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第十章 手を繋いで
「エル姉は今頃、食人さんとよろしくやれてるかなぁ」
 窓から外を眺め神楽 祝詞(かぐら・のりと)は小さくもらした。
 先ほどまで随分と騒がしかった外は、ようやく静けさを取り戻しているようだった。
 それに自然、安堵の息を吐く。
「巻き込まれてないと良いんだけどね」
 思いを馳せるのは、この寒空の下でデートしている筈のエルフォレスティ・スカーレン(えるふぉれすてぃ・すかーれん)蔵部 食人(くらべ・はみと)
 進展するといいな、とセッティングしたクリスマスデートである。
 無事に楽しんでくれていれば、と祝詞は心から祈っていた。
「僕達みたいに、ね」
 振り返ると、大事な人の笑顔があった。
 こんな日でも普段通りの巫女装束を着た弐来 沙夜葉が差し出したグラスを受け取り、祝詞は笑みを返した。
 カチリ、合わせたグラスの中でシャンメリーの泡が微かに弾けた。
「祝詞は今頃沙夜葉とよろしくやっとるのかのー」
「……あぁ」
「祝詞は家で沙夜葉達とホームパーティじゃと。まあ気を利かせてくれたと言う事なんじゃろうが仕方無いのう」
「……あぁ」
 眩いイルミネーションに彩られた幻想の中を歩きながら、エルフォレスティ……エルフィは傍らの食人を窺った。
 年に一度のイベントである。
 穴場スポットを入念に調べた食人の願いか執念か、幸い今の所これというトラブルには巻き込まれていない。
 ただ遠く騒ぎが起こっているらしい物音は聞こえてきていたが。
(「まあ、邪魔する奴が来たら食人に守ってもらうかのう。か弱い女子じゃからのー、にゅふふふ」)
 などと内心思っていたエルフィだったが、時ここに至ると、いやいっそそういうアクシデントが起こった方が良いのではないか、と考え始めていた。
 先ほどからの意中の相手の生返事、食人がつまらなそうとか飽きているとかではない事は分かっている。
 開いたり閉じたりしている手と、何か言いかけて止めている口と。
(「イルミネーション綺麗だな。だが、君の方が綺麗だよ……なんて言えるか!?」)
 腕を組んで歩きながら甘いセリフを言って……だが勇気が出せない、青少年の葛藤である。
(「やはり食人は奥手じゃから、のぅ」)
 食人から行動を起こして欲しい乙女心だが、このままでは埒が明かない事もエルフィには分かっていて。
 だから。
「こっち、こっちだよ」
 折良くすれ違った、子供とサンタクロース。
「……おっと」
「!? 危なっ」
 ぶつかりよろめいた動作をしたエルフィを、食人は狙い通り慌てて抱きとめた。
 至近距離でぶつかる視線に、食人の心臓がドキリと一際大きく脈打った。
 その機を逃さず、エルフィは用意したプレゼントを贈った。
「プレゼントじゃ」
 ふわり、首に巻かれたマフラーの温かさと、エルフィのはにかんだ笑顔。
 咄嗟に動けたのは上出来だ、と後で思い返す度に食人は思う。
 初めての口付けは、冷たく甘いものだった。


「はい、クリスマスプレゼントですよ。手記」
 ラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)に差し出された『もの』。
 包装さえされていない、むき出しのそれをシュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)はマジマジと見つめた。
 それは一言で表すなら、眼鏡だった。
 大きめのまん丸レンズが特徴的な、老眼鏡。
 グラスコードが付いてはいるものの、飾り気はなく……正直、『クリスマスプレゼント』という嬉し恥ずかしな単語とは微妙にそぐわない気がするのは、果たして気のせいだろうか?
 それでも、ラムズが『自分』にくれるものである。
 手記は受け取ると、その用途に従い、年代物の老眼鏡を掛けた。
「それは『旧びた老眼鏡』、何でも『真実』を見る事が出来るとか出来ないとか……まぁ読書が趣味の手記には、丁度良い代物でしょうね」
(「遠回しに老けたと言われた気分だが、この馬鹿にそこまでの知恵はないだろう」)
 些かムッとしつつも、諦めと共に一つ息を吐き出すに止める。
 レンズ越しに世界を見遣れば、素晴らしくも素直な世界が見て取れた。
「ん、よく似合っていますよ」
 そうして、掛けられた声へと目を向け……手記は息を呑んだ。
 周りは何も、何も変わらない。
 ただ一つ、ラムズだけが変わっていた。
 髪が無かった。
 目が無かった。
 歯が無かった。
 肌からは水分すら失われ、それはまるで出来の悪い木偶のよう。
(「嗚呼、直ぐに目を閉じれば良かった……ッ!?」)
 不幸な事に手記は聡明だった。
 だからこそ、理解してしまった。
 『もうそんなにも時間が経っていた事』を。
「……ラムズ、主はこれを使ったか?」
「えぇ」
「何が見えた?」
「……何も。つまらないものしか見えませんでしたよ」
 本当につまらないものでした、穏やかな声に堪らず、手記は木偶にしか見えぬパートナーへと抱きついた。
「と、どうかしましたか?」
「ん」
 少しだけ驚いた声は直ぐに優しいものへと変わった。
「手記は小さいですね」
「黙れ、白痴が」
「ふふっ」
「笑うな」
「我侭ですね、手記は」
 優しい響きのしわがれた声が、老木のような手が、ゆっくりと手記の心を蝕んでいく。
「喋るな、触れるな……何も、しないでくれ」
「ふむ」
 震えぬよう、止めてくれと搾り出すのが手記には精一杯だった。
 初めて『真実』に対して恐怖を抱いた手記。
(「本当に……我侭な化物ですね」)
 手も言葉も止めたまま、ラムズは胸中でだけ愛しげに呟いた。


「刀真さん見て下さい、あれ……すごく可愛くないですか?」
「あぁ、確かに可愛いな」
 樹月 刀真(きづき・とうま)封印の巫女 白花(ふういんのみこ・びゃっか)の弾んだ声に、優しい笑みを浮かべた。
「クリスマスプレゼント何が良い?」
 問いかけた刀真への白花の答えは、
「刀真さんと2人きりの時間が欲しいです」
 というものだった。
 そう言えば、契約してから二人っきりと言うことはあまり無かった、気付いた刀真はクリスマスデートを決行した。
 最初は嬉しそうに、でも申し訳なさそうだった白花は、しかし、時が経つに連れて笑顔だけを見せるようになった。
 クリスマスイルミネーションの中、二人腕を組んで歩いて。
 他愛のない会話をして一緒にご飯を食べて。
「あの、この先に紅茶の専門店があるのですが、寄っても良いですか?」
「勿論だ。言っただろ?、白花は好きなだけ望んでくれればいい、って」
 俺はそれを全部かなえたいと思うから……眼差しから伝わる思いに、白花は頬を染め嬉しそうに笑う。
 その笑顔に刀真の胸もまた暖かな気持ちで満たされる。
 初めて会ったときから比べると白花は笑顔が増えたと思う……それは決して気のせいではなく。
 そしてその笑顔も、無理のあるものでなく心からのものが多くなった。
「これからもっと笑ってくれると嬉しい、いや俺が笑わせてみせる」
 クリスマスイルミネーションの下、その想いは強くなった。
 だから、楽しい時間の終わりも、寂しくはない。
 それはおそらく、白花も同じで。
「今日はありがとう、楽しかった……これからもよろしくな白花、俺の大切なパートナー」
「……はい、これからもずっと傍に」
 私は貴方のものですから。
 思いを込めて、白花は刀真に……愛する人にそっと口付けた。