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Buch der Lieder: 夢見る人

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Buch der Lieder: 夢見る人

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 遠い日――。
 窓から差し込む陽光があっても、何処か重さを感じるような暗い部屋で、ローゼマリーは静かに瞼を閉じて屋敷内の音に耳を澄ましていた。
 敷地どころか、体調が良く無ければ屋敷からも出る事の叶わない身だ。彼女の遊びは少々変わった――ともすれば歪んだとも言えるものだった。
(あらあら、誰か喧嘩してるわ。この声は……)
 兄と弟だ。と、ローゼマリーは理解した。
 分厚い壁は本来音を通さないが、彼女は耳がとても良かったし、大体窓が開け放たれているようで――二人ともとんだ間抜けだと思いながら――、上機嫌でハミングを紡ぐ。
 そして素知らぬ顔でピアノに向かったまま、待ち人が来るのを待った。
 コンコンと響くノックの音。
(ああ、やっときたのね)
 感嘆の声と笑いを隠しながら、ローゼマリーは彼を部屋に招き入れた。
(小さくて、可愛い、何も知らない私の弟――ハインリヒ)

「……どうしたの? 元気がないのね」
 手を差し出し、隣へ座るように導いて、優しい声音で話掛ける。そうすればハインリヒは何時もローゼマリーの望んだ通り、思った通りに動いた。
(だから大好きよ)
 小さな手をきゅっと握ると、ハインリヒはするりとコンラートとの喧嘩を内容を打ち明けた。彼は殆ど家の決まりのようになっていたある寄宿制の学校への進学を、土壇場になって取りやめたらしい。その事を知ったコンラートは当然怒り、弟を呼びつけた。そして互いに一歩も譲らなかった為、言い合いになったのだ。
「僕は兄さん達みたいに頭が良く無いし――」
 バツの悪そうな照れ笑いはただの言い訳で、弟の得意な嘘だ。ハインリヒが寄宿制の学校へ行かない本当の理由をローゼマリーは知っている。
(ハインツは私と一緒に居たいんだわ!)
 歓喜しながら幼い弟を抱きしめて、ローゼマリーは哀れっぽい声を出した。
「ハインツ、可哀想に。コンラートは本当に意地悪ね。
 …………あのね、秘密のお話よ」
 ローゼマリーが張りのない声を更に顰めると、ハインリヒは身を乗り出して来た。素直な反応にローゼマリーは気をよくする。
「私……ひとりぼっちが怖いの。コンラートとカイとフランツィスカは何時も学校で屋敷に居ないでしょう。
 アロイスも同じよ、何時も何時も何処かへ出掛けて……。
 私は行く事が出来ないのに! 皆私を置いていってしまう。もしあなたまで離れて行ったら、本当に一人になってしまうわ。
 ねえ、ハインツ。私達は何時迄も一緒に居るのよね」
「うん、ローゼマリー。僕は何処へも行かないよ」
「置いていかないでね、ずっと姉さんの傍に居てね」
「…………うん」
 俯いたまま返事をして、ハインリヒは抱きしめてくる姉の細い腕をやんわり押し返した。
「――先生に新しい楽譜を頂いたんだ。僕、部屋から持ってくるよ。素敵な曲だよ、ローゼマリーもきっと気に入る。
 あのさ…………歌っていたらそんな悲しい気持ち忘れちゃうから、だから元気出して」
「ええ、一緒に歌いましょう……ハインツ」
 ぱたぱたと駆けて行く小さな背中を笑顔で送り出していると、入れ替わるように部屋の外から低い声が響いた。
「卑怯者」と。
 ローゼマリーの愛らしい――作り笑顔をきっぱり撥ね付けたのは、アロイスの糾弾する声だった。
「君は卑怯だ。何も分かっていない子供を騙すような真似をして……縛り付けて」
 淡々とした口調に、ローゼマリーの感情が強く揺さぶられる。彼女は長い間大病を患っていた所為で、精神が酷く不安定なのだ。
 瞬間的に爆発し、声を荒げる事も少なく無かった。
「だってずるいじゃない! 皆外に行けるのに、皆自由なのに! 私だけ出来ないのになんでいけないの!?
 ハインツは私の弟よ、私がどうしたって構わないでしょ!? 本当の家族じゃない癖に!!」
 叩き付けた言葉に、言った側も、受け取った側も傷ついた顔で背中を向ける。
「余計なお世話か…………。悪かったな、部外者が口を出すような真似をして――!」
 アロイスが去って行く足音を聞き、はっとして追い掛けようと踏ん張った足はもつれ、言う事を聞いてはくれなかった。
 よろめいて、椅子の上に落ちた自分の情けない姿に、ローゼマリーはまたも感情がコントロール出来なくなる。
「この――役立たず! ポンコツ! 出来損ないの、ガラクタが!」
 振り上げた拳で何度も自分の足を思いきり叩いた。勿論痛みはあるのだが、ローゼマリーにとっては鈍いものだ。今迄彼女が受けて来た病気と、治療の苦痛を思えば、こんなものなんでもない。
「いらない! いらない! 何処にも行けない、こんな、自由になれない身体なんかいらない!!
 誰か一緒に居てよ! こんなの嫌よ! ハインツハインツハインツ早く戻って来て、姉さんの傍に居て、お願い、お願い、お願い早く、お願い…………アロイス…………!」
 どれだけ叫ぼうと、望もうと、身体は崩れ落ちてしまう。彼女の涙と身体に押し潰され、鍵盤は不協和音を弾き出した。