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【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第2話/全3話)

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【八岐大蛇の戦巫女】消えた乙女たち(第2話/全3話)
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●その名はカスパール

 場面は、グランツ教ツァンダ支部に移動する。
「ここが……そうか」
 樹月 刀真(きづき・とうま)は支部の入口をくぐった。
 現在、グランツ教の『新人』信者となっている。つい先日入信を果たしたのだ。
 宗教に入るからといって特に儀礼や儀式があるわけではなかった。やることといえば、申込書を書いて多生の浄財(寄付)を支払えば終わりだ。浄財の金額も自分で自由に決められるため、やろうと思えば缶ジュース程度の金額でも信者になることができる。浄財の額に下限はないのだ。上限もないが。
 刀真は支部に入ると、カスパールの『行』を知るべく彼女の部屋に向かった。
 知りたいことは山ほどある。
 カスパールの目的や狙い、思想などはもちろんのこと……個人的なことだが、胸のことを気にしているパートナー(月夜)について不用意な発言をしてを傷つけてしまったことに関する相談もしたい……したいのだが。
「いや、待て……」
 刀真ははたと足を止めた。
 月夜は恥じているに違いない。その月夜の意向を無視して、他人にこの話を広めてしまっていいものか。月夜をますます怒らせることになりはしないか。
 逡巡する。カスパールに訊くべきか、訊かざるべきか。そもそも会うべきか。
 今すぐには決められない刀真だった。
 そうこうしている間に、
「樹月さん、グランツ教の思想についてレクチャーしましょう」
 妙に親切な教団関係者が現れ、刀真の手を引いて講義室のようなところへ連れ去ってしまった。
 彼は今回、結局カスパールに会うことは叶わずじまいとなった。失敗したというべきだろうか。それとも、月夜との関係がさらに悪化する事態を避けられてよかったと考えるべきだろうか……?

 カスパールの部屋の前に立つ。周囲に信者の姿を探すが、今のところ通りかかる者はないようだ。
 瓜生 コウ(うりゅう・こう)は自分の身分を明かし、宗教研究者として教団を訪れていた。案内に立った信者の目を盗んで単身になり、カモフラージュを駆使してここまでやってきた。
 部屋に立ち入るのであれば急がなければなるまい。
 ここを訪れる者は少なくない。中に立ち入ることはせずとも、扉の前を訪れ、頭を下げる信徒の姿は多く見られた。
 グランツ教にはその教義に共鳴する信者のみならず、『ともかくカスパールの発言であれば支持する』というカスパール個人への信奉者が少なからず存在していることが判っている。心酔とまでいかずとも、『カスパールであれば昏迷する現状を打開してくれそう』もっといえば『カスパールならなにかやってくれそう』という淡い期待で入信したと見られる者も少なくない。カスパールのメディアへの露出、いささか強引ながら強烈な発言というカリスマ性が歓迎されているのだ。
 けれどコウには、カスパール本人への興味はあまりなかった。
 所詮、人の不安につけこむ扇動者でしかないと思っている。そういう人物は史上、大小問わず何度も現れている。
 そもそも、グランツ教が世界征服を企むカルト教団かどうかということ自体、コウはあまり関心をもっていない。クトゥルフ神話を学ぶコウには、それほど珍しい存在とは思えないのだ。人類以外のものも含めれば、その手のものは幾つあったかわからないくらいだ。
「だが、教団の真意は知りたい。それが目的だ」
 自らの意思を確認すると、コウは扉の文字盤を見据えた。
 文字盤上方のパネルには漢字が一文字だけ表示され、その下にコインより二回りほど大きな穴が四つ、水平に並んでいる。そばには金属球が四つ用意されていた。
 一番左の穴にコウは金属球を入れた。
 それで終わりだ。何もせず数秒待った。
 つまり『●、―、―、―』の状態ににしたのだ。
 固唾を呑んで見守る。扉は、解除手段を誤れば警報が鳴り響くという。
 今からでも金属球を取り除きたくなる欲求に抗う。
 コウは謎に対し予測を立てていた。
 パネルの下の穴4つと金属球は、2進数4桁の数を表し、パネルの漢字の画数と対応する数を表示している場合に扉は開くのではないかと。
 中国の歴代王朝を感じさせる漢字ばかり用いられているのは恣意的だ。歴史の知識がある者を惑わそうとしているのであろう。もっと単純なのだ。
 すなわち、『宋』は7画なので2進数表現では0111、『元』は4画なので0100、『清』は11画なので1011、現在は『明』、これは8画なので1000……ゆえに穴と金属球は『●、―、―、―』となる。
 …………。
 ……。
 永遠とも思える数秒が過ぎたとき。
 カチッ、と小さな音を立てて扉の錠が外れた。
 小さく息を吐いて、コウは扉の裏に滑り込んだ。
 部屋は思ったより大きい。畳にして十二畳はあるだろうか。
 光は天窓からさしこむものだけだが、フィルタでもかかっているのかその輝きは淡い。
 香が焚きしめられ、甘い空気に満ちている。そのせいか、空気もかすかに紫がかっているように思えた。
 絨毯じきの部屋の奥、壁際に彼女……カスパールの姿があった。
 彼女は、薄いヴェールのかかったシリンダー状の座についている。座禅を組んでいた。
 目を閉じたままカスパールは告げた。
「お待ちしておりました。瓜生コウ様。それに……ラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)様」
「主任?」
 コウが振り返ると、イルミンスール魔法学校クトゥルフ神話学科主任であるラムズが、シュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)を連れた状態で入ってくるところだった。やはり扉の謎を解いたものらしい。
「忍び込ませていただきました。強引な方法は採りたくなかったのですが」
 しかしラムズの口調や眼差しは、どこか他人じみている。少なくとも、コウの知っているラムズではないように思えた。彼の口調も、誰かがラムズの口真似をしているようでどこかぎこちない。
「主任ではないな……誰だ?」
「そんなことはないですよ。気のせいでは?」
 などと言葉を濁すが、その言い方がすでにラムズらしくなかった。
 実際、いまのラムズはラムズではないのだった。別人格、というのが適切かどうかは表現に迷うところだが、ラムズ本来の精神は『その人』によって深層に押し込められ、現在ラムズとして彼の体を動かしているのはその別人格なのである。
 ――此処はお嫌いですか? 『ラムズ』さん。
 別人格が、ラムズに問う。ラムズは、答えない。
 しかしそのラムズを代弁するかのように手記が呟いた。
「……気が乗らぬ」
 手記としては心外のことだった。ラムズがラムズでないのはさておき、カスパールにまた直面するのは気が重いことだった。まさかまたあの女と顔を合わせる事となろうとは、誰が予想できたろう。
「一度気付くと、なかなかに厄介なものですね」
 手記に向かって薄笑いを見せると、ラムズを支配する人格がカスパールを向いた。
「カスパールさん、貴方は一体何ですか?」
 カスパールは目を閉じたまま答える。
「私は私ですわ」
「なるほど。もう少し焦点を絞ってみましょう。……あなたの目的は?」
 コウにラムズの正体を求めるつもりはない――今はそれを意識すべきときではない――ラムズらしき人物に問うた。
「今、『あなたの』と言ったが、『教団の』ではないのか?」
「宗教嫌いなものでしてね。それに、私はカスパールさんに興味がある」
「私の目的……? 申し上げませんでしたか。人がその努力と能力で適正に評価される社会を作り出すことですわね」
 即答すぎる――コウは不審に思った。
「蒼空学園に情報を伝えたことはただの善意ではないだろう。オレにはグランツ教団が、何か大きな意志のもとに動いているように思える。はっきり言うがこの件、あまりに八岐大蛇の影が色濃い」
 そこでコウは、一歩踏み進めて改めて問うたのである。
「この扉の謎もメッセージの一環ではないのか。謎かけとしてはあまりに簡単すぎた。その回答はカスパール、あんたが侵入を見越して設定したもっと大きな暗示の一部なのではないか? 鍵は『八』という数字だった。言うまでもないことだが八岐大蛇の伝説には……」
 コウの言葉は途切れた。
 このとき、すっくとカスパールが立ち上がったのである。
「そろそろお引き取り願えますか? 私は『行』を続けなければなりません」
 カスパールは目を開いていた。その表情は……読めない。
「しかし……」
 ラムズ(正確には『ラムズを動かしている人格』)は不満げだが手記が代わりに言った。
「いいじゃろう。有意義なひとときであった」
 だが立ち去ろうとする彼らにカスパールは言ったのである。
「失礼ながら、懐にしまったものを返して頂けると嬉しいのですが」
 悪びれない様子でラムズは、胸元に入れていた腕輪を取り出して文机に置いた。これはコウとカスパールがやりとりをしている間に、さりげなく拝借したものだった。
「邪魔したな」
 コウは短く告げて部屋を後にした。しかし、
 ――カスパール、一瞬だが動揺したな。
 成果は得た。そう思う。

 小半時も経たぬうちに、ふたたびカスパールの部屋に踏み込む姿があった。
 背を丸めた老婆が、しわがれ声で「お邪魔しますよ」と入ってきたのである。
「その机に触れても無駄ですわよ」
 カスパールは目を開くと、老婆に言った。
「サイコメトリのような小細工は、使えないようにしてあります」
「おや、どうしてそのような……?」
「部屋に入るなり机に触ろうとしたので予想しただけですわ。気のせいだったら御免なさい……ウォルコット」
「おやおや、これはまた誰のお話ですかね……?」
 老婆はまるで知らない風で言ったが、カスパールはむしろ、それで確信したように言った。
「私、『ウォルコット』と言っただけですわね? 人名だなんて一度も言っていません。『ウォルコット』が者の名前や何らかの合い言葉である可能性など想像しませんでしたか? 『ステラ・ウォルコット』という名前に心当たりがある方、あるいはステラ・ウォルコット様自身であれば、話は別でしょうけれど」
 老婆は何も言わなかったが、彼女の付き添いとおぼしき青い髪の女性が言った。
「人間にはてはやるものだが、実際これくらいは読めたとしておかしくはない。やつがカスパールなれば、な」
 途端、老婆はしゃんと背をのばし、フェイスマスクを引き剥がしたのである。
「そうですね。とりあえず再会を祝するとしましょうか。ステラです。よければどうして、看破したのか教えて頂けますか」
「マスクを何重にも被っていると、どうしても声はくぐもって聞こえるものですわ。ステラ様の下にも別の顔がああり、さらにその下にも顔があるのでしょう? 暑くありません?」
 ステラ、いや、その姿に変装しているローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は得心げに言った。
「ご心配は無用です。私は顔のない人間――『フェイスレス』ですから。何処にでも現れ、何処かへと消えるのです」
 このとき、グランツ教ツァンダ支部を一望できる建物の屋上では、グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)が舌打ちしていた。
「ローザめ、あっさりと見破られおったか……準備しすぎたのが仇となったやもしれぬ」
「致し方ありませんね。それに、これくらいは予想の内です」
 グロリアーナの隣にあって、上杉 菊(うえすぎ・きく)は得心げに頷く。二人はローザが潜ませた小型マイクからこのやりとりを聴いているのだった。なお、ローザが扉の謎を解いたのは、菊から指示を受けたためである。
 さて老婆の付き添い……を演じていたフィーグムンド・フォルネウス(ふぃーぐむんど・ふぉるねうす)が言う。
「お前がマグス、か……さて、統一神は歴史上、永らく禍々しき存在と断じられて来た悪魔を救い賜うかな?」
「救われるには求めが必要です。失礼ながらあなた……いえ、お二人にはその意志がないようにお見受けします」
「どういうことです」
 ローザが問うと、カスパールは噛んで含めるように言ったのである。
「ステラ様……おそらく、それは本名ではないのでしょうが、便宜上そう呼ばせて頂きますね……ステラ様はこちらに隠しごとばかりされますのね。私はこのように素顔で相対しておりますのに。隠すことで精神的優位に立たれるお積もりかと存じます。
 ですが隠しごとばかりの人からの質問に、どうして私が素直に答えられましょう。自分だけ隠してこちらにすべて明かせとおっしゃるのは、少し虫がよすぎるのではなくって? ステラ様、あなたのそのような押し通すやり方では、何も得るものはないかと思われます。私も、心を開く気にはなれませんの」
 お引き取り下さい、とカスパールは言った。
「せめて一つ、お聞かせ下さい。前回、蒼学に協力したのは善意だけではないのでしょう? そちらが水面下で推し進める何かしらかの計画から目を逸らすため……恐らくは失踪事件から注意を辻斬りに向かわせる為に仕組んだものではなかったのですか?」
 ローザは食い下がったが、カスパールの返事は同じだった。
「お引き取り下さいと言ったはずです」
 これ以上の問答は無益だろう。カスパールに人を呼ばれる恐れもある。いざとなれば外にいる菊に配電盤を破壊させ、一時的にこの建物を停電状態にして混乱を引き起こすという手もあるが、それでカスパールの回答を得ようというのは無理な話だ。
 次はもう少し正攻法を試みたほうがいいかもしれない。
 ローザは老婆の覆面に復し、この場を後にした。