リアクション
卍卍卍 パラミタ大陸の中央に広がり、大陸最大を誇るエリュシオン帝国。 そこにそびえる世界樹ユグドラシルの中に、巨大な街が作られていた。 人々は世界樹の余りある恩恵を受けながら、高度に文化的な生活を送っていた。 その帝都で、マホロバの前将軍と瑞穂睦姫(みずほの・ちかひめ)の間に生まれたとされる穂高が大事に育てられていた。 ……筈であった。 蒼の審問官 正識(あおのしんもんかん・せしる)がその知らせを受けるまでは。 「『鬼』の兆候だと? それでアスゴルド大帝は私を呼び戻し、穂高を捕らえたのか」 高官の説明のまま、正識たちが穂高が監禁されている場所に赴くと、そこには角を生やし、鎖でつながれた幼児の姿があった。 「穂高! ああ……なぜ、こんな姿に!」 託卵で視力の弱いファトラ・シャクティモーネ(ふぁとら・しゃくてぃもーね)でさえも、朧気ながらその姿を知ることができた。 彼女は穂高に駆け寄り、必死に鎖を外そうとしているのを高官たちに止められていた。 正識は訝しんでいた。 「キミたちは一体何者なんだ。なぜそれ程、穂高のことを?」 「……それは」 「真実を話せ。でなければ……全て消し去るのみだが、聞くまでもないか?」 正識が黄金の天秤を目の前にぶら下げると、ファトラに付き従っていた白鋭 切人(はくえい・きりひと)が間に入った。 「パラミタ人である前将軍と地球人であるファトラの子である穂高は稀な存在。しかも、鬼の兆候が現れた子は今まで存在しなかったのでは? 『天鬼神(てんきしん)』の血と地球人の血に子が、どんな風に育つのか知りたくありませんか?」 「どういうことだ。この子は、一体……」 「その子は、私の子です、正識様……この子と瑞穂の将来を思って、帝都で教育を受けさせたいと。愚かな母の願いだったのです」 ファトラはこれまでの経緯を話した。 龍騎士漆刃羅 シオメン(うるしばら・しおめん)がやってきたとき、代わりに赤子を入れ替えたことを―― 正識の顔色が一層青くなる。 「それでは……本物は……?」 「お待ちください! 私は助けていただきたくてお話ししたのです。穂高の命を奪うことだけはおやめください!」 偽物と知った正識が、すでに槍を構えている。 矛先は子供に向けられていた。 ファトラが悲鳴を上げたとき、辺りに重い空気が立ち込め、高官たちがざわざわと騒がしくなった。 「止めよ」 地を這うような声が響く。 エリュイオン帝国アスゴルド大帝がそこに居た。 正識が跪く。 「陛下……このような場所に……」 「その者が何を言おうと、鬼の子であることは明白。この者がどう成長するか見てみたくもある。。龍騎士になれるならそれもよし……役に立たねばその時、始末すれば良い」 「ですが、この子は瑞穂の子ではありません」 「だからどうした」 正識の訴えに、アスゴルドはさほど興味を示さなかった。 大帝は、この新しい力を『実験体』にくらいにしか思っていないようだった。 アスゴルドの実験体とは、いかなるものであるのか……正識は聞き返すことができなかった。 ファトラたちは歓喜しながら、大帝に呼びかける。 「穂高ならば、必ずアスゴルド様のご期待にお応えできますわ。エリュシオンは力あるものが、能力が全てですよね? ここにいる審問官様のように! 穂高ならば見事、帝国とマホロバ、そして地球の架け橋となることができるでしょう。この子をおいて他ありませんわ!」 彼女は正識の横顔を見ながら、アスゴルドの同意を得て勝ち誇ったようにこう付け加えた。 「正織はマホロバから鬼を滅ぼすと仰せですが、私は同調しませんわ。マホロバはマホロバ人のものです。帝国とより結びつきを深め、やがて瑞穂を導くものが、マホロバを統治すればよいのです。そうでなくて、蒼の審問官様?」 卍卍卍 「どうしたのですか。ずっと樹の下で座り込んでいる。何があったというのです」 天 黒龍(てぃえん・へいろん)が深夜佇む正識に声をかける。 正識はずっと黙りこんだままでいた。 「なぜ私をここに連れてきたんです。貴方は悔い改めろといったが、マホロバを離れてエリュシオンに来ても、何が罪だったかわからない。私は、己で見聞きした物しか信じられぬ性分なので、一方的に決め付けられるのは納得がいきません」 正識はゆっくりと顔を上げた。 端正な顔は、幾分と焦燥しているようだった。 「世界樹ユグドラシルは絶対だ、今までもこれからも変わることはない。しかし、マホロバは違う。人々は扶桑に翻弄され続ける。風に舞う、木の葉のように」 「私の罪が、ただ翻弄されているというのであれば、私は一生その罪から逃れられないかもしれない。現に今、貴方に翻弄されている……」と、黒龍。 「僕も知りたいよ。気付けないことが罪だと言うなら、気付くための努力をしたい」 盲目の高 漸麗(がお・じえんり)は、黒龍の手に自分の手を重ねながら言った。 黒龍は正識の手元にある『黄金の天秤』を見つめる。 「それが、貴方が『正しい』とするユグドラシルの下す裁きなのか。正しい者、正しい世界とは何なのか。貴方と同じ目線に立てば確かめられるのですか?」 正識は立ち上がり、天秤をユグドラシルに向かって掲げた。 「迷いは人の心を乱す。迷うものが多ければ多いほど、その針は揺れる。乱れは争いを招き、人々を光から遠ざける。導きは必要だろう。キミたちも、導く側になるといい。それには確固たる指針が必要だ」 「……では、私の身を貴方の側に置いてくれませんか。貴方と同じものが見たいのです」 影蝋である黒龍は、正識に身請けを願い出た。 むろん、東雲を離れ瑞穂へ赴き、こうしてエリュシオンに来ている時点で、彼の願いはほぼきき遂げられているだろう。 「それは構わない。しかし、もしキミが何らかの感情から言ってるのなら、私はその感情には応えられないよ。キミだけじゃない、他の誰にもね。なぜなら感情ほど、この世で最もあてにならないものはないからね。常に変化し続けるものが確かだと言えるか? 例えそれが普遍と言われる親子の愛情でも、だ」 正識は先程のファトラ親子のことを気にかけているようだった。 なぜ、あの母親はこう容易く子を捧げることができるのだろう。 もし、アスゴルドがいなれけば、その場で親子ともども串刺していただろうと語った。 黒龍は初めから正識から精神的な防御策をとられたことに苛立ちを覚えたが、ひょっとしてこの男は、自分以上に人を信じられないのではないだろうかとも考えた。 「何を恐れているのです。その天秤に惑わされているのは、他ならぬ貴方自身なのではないですか?」 「迷いはない。私はこの天秤に忠実に従っている」 「では、どうしてそんなに苦しそうなんです」 黒龍は両手で正識の顔を挟み、青く光る瞳を見つめていた。 「ただ一刻でいい。忘れてください。私が、忘れさせましょうか?」 |
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