空京

校長室

【カナン再生記】決着を付ける秋(とき)

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【カナン再生記】決着を付ける秋(とき)
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リアクション


欠くべからざる歯車

 切や瑠樹、悠たちが神官戦士や神官たちと戦いを繰り広げているころ、イナンナの導きでバァルたちは階段を駆け下りていた。
 下へ、下へ……地上が遠ざかるごとに周囲の薄暗さが増す。同時に、水気を含んだ空気が、露出した頬や手にわずかな冷気を伝えた。
 もはや窓らしき窓はなく、拝殿の回廊にあったような華美な装飾もない。ただ石積みされた実用的な壁が続くだけだ。間違いなくここは、神殿を訪れる賓客の目に触れるような場所ではないのだろう。神殿でもごく一部、下級に位置する者だけが使用する通路であるのがうかがい知れた。
 そんな中、黙々と走り続ける彼らの靴音だけがうつろな反響音を響かせている。
 階上で残った仲間が食い止めてくれているおかげで背後からの追撃者はいない。しかし前方までもそういうわけにはいかなかった。
「こっち!」
 階段の終点でイナンナが左の通路を指す。だがその先では、神官戦士によって強固なバリケードが築かれているのが見えた。後ろには十数名の神官の姿もある。
 ここまで迷いも見せず走ってきているのだから、ある意味こうなって当然ではあった。先からディテクトエビルにもビンビンに引っかかっている。だから待ち伏せを受けだろうことは、彼らの方とて想定内だった。
 前方、厚く組まれたバリケードに、御凪 真人(みなぎ・まこと)が仕掛けた。
「はああっ!!」
 噴き上がる焔のごとき気炎が立ち上った。腕の延長のように突き出された純白の杖から真人の導いた強大な力が敵陣に向かって放出される。空を裂き走る白き閃光。見る者の網膜に焼きつくような激しい白光が、轟音とともにバリケードに直撃した。
「セルファ、今です!」
「うんっ!」
 このあたりはもうセルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)にとってはなじみのことだ。真人に名を呼ばれるよりも早く彼女は飛び出していた。バーストダッシュを用いてイナンナを追い抜き、天のいかずちで半壊したバリケードに突っ込む。
「てやーっ!」
 強化光翼のスピードで威力を増したランスバレストは、神官戦士の張り巡らせたディフェンスシフトをやすやすと突き破った。彼女の俊足に反応できずにいる間に、パイルバンカー内蔵シールドも使って力ずくで戦列を突き崩す。残ったバリケードの瓦礫も、邪魔になりそうな物は壁際へ蹴り飛ばした。
 一歩遅れてセルマ・アリス(せるま・ありす)が、英雄の盾を掲げて彼女と反対側へ突っ込む。
「うおおーっ!」
 神官戦士たちの剣をわざと受けてから、ドラゴンアーツの膂力で強引に押しやった。そのままファランクスの構えで神官戦士たちの攻撃を受け止める。
「おっと。抜けがけは駄目ですよぉ」
 正面の敵の相手で精一杯のセルマに向け、横からチェインスマイトをかけようとしていた神官戦士のハルバードを持つ手に、八神 誠一(やがみ・せいいち)のワイヤークローが絡みついた。
「おとなしく順番を待たなくてはねぇ」
 鉤爪を食い込ませ、痛みに身をよじったところで引き倒す。
 セルマとセルファの背後に、道が開けた。
「行ってください!」
 参戦すべく剣を抜こうとしたバァルに、立ち止まっていた真人の檄が飛んだ。
「だが――」
「彼らを相手するためにここへ来たわけではないんでしょう? ここは俺たちが引き受けます! 後ろを見ないで、あなたたちは全力で駆け抜けてください!」
 と、その視線が横を通り過ぎようとしていたルクレーシャ・オルグレン(るくれーしゃ・おるぐれん)に流れる。ルクレーシャはこくんと頷き、酸度を限りなく0%に近付けたアシッドミスト――つまりほぼ濃霧――を自分たちを中心とした通路一帯に発生させた。
 神官戦士や神官たちから視認攻撃を受けないためだ。
 霧に覆い隠される寸前、走りながら振り返ったバァルの視線と真人の視線が合う。
 すまない、と彼の唇が動いた。それと読み取って、真人は薄い笑みを口元に刷く。
「そんなこと思う必要など、全くありませんよ。俺たちにはこういうのが一番合ってるんです」
 仲間が心置きなく全力で戦える場を確保する。そのために持てる力全てをふるう。そして、それを成すことができる力を持っていることが、彼らの誇りでもあった。
 自分たちは歯車でいい。なくてはならない、決して欠くべからざる1個の小さな歯車。
「一体これは…!?」
 突然発生した霧に驚く神官戦士や神官たち。きょろきょろ周囲に目を配るその傍らを、次々と人の気配がすり抜けていく。気配だけではない、靴音も、鎧のかみ合う音も、はっきりと聞こえる。ただ距離感が掴めないだけだ。
 しかしそれも一瞬のまごつきだった。霧は、敵の移動に合わせて動いていたからだ。
「あれです!」
 薄まった霧の中、神官の1人が背後を指して叫んだ。後方の濃い霧の中、無数の人影が見える。それに向かい、神官たちは一斉に手を振りかざした。その腕に、光輝の力が集束され――
「させません!」
 宣言とともに、真人はサンダーブラストの雨を彼らの面前へと落とした。
「うわっ!!」
 床を砕く幾つもの雷撃にたたらを踏み、神官たちは息を飲んだ。集中力が途切れ、手の中の力が霧散する。だが果敢にも、稲妻をすり抜けてあとを追おうとした神官戦士たちがいた。
 白光が頬をかすめ、しびれさせようとも、先へ行かせまいと追いすがろうとする。
 前へ踏み出した足が、次の瞬間前方からの銃弾によって撃ち抜かれた。
「! なにっ!?」
 ターーーンと銃声がして、直後血を吹き出した己の足に愕然となる。前方に目をこらしたが、列柱の影にもだれかが潜んでいる様子はない。
「くそッ!」
 細かく探している暇はなかった。侵入者たちはどんどん遠ざかっていく。痛みをおして再び走り出した彼を見て、ミリィ・アメアラ(みりぃ・あめあら)は舌打ちをもらした。
「むー、せっかく足狙ったのにっ」
 憤慨しつつ、彼の前方に回り込んでいきなり光学迷彩を解除した。
「なに!?」
 何もなかった空間にいきなり現れた、愛らしいクマの着ぐるみにギョッとした隙をついて、ミリィはスナイパーライフルを逆手に持って構えた。神官戦士は自らの勢いで銃床に激突し、カウンター気味に倒れる。
「おとなしくここで寝ててねっ、まだまだいっぱいいるんだからっ」
 ふわり。再び光学迷彩で身を隠し、ミリィは柱の影に戻った。角度的にここがちょうどいい。そこでセルマが剣先をすり流したり腕に切りつけることによって体勢を崩した神官戦士の足に向かい、スナイプの効いた銃弾を撃つ。先のようなことがないよう、念のため、両足に撃ち込むことにした。
「くっ……こいつら固い…!」
 誠一も、混戦になったことで得物をワイヤークローから雅刀に持ち替えて奮闘していた。しかし神官戦士は鎧や盾で身を守っている上、エンデュアやディフェンスシフトを互いに掛け合い、相乗効果で物理防御を上げている。さらにファランクスの構えをとられれば、ただの攻撃では鎧をへこませることすら難しい。それでも同一箇所への徹底的な疾風突き連発で倒せなくはなかったが、1人を相手にこれだけ消耗していては、とてもこの場の確保など無理だ。
 歯噛みしていた表情からそれと見抜いた一刀斎が、ソニックブレードを放っていた手を止めて彼を振り仰いだ。
「小僧、ヒロイックアサルトじゃ! たとえ貫けぬ鎧でも、衝撃は伝わる!」
「……はい、先生!」
 伊東 一刀斎(いとう・いっとうさい)の助言に従い、誠一はヒロイックアサルトを発動させた。白く流動する輝きが誠一の全身を包み、全身に力を漲らせる。さらに勇士の薬で素早さを上げ、神官戦士の振り上げた右手を掴むや回転し、遠心力の効いた肘打ちをのど笛に叩き込んだ。
 通常なら昏倒するはずのこの一撃でも相手の意識を失わせることはできなかったが、体勢を大きく崩すことには成功した。よろめいて、胴ががら空きになる。そこに一歩踏み込んで、一刀流奥義夢想剣で斬りつけた。
「はあっ!!」
 誠一の必殺の一撃をまともに受けた神官戦士は壁に激突し、がっくりとその場にしりもちをついて動かなくなる。
「うむ。良い踏み込みじゃ」
「はい! ありがとうございます!」
 満面の笑顔で一刀斎を振り返った誠一に、そのとき、神官がバニッシュを放った。――が、直後、上からの荒々しい白光がこれを打ち消す。
「あなた方のお相手は俺がしましょう」
 純白の杖で床を打ち、肩幅の広さで足を開いた。いつになく強い光を放つ真人の瞳が神官たちをひたと見据え、相手の気を飲む。
 十数人の神官……数の差は無視できない要素とはいえ、この場はいったん退くなどという選択肢はあり得ない。相手の魔法防御力をも貫く強力な一撃を導こうと、杖を握る手に力を込めた。そのとき。
「「俺」じゃないよ!」二者の間にセルファが割り入った。「「私たち」だよ! ねっ? 真人!」
 はじけるようなセルファの元気に、真人の表情が劇的に変化した。強張っていた口元が緩み、目元から険しさが抜ける。ふうと息を吐き、真人は肩をすくめて見せた。
「そうですね。では、やりましょうか」
「とーぜんよ!」
 ウルクの剣を手にライトニングランスをふるうセルファ。彼女はきっと、自分が何をもたらしたか自覚はないだろう。彼女が目前の敵への攻撃に集中している間、真人は攻撃魔法でけん制をかける。
 互いに声をかけ合う必要すらも感じさせない安定した連携で、2人は次々と神官たちを攻撃不能状態へと追い込んでいったのだった。


「――で、どうしようか? 彼ら」
 足元でうめき声を上げている神官戦士を見下ろして、ぽつっとセルマがつぶやいた。
 決して少なくない血の海の中、神官戦士と神官たちがそこら中に倒れている。
 自分たちがそうしたのだが、やはり傷ついた者をそのまま放置しているのは後味が悪い。かといって、傷を治せばまた彼らは向かってくるだろう。そこをまた斬りつける――そんなのは不毛だし、もはや意味がある行為とも思えなかった。
「大丈夫、向こうと連絡がとれたからねぇ」
 眉をしかめる彼に、誠一が携帯をポケットにしまいながら寄ってきた。
「治療者が引き受けに来るって。ああほら、彼らじゃないかなぁ?」
 来た道からばたばたと走ってくる音がして、やがて翔とソールがこの場に駆けつけた。
「おおっ。こっちも盛大にやってるなぁ」
 走り込んだソールがさっそく一番手前の神官戦士の脇でしゃがみ込む。
「お待たせして申し訳ありません。けが人を引き受けに参りました」
「あっちはいいの?」
「はい。あちらはひと通りかたちができました。それに、向こうにはセルフィーナさんたちがいらっしゃいますので。私とソールはこちらのけが人を担当させていただこうと思います」
 ぺこっと頭を下げてから、翔はけが人に向かった。すでにソールがヒプノシスをかけ、眠らせた相手を邪魔にならない端の方へ移動させていく。
「手伝います」
「助かります。ありがとうございます」
「あっ、ワタシもワタシもー」
 ミリィやセルマたちが手伝って、神官戦士たちを移動させていき、それを翔が治療する。
 そんな光景を見つつ、セルファが真人の袖を引っ張った。
「真人、あれ」
「ええ。気づいています」
 バリケードが築かれていたすぐ横の通路を見つめる。かすかに……あるかなきかの音だが、新手の近づく音がしている。少数とは言えない数だ。彼らがたどり着いたときか戦闘中かは分からないが、応援を呼ばれてしまっていたのだ。
「早く安全な所へ移動させてしまいましょう。ここはまたすぐ戦場になります」
 通路の奥、いつ姿を現すかしれない敵を警戒しつつ、真人もまた、倒れている神官の脇に腕を差し込んだのだった。

*       *       *

「あそこよ」
 イナンナに導かれるまま通路を走っていた面々は、ここに来て、小川のせせらぎのような音を耳にした。
「これは…」
 ルクレーシャが音の出所を求めて顔を左右に振る。その手にはしっかりと光条兵器のお玉が握られている。この薄暗い通路で、いつ影から伏兵が飛び出してきても仲間たちを守れるように、との思いがお玉に力を与え、強い光を放って薄暗い周囲をわずかに明るく照らしていた。
「地下水路ですね」
 音の出所はここだと言うようにネル・マイヤーズ(ねる・まいやーず)がしゃがみ込み、床に触れた。
 言われて初めて床下に注意して耳を傾ける。すると、たしかに水の流れる音は足下からしていた。
「そうよ。この先には、神殿内に水を供給する源泉につながる水路があるの」
 イナンナがついに立ち止まり、正面のドアを指した。
 電気の明かりに照らし出された、鉄枠で補強された重厚な木のドア。よくよく見ると、床とドアの暗い隙間から、何かが流れているのが見える。
「ここは西口で、フロアに一番近いの」
「フロアですか?」
「ええ。あの先には、源泉へとつながるトンネルのある、ちょっと広めのフロアがあるから……多分、そこだと思うわ」
 懸命に切れた息を整えながらそう補足する。
「鍵がかかっているようだな」
 強盗 ヘル(ごうとう・へる)がピッキングをしようとそちらに近寄った。それに合わせて仲間たちもドア前まで走り寄ったのだが。
「イナンナ?」
 すれ違った彼女になんらかを感じて、沖田 聡司(おきた・さとし)は走る足を止めた。
 イナンナは彼らを見送るように、その場から一歩も進もうとしない。
「私はこれ以上進めないの」訝る聡司を申し訳なさそうに見返した。「これ以上進んだら、石版に絡めとられてしまうから」
 その言葉を耳にして、ドア前まで進んでいたバァルが駆け戻ってきた。
「女神様、それは――」
「ここから先は、あなたたちだけで進んでほしいの」
 敵もむざと石版を渡したりはしないだろう。これから先、彼らを待ち受けるものが何であるかは想像するに難くない。自分のことなのに、これ以上どうすることもできないとは――己の無力さを恥じ入るように、イナンナはキュッと下唇を噛む。そして、自分を見つめてくる者たちを1人ひとり、見返した。
「ごめんなさい」
「そんなこと、思わなくていい」
 鬼崎 朔(きざき・さく)――カナンの地においては朔・アーティフ・アル・ムンタキム――が即座に否定した。その声も、表情も……そして彼女を見返す瞳も、反ばくを許さないほどに揺るぎない。つかつかと歩み寄り、握りこまれていた彼女の手を取った。
「手を開いて、イナンナ」
 握り締められて白くなっていた手の甲をさすり、力をほどかせる。
「私たちは必ず君の本当の姿を取り戻す。それは、君が私たちの友だからだ。女神だからというだけではない。そんなものは私たちには些細なことだ。これまで一緒に戦ってきた友イナンナのために、私たちは必ず石版を見つけだし、君を自由にしてみせる」
「朔…」
「友のために動くのは私たちには当然のことだ。君もいつかそのときがきたら、友のために動くだろう。そのとき君がほしい言葉は何だ? それを私たちにくれ」
 イナンナは自分を見上げる朔を見下ろした。初めて会ったとき、彼女はまるで双子の姉妹のようだった。頬のいれずみと瞳の色以外は鏡を映したようにそっくりだった。時の流れに過ぎ去った、はるか遠き昔を思い出させる彼女……だがあのころの自分に、この瞳の強さはあっただろうか? これほどの一途さが。
 イナンナは自分の手を持つ朔の手を、ぎゅっと両手で握り返した。
「しかし女神様お1人をこのような場に残しては…」
「じゃあ俺たちが残ろう」
 バァルのためらいを払拭するように、妖刀村雨丸を肩に、聡司が横についた。その後ろにはパートナーの佐々木 小次郎(ささき・こじろう)が従っている。
「出会った最初からそうだったよな、俺たち。思うに、俺たちにはそういう縁があるんだ。だから最後まで付き合うよ」
 見上げてくるイナンナと視線を合わせ、にかっと笑う。ヘルハウンドに襲われあわやというところを、飛空艇に乗る彼に救われた。『よしっ』とつぶやいたあのときも、自分が救った少女に向かって彼はこうして笑っていた――聡司との出会いを思い出して、イナンナにも微笑が浮かぶ。
「皆さん、くれぐれも気をつけて……そして、がんばって」
 月並みかもしれないけれど、こんなとき、自分がほしい言葉でイナンナは彼らを見送った。
「朔様、本当によろしいんでありますか? 朔様も残られなくて」
 イナンナを肩越しに振り返る朔に、スカサハ・オイフェウス(すかさは・おいふぇうす)がこそっとささやいた。
「……いい」
 彼女の身を案じる思いがないわけではなかったが、振り切るように背を向け、木戸をくぐる。
(イナンナを護るためにも、一刻も早く石版から解放する。それが友としての私のあり方だ)
「戦の女神イナンナより、加護を与えます。不正不実のやからを討ち、必ず勝ちて戻るよう――彼らに勝利を」
 開いた木戸の向こうの闇へ吸い込まれるように消えていく彼らに、せめてもと今の自分にできる精一杯の祈りを捧げる。今の自分にはかつての力はないかもしれない。けれど、少しでもこの思いが彼らを守ってくれますように…。
「彼らにあったとしても、あなたたちにはどうかしらね?」
「何者!」
 突如背後から響いてきた声に、小次郎の誰何(すいか)の声が飛ぶ。
 靴音を響かせ薄闇から現れたその面は、メニエス・レイン(めにえす・れいん)だった。



「おまえたち…!」
 メニエスとミストラル、2人の裏切り者を見て、聡司は身構えると同時にイナンナを背後に庇った。
「あんまり退屈だからちょっと遊んであげようと思って来たんだけど、まさかイナンナがいるとはねぇ」
 彼女には、間の聡司や小次郎は見えてすらいないようだ。イナンナをひたと見据え、思いがけない僥倖だと、目を細めて嗤う。
「ちょうどいいわ。あなたには訊きたいことがひとつふたつあったのよ。ぜひ教えていただけるかしら? カナンの元国家神サマ」
 「元」を強調して揶揄する。イナンナは正確にはまだ国家神だ。だが神殿を追われ、神官たちにも見捨てられ、石像の移し身で、いまだ少女の姿。しかもこんな下層をうろついている……その零落ぶりを嘲弄しているのは間違いない。イナンナはわずかに頬を強張らせたものの毅然とした態度を崩さず無言を貫いたが、聡司には聞き捨てられなかった。妖刀村雨丸を手に一気に距離を詰め、斬りかかる。
 相手はメニエス、状態異常の遠距離魔法攻撃を得意とする者だ。距離をとって戦っていては、こちらが不利になる。そう判断し、聡司は猛攻をかけた。
「はっ!」
 気合一閃。横薙ぎにし、返す手で袈裟懸けに切り下ろす。胴を過ぎた辺りで即座に刀を返し、左肩まで振り上げた。
「……く…っ…」
 背後に飛んでかわしたつもりが、最後の一太刀で袖を裂かれる。だがこの程度だ。かわせない攻撃ではない――そう思った次の刹那、ちかっときらめく小さな光が彼女の視界をかすめた。直後、キン、と鉄同士がぶつかる音がすぐ背後で起きる。
 ミストラルのカタールが火花を弾いた。
「メニエス様と戦いたいのであれば、まずこの私を倒してからです」
 感情の一切が欠落した淡々とした声で、ミストラルは前方の柱の影に向かって告げた。
「じゃあこっちも言わせてもらおうかな。イナンナのお嬢ちゃんとお話しがしたいんだったら、俺たち全員倒してからだとね」
 そこにいたのは、隠れ身で彼女たちの背後に回っていた斎藤 邦彦(さいとう・くにひこ)だった。彼もまた、イナンナを守るためにこの場に残った者の1人。あいにくと奇襲の銃弾はミストラルの張り巡らせてあった殺気看破で防がれてしまったが、効かないわけではない。邦彦はさらに連射した。
 主君メニエスの守りに徹したミストラルは一歩も動かず、そのほとんどをカタールで弾く。弾道が見えるわけではない。しかし手練れが相手となればその着弾位置は読みやすい。重要な箇所のみをカタールで庇い、それ以外の場所をかすめる弾は無視した。
「雑魚が!」
 その間に詠唱を完了させたメニエスの手からエンドレス・ナイトメアが放たれる。
「おっと」
 禁じられた言葉で最大出力まで高められた力を、邦彦は身を低くしてぎりぎりでかわした。それでもくらりと一瞬、頭が強く揺さぶられたようなめまいが起きる。
 こんな技、一発でもくらえばアウトだ。ただでさえ状態異常の魔法は防ぎようがないのに、これが直撃すれば間違いなく昏倒してしまう。常に移動しつつのヒット・アンド・ウェイでいくしかない。そう決め、低い体勢のまま横に走り出した邦彦を追って、エンドレス・ナイトメアが再び放たれた。
「邦彦!」
 またも紙一重だったことに、ついネル・マイヤーズ(ねる・まいやーず)は叫んだ。
「来るな!」
 衝動的に駆け寄ろうとした彼女の動きを読んだかのように、邦彦が背中越しに叫び返す。その目は次の動きにすぐさま対処できるように油断なくメニエスを見据えたままだ。
「伏兵がいないとも限らない。おまえはそこでお嬢ちゃんを守ってろ」
 その言葉に、ネルは踏み出していた一歩を引っ込めた。
「邦彦…」
 本来なら、ここは邦彦がいるはずの位置だった。イナンナを守ることを優先し、敵の排除は他人に任せる。だが相手が悪かった。メニエスが相手では、攻撃に転じざるを得ない。
 隣でやはりイナンナの壁となっている小次郎もまた、同意見なのだろう。油断なく周囲に目を配りつつも、険しい表情で聡司を見守っている。彼は今、ミストラルと打ち合っていた。
 剣技で言えば、聡司の方が上だろう。だがミストラルも素人ではない以上、その差はあきらかというほどでもない。そして氷のごとき冷静な判断力、メニエスを守ることに徹底していること、さらに執事服の下に身に着けているヴァンガード強化スーツやさまざまな物理攻撃への防御スキルが、彼女の剣技を補っていた。
「つッ…!」
 あやうく頬をかすめた刃。一瞬遅れて痛みという炎が走る。無理に避けたせいで崩れた体勢を整えようと、右足を後ろに退いたとき。
「聡司! 私が教えた「燕返し」どこまでものにできたか見せてみなさい!」
 小次郎の鋭い檄が飛んだ。
 その言葉に、疲労を見せ始めていた聡司の目に輝きが戻った。
 一心一刀。大上段に構えた刀を高速度で振り下ろす。後方に逃げたミストラルを追って、刀が翻った。全く同じ軌道をたどって、今度は片手のみで高速度で振り上げる。あまりの速度に残像しか見えないこれは、ヒロイックアサルトで強化された膂力が成せる技だ。踏み込みの効いた一撃は今度は避けることを許さず、ミストラルの胴から右肩までを一気に切り裂いた。
 見事! ――小次郎がそう叫ぼうとしたときだった。
「試合じゃないのよ、これは」
 大技は、かけた直後に最大の隙が生まれる。嘲笑とともにメニエスの奈落の鉄鎖が飛び、腕の動きを封じた直後エンドレス・ナイトメアが近接距離から叩きつけられた。
「聡司!!」
 小次郎の前、聡司はがくりと両ひざを折った。頭が床につく前に、聡司の意識は消失していた。
「ミストラル、傷の具合は?」
「大事ありません。スーツは完全に駄目になりましたが」
 ミストラルの指が切り裂かれた部位をなぞった。血がにじんでいる。危ない一撃だった。強化スーツがなければあそこに倒れていたのは彼女の方だっただろう。スーツのおかげでかろうじて皮一枚を裂かれるのみに終わったが…。
「それよりもメニエス様、腕から血が…!」
 メニエスの右腕に伝う血を目にして、初めてミストラルが動揺を見せた。
 聡司に攻撃する一瞬をついて、邦彦の銃撃が決まっていたのだ。
「ああ、大丈夫よ。貫通しているから」
 強敵を1人撃破するためには仕方のない犠牲だ、メニエスは割り切って左手で邦彦への攻撃を続けていたが、ミストラルには看過できないことだった。
 赤い瞳の輝きが暗く沈み、ほとんど黒と化す。
「メニエス様のお体を傷つけるなど、万死に値する……その身、このわたくしが手ずから斬り刻んでやりましょう」
 メニエスのエンドレス・ナイトメアが放たれると同時に、ミストラルは走り出した。着弾点より少し左、邦彦の移動地点へ向かって。
「死になさい、あなた」
 無慈悲な声が邦彦の耳朶を打つ。
「ちぃッ…!」
 同時に振り切られた腕のカタールと邦彦の義手の間で火花が散った。