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リアクション
【真剣】
ある日、椎名 真(しいな・まこと)らが暮らす家の玄関口で――。
「温泉饅頭ですよ」
「日本人は温泉に行ったら饅頭を土産にするのだと聞いた」
「二人の言ってる事丸きり嘘だからね、真君」
袋ごと包みを押し付けるスヴェトラーナ・ミロシェヴィッチ(すゔぇとらーな・みろしぇゔぃっち)にアレクサンダル四世・ミロシェヴィッチ(あれくさんだるちぇとゔるてぃ・みろしぇゔぃっち)の適当な被せが続きハインリヒ・ディーツゲン(はいんりひ・でぃーつげん)の煌めく笑顔がしめるのに、真は笑い混じりにそれを受け取った。
実際彼等が出掛けたのは温泉でもなければ、土産が饅頭ではないのは、包みに書かれたラテン文字から分かる。何時もの如く『ちょっとした用事』で地球に帰っていた際の土産ものだろう。
「黒い色までは同じだけど、餡子じゃなくてショコラーデだ。
ほら、真君横浜でお茶がどうとか言ってたろう?」
お茶請けにどうかという言う意味らしい。
「でもハインツ、真の言ってたのは中国のお茶だよ。チョコレートと合うのかな」
「さあ? でも此れ美味しいよ。どうぞ」
にこりと微笑まれると有り難うと返すしかない。有無を言わせないやり取りが終わると、何かのついでに立ち寄ったという彼等は踵を返そうとそれぞれ挨拶を口に出す。そこで真の後ろから足音が響いた。
「なんだ、もう帰っちまうのか? 丁度良いと思ったんだがなぁ……」
原田 左之助(はらだ・さのすけ)がそう言いながら両手に何かを携えてやってくる。それを目に入れた途端、彼等の顔が俄に反応を示した。
「真剣勝負って言っただろう」
真の視線が『真剣』に向けられているのに気付いた左之助が、眼光鋭く言い放った。だがいきなりそんな事を言われても、真には理解が出来ない。真と左之助それぞれと手合わせの経験があるアレクとスヴェトラーナとハインリヒが突然証人・立会人に選ばれたのも、訳が分からなかった。
ただ分からなくともこの言葉だ。
「俺はお前の兄貴分になって成長を見てきた、お前さんもわかるだろ……
そういう奴ほど全力で戦ってみたいってのは」
――そう言われては、応えない訳にはいかなかった。
「とりあえず決闘みたいなものと思って良いのかな。
で、どちらかが死ぬ迄――って訳じゃあないよね。どちらかが続行不能になるまで、それでいいかな」
ハインリヒの質問と目配せに左之助が応えると、真も頷いて同意する。スヴェトラーナの声に、二人の戦いは開始された。
真が開始と同時に『暗器・霜橋』を投擲したのは、彼より高い左之助のリーチを考えての事だ。肉弾戦を主とする真は当然接近戦の方がやり易いのだが、より体格の優れた左之助を、不用意に接近させるのは危険だからだ。
自分に都合が良いように間合いを計るため、彼はこうした攻撃から戦いへと入ったのだ。
そんな『弾』は左之助の槍に弾かれ落ちて行くが、これはあくまで牽制目的だからそれで問題は無い。投げては弾かれのやり取りが数度交わされたところで、左之助が打って出た。
左之助がこの世界で真や仲間達と出会った事から手に入れた『不殺槍・星霜流』。
硝子の用に透き通った薄青色の穂の得物は、切れ味や鋭さをあえて排除した相手をなるべく傷つけぬように作られた槍だった。かつて真に用立てて貰ったその切っ先が、今、真目掛けて一直線に伸びて行く。
怒りや憎しみのような負の感情を一切排除した、澄み渡る程の心で。ただ義兄弟の間にケジメを付ける為に――。
「おおおッ!」
一発、二発と柄が扱かれ、三発目の直線の攻撃を、真は潜り避けながら左之助の顎を目掛けて拳を繰り出した。
鋭くスピードを持った攻撃に、離れた場所で見守るスヴェトラーナが息をひゅっと飲み込んだが、真の攻撃は狙いに届く事無く、左之助の槍の柄でそのままかち上げ去なされてしまう。
「惜しい――!」と、そんな声に背中を押されるように、真は即座に次の手へ動いていた。弾かれた勢いで回りながら蹴りを繰り出したのだ。
だがヒュンッと風を切り回る柄は、真の足を受けて止める。
「だったら次は!」
反対側にぐるりと回り、
「これだ!!」
そのまま右の外周から内側へ向かってフックを繰り出した。左之助は左腕でそれを阻みながら、刹那の間に二人の距離を考え『近すぎる』と判断して右手にあった武器を捨て、その手で真の襟首を掴んだ。
このまま頭突きでもするか、とそんな矢先に、真の左ストレートが左之助の顔面へ向かって来る。
ただ左之助も早い。その攻撃を仰け反って避けた。
だがこの真の獣が如き猛襲は、機械のような冷静さを以て行われていたものだった。真の手に握られたそれにハッと気付いた時には、すでにその場に発砲音が鳴り響いていたのだ。
当事者で無く全体を見渡せる位置にあっても、それらは凄まじいスピードで行われているやり取りだ。彼等の実力から頭一つ二つと抜けるアレクや、銃声に慣れ切ったハインリヒとは違い、スヴェトラーナが思わずと言った様子で眉をしかめる反応を示したのと時同じくして、耳元でまともに『音の攻撃』を喰らった左之助も反応がやや遅れる。
襟首を掴んで攻撃を続けようとした体制は低いままで、がら空きになったその瞬間に真は小型拳銃を握ったその手――グリップを打ち付けようと、斜め下へ振り下ろした。
息も、声を発する暇もなく、左之助は無意識に出した左手で真の動きを止め、そのまま後方へ向かって179センチの身体をぶん投げた。
自分が野生のカンに近いそれで反応しなければならない程の攻撃が来た事に驚き、そして喜びながら、左之助は倒れた真を遠くに見下ろし、口の端を僅かに上げる。
「腕を上げたな、真」
賞賛を口にして、左之助は居合い刀を振り抜いた――。
それからはどちらが先に倒れてもおかしくない、激しい応酬が行われた。
拳と、脚と、刀と、全身が空気をきり、皮膚を軋ませる。
痛みを抑える為か内蔵が煮えたぎるように熱く、戦いの高揚にどちらの顔にも笑みが溢れていた。
戦場に立つものにしか味わう事の出来ない激しい愉悦を、二人は味わっているのだろう。黙ってそれを見届けている三人の目にも、羨望の色が混じる程に、真と左之助は今この瞬間を貪り尽くす。
目の前で左之助の刃が切下ろされるのを左側に避けると、踏み込みの切り上げ行う狙う腕を踏みつけるように落した。
左之助がぐらりと体勢を崩す。
が、この頃になると真の体力も尽きかけていて、気の効いた攻撃を思いつかずに体重ごと横面を殴りつけるという単純な方法しか思いつかなかった。
すでに聴覚を麻痺させられている左之助は、最後の力を出し切るため刀を投げ捨てるように放り出して真を掴み、膝を入れ、顔面を殴りつけた。
がむしゃらな攻撃に吹き飛んだ真の肩が、土埃を上げながら三人の足下に転がる。
「…………ぅ……」
脳天にくる攻撃に視界は揺れ呻きが漏れたが、左之助も真の拳を受けて似たような状態だ。
被りを降りながら目眩を払おうとしていると、焦点があってきた視界に映ったのは立会人の顔だった。
こんなところまで吹き飛んでいたのか、という驚きと共に理解したのは、アレクとハインリヒが無言で真へ投げかける言葉だ。
二人はそれぞれ違う表情だが、言っている事は同じである。
「ここで止めるのか、続けるのか」
さあどうするのだと問う顔に、血の溜まって重い瞼をぐっと押し上げ、真は
(……負けたくない、兄さんだからこそ)
「超えたい――!」
想いと力。
持てる全てを乗せた最後の力が右手に宿して、真の一撃が、左之助へと向かう――。
「無茶するんだからもう!」
戦いの様子を影から見守っていた双葉 京子(ふたば・きょうこ)が出て来たのは、全ての決着がついた後だった。
真の渾身の拳は左之助に届いた。
しかし先に倒れたのは、真だった。
それが義兄弟の戦いの顛末である。どちらかといえば左之助が上回るものの、真剣勝負の名の下に善戦した真によって、互いにボロボロの状態で決着がついた為、労いより先に回復処置が施されている。
「満足した?」
聞くまでもないと思いつつも京子が問いかけると、どこか面目無いと言うような顔で白い歯を見せて、左之助から戦いの理由が語られる。
「――旅にって……左之助さん何処かに行っちゃうんですか!?」
驚いたのはスヴェトラーナだけで、以前左之助自身から話を聞かされたアレクとハインリヒ、そして戦いの前に聞いていた京子は勿論、真も薄々感づいていたという表情を浮かべた。
「拳合わせて何となく感じてたから驚かないよ」
「ああ、これで安心して此処を離れられる」
義兄弟の落ち着いたやり取りに、スヴェトラーナがおろおろと視線と両手を彷徨わせている。京子はそんな彼女へ静かに微笑んで言った。
「何処にいても、さのにぃはさのにぃ
真くんも、そんなさのにぃだから契約したんだと思うよ」
誰もが納得のいく結末に、悔いの無い終わりに口を噤むと、一筋の風が流れ込んだ。
それに誘われるように遠くを見つめ、左之助は心の底から息を吐き出す。
「楽しかった。楽しかったなあ、真」
* * *
あの戦い、そして左之助が旅立ってから一年程経った――2025年の秋の事だった。
蒼空学園の食堂の一角で、契約者への依頼をぼんやり眺める真のところへ、駆け寄って来た
ジゼル・パルテノペー(じぜる・ぱるてのぺー)が彼に倣うようにする。
「……あら、遠方の依頼が一つも無いわ?」
「うん。
さっき聞いたんだ。短髪の長身男性が、良い稼ぎになるからと旅のついでに引き受けてるんだって――」
「へえ、凄い人がいるのね…………」
ジゼルが相槌をうって、ふっと覗き込んだ真の顔は、懐かしいものを見るように穏やかな笑みを浮かべていた。
「兄さん、元気でやってるんだな」
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