほどにその消耗は激しい。
(私が倒れるわけにはいきません……怪我をした方々はきっと、もっと苦しいのですから)
気を引き締めると、彼女の手から溢れる光はその輝きを増した。溢れる光に包まれた重傷者の傷は次第に塞がっていく。その顔色もまた精気のある色へと変わっていった。
「これならこの人も……あっ……あれは!」
治療していた香奈の視線の先に兎の一団が見える。それはまっすぐに治療スペースを目指していた。他の兎達に対応している為か、その一団を防ぐ者は誰もいない。
香奈は治療の手を止めてその兎に立ち向かおうと考えたその時、背後から声が掛かる。
「治療の手を止めるな、ここは俺達に任せろっ!」
桜葉 忍(さくらば・しのぶ)が香奈の背後から走り出てくる。彼の後には武器を携えた織田 信長(おだ・のぶなが)、ノア・アーク・アダムズ(のあ・あーくあだむず)が続く。
忍達も肩に包帯を巻いていたり、塞ぎたての傷があったりと決して無傷ではない。どちらかといえば治療を受ける側である。連戦による疲労もあるのだから。
しかし、それでも飛び出さずにはいられないのだろう。大切な人達を守る為ならば。
兎達の前に飛び出した忍は昂狂剣ブールダルギルを振り被る。兎達が飛び掛かった瞬間を見計らって、一気に振り抜いた。
風を斬りながら横滑りする刃は兎の身体をやすやすと裂いていく。小さな悲鳴が無数にあがった。それが忍の耳に届く度、何とも言えない気持ちになるのと同時に、手に持つ剣が狂気に身をゆだねろと語りかけているように感じた。
剣の声を無視するように、彼は何度も剣を振るう。狂気に身をゆだねる為でなく、誰かを守る為に。
振るう度に強くなる剣の声に抗う様に、彼は自分の心の中で叫ぶ。
(絶対に守り切るっ! 例え、この身が朽ち果てようともっ!)
忍が対応しきれない兎に対しては信長が対応した。彼女は彼と違って兎を倒すことに迷いはない。寧ろ嬉々として倒しているようにも見える。
「兎なぞ、全て兎鍋にしてくれるわっ!」
なんというか、食欲全開のようである。この勢いだと本当にすべての兎を鍋に入れて煮込みかねない。そんな雰囲気だった。
手に持った銃を乱射しつつ、信長は次々と兎を撃ち抜いていく。乱射しているのに全て頭部を一発で撃ち抜いている辺り、彼女の技量が高いことをうかがわせる。
「どうした、どうしたっ! そのような牙で、動きで! この信長を貫けると思うたかっ!」
兎は信長に触れることも近づくことさえできずに倒れていく。兎の中で血と共に踊る彼女はまさしく第六天魔王と呼ばれるに相応しい。
――忍と信長の二人が奮戦する前線の少し後方で待機しているノア・アーク・アダムズ(のあ・あーくあだむず)はどの方向から兎が来てもいいように警戒していた。
いかに前線の二人の戦闘力が高いとはいえ、兎の数が多すぎる。稀に討ち漏らしが数匹出るのだ。しかしそれに対応していれば新たに向かってくる兎を討ち漏らすことに繋がってしまう。
そうならない為に、二人の討ち漏らしは彼女が対応する事になっているのである。
忍と信長の動きは見えるのだが、倒れた陳列棚や壊れた柱等の障害物が邪魔をして、肝心の兎の動きが掴みづらい。
「こっちに来る数は多くないって言ってたけど……どこから来るかわからないってのが困るわよ……」
注意深く周囲の気配を探っていた彼女は、はっと何かの気配に気づき、その方向を注視する。
がさがさっと何かが陳列棚の陰に蠢いている。白いふわふわの何かである。答えは恐らく一択しかない――――兎だ。
それは愛らしい姿で、とてとてと彼女に向かって寄ってくる。
(こんな状況下じゃなければ、抱き上げてぎゅってしてあげるんだけど……ごめんね)
彼女は、さっと手をかざし……兎に向かって電撃を放つ。放射状に放たれた電撃は削れた床の破片を飛び散らせながら兎に向かって走っていく。
直撃の瞬間、兎は天井高く飛び上がってそれを回避した。さすが兎。納得の脚力である。
空中で体毛を赤と紫の毒々しいまだらに変化させた兎は、鋭利な牙をぐわぁっと剥きだし彼女に向かって急降下する。
「このぉっ! あたしだって!!」
兎を包むように放たれた雷撃は、そのまま全弾命中し一瞬にして兎を黒い消し炭へと変えた。断末魔の悲鳴をあげる間もなかったようだ。
彼女は気を張り直し、周囲の警戒に戻る。いかに兎が愛らしい姿をしていようとも、ここから先へは通すわけにはいかない。
そう決意を固める彼女の眼差しは強いものであった。
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