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■アガデの都〜セテカとリカイン
東カナン・アガデの都にある領主の居城
その日、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)は騎士団長ネイト・タイフォンから預かっていたセテカの姿絵を戻しに来ていた。
城の前庭では、サンドアート展が開催されるアナト大荒野へ向かう準備が着々と進められている。
「セテカく――」
出立の指揮をとっているセテカに声をかけようとして、彼が何か書状のような物を読んでいることに気がついた。
「やぁ、リカイン。もう用事はすんだのか?」
近づく彼女に気づいたセテカが書状から目を上げる。書状についている赤い封蝋の紋章は、南カナンの物だ。
「……シャムスから?」
リカインは探るようにその名を口にした。
「いや、エンヘドゥだ。南カナンでシャムスにとって大切な式があるので、俺にも参加してほしいそうだ」
「仲いいのね」
「まあな」
というより、彼女は今すっかり夢中になっている自分の計画――シャムスを女らしくするというもの――にセテカを利用したいだけなのだろうが…。
(エンヘドゥにはすっかりばれてるからな)
「だが、日が悪い。サンドアート展の前日だ。ザムグでの工兵指揮もあるし……ことわりの返事を出すしかないか」
そんなセテカを見て、リカインは以前から考えていたことを実行に移すことに決めた。
「ちょっとつきあって、セテカ君。時間があまりないのは分かるけど、飛空艇使えばすぐだから」
そう誘ってリカインが連れてきたのは、彼の母親が死んだ崖下だった。
7年前、ザナドゥ側の策略によって前領主夫妻が事故を装い殺害された場所。そしてセテカの母親は、それに巻き込まれたかたちでここで亡くなったのだ。今、そこには3人を偲ぶ墓碑が建っている。
「セテカ君の周りには、いい人がたくさんいるのね。バァル君もそうだけど、こんなつらい過去に、境遇に、押し潰されずにこうしているんだもの。私もその1人になれたらなって……そう思っちゃった。仲間じゃなくて、できたら家族として…。
最初はね、本当に歌劇団に誘いたいってだけだったのよ? でも気が付いたら違ってた。もしかしたら、最初から自分に嘘をついてたのかもしれないけど。
ふふっ、ずっと勘違いしてたでしょ?」
「リカイン…」
彼女の言わんとする意味に、セテカはとまどった。傍らにいて、彼女の向けてくる視線や表情に、もしやと思ったときがないわけではなかったのだが。
「だからね、セテカ君も変に隠してたら駄目よ。ごまかしきれなくなったときにはもう手遅れでした、ってなっても、誰にも文句なんて言えないんだから」
馬車を大破せしめた大岩を、そっとなでたリカインの目が、セテカをまっすぐ見つめる。
「家のことや東カナンを、逃げ口上に使ったりしないで。これから先、後悔しない自信、ある?
こんな時勢だから……明日、何が起きるか分からないのは、セテカ君だって知ってるでしょう? こういう別れだってあるって、あなたが一番知ってるんじゃないの?」
「――ありがとう、リカイン。きみはやはり、尊敬に値するすばらしい女性だと思うよ」
彼女を、セテカは感謝の思いで抱き締めた。リカインもまた、その背を抱き締め返そうとし――ぱんぱんと、軽く叩くにとどめる。
「私の飛空艇を使って。そうしたら時間が短縮できるでしょ。工兵たちは、あなたが見張っていなくてもちゃんと仕事をしてくれるわ。なんだったら、私が見張っててあげる」
「ああ。必ず間に合うように戻る」
「ずいぶん大胆なことをなさいますねぇ」
セテカの乗った飛空艇が飛び去るまで待ってから、空京稲荷 狐樹廊(くうきょういなり・こじゅろう)が墓碑の後ろから現れた。
「ああいういつまでも煮え切らない人見ると、どうにもイライラしちゃって」
「そうですか」
今、彼女はセテカからの敬愛と、そして永遠の一瞬を手に入れた。それに満足するしかない恋もあるのだ。
「それで、セテカさんがあっさり振られるかもしれないことは考えたんですか?」
切なげな笑みを浮かべているリカインの横顔に、その心中をおもんばかりつつ慎重に言う狐樹廊。しかし次の瞬間振り向いたリカインの顔は、にやりと笑っていた。
「それはそれで楽しいじゃない。みんなと一緒に盛大に残念会を開いてあげましょ」
「やれやれ。困った御人ですね」
苦笑しつつ肩をすくめて見せた狐樹廊の袖に、大岩が触れる。その感触に、彼はリカインがセテカと話している間に自分のしていたことを思い出した。
彼はこの岩にサイコメトリをかけ、事故の真相を知ろうとしたのだ。
しかし7年前の記憶は古く、大分擦り切れて、残念ながら事故を起こした者が『タルムド』と連れに呼ばれていたことしか分からなかった。そして真っ二つに割れた馬車の中、セテカにとてもよく似た面差しの女性が、ほんの数十秒ではあるが生きていたことしか…。
片手を大岩に、片手を血のにじみが広がった下腹部にあて、彼女は『お願い……お願い……』とつぶやいていた。それの意味するものは――
(何か分かればネイト様に、と思っていたのですが……これは、お伝えしない方がよいのでしょうね。ネイト様もセテカ様も、未来を見ておられる。ご母堂もおふたりを惑わせることはお望みではないでしょう)
この地で逝った命に思いをはせていると。
「天誅ーーーーっ!!」
ガコーーーンとリカインの頭に何かが横からぶつかった。
「な、何っ?」
地に両手をついた格好で振り仰ぐリカイン。そこにいたのは、石でできた魔導書禁書写本 河馬吸虎(きんしょしゃほん・かうますうとら)だった。
「あら、あなた」
「リカイン! きさま、俺様のことすっっっかり忘れていただろう!!」
『迷宮のキリングフィールド』で、お仕置きとして部屋の壁にはりつけにされていた河馬吸虎は、モレクの襲撃で倒れた壁の下敷きになり、気を失っている間に瓦礫片の一部として(これ幸いにと)不燃物ゴミ捨て場に投棄されていたのだ。
「きっと助けに来てくれると思っていたのに! 俺様が穴の底でゴミと一緒に寝転がっている間に、きさまは北カナンでオイシイことしてたそうじゃないか! くっそー!! 寝ている男の部屋へ夜忍んでいたと知ったとき、俺様がどんな思いをしたか分かるか!? その場にいられなかったことが悔しくて悔しくて、どれほど血の涙を流したことか…っ! そういうときこそ俺様のアシッドミストの出番――へぶっっ」
はたき落とされ地面に激突する。
「まだこりてないのね、あなたは…」
よろよろと浮かび上がったところに疾風突きを受け、河馬吸虎は再び星となって東カナンから放り出されるハメになった。
「おやおや」
こうなることを見越していた狐樹廊は、扇の後ろでくつくつ笑う。
「――なぜ、あいつが、私が北カナンでセテカ君の部屋に行っていたことを知っているのかしら…?」
鬼の形相で振り返るリカイン。次は狐樹廊の番だった。
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