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リアクション
第一章 つみの花2
「どうして、こんなになるまでほっといた」
空京大学医学生ラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)が七刀 切(しちとう・きり)が担ぎ込んできた明仄を診察していた。
遊女の口にあてがったガーゼのあざやかな鮮血と、肺からの雑音。
ラルクの表情がこわばった。
「微熱もあるな。マホロバ人に効くかはわからんが、このままにしてもおれんだろう。現代医学じゃ駄目だったら……魔法医学の方かもしれんが、薬をだすからそれを飲め。あとはもっと精つくものを食べて、おとなしくしていることだ」
ラルクは以前に診た下級遊女を思い出したが、明仄はそれとは違う病であると考えた。
だが、彼の見立てが正しいとするなら、彼女の病はかなり進行しているだろう。
「空京の病院に入院したほうがいいと思うが……その様子じゃ、ここを離れる気はなさそうだな」
ラルクは空京の病院に入院している男のことを想う。
明仄の熱を帯びた殺気立った視線を浴びて、ラルクは溜息をついた。
「あそこなら……よく知っているし、俺も助かるんだが」
「アタシは東雲の遊女だよ。ここを出るときは……死んだときぐらいだろ。それより」
そういって、明仄はラルクに手を差し出した。
「なんだ?」
「煙草……おまえさんからは煙草の匂いがする。アタシにもくださいな。キセルじゃないのが嫌だが、この際なんだっていいよ」
「ダメに決まってんだろう。アンタ、肺をやられてんだぞ」
やや離れて、部屋の戸越しに、声のでない紫煙 葛葉(しえん・くずは)と面で顔の殆どを覆っている黄泉耶 大姫(よみや・おおひめ)がいる。
明仄の診療は、彼女たち契約者の天 黒龍(てぃえん・へいろん)からの依頼だという。
大姫たちは明仄の側にやってきた。
葛葉が無言で紙切れを差し出す。
大姫が説明をした。
「はじめに言っておくが、逃げようと思っても無駄じゃからな。そこにいる葛葉は言葉は話せぬが、腕は立つからな。これは……天 黒龍(てぃえん・へいろん)の命もかかっている」
明仄が手紙に目を通す。
そこには影蝋(かげろう)と芸者が、蒼の審問官 正識(あおのしんもんかん・せしる)に会うため、第四龍騎士団に向かうとあった。
「その影蝋とは、わらわの契約者のことじゃ。正識は、あの男は……エリュシオンにマホロバを売ろうとしておる。まさに国を滅ぼそうとしておるのじゃ……他人事では済まされぬわ!それを黒龍達は……っ!」
大姫は、そのために知っていることを全部話して欲しいといった。
「彼奴から何か聞いておらぬか。黄金の天秤のことやその皿、あの男の持つ聖十文字槍について?」
「……知りませんよ。アタシはただの遊女。天下も恐れる瑞穂藩の大大名様とそんなご縁があるなら、ぜひあやかりたいほどですよ……」
「そなたは、マホロバを何とも思わぬのか。国滅んでも良いとでも?」
「ああ、正識を止めるのを手伝って欲しい。このままだとマホロバが滅んじまうからな」
と、ラルクも大姫に続いて言った。。
「できるだけ戦わずに済むなら、戦わないで穏便に済ませたいしな」
明仄が彼らを睨みつけ、彼女をここへ連れてきた切をみつめた。
「七刀様、あなたもグルなのかい? そのために、わざわざ竜胆屋まで来てアタシを買おうとしたんですか?」
「ワイは知らんよ。たまたまだって。ただこのままじゃ、明仄さんも幸せになれないなと思って」
「アタシは、身ひとつでここまで来たんです。誰にも迷惑かけずにね。同情される筋合いもありません……!」
明仄は立ち上がり、ラルクの制止も聞かず宿を出て行こうとしている。
とたんに、遊女の身体がぐらりと揺れた。
「危ない! 明仄さん!」
東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)が戸口で叫び、要・ハーヴェンス(かなめ・はーべんす)が飛び込んで彼女を支えた。
要はハッとして、慌てて明仄から身体をはなした。
「すみません……! 大丈夫、ですか?」
明仄は返事もせず、要を見上げていた。
遊女に見つめられて、色事には鈍感の要もさすがにどぎまぎしていた。
もともと遊郭のような場所は苦手なのに、秋日子の名前の縁なのか、彼は今もまた遊女の前に立っている。
彼らは明仄が密かにここへ運び込まれたと聞いてやってきていた。
「……大丈夫ですか?」
「限界だよ、身も心も。明仄さんには、自分の気持ちに正直になってもらいたいよ」
秋日子が苦しそうに言った。
「私たち、明仄さんのことが気になってまた来ちゃったよ。マホロバのためにとか大きなこと、私には向いてないし、正識(せしる)さんの味方をする気はなけど……マホロバとか関係なく、私は一人の人間として明仄さんの力になりたいよ」
秋日子はまっすぐに明仄に問いかけた。
「余計な御世話かな?」
「アタシは……」
明仄はぐったりしたように俯いていたが、やがて顔を上げた。
「アタシは一人でやれます。人様のやっかいになるくらいなら、そのまま果てたほうがマシです。それとも『助けて』としおらしく言えば、どうにかなるというんですか。遊女が言ったところで、誰が信じるというんです。嘘を商売にしている女のことを」
「言ってほしいよ。嘘でもいい。『話してくれた』ことが嬉しいから」
秋日子の言葉に明仄は黙りこんだ。
「ほんとのマホロバの敵は何なのか、知りたいよ」
「敵……アタシはどうなってもいい。だけど、あの方を助けて……ください」
「正識さんのこと?」
明仄は頷く。
「あの方に……もう、あの天秤を使わせないで……!」
「それは、やはり天秤は危険なものなのじゃな。いったい何があるというのじゃ」
大姫が眉根を寄せていた。
皆が彼女を見つめていた。
明仄は両手で顔を覆いながら、慟哭している。
「あの天秤は何なのじゃ。マホロバの黄金とユグドラシルから出来ていると正識(ごしき)はいっておったが?」
「詳しいことはアタシも知らない。けれど、あの黄金は元は鬼城家が持っていたものだと聞いた。鬼の宝なんて……恐ろしい物にきまってるじゃないか」
明仄は怯え、青白い肌が一層白くなっていた。
「あの方の……命が吸われてしまう。アタシは遊女だからわかる。遊女だから……」
彼女は出て行く間際にこう言った。
「診てくれてありがとう。でも、もう必要ないから。アタシのこと、誰にも言わないでおくれね。こっちは商売してんだから」
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「おぬしの言う意味もわかるぜ。影蝋の我なら」
秘伝 『闘神の書』(ひでん・とうじんのしょ)がこれから仕事にいくついでだからと、明仄を竜胆屋まで送り届けていた。
彼は「影蝋と遊女とは、商売敵かもしんねんけどなァ」と笑っていた。
「朝までに戻んねえといろいろと面倒だろ。楼主とはうまくやっていくもんだ」
「アンタも変わってるね。遊女に優しくしたってなんの得にもなりゃしなしだろうに」
「そんなつもりはねえ。我は影蝋さ。なに、ちょっとばかり客をよこしてくれりゃいいんだ。龍騎士や瑞穂藩なら歓迎だ。正識の槍や天秤のことききてえしな。おぬしが教えてくれねぇなら、そうするしかねえだろ」
「何だ、仕事の話かい……わざわざ幕府の息のかかった東雲にやってくるかね」
「まあ、そんなこったろうとは思ったけどよ」
「正識様が影蝋になったのは、マホロバ人を深く知りたいと仰ったからだよ」
明仄は白々と明るくなり始めた空をみている。
「あの天秤でマホロバ人の魂を測っているっていうけど、アタシにはそう思えないんだよ。何か恐ろしいものを感じる。天秤が正識様を吸い取ってしまうようで……」
「おぬしがそう思うんなら、そうなのかもな。色恋沙汰には百戦錬磨のおぬしがな」
『闘神の書』の言葉に、遊女は口の端を歪めた。
「アタシは客以外の男は知らないよ。あんな完璧な男(ひと)……アタシがあんたみたいに男に生まれてくれば……」
「男だったら、正識に愛されたと思うか?」
『闘神の書』の率直な問いに、明仄は薄く笑った。
この影蝋は何の後ろめたさもなく、己のままに生きているようだと彼女は羨ましく思った。
「いいや。結局、アタシはアタシだろうね。アンタは女に生まれていたら、好きな男に愛されたかと思うかい?」
「さあな。我は我である以外、考えられねぇな」
「じゃあ、おんなじだね」
明仄は竜胆屋の裏口からそっと身体を滑りこませる。
『闘神の書』は仕事だからと客の元へ向かった。
遊女は戸口を閉め、独りごちた。
「生まれ変わったら……ね」
死んで花実が咲くのなら、その方がいいと彼女は思った。
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