|
|
リアクション
chapter.15 フロップ・ポーカー
「アクリト・シーカー学長、お会いできて光栄よ」
笑みを浮かべながら、タガザがアクリトに向かって歩み寄る。コツコツと鳴る足音に混じり、彼女の声が聞こえた。
「てっきり学長室、それかお洒落なバーあたりでお話してもらえると思ったけれど、学長もお忙しいのね。それとも気を遣っていただいたの?」
タガザのその言葉から、どうやら対面場所ををここに指定したのはアクリトの方であるようだ。
「このような場所で申し訳ない。学長室が移転中で、とても客人を呼べる状態ではなくてな。双方の多忙さも考慮し、極力移動時間が少ない方が良いだろうと思案した結果ここになってしまった」
もちろん、それは方便だった。なぜならアクリトは、気付いていたからだ。
講演会の後、直接会って話をしたい。
タガザからそう申し出があったのは、講演会が始まる前のことだった。アクリトはそれを受け、「講演会が終わった後も講堂に残るので、そこで良ければ」と返事をした。学長室でも、学外でもなくその場所を彼が選んだ理由。それは、ある程度の広さと見晴らしの良さ、生徒たちが近くにいるという条件が整っていたのがこの講堂だったからである。
理屈は単純であった。
タガザに関する不穏な噂やセンピースタウンで流れている情報を頭に入れていたのは、何も涼司や蒼空学園の生徒たちだけではない。アクリトも彼ら同様、当然その話を耳にしていた。加えて、涼司の忠告。彼は、念のために警戒をしていたのだ。タガザが、何か企んでいる可能性があるということを。周囲に生徒がおり、場所も問題ないと判断したアクリトが面会場所に講堂を選んだのは、それを踏まえれば当然の流れと言える。
もっとも、警戒をしているならば「会わない」という選択肢もあった。
しかし、警戒しているからこそ、あえて「会う」ことを彼は選ぶ。それはアクリトが、タガザの真意を計りかねていたからである。目的が分からないという不安要素を排除するため、アクリトはタガザと接触しそれを露呈させようとしていた。そしてそれは同時に、彼が先程生徒たちに告げた言葉に嘘がなかったことを裏付けていた。
自身とタガザとの面識がないということ。またタガザが一連の事件に関与していたとしたら、アクリトがウイルス以外の事件に関与していないということを。講演会を受け入れた理由を問われた時の「対外アピール、大学の受け口の広さを示したに過ぎない」という答えも、本当ではないが嘘でもない。おそらくアクリトの本心としては、タガザの依頼に自身が撒き餌となることで応えた、という方が近いのだろうが、そういったヒロイズムを口にするのは彼の好むところではなかったのだろう。
「場所の件は分かったけれど……大人同士が会う場所に、その子たちはちょっとだけ不釣り合いね」
アクリトの返事を聞いたタガザは、彼の護衛についている生徒たちに目を向けて言った。
「これは護衛の生徒たちだ。シャンバラが何かと物騒なので、念のためだ。まあ、社会見学の聴衆のつもりで気にしないでほしい」
「ふうん、随分と社会科見学に積極的な学生さんが多いのね」
「我が校は、勤勉で知られているのでな」
「それは良いことだけれど、さすがに人が多すぎてガヤついてしまいそうね。私は静かに語り合う方が好きよ」
単純にアクリトとふたりで話がしたいのか、鏨が予想したようにアクリトに何かを仕掛けようとしているのか、あるいは別の目的があるのか。彼女の目的はまだ見えない。しかし、アクリトとふたりになりたがっているのは、会話から充分に読み取れた。同時にそれは、アクリトにより危機感を抱かせる。それ故、彼も言葉巧みにそのシチュエーションを避けようとした。
言うなれば、挨拶を交えた会話をしながらも腹の中を探り合い、心理戦を行っているような状態である。しかしここで、タガザが手札の一枚を切った。
「ほら、周りに人がいては、話しづらいこともあるでしょう?」
口の端を上げ、彼女はそう言った。それはあたかも、アクリトが生徒たちに見せることの出来ない爆弾を抱えていたことを知っているかのような言い方であった。一瞬驚いたアクリトだったが、返事に窮することはなかった。彼は先程生徒たちに告げた事実、そして涼司のことを思い浮かべる。自分が火をつけた導火線は、既に晒した。隠すことはもう、彼の中になかった。
「問題ない。生徒たちに話すべきことは話してある」
毅然とした態度で、アクリトは答えた。そのやりとりを聞いていた生徒たちも、そこでいよいよ感付く。
アクリトが言った「話すべきこと」とは、おそらく彼がしでかした行いのこと。つまり、アクリトがそう答えたということは、タガザはそれを知っていたのだということに。それが示すのは、彼女がただの人気モデルではないという事実だ。アクリトが会話の中に忍ばせた毒が、彼女の手札を諸刃の剣へと変えたのだ。
「……へえ、そうなの」
既に生徒たちの目は、自分の一挙手一投足に向けられている。一杯食わされた彼女だが、彼女にはまだ手札が残っていた。
「パルメーラのことも?」
モデル以外の顔を持つと晒されたなら、その顔だからこそ言える言葉がある。アクリトも、まさかそこまで踏み込んでくるとは想定していなかったのか、一瞬言葉に詰まる。確かに彼は、話すべきことを話した。しかし、話すべきすべてを告げてはいなかった。
アクリトには、罪がある。
ひとつ目の罪は、ウイルスを涼司のパソコンに仕組んだ罪。ふたつ目の罪は、罪を隠していた罪。そしてみっつ目の罪を、おそらく目の前のこの女性は知っている。パルメーラがなぜ、アクリトのそばを離れているかを。
「彼女を、知っているのか」
聞かずとも分かっている質問。だがそれが、アクリトが言えるギリギリだった。なぜタガザがパルメーラ不在の理由を、自分がパルメーラについて話せない事実があることを知っているのか。その疑問に対する明確な答えは出せない。ただ言えることは、虚勢や欺瞞を含んだ返答をしていたなら、彼女は平然とその罪を告げただろうということだ。
隠すことはもうない。それは本当のことだ。ただ、話すべきタイミングと人選が最悪の方向へ進んでいる現況は避けなければならない。アクリトの顔に、じわりと汗が浮かぶ。その時、アクリトとタガザの間を塞ぐように黒崎 天音(くろさき・あまね)とブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)が並び立った。彼らもまた、アクリトに護衛を許可された生徒たちであった。
「パルメーラさんは、ここ最近大学にいない。それを承知の上で言っているのだとしたら……何を根拠に得た知識なのか、気になるね」
ふたりの会話に耳を傾けていた天音は、タガザの言葉に引っかかりを覚え、そう口にした。自分の後ろにいるアクリトについても気がかりなことはあったが、彼は前にいるタガザへの疑問を優先させた。
「それとも、根拠なんて必要ないほど知識が蓄えられているのかな? たとえば、魔道書のような」
「パルメーラは、魔道書でありながらその本体はスマートフォンだと言う。これはパターンとしては、珍しい部類に属するはずだ。市場を調べてみても、『アガスティア』以外のスマートフォンはさほど普及していなかったのだからな」
魔道書という単語を出した天音に続くように、ブルーズはここに来るまで調査していたことを報告する。
「だがそれは、もうひとつの可能性を示唆しているとも取れる。魔道書とは何も本やCDに限らず、記録さえ出来ればどんな媒体でも構わない……つまり」
「魔道書センピース、なんてものが存在していても不思議じゃないかもしれないってことだよね、ブルーズ」
ブルーズが言おうとした結論を奪い、天音がそう口にした。若干不服そうなブルーズを尻目に、天音はタガザに向かってそこから導き出した考えを言葉にして発する。
「魔道書は人の姿に化けるというけれど、パルメーラさんに取って代わるつもりかい?」
彼女は、センピースの魔道書なのではないかということを、その問いは暗に示していた。それが、ふたりがタガザに対して抱いた考えだったのだ。
「君は……こないだお洒落な褒め言葉をくれた子ね。勘繰るのが好きみたいだけれど、私が理解するには君の話は飛躍しすぎてるように思うの」
天音と一度接触したタガザは、彼が以前「美しい花嫁」と自分を賛美したことを思い出す。だがしかし、彼の言葉を肯定はしない。それどころか、まるでお遊びでからかうようにタガザは、天音に言った。
「君の言葉から察すると、そのパルメーラさんは取って代わられるような状態に今あるってことなのかな?」
彼女はほんの戯れに過ぎない感覚で言ったに過ぎなかったが、捉えようによっては、タガザがパルメーラに危害を加えたと聞こえなくもない。天音は、敵意にも似た感情を滲ませながら言葉を返す。
「パルメーラさんに……何をした」
「誘拐犯みたいな言われようね。誤解よ。そう聞こえたのなら謝るけれど」
眉を下げ、タガザが弁明する。この場にいる生徒たちの目は、見事に彼女に集中していた。彼女の言動に違和感が生じれば、誰かは必ず気付くくらい人数もいる。それでも、タガザの言葉つきや所作に変化は感じられない。ということは、少なくともパルメーラを誘拐したという事実はないように思えた。
アクリトや天音との会話から今の時点で判断できるのは、タガザがパルメーラについてどういうわけか幾らかの知識を有しているということ、おそらく魔道書である可能性は低いだろうということくらいだろうか。
しかしこの直後、講堂に新たな客人が現れたことで状況は一変する。
バタン、と勢い良く扉の開く音が突如聞こえ、反射的にその場にいた誰もが音の方を向いた。
そこには、数名の生徒を連れた愛美の姿があった。
「やっと会えた。タガザ……ううん、幽霊船の魔女!」