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Buch der Lieder: 歌を忘れた金糸雀

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Buch der Lieder: 歌を忘れた金糸雀

リアクション

 空京の北部。
「――相手が同じワールドメーカーである以上、少しやりにくい部分もあるわ」
 自分の弱点となる部分すらはっきり仲間に伝え、さゆみは媒介となった契約者の青年を離れた位置から分析した。
 さゆみ達が辿り着いた此処は位置的に他の三カ所より出遅れた為、その分媒介の青年は長時間歌い続けていた事になる。
 歌の中に息が混じり、額に玉のような汗が浮かんでいた。
(かなり弱ってるわね……きっとそれほど脅威にならないわ)
「そこが有利な点というのは皮肉だけど。
 でも、倒すにしても彼になるべく負担をかけない形を取らないと、ほんの軽い攻撃でも致命傷になりかねない」
 さゆみの提案により、彼等は連携した動きで媒介の青年の前へ出る。
 まず陽動となる舞花が青年へ威嚇射撃を行った。これに媒介の青年は舞花へ向かおうと動き出すが、その時には既に背後を取っていたフレンディスが彼の口を塞いでしまう。
(すぐに終わらせるわ……!)
 ――ワールドメーカーの力は本来、人を幸せにし世界を紡いでいくための力。
 さゆみはそう考えているから、強制的に能力を行使させられる彼等に深い悲しみを感じていた。
 ティエン・シア(てぃえん・しあ)と共に気持ちを歌にして青年へ届けると、二人の歌声に落ち着きを取り戻していった青年を、アデリーヌが眠りへと誘った。
 そして共に行動していたプラヴダの兵士に後を任せると、彼等はそのまま皆と合流する為ビルへと向かう――。



(大丈夫、大丈夫)
 胸に抱いたトゥリン・ユンサル(とぅりん・ゆんさる)の背中を歌の調子に合わせてとんとんと叩きながら双葉 京子(ふたば・きょうこ)優しい声を掛け続ける。
「様子はどう?」
 と、気遣わしげな声を掛けて入室したニコライ・ストヤノフ少尉に振り返って、椎名 真(しいな・まこと)は準備中のティーカップをテーブルに置いた。
 事件に巻き込まれ、真がすぐに思い当たったのはトゥリンの事だった。
 真が心と拳を交わし合ったトゥリンのかつてのパートナーハムザ・アルカンから聞いた彼女の過去を思えば、今回の状況はトゥリンにとってかなり辛い事になる。
 トゥリンは両親に置いていかれたのだ。
 無責任な彼等への『手続き』はアレクが早々に清算してしまったらしいが、気持ちの方はどうしたって割り切れるものでは無いだろう。
 具体的に何が出来る、という訳では無い。それでもトゥリンのところへ向かわずにはいられなかった。
 ティーカップを見下ろすニコライの視線に、真は京子に抱かれたトゥリンの隣へ腰を下ろす。
「温かい香りのいいお茶で、気持ちを和らげて貰えたらって。
 トゥリンさんしっかりしてるから忘れがちだけど、幼い女の子だもんな……」
 言いながら頭をそっと撫でると、真は急に柔らかい視線を睨む様に強いものに変え、部屋の隅へ向けた。
 そこには篠原 太陽(しのはら・たいよう)が座り込んでいる。空京に居た真たちの中で最初に、そして唯一共鳴をしたのは彼で、原田 左之助(はらだ・さのすけ)の助けがなければ此処へ辿り着く事もままならなかっただろう。
 あんな彼の姿を見ていると、真は腹が立って仕方ない。太陽は未来の真なのに、今の彼は昔の――自信が無かった頃の自分を見ているようで、苛つきを押さえられなかった。
(…………ぶん殴りたい……)
 そう思う真の気持ちを知っているのだろうか、太陽はぶつぶつと独り言を呟き続ける。
「この感覚……」
 太陽が『此処』に来る前の記憶。
 20歳だった別世界の椎名真の記憶。
 京子との『契約』が終了し、実家へ帰ろうという時だった。この世界よりも遥かに治安の悪かった空京で、彼はテロに巻き込まれた。
「俺は、珈琲買いに行って、一瞬、京子ちゃんから目を離して……」
 実際目に映るのはプラヴダの一室で有るが、太陽の瞳の裏側に鮮明に蘇っているのは別の出来事だ。
「…………ごめんなさい、だから俺は未熟……見舞いに来てくれた友達も、つらいからって追い返して……自分から皆を遠ざけて……」
 そうして十数年が経って、今自分は――。
 記憶の中に閉じ込められたままの太陽の手元で、ティーカップとソーサーがガチャンと音を立てる。
「どうぞ!」と、家令たる真にしては極めて珍しく程ぶっきらぼうに差し出したハーブティーを目を丸くしたまま受け取って、太陽は頭を支配する感情に揺さぶられながらも必死にハーブティーを口へ運ぶ。
 憂鬱な気分を和らげるレモンバームとカモミールのブレンドに、差し出された腕に捕まる余裕は出来たようで、太陽は左之助とニコライに支えられてソファに沈んだ。
 しかしこれらはただの気休めだ。

 軍隊に必要なのは、優秀なリーダーである。真たちが着た事で、漸く二人の少尉が自由に動ける様になり、プラヴダの動きは変わった。
 ヤン・コワルスキ曹長による救助活動と、契約者の協力のもと行われているドミトリー・チュバイス少尉の事件の解決を目的とした行動。そこへニコライ少尉が指揮する空京の主立った施設やシャンバラ教導団への情報提供が加わる。これらによって事態の悪化は押さえられる。だが今のところ状況の好転も見られないのだ。
 気を揉んでいる真を見ていたニコライは、ふと左之助に「あなたは?」と問いかける。
「俺は影響は特にねぇな。生きた時代が時代だからな」
 苦笑しながら答えて、左之助はニコライの肩を叩いた。
「こんな状況でいろいろ大変だろう。
 指揮系統をとる気はないが、せめてこのお嬢ちゃんだけでもきっちり面倒みとくから、お前さん達兵士はやることやってきてくれ」
「ええ、任せるわ」
 ニコライが再び部屋を出て行ったのに、左之助は首を曲げてコキコキならしながら考えた。
(かといって俺に子供……特に女児の世話はあまりできねぇから、京子や真が面倒見てる間の見回りくらいしかできねぇけどな)
 どうしたものかと向き直った扉が、目の前でバンっと開いた。
「マコトー!」と、勢い良く、文字通り飛び込んできたのはK.O.H.――兄タロウである。あの小さな身体でこの大きな扉を開けたかと考えると、少々恐ろしいものがあった。
「トゥリン、げんきか?」 
 元気な訳は無いが、ソファの背もたれをタタタと掛けながら走ってきた兄タロウの無邪気さに、否定する気にもなれず、真は「兄タロウさんは元気そうだね」と曖昧な笑みを浮かべる。
「おれはげんき! かみんしつで、ぶったおれたヤツらのめんどーみてやってた。
 にんぎょちゃんまだいるから、マコトもさみしかったら、おいでな?」
 ソファからピョンと飛び降りて、兄タロウは扉の方へ戻っていく。どうやら彼は、ドミトリーの指示でパトロールをして回っているらしい。
「おれあしはやいし、どこでもとおれるから! きちんなか、ぜーんぶおれのにわ!」
 兄タロウは自信たっぷりだが、実際監視カメラに頼るより、この不思議な生き物の方が余程役に立つらしい。
「んじゃおれいくな!」
 開け放したままの扉から兄タロウが飛び出していくのを、呆気に取られたように見ていた真の横を、左之助がすり抜ける。彼の肩には小さなドラゴン――魂龍一文字が乗っていた。
 落ち着きの無い兄タロウを見ていたら、左之助も己がすべき仕事を見つけたらしい。
「俺もこいつと他に異常ないか、喝入れられる奴いねぇか見てくるか」