天御柱学院へ

蒼空学園

校長室

イルミンスール魔法学校へ

Buch der Lieder: 歌を忘れた金糸雀

リアクション公開中!

Buch der Lieder: 歌を忘れた金糸雀

リアクション

「オイオイ? どーゆー状況だよコレは! 街が機能してねぇ……」
 紫月 唯斗(しづき・ゆいと)紫月 睡蓮(しづき・すいれん)を背負い空京を駆け抜気て来る間、彼は街の中で倒れた人々を目にしてきた。
 『置いていかれた』ということは、そもそもその相手が居なくなったという事だから、街の中でスヴェトラーナのように他人に危害を加えようという者は他に居なかったが、一部では気を失った人々による事故まで起こっている。
「急がねぇとヤバいだろう!
 とにかく基地に向かうか……間に合えよ!」

 こうして辿りついたプラヴダの基地で、唯斗が最も心配していたトゥリンは、京子の胸に抱かれていた。
「おい、トゥリン? どーしたってんだよ。
 ……ったく、年相応になっちまってよ。あー、ほら泣くなー」
 唯斗はトゥリンの閉じた瞳から溢れた涙が溢れていく光景に驚愕し、睡蓮は暫く言葉を失っていた。
「トゥリンさん、お茶、此処に置くね」
 真の呼び掛けにトゥリンが僅かに反応を示すと、京子がぎゅっと抱き寄せる。トゥリン・ユンサルという少女を理解する二人によって、彼女の共鳴は和らいでいるが、歌は未だ続いているのだ。
「――その涙、俺が止めてやる!」
 部屋に入った場所で立ち止まっていた唯斗がずんずんと大股でトゥリンの方へ向かうのに、睡蓮は慌てて彼の背中を追い掛けた。 
「ちと、荒療治だが……」そう言うのは分かっていたからだ。唯斗は真たちへ視線で断りを入れ、トゥリンの前に膝をついた。
「トゥリン、よく聞いてくれ。
 今、ここにお前の両親は居ない。親代わりのアレクも来れない。
 あいつはあいつでやらなきゃいけねぇ事がある。
 けど、皆が、俺がいる。代わりの代わりの自称保護者で悪いけどな」
 トゥリンの額に張り付いた前髪を横へ避けて、唯斗は微笑んで見せた。
「俺がずっと傍にいるから、だから泣くな。
 笑ってればお前は凄ぇ可愛いんだからよ」
 ――『悲しむな』とか、『乗り越えろ』とか、ンな酷な事を言える訳ねーだろ。なんだかんだでまだ子供なんだからよ。
 唯斗は密かに嘆息する。元々唯斗がここへきたのは、キアラからの緊急事態を伝える連絡があったからだ。スヴェトラーナにも何かが起こっている。何時も明るく、飄々としているように見える彼女たちは、唯斗の知らない何かを抱えていたのだろう。
(そもそも、俺はその辛さを知らない。スヴェータの苦しみも解らない。
 想像する事しかできねぇ俺が言っても、説得力なんざ有る訳ねー。
 だけどよ、ごく普通に育っただけの俺だから、普通に手を差し伸べられるんだ)
 唯斗が後ろを振り返り、睡蓮と視線を交わして強く頷いた。
「わかりました、唯斗兄さん」
 そう言って睡蓮が取り出したのは、『祈りの弓』だ。
 足を踏み開き、トゥリンの胸と一直線になると、気息を整える。
 絶え絶えの息の所為で不安定に上下するトゥリンの胸を見つめ、睡蓮は心身を合一しながら発射の機を待った。
 ――伝える感情は、静。
 全てが合致した瞬間、睡蓮の祈りを込めた矢が放たれる!
「トゥリンさん、目を覚まして!」
 矢は光りとなり、トゥリンの胸の上で弾け、雨のように降り注いだ。
 部屋に居る誰もが声を発する事を憚られるような残心の間に、トゥリンの瞼が揺れ、ゆっくりと開かれる。
 彼女は何も言わないが、皆の顔を見回してふっと安心したように微笑むと、京子の首に腕を巻き付け抱きついた。
 トゥリンにはもう、彼女の傍にいる人達が見えている。睡蓮は得心して、弓を手にしたまま部屋の外へ向かった。
「――夢魔として、巫女として、この所業は見過ごせません」
 睡蓮の放つ矢が、悲しみに共鳴する心を解きほぐしていく――。



 同じ頃、空京のある高層ビル――。
「――ハインリヒさんは何かに同調してるとか……」
 ジゼルとドミトリーから伝え聞いた内容を、屋上に向かうエレベーターの中で託は繰り返した。
「つまり正気でも失ってる感じかなぁ?
 彼の場合は寝かせるより起こしたほうがいいかもねぇ」
「ハインツは必ず助けるが、黒幕を倒さないと根本的な解決にならねぇ。
 おそらくハインツが正気に戻ったらそいつが現れる。それを見逃すわけにはいかない」
 陣の表情はいつも通りだが、声には怒りが混じっている。アレクやジゼルの為にもと言う彼の言葉を聞きながら、契約者に随伴していたプラヴダの兵士ハンス・メルダース二等軍曹が言い難そうに口を開いた。
「脅す訳じゃないんですが……、中尉――いや、Stabshauptmann(上級大尉)は、Heer(ドイツ陸軍)で”Freund Hein”って呼ばれてるんです」
 同じエレベーターに乗っていた契約者達の中で、このドイツ語混じりの言葉を理解出来るものは居らず皆が眉をひそめたり首を傾げたりした為、ハンスはもう一度言い直す事になった。
「Freund Hein。
 『ボーイフレンドのハイン君』。あの顔なんで、まあ……、憧れてる兵士も多いんです。でもFreund Heinってそれ一つで意味があって――」
 ハンスの声に被って到着の合図の電子音が響き、丁度エレベーターが最上階へ辿り着いた。此処からは階段で屋上へ上がる事になる。
 ハンスは此処で待機する予定らしく、階段下で足を止め、アサルトライフルのスリングを整えだした。
 一体彼が言いかけた言葉は何なのか。Freund Heinの意味を問おうと振り返った契約者達に、ハンスは漸く続きを口に出した。
「『死神』ですよ。
 くれぐれも用心を」