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【カナン再生記】続・降砂の大地に挑む勇者たち

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【カナン再生記】続・降砂の大地に挑む勇者たち

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 2章

 奇妙な光景だった。
 菅野 葉月(すがの・はづき)は、思わず乗っていた小型飛空艇から飛び降りた。
 足元の感触は、それが幻でないことをはっきり表している。
「――土が、ない」

 何の前触れもなく、森はそこから刃物で切り取られたように、広大な砂漠と化していた。
 不自然極まる国境の景観である。
 遠くのほうに岩山が散見されるくらいで、あとは見渡す限りの砂。 
 葉月の後ろをぴったりついてきたミーナ・コーミア(みーな・こーみあ)も、驚きを隠せない。
 さっきまで鬱蒼とした木陰に目をこらしていたのに、突如、太陽を遮る物が全て消えてしまったのだ。
 その境界をじわじわと広げるように、砂が舞い上がっては山になり、崩れては谷になる。
「まさか、こんな風景に出くわすなんて。聞くのと見るのとじゃ大違いですね」
 葉月はそう言いながら、ミーナの帽子に降りかかる砂を手で払う。
「人どころか、植物すら生えないのでは」
「は、葉月、あれ!」
 思いがけず葉月の優しさに触れて顔を赤らめつつも、ミーナは北東の方角を指さした。
 遥か彼方、輪郭が分かる程度だったが、それは確かに巨大な樹だった。
 イルミンスールが若木に見えてしまうほどの偉容。世界樹セフィロトである。
「葉月。間違いなく、ここが、カナンなんだね」
「あれの化身である女神の力を使えるとなれば――なるほど、国ひとつを砂漠にすることもたやすい、という訳ですか」
 葉月の口調は冷静だが、内側から押し寄せる感情の波があった。
「助けを待ってる人達がいるんだよね」
 ミーナは目を伏せる。
「焦ってはいけません。まずは調査です。僕達がここで何をすべきか、何が出来るのかを知らなくてはね」
 半分以上を自分に向けて言いながら、葉月は再び、セフィロトに目を向ける。 

 その時、低く太い声が響いた。
「よくぞ――よくぞ、おいで下さいましたな!」

 パラミタラクダにまたがるその姿は、まさに偉丈夫。
 声だけではない。首も、手足も、胴も、太く逞しい。が、肥満ではない。
 歳は30を過ぎたあたりだろうか。
 砂と太陽に洗われた赤黒い肌に、カナン風の騎士鎧がよく似合っていた。
 一目で勇猛な武人と分かるたたずまいだが、屈託のない笑顔と、鼻の下にたくわえられた口ひげが、発する威圧感を和らげている。
 男はラクダを降りると、右手を胸に当て、深々と礼をした。
メルカルトと申します。マルドゥーク様の命により、あなた方をお待ちしておりました」



 メルカルトとの合流を果たした契約者の一行は、先導していたユーフォリア・ロスヴァイセに代わり、予定通り彼の案内でマルドゥークとの合流を目指すことになる。
 砂漠を歩きがてら、メルカルトはカナンの情勢を説明するのに腐心した。
「今の様子からはちょっと想像つかないけれど、以前のカナンは豊かな国だったんでしょう?」
 そう聞いたのは七瀬 歩(ななせ・あゆむ)
「カナンに生を受けた者で、この地を愛さない者はいない」
 イナンナの庇護のもと、山海の恵みを享受していた日々を、メルカルトは語る。
 領主マルドゥークの質実剛健な統治の下、西カナンの誰もが、貧困や飢えなどとは無縁だった。
 海岸沿いはパラミタ内海で採れる海の幸で賑わい、また海から吹く風が作物を豊かに実らせた。
 季節は美しく移ろい、人々は雨や雪、枯葉でさえも愛おしみ、生きることを喜んだ。
 豊穣の女神が何よりも豊かにしたのは、人の心であったのかもしれない。
「毎年、イナンナ様へ捧げる祭りの日が楽しみでなあ」
 ひとしきり思い出をたどると、メルカルトは子供のような顔を見せた。
(メルカルトさん――)
 歩は胸を詰まらせた。
 セルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)が拳を握りしめる。
「許せないわ、絶対に!」
 青い瞳に燃えたぎるものを、隠そうともしない。
「征服王だか何だか知らないけれど、民を苦しめるのが王様のやること!?」
「セルファ、落ち着いて」
 軽く手を上げて、爆発寸前のパートナーを押しとどめるのは御凪 真人(みなぎ・まこと)
「だって!」
「その気持ちを解放するのは、少なくとも今ではありません」
 真人の口調は努めて冷静だった。冷静を通り越して、冷徹に聞こえたかもしれない。
 セルファは射るような眼差しを真人に向け、しばらく悶々としていたが、わかったわよ、と呟いて口を噤んだ。自分の性格を一応は自覚している。もっとも、真人以外ではこうはいかないが。
「しかし、気になることがあります」
 真人はメルカルトに向き直る。
「そもそもネルガルは、せっかく手に入れた国をなぜ荒廃させるのでしょう。それ自体が目的にさえ見えるのですが」
「うむ――」
 メルカルトは腕組みをした。
「すまんが、俺にはネルガルの目的は分からん。そもそも奴個人の仕業かどうかも分からんのだ」
「では、背後に何か別の存在がいると?」
「かもしれんし、そうでないかもしれん。だが、確かに国を荒廃させて良いことなどない。何を考えているのか」
「――」
「俺から言えることは一つしかない。ネルガルは俺達から、仲間と、家族と、帰る場所を奪った。それだけは、それだけが、紛れもない真実だ」
 メルカルトのような男にとって、命を捨てる理由はそれで十分だった。
 真人はそれを感じたがため、あえてそれ以上聞くことはしなかった。
(女神の庇護、そして封印――)
 無言で思索にかかる。
(まさか、『民のことを案じて』そうしている、とか?)
 メルカルトに言えば殺されそうな可能性にまで思考の手を伸ばした。
 彼の集中は凄まじく、周囲に人を寄せつけないものを放っている。
 長い間、セルファは黙って真人の様子を見ていた。
 どれほど昂ぶっていても、セルファが真人の言うことを素直に聞く理由。
 彼の冷静さは激情の裏返しであることを、彼女はよく知っているのだ。

「そのネルガルだけど」
 美鷺 潮(みさぎ・うしお)が口を開いた。
「国家神であるイナンナを封じたということは、ネルガルが『代理国家神』ということ?」
 メルカルトの目が険しさを増す。
「――ありえん。イナンナ様を封印したとはいえ、奴はただの神官だ。今でも国家神はイナンナ様に違いはない」
「なるほどね。少し安心したわ。向こうの兵力と、こっちの兵力についてはどう?」
「そいつは俺も聞いときたいな」
 橘 恭司(たちばな・きょうじ)が、砂避けのマントを羽織りながら言う。
「情報網はいかにも発達してなさそうだが――先んずれば人を制す、というやつだ」
「味方は少ない」
 メルカルトははっきりと言った。
「正確な数は分からんが――反旗を翻すということは、どんな災いも覚悟せねばならん。人質を取られている者もいるし、もとより民の数自体が激減している。神聖都キシュより送られてくる神官軍とは雲泥の差だ」
「ふむ。この辺りについてはどうだ?」
「比較的安全のはずだ。奴らも国境にまで兵力を割いている訳ではない。だから俺も、単騎でここにいられるということだ」
「了解。つまり、久々に足を使った情報収集って訳か」
 恭司はそう言うと、幾多の敵を殴り倒してきた革手袋を、スーツのポケットから取り出す。
「あ、それから」
 潮は、別の意味で今回の主題を口にする。
「カナンには遺跡が点在するそうだけど、自分たちが探索してもいいの?」
「もちろんだとも。ただ、ご覧の通りの有様だ。全くの無手では難しいだろうな」
「そっか――。でもま、それが聞けて良かったわ。骨の髄まで調べ尽くすわよ」
「是非に。マルドゥーク様もお喜びになるはずだ」
 ――日光に弱く、日傘が手放せないという潮の体質は、砂漠での探索にとって、相応のハンディになるだろう。
 しかしメルカルトの元を辞した潮は、全く意にも介さずに、移動手段や情報について、あれこれ思案を巡らせるのだった。