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【Tears of Fate】part1: Lost in Memories

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【Tears of Fate】part1: Lost in Memories
【Tears of Fate】part1: Lost in Memories 【Tears of Fate】part1: Lost in Memories

リアクション

「!」
 油断がなかったといえば嘘になる。
 冷たい感覚は一瞬、つづけて、燃え上がるような熱が美羽の肩を襲った。
 クランジΠは起き上がるや否、鍔のない長剣状のものを美羽の肩口に突き刺したのだ。刀は、崩れた本の山に隠していたようだ。アサシンダガー、武器は一般的にそう呼ばれているものだった。
「パイ……! どうして……」
 傷の痛みより、精神的ショックに呆然としながら美羽は言った。
「一体、どうしたというのですか! 美羽さん!」
 ベアトリーチェは弓を背中から下ろす。だが矢をつがえるかまだ迷いがあった。そもそも、美羽が、パイの間近にある以上、下手な動きが取れない。
「パイと言ったね。きみは一体……」
 舞い降りたコハクとてうかつには動けない状況だった。
 パイがぐるりと美羽の体を反転させ、その喉元に剣を当てて人質に取ったのだ。
「契約者たちの実力は着実に上昇していると聞く。我々と対等に戦えるレベルになりつつあると」
 パイは、暗い目をして言った。
「それなのに何故、貴様らはこうも甘い?」
 パイは、すでにパイではなくなっていた。
 飾り気のない黄金の半仮面をつけた少女であった。涼やかな口元に白い肌、黒い髪をしている。
 小柄だが、体にぴったりとした黒のライダースーツのようなものを着ておりなかなかのプロポーションだ。背も、パイよりは高いようだ。
「あなた、クランジΚ(カッパ)さん、ですね」
 相手を刺激せぬよう落ち着いた声色でベアトリーチェは言った。
 冷静にならなければならない……内心の焦りとは別に、片手を上げてコハクを制すと、ベアトリーチェはゆっくりと語りかける。
「あなたのことは聞いています。暗殺者だとも」
 コハクは槍を構えているが動かず、口も開かない。下手に動くと危険だ。ここはベアトリーチェに任せる意志だった。
「そのあなたが、殺せるはずの美羽を殺さなかった。肩を刺せば無力化はできるかもしれませんが、契約者相手ならそうそう死ぬような傷にはなりません。それは何故なのでしょう?」
 Κが何も言わないのは予想済みだ。カラカラに乾いた喉でベアトリーチェは続けた。
「私たち二人を相手に逃げ切れる自信がなかった……と考えるのは自惚れでしょうね」
 ベアトリーチェは緊張で膝が震えそうだった。しかし気合いでこらえた。相手に弱みを見せてはいけない。
「始めから殺す意図はなかった、と考えたほうがよさそうです。そうでしょう?」
 左肩を突き刺され、右腕を捻って背中に回された状態であるにもかかわらず、美羽は痛みや怒りより、哀しみを感じていた。
(「この人がクランジΚ……あの非道なΛ(ラムダ)に並ぶ残酷なクランジだと聞いてた……? けれどそれ、誤解なんじゃないかな……」)
 だってこの人、と美羽は思った。
(「怖がってるもの。いま、私やみんなが怖がってるのと同じくらいに。Λとは、違う」)
 腕を通してΚの鼓動が聞こえるようだ。
 Κはベアトリーチェの問いかけに対し、否定も肯定もしなかった。ただ、
「黙って自分を行かせろ。そうすればこの女は放す」
「美羽だよ……」
 美羽は、首を傾けてΚに話しかけた。
「……私、小鳥遊美羽。パイの友達よ。あなたとも、友達になれるかもしれない」
「なんという」
 甘いことを、と吐き捨てるようにΚは言うと、己(おの)が顔から引き剥がすようにして仮面を取った。
 クランジΚは、美羽の姿に一変していた。
「いずれ自分はパイを殺さねばならん。その後でも、同じ台詞が言えるか。自分自身に宣誓できるか」
「私をどうするって!」
 Κは振り向かなかった。その声の主を知っているからだろう。
 ベアトリーチェは息を呑み、美羽は笑顔になった。
 クランジΠ(パイ)、本物のパイが姿を見せたのだ。
 口にくわえるのはビーフジャーキー、フランス人形のような顔となりをしているのに、彼女は干し肉を粗野にびりっと食い千切って、
「もう一度聞くわ、Κ。私をどうするって!?」
 がしがしと、音が聞こえるほどに強く噛んだ。
 決定事項、とばかりにΚは断言した。
「殺す。今すぐではないが」
 美羽の姿をしたΚと、パイ。
 二人のクランジは対峙した。
 パイは目を怒らせている。
「いい度胸じゃない。私の超音波(クライ)を浴びてもそれを言えるかしら?」
 押さえた口調でΚは宣言した。
「やつらの甘さに毒された貴様が、今の自分を倒せるとは思わないが」
 Κは美羽を解放したわけではない。美羽が美羽の喉元に刃を当てている――そのような狂った状況なのである。
 だがパイは息を吸い込んだ。大きく息を吸う……これは、パイが超音波攻撃を口から発する合図だ。
「やってみろ。私以上にこの女はダメージを食うぞ」
 美羽(Κ)の目に挑発的な色が浮かんだ。しかし、
「今よ!」
 パイの口から飛び出したのは破壊力のある超音波ではなかった。叫びだった。
 このとき、
「任せよ!」
 よじ登っていた本棚より、草薙武尊が飛び降りたのだ。
「……!」
 Κは剣を一閃して武尊をはねのけた。しかしその合間を縫って美羽はΚの元から逃れていた。
 美羽を追わんとしたΚだが、その足元に槍が突き刺さる。
 槍は、びいん、と左右に震えた。コハクが投じたものだ。
「美羽を殺さなかったこと、それを評価してわざと当てなかった」
 もう一本の槍を利き手に握りつつコハクは言った。
「でも次は、当てるよ」
 ロイヤルガード屈指の槍使い、コハク・ソーロッドの言葉は単なる脅しではない。
「ほらあんた、武尊って言うんだったっけ? 立てる?」
 パイが武尊に手をさしのべた。
「ああ、斬られたが、幸い服が切れただけだ。日頃の行いが善かったからかの」
 武尊は爽やかな笑みを見せた。
「我も、初めてパイ殿の役に立てたようだの」
「いいえ。三回目よ」
 パイは――武尊にもらったビーフジャーキーを囓りながらパイは言った。雪山のジャーキー、とこのジャーキーの分も計上されているのだろうか。
 だが少々、この騒ぎは音を立てすぎたようだ。
 本棚の一つが破裂した。そこから電磁鞭を操る灰色の人形少女が出現した。
 しかも、一体ではなく。
 何体いるのだろうか。無表情のマネキンが、両腕の鞭を振り回しながら入ってくる。
「量産型……!」
 このとき、Κの呟きは鞭の音にかき消されていた。
 量産型が鞭で床を叩いた。電光が散り、光の矢のようになって一行を襲う。こういった攻撃もできるらしい。
 たちまち乱戦となった。
「図書室で戦闘とは……仕方ないとはいえ……」
 本棚が倒れ、貴重な書物が犠牲になるのを武尊は悔しげに見つめるほかない。
 肩を押さえながら走る美羽に、
「見せてみい」
 とさしのべられた手があった。
「応急手当的なヒールしかできんが、この状況では我慢してもらおうかの」
 アレーティア・クレイス(あれーてぃあ・くれいす)だった。
 騒ぎが招き寄せたのは敵ばかりではない。柊 真司(ひいらぎ・しんじ)一行も聞きつけて馳せ参じたのだ。
「ローラから頼まれてな」
 真司はパイの横に並んだ。やや着崩した天御柱学院の制服。精悍な横顔。慣れた手つきで彼は銃を連射する。
「ローラ?」
 銃声に負けじとパイは声を上げた。
「Ρ(ロー)のことだ。彼女から、パイを手伝ってほしいと頼まれている。報告が遅れたな。ローは今、蒼空学園で幸せに暮らしていることも知っておいてほしい」
「そう……ローが……」
 一瞬、パイは嬉しそうな顔をしたが、
「だからといって、私があんたたちの側につくなんて思わないでよね!」
 と言い様、ぷいと横を向くのだった。
(「あいかわらずだな」)
 だが和んではいられない。真司は体内の電気信号を操ると、
「そこにいろよ」
 とパイに言い残し、ロケットシューズの『シュトゥルムヴィント』、さらにはゴッドスピードも発動して壁を水平に走る。奇跡的なスピードと推力の成せる業だ。まるで重力がないかのように本棚を駆け上がって天井すら駆けた。その途上で真司が、銃弾の雨を降らせていることは言うまでもない。
(「もう一度Ρと会わせるまで……死なせはしない!」) 
 そんな真司の奮戦ぶりに、リーラ・タイルヒュン(りーら・たいるひゅん)は呆れ口調で言った。
「真司もお人好しよね〜。いくら頼まれたからって、わざわざイルミンスールまで護衛に来るだなんて……まぁ同行してる私が言えた事じゃないけどね」
 しかしそんなリーラが、しっかりと真司の動きを追いながら、クランジ量産型の放つ鞭攻撃や雷撃を彼に当てないよう、細心の注意を払っていることを見落としてはならない。
「ほら、グズグズしてると貫いちゃうよ〜」
 流体金属製の槍で吶喊する。リーラの一撃は、宣言通り量産型の胴を突き破った。
「同じ機晶姫として心が痛みますが」
 と目を伏せたのはアニマ・ヴァイスハイト(あにま・う゛ぁいすはいと)だ。アニマは腕に取り付けたガトリングガンを、撃ち尽くす勢いで猛回転させていた。まさしく弾丸の嵐、見事ではあるが、一方で書架の本も次々と蜂の巣になっている。残念ながらこれは想定内の損失だった。
「同族といっても、自分の意思もない戦闘機械に情けはかけません……」
 連射の勢いで転倒せぬよう両脚を踏ん張り、アニマはありったけの銃弾を量産型クランジΧに見舞うのだった。硝煙の匂いと金属と金属がぶつかって立てる鉄臭さをまき散らし、耳を聾する轟音を賛美歌のように鳴り響かせる。
「お母さん、パイさんは?」
 弾幕展開を継続しつつ水平移動しながら、アニマはアレーティアに呼びかけた。
 アニマは気づいたのだった。パイがいつのまにか消えていることに。
「すまぬ。見失った……あやつ、乱戦の隙にどこかへ姿をくらませたようじゃ。わらわたちと共にあるのが、一番の良策であろうに……」
「くらませた、って!?」
 思わず美羽は大きなな声を上げ、そのせいで肩が痛んで歯を食いしばった。
「パイ殿が、何故?」
 武尊もこれには納得がいかなかった。ここまでパイとは協力してきた。これからも協力できると思っていた。
 パイの消失に驚いたのは彼らばかりではなかった。
「逃げたか……やられたな」
 Κもその一人だった。彼女は黄金の仮面をつけた姿に復していた。
「ならば、自分もここにはもう用がない」
 言い捨ててΚは、懐から丸いものを取り出して床に叩きつけた。
 周囲に光が拡がる。
 照明弾だろうか。激しい閃光が拡がり、美羽も、ベアトリーチェも視界が白滅した。
 コハクも同様だったが、彼はしっかりと美羽を抱きとめていた。
「Κは……?」
「行ったよ。きっとね」
「パイを殺すつもりだって……止められるかな」
「わからない。けれど、美羽の友達がピンチなら、助けるのは当然だよ」
 光の奔流は数秒続いた。その数秒は、Κが姿を眩ませるに充分な時間だった。

 一行にとって幸いしたのは、クランジ量産型にもこの閃光弾は効果があり、しかも、彼ら以上に強烈な効果を与えているとわかったことだった。