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魂の研究者と幻惑の死神1~希望と欲望の求道者~

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魂の研究者と幻惑の死神1~希望と欲望の求道者~

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 第9章 おいていかれて。 

「じゃあ、わたし達は部屋に戻るわね」
「…………」
 美咲達が部屋を出てから暫くして、ピノは寝息を立て始めた。それを見届けてからファーシー達が席を立つ中、黙って少女の寝顔を見つめているラスにザミエルは声を掛ける。
「まあ、色々と問題は山積みだし頭を抱えたくもなるだろうが、私も最後まで付き合ってやるから頑張れよ」
「…………。ん? あ、ああ……」
 何事かを考えていたらしいラスは、驚いたように顔を上げてからむず痒そうに返事をした。背後に立つ覚とリンが、視線を交わして微笑ましげに笑い合う。
「ちょっ……! 何笑ってんだよ……!」
「すまんな、つい……」
「ごめんね、つい……」
 慌てるラスと、謝りつつも笑い続ける2人を前に、ザミエルもまた笑みを浮かべた。夫婦の後ろにある時計が目に入り、ふと思いついた事を口に出す。
「ところでラス、いつかした約束は覚えてるか?」
「約束?」
「私にゴーヤチャンプルを御馳走してくれるという約束だ。腹も減ったし、どうだ? これから」
「! これから?」
 ラスは、反射的に時計を見て口元を引きつらせて身を引いた。
「まさか、作れって?」
 聞いた事を信じたくなかったのか確認してくる。「ああ」とザミエルが肯定すると、彼は素早く残っている面々と両親に視線を走らせて「いや」と言った。
「俺はぎりぎり頷いてねーし……飯なら食堂で」
「お父さんお母さんも、息子さんの手料理を食べたいですよね?」
「!」
 どこに話を振ってんだと目で抗議してくるラスを余所に、ザミエルは覚とリンに他意無さそうな笑顔を向ける。焦る息子を確実に確認しながらも意に介さず、いやむしろ積極的な姿勢でもって2人は言う。
「そうね。まだ何だかよそよそしくて悲しかったんだけど、手料理を通じたらもっと仲良くなれるかもしれないわ」
「ああ。どんなのを作るか興味があるしな」
「どんなのって、あんたが仕込んだんだから知ってるだろーが! ……リン……さんも、それ、食う側が言う台詞じゃねーから」
「さん付けなんて。前みたいに、お母さんって呼んでいいのよ?」
「い、いやそれは……」
「まあまあ、落ち着け落ち着け」
 ザミエルはどうどう、とラスの肩をぽんぽんと叩く。覚もリンも、この短時間で彼の立ち位置を感じ取ったようだ。しかし、あんまりイジメ過ぎると拗ねてしまう。
「私も一緒に厨房に立つよ。それならいいだろう?」
「…………」
 恨めし気なジト目を向けてきたラスは、諦めたらしく溜息を吐いて立ち上がった。

「これでも、レンと同じで料理は出来る方なんだ」
 キッチンを借りて準備をしつつザミエルが言う中、冷蔵庫を開けていたラスは苦瓜を手に苦いものを口にしたような顔をしていた。
「何であるんだよ、季節外だろ……!」
 苦瓜の旬は夏、今は真冬である。
「あって良かったじゃないか。こうして料理を作ってあげるだけでも親孝行みたいなものだぞ」
「……気恥ずかしくてしょうがねーんだけどこういうの……」
 ぶつぶつ言いながら、ラスは苦瓜を縦半分にまず切った。それを見ながら、ザミエルも豆腐の下処理を行っていく。
「大事にしろよ、こういう時間を……」

              ⇔

 翌朝――
「36度4分……。平熱になりましたね〜」
 体温計に表示された数字を見て、シーラはほわんとした笑みを浮かべた。がベッドサイドから立ち上がり、ほっとしながらも心配そうにピノに聞く。
「ピノちゃん、調子はどう? どこか痛くない?」
 ピノは額に汗を残しつつ布団から顔を出していた。一度瞬きしてから起き上がると、きょんっとした表情で全身を点検するように見回してみる。
「うん! いつも通り動けるよ!」
「……良かった。元気になったみたいだね」
 その翳の無い笑顔に、エースも安心して笑いかける。身体だけではなく、心の負担も随分と軽くなったことが伺えたからだ。
「ピノ、熱下がったか?」「大丈夫? ピノちゃん」「あ、あの……ピノさんの具合は……」「様子はどうですか?」
 その時、ラスとファーシー、フィアレフトとアクアが部屋に入ってきた。リン達も、背後から様子を伺っている。その中で、フィアレフトだけが何か申し訳なさそうに肩を縮めていた。
「もう平気だよ。昨日ゆっくり寝たからね!」
 満面の笑みで明るく答えるピノを前に、彼等は皆揃って安心を表し、次に皆揃って気まずそうに視線を見交わした。それぞれベッドに近付いてから、言い難そうにラスが言う。
「えー……と、それでな……ピノ」
「?」という顔の彼女に、まず昨日、葛葉から聞いたブリュケがこの時代で造っている物について、そしてLINについての話をする。未来から――別の時間軸の未来から来た母親が覚と自分、加えてピノを狙っているという事も。それから――
「昨日、美咲さんがお見舞いに来たでしょ? その後、わたし達しばらくここにいたじゃない。その間にね……」
 ファーシーが、少し残念そうな、悲しそうな表情を浮かべて言葉を濁す。フィアレフトは彼女の後ろに半分隠れ、余程報告し難いことなのかとピノが疑問符を増やしていると、そこでアクアがスパッと言った。
「全員、未来へ行ってしまいました。アーデルハイトもエリザベート校長も、もう2024年には居ませんよ」
「え……」
 ピノだけでなく、彼女にずっとついていた面々も驚きを露わにする。空気の凍りついた室内で、ぽかん、と口を開けていたピノはやがて、病み上がりとは思えない程の大声を出した。
「ええええええええええええええええええええええええええええっ!?」
 ――それは、外で寛いでいた鳥が一斉に飛び立っていくような――
 そんなとんでもない、大声だった。

「おばーちゃん! あたしがここに残るって、おばーちゃん達が言ったって本当!?」
 どうしてそうなったのか理由を聞いて、部屋を飛び出してダッシュして、階段を下りてマーリンを見つけて彼女に詰め寄る。こうなる事は十分に予想していたらしく、マーリンはお茶のカップを持ったまま慌てることなく「そうだ」と言った。
「ど、どうして!? あたし、そんな事ひとことも……」
「リスクがあるからだ」
「り、リスク……?」
 持ち前であろう鋭い眼光に怯んだのか少し身を引くピノに、マーリンは言う。
「ファーシー嬢とピノ嬢は、未来に行った時に決して安全とは言えないからな」
「だから……だからわたし達を置いて……? でも、それは皆……」
 皆、同じの筈だ。この世界と地続きだけれども地続きではない、数人からの話で聞いただけの世界に行くというのは、それだけでリスク0とは言えないだろう。ファーシーの言葉に応える代わりに、マーリンは彼女達に確認する。
「おまえ達も、もう『未来は変わっていない』可能性の方が高いと気付いているのだろう?」
「え……」
 心当たりなさそうにファーシーが驚く一方で、ピノはうっ、と言葉に詰まった。それなら、『未来が変わっているかどうかを確認に行く必要は無い』と言われるかと思ったのだ。
「そうだよ。でも、だからこそ未来に行って、何が起きたのかを確かめなきゃいけないんだよ!」
「……変わっていない未来、というのは、機晶姫や剣の花嫁を否定した未来、という事だ」
 負けずに言い返すピノの瞳を受け止めつつ、それを跳ね返すだけの重さを伴わせてマーリンは言う。
 それが、単なる事実を告げたものではないという事が間を置いて伝わり、ファーシーとピノはそれぞれに少し顔を伏せた。人工的に造られた命が『生命体』として扱われずに処分される。そんな世界に行けば――
「未来の者達は、過去から来たことなどお構いなしにおまえ達を殺すかもしれない。……そういう危険がある。特に、ピノ嬢は法制化に向けて動いた存在だ。他の花嫁よりも顔が知られているから、今の姿が幼くとも、成人したピノ嬢の姿を重ねて気付く者が出てもおかしくはない」
「…………」
 黙ってしまった2人に対し、マーリンは表情と口調を和らげた。
「何が起きたのかを調べるのはおまえ達じゃなくても出来る。それ以外に明確な目的がないのであれば、余計なリスクを負ってまで未来へ飛ぶことはない。気持ちは分かるが……」
 試験後の突然の襲撃で受けた精神的な傷も、まだ回復していないだろう。
 朝の光の中で、マーリンは笑みを乗せて彼女達に提案する。
「今はゆっくりと気持ちと体調を整えて、事態がこれからどう動くか、私と一緒に見守ってみないか?」
「…………」
 ファーシーは、黙ったままのピノの顔を覗き込んだ。少女は、頬を僅かに膨らませていた。怒っているのか、悔しいのか、多分その両方だろう。
「ピノちゃん……」
 マーリンの話は、ファーシーにとってはそれなりに納得の行くものだった。自分達の未来行きを反対する理由としては筋も通っている。勿論、出発前に今の説明をして、選択する余地を残して欲しかったとは思う。そこは、彼女の中でも靄として残ってはいるけれど。
 どちらにしろ、もう未来に行くことはできないのだ。
「これから追いかけることはできないし……せっかくだから、ゆっくりしない?」
 ピノは、まだ頬を膨らませたままだ。俯き気味に、両の手をぎゅっと握って何も言わない。誰かが答えを急かすことなく時は過ぎ、やがて、彼女は顔を上げた。
「ううん、あたし、未来に行くよ」
 それを契機に、室内で凝っていた空気がまた流れ出す。話を見守っていたフィアレフトを振り返り、ピノは言った。
「フィーちゃん、ブリュケくんはタイムマシンを造ってたんだよね。それなら、ブリュケくんの所に行けば未来にも行けるよね?」
「え? あ、それはそうかもしれませんけど、多分、まだ完成してないんじゃないかと……」
 ピノが『残る』と言った話を信じて皆を見送ってしまったことに引け目を感じていたフィアレフトは、相変わらずファーシーの後ろに半分身体を隠しながらそう答えた。ピノは一気に笑顔になって、残っていた皆に言う。
「だったら、完成させようよ! コクピットつけるだけなんだよね。それなら、きっと何とかなるよ。ブリュケくんも帰ってきてるかもしれないし……そうだよ、あたし、出来るならブリュケくんとも話がしたいし……パークスに行ってみようよ!」
「あの……」
 そこで、彼女達を見守っていた宿儺が、遠慮がちに話に加わる。
「宿儺も……成長したブリュケさんと話し合うべきだと思います」
「……そうね……」
 皆の注目が宿儺に集まる中、ファーシーは考える。ブリュケと話をする事は勿論、パークスにはもう1つの『タイムマシン』がある。自分達が使えるものではないという思い込みが先行していたが、まだ、未来に行く方法は残っているのだ。
「うん、行ってみましょう! ……でもピノちゃん、本当に体調は大丈夫?」
「ばっちりだよ! ……おばーちゃん」
 元気に答え、ピノはマーリンに向き直った。真剣な目からは、彼女の意欲が溢れている。
「未来が危ないかもしれないっていうのは解ったよ。調べに行ってくれた皆も、信用してる。でも……出来るなら、自分の目でその『未来』を見てみたいんだよ!」
 自分だけが原因ではないかもしれない。それでも、自分が関わった中で未来が変わってしまったんなら、その世界を直に見て、確認したい。
「それに……待ってるだけなんて、もどかしいから。あたしも、何かをしてたいんだよ!」
「……そうか」
 彼女の意思を認めたのか、こうなったら止められないと思ったのか、マーリンはそれだけ言った。ピノは、表情をますます明るくしてラスとアクアにも嬉しそうに言う。
「ね! いいよねおにいちゃん! アクアちゃん!」
「……そりゃ、お前が行きたいってんならついてくけど……」
 この展開は予測していなかったのか、ラスは驚きを残しつつも彼女に答える。異論は無いものの、アクアは施設に残っている人数とパークスまでの距離が気になった。
「ですが、どうやって行くつもりですか? 何か移動手段が無いと……」
「それなら、大丈夫ですよぉ。パークスにもひとっ飛びですぅ」
 そこで、ミュートが彼女達にガーディアンヴァルキリーの存在について説明する。窓の外、放牧場を出た平原に、巨大空母が泊まっているのが見えた。
「確かに、あれならすぐに行けますね……」
 次の指針が見えてきたことでフィアレフトも立ち直る。そうして、残っていた面々は、パークスへと向かうことになった。