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リアクション
九
うねうねと動く触手を目にしたとき、セルマ・アリス(せるま・ありす)は足の力が抜けていくのを感じた。膝から下が、綿になったようで、立っている実感がない。
「どうしたのですか、セル?」
先を走っていたリンゼイ・アリス(りんぜい・ありす)が、引き返してきた。
セルマは妹に、縋るような目を向けた。
「リン……だめだ……気分が悪い……」
かつて思い出すもおぞましい体験をしたため、セルマにとって触手は鬼門だった。
「……へえ?」
リンゼイは微笑みを浮かべたまま、問い返した。
「つまりあなたは以前私に向けて思ったように、襲われている方々が死んでもいい、ということなのですね?」
「なっ――!?」
「分かりました。あなたはそこで無様に震えていればいいです。来ないで下さい」
微笑みを浮かべたまま、氷より冷たい目をすうっと細め、リンゼイは踵を返した。
「待っ……!」
セルマの声など、聞こえない。聞く気もない。
ただ早く行かなければ、と思っていた。人々に危険が及ばぬよう、自分一人ででも触手を退治しなければ。
目の前で、人が食われた。
「たあっ!」
リンゼイは触手の真ん中辺りを「海神の刀」で切った。切られた部分が吹っ飛び、食われた男が吐き出されるが、体中から血を流している。
「申し訳ありません。必ず、誰か連れてきますから……!」
リンゼイは回復する術を持たない。その男を道の脇に連れて行き、寝かせた。再び戻ると、触手は切られたところから再生を始めていた。
「そんな……!」
愕然となり、しかしリンゼイは「海神の刀」を何度も振るった。触手がどんどん短くなっていく。だが、徐々に元に戻っていくのも確かだ。
「キリがない……」
リンゼイは絶望を感じつつあった。
リンゼイが走り去るのを、セルマは止められなかった。
違う、と言いたかった。自分がリンゼイの死を望んだことなど、一度もない。だが、リンゼイはそう思い込んでいる。
誤解を解かなければ。
まるで自分の一部とも思えぬ足を無理矢理引きずり、セルマはリンゼイを追った。既にあちこちの家が壊されているが、それが触手の仕業なのか、避難のためなのかは分からない。
大通りらしき場所に出ると、リンゼイが触手を細切れにしているのが見えた。触手のどす黒い血に塗れ、後ろから見ると悪鬼のようだ。
セルマの足は、まだ震えていた。己に、触手を相手にあそこまで出来るだろうか?
だが、リンゼイの頭上に、ぬうっと別の触手が顔を出した瞬間、そんな危惧は全て吹き飛んだ。
「リン!」
地面を蹴った。柄を握り締め、ゴールデンアクスを叩きつける。
「――セル!?」
「うあああああああ!!」
斬れ。切れ。斬れ、切れ、きれ、きれキレキレキレ……!!
「セル!!」
気がつけば、リンゼイがセルマの肩を掴んでいた。セルマも妹同様に、血塗れになっている。
「……リ、ン」
「大丈夫ですか!?」
「俺……俺は……リンが死ねばいいなんて、一度も思ったことない。大事な妹だ。なのに、何であの時傷つけたのか、俺にも分からない、んだ。でも、信じてくれ。俺は、あれからずっと、ずっと後悔しているんだ……」
喋りながら、感情の堰を切ったように、涙が溢れてきて止まらなかった。もう、気持ちは言葉にならない。セルマは、リンゼイを抱きしめた。
「……せんか」
反則だ、とリンゼイは思った。セルマが何を言おうが、気持ちは動かないはずだった。だが涙を見たとき、もう一度、と彼女は思った。
「――さあ」
セルマはぐじゃぐじゃになった顔を、袖で拭った。
「町の人を守るために戦おう。俺はもう、絶対に逃げない」
もう一度、信じてみてもいいかもしれない。この人を、兄として。
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