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リアクション
緑色の閃光4
「――つまり、恋敵は敵じゃない、ライバルなの! 同じ目的を持って高めあう相手は、敵であり同時に最大の味方であるわけ!」
橘 舞(たちばな・まい)が、両手を胸の前であわせて、歌うように言う。
「ね? 愛美さんを元に戻してあげましょうよ。このままじゃ、あなたは梅木さんを手に入れてもきっと虚しいはずよ……だって、恋敵という大事な友を、あなたは失ったままなんだもの!」
「は……はぁ……」
益代は頬を引きつらせて、あいまいな返事を返す。
愛美さんをさらったのはあなたですか、という舞の問いに、いつものように「そうよ」と答えてしまったことを、益代はいまさら心底後悔していた。
そのまま分かりやすく喧嘩でもふっかけてくれたらよかったのに……。
陶酔したようにしゃべり続ける舞を上目遣いに見ながら、益代はため息を吐いた。悪意がない分、どこで怒ってよいのかまるでわからない。
「聞いてる? 益代さん?」
「あっ、はい、ごめんなさい」
「わかればいいの! そもそもね――……」
なんで今謝ったんだろう。
益代は舞の目を盗んでこめかみを掻きながら、部室の入り口で腕を組んでいるブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)を一瞥した。
この状況を何とかしてくれないだろうか。一縷の望みを賭けて益代が目配せしてみると、ブリジットは腕を解いて益代のほうへと歩み寄ってきた。
「舞、ちょっとお退きなさい。あなたの的外れな説得は、もう聞き飽きたわ!」
白魚のようにしなやかな片手で、ブリジットが舞の発言を止める。
まったく同意見だった益代は、心の中でほっと息をついた。
「え? なになに?」
「そんな的外れな説得では、時間がもったいないといっているのよ!」
びしっ、とブリジットが、ぴんと立てた人差し指を益代の鼻先に突きつけた。
「さぁ、正体を現しなさい! 浦深益代に取り付いた魔女の霊よ!」
益代は、すうっと意識が遠のいてゆくのを感じた。
「な……何の霊ですって……?」
「とぼけないで。恋するオトメをさらうような悪逆非道は、人間の仕業とは考えられないわ。もっと残虐で純粋な恨みの集合体……つまり、悪霊の仕業よ!」
「ごめんなさい、ちょっと待って。頭痛くなってきた……」
益代が帽子をはずして頭を抱えると、ブリジットが勝ち誇ったように高笑いした。
「ほほほっ、正体を現したわね悪霊! 図星を突かれて苦しむといいわ!」
わあ……と、舞が口元を押さえて感嘆の声を上げた。
「すごい……私、ブリジットちゃんの推理が当たったところ、初めて見た!」
「そこ! 初めて見たとか言わない!」
ブリジットは、今度は舞のほうを「びしっ」と指差した。
「ええと……分かったわ。百万歩譲って、わたしが悪霊に取り付かれた女子生徒だとして、えっと、何が分かるわけ?」
「そんなことも分からないの? とんだワトソン君ね!」
ふん、と胸をそらしたブリジットを上目遣いに眺めながら、益代は「ワトソン君……?」とつぶやいた。
「悪霊である魔女は、梅木毅に恋をしたとはいえ、実体のない身体だもの……生身の人間との恋など、叶うはずがない。そこで悪霊は、恋敵のことも「人間とは恋することが出来ない存在」に変えてしまおうと考えるわけ。つまりはそう、犬畜生にね! ここまでは、さすがにあなたでも分かるわよね?」
「……えっと、はい」
「さらに、今まで愛美が見つかってないことから考えると、愛美は「蒼空学園にいてもおかしくない生物」に変えられたと結論付けられる……。これらの論理的思考から導き出される結論は一つ。愛美は今、モルゲンシュテルンオオナベゾームに変えられている!」
「オオナベゾームってなに!?」
舞が驚いた声を上げた。
「鼻で歩くでかいネズミよ! さっき廊下で見かけたの。おそらく、あれが愛美ね……」
益代はふらふらとふらついて、暗幕をかけた窓に背を預けた。
「ひとつだけ言わせて……」
益代がうめくように言うと、ブリジットが意志の強そうなつり目に勝ち誇った笑みを浮かばせた。
「なあに? 申し開きくらいは聞いてあげるわ。言い逃れなんてさせないけどね」
「誤解しないでほしいんだけど……蒼空学園にナベゾームがうろついているのは、とっても異常なことよ!」
「またそんな嘘を! あんなに堂々と放し飼いにされているのだから、蒼空にはナベゾームとやらが大量にいるに違いないわ。それこそ、百合園に女の子がたっくさんいるみたいにね!」
「百合園に相撲取りがたくさんいるくらい異常な状況よ!」
益代が噛み付くように叫ぶと、ブリジットがむっとした。
「ずいぶんと往生際の悪い悪霊ね……いいわ! 舞、実力行使よ!」
「ええっ!?」
舞は目を丸くした。
「なに驚いてんのよ! こいつが悪霊だってことはさっきの推理ではっきりしたでしょ!? まずは叩きのめしてふん捕まえて、それからゆっくり除霊してやるのよ!」
「でもー……」
「分からないの!? これは、悪霊に取り付かれた浦深益代のためでもあるのよ!」
「あっ……そっか……! うん、わかったよ、いやだけど、私やる!」
「その意気よ! さすが私のパートナー! ――じゃあこれ!」
ブリジットは、持っていた金属バットを一本、舞に渡した。
「さあ、少し痛い目見せるけど、覚悟してね!」
ブリジットは、金属バットを「びしっ」と益代に突きつけた。
益代も、ヴェールを取り、マントをはずし、エンシャントワンドを引き抜いて構える。
「なんで最初から……実力行使で来てくれないのよ!」
叫んだ益代にかまわず、ブリジットがバットを構えて飛び出した。
「問答無用ッ!!」
ブリジットがバットを振り上げる。
益代のワンドから飛び出した発光が、薄暗い部室を白々と照らし出した。
※
「おじゃましまーっす……」
無声音でささやいて、どりーむ・ほしの(どりーむ・ほしの)は占いの館に忍び込んだ。
魔法の明かりが白々と照らす部室の中、金属バットを構えたブリジット・パウエルと橘舞を、浦深益代が素手でさばいている。
「こんなことなら……綾乃さんたちに買出しなんか頼むんじゃなかったわ……」
益代のぼやく声を背中に聞きながら、ほしのは、人形たちの作る影の中を縫って歩いた。明るい光が輝けば、残った影はそれだけ濃くなるものである。
並んだ人形たちの顔を見上げつつ、ほしのは感嘆のため息を吐く。
「ああ……目移りしちゃう。……けど、迷ってる暇はないよね」
ごとん、と重たいものの落ちる音がして。ほしのは振り返った。
橘舞が、人形のように硬直して床に倒れた音だった。
「やば……! 早くしないと騒ぎか終わっちゃう!」
きょろきょろ、とほしのは周囲の人形を見回した。
「……お!」
その中の、エメラルドグリーンの瞳に恐怖の表情を浮かべた、なんとも「そそる」女子生徒をかたどった人形に、ほしのは目を止めた。
蒼空学園の制服で、細身の身体を包んでいる。
「ん〜……できれば百合園の生徒がいいんだけど……」
「――きゃあっ!」
後ろで、ブリジットの悲鳴が聞こえた。そろそろ潮時だ。
「よし、決めたっ!」
ほしのは女子生徒の人形に飛びついて、小脇に抱えた。
予想を超えた重量が、ほしのの腰にのしかかる。
「うっわ……ひと一人はさすがに重いっ……うぐぐぐぐ……」
ずり落ちる女子生徒の身体を何とか持ち上げ、ほしのは走り出した。
暗幕のかかった出口まで、ほんの数歩だ。
けれど。
「そこにいるのは誰ッ!?」
益代の鋭い声が響いた。
足元に、硬直した舞とブリジットを転がした益代が、ほしのにワンドを向けてくる。
ほしのは出口に突進した。背後で嫌な気配が膨れ上がる。けれど、ひと一人を抱えているせいで、足はなかなか進まない。
「――どり〜むちゃん、危ないっ!!」
暗幕の向こうから飛び出してきたふぇいと・たかまちが、ハーフムーンロッドを構えた。
杖先から噴き出したアシッドミストが、狭い部室を覆い尽くす。
「どり〜むちゃん、今のうちにぎゃふん!?」
全力疾走の勢いを殺しきれなかったほしのは、出口に突っ立ったふぇいとに頭から突っ込んだ。
部室から転がり出たほしのは、くらくらする頭を押さえてなんとか立ち上がる。
「いっつつ……」
「待ちなさいっ! ……ごほっ!」
暗幕の向こうで、益代の叫び声が響く。
ほしのはとっさに、傍らに転がっていた女子生徒を抱えあげて駆け出した。
廊下の向こうからやってきた男子生徒を肩で跳ね飛ばし、ほしのは一目散に、占いの館の前から逃げ出した。
「はぁっ……はぁっ……死ぬかと、おもった……」
無人の教室に飛び込んだほしのは、ずるずるとへたり込んだ。
抱えてきた女子生徒をそっと横たえてから、ほしのは過呼吸寸前の息を整える。
「はっ……ふっ……ふっ、うふふふふ……」
荒い吐息は、どんどん笑い声に変わっていった。
「うふふ、やった、やった! 等身大フィギュア、ゲットぉ―――ッ!!」
両手をあげて叫んでから、ほしのは横たえた女子生徒に近寄った。
「ではでは……持って帰って弄ぶ前に、ちょっと味見を……」
すっと、ほしのの伸ばした両手が固まった。
横たわった女子生徒の、金色の髪と、白い肌、それに見慣れた顔……ふぇいと・たかまち(ふぇいと・たかまち)の顔を見て、ほしのの全身が硬直する。
「こっ……これは……」
ぱち、とふぇいとが目を開けた。周囲をきょときょとと見回してから、最後に、硬直したほしのを見る。
きょとんとした黒い瞳が、あっという間に涙で潤んだ。
「どり〜むちゃんっ!!」
ふぇいとが、ほしのに飛びついた。
ほしのを絞め殺さんばかりの力で、ふぇいとの腕が首根っこにしがみついてくる。
「どり〜むちゃん! 私感激ですっ! あんなに執着していたフィギュアを捨ててまで、気を失った私のことを助けてくださるなんてっ! ああっ、やっぱりどり〜むちゃんはなんだかんだ言っても、私のことを想っていて下さったんですねっ!」
「ちっ……ちがっ……ぐえっ」
反論しようにも、ふぇいとの腕はいくらタップしたところで力が緩まる気配はない。
「短い夢だった……わ……」
酸欠で薄れゆく意識の中、ほしのはかすれた声でつぶやいた。
※
(たっ……たすかったぁ〜……)
リノリウムの廊下に横たわったまま、アリア・セレスティは心の中でほっと息をついた。
身体は作り物のように硬直していて、相変わらず指一本すら動かせない。
けれどその代わりに、アリアは外部からどんな衝撃を受けても、ケガ一つしていなかった。
(痛いことは痛いんだけどね)
ほしのに床へ落っことされたときも、その時こそぶつけた背中が痛かったものの、今では嘘のように痛くも痒くもない。
生身のままだったら、骨にひびが入っていてもおかしくないような衝撃だったのに。
(あとは、益代ちゃんが占いの館に戻してくれれば……って、ちがうちがう!)
アリアは心の中でぶんぶんとかぶりを振った。
実際には、首どころか視線一つ動かせはしないけれど。
(なんとかして元に戻って、占いの館から出ないと……。とりあえず、今出来ることは頭を動かすことだけ。何とかして糸口を……えっ?)
ほしのが走り去っていったあたりから、ぼさぼさ頭のレアル・アランダスター(れある・あらんだすたー)が歩いてきた。あからさまに不機嫌そうな顔をしている。
「ったく、ンだよ今の女。人にぶつかっといてワビも無したぁ……うん?」
レアルの陰険な茶の瞳が、倒れたまま動けないアリアを見下ろした。
「こりゃあ……フィギュアか?」
レアルの目が、すばやく周囲を見回した。
(えっ、えっ、えっ!?)
声も出せずに、アリアが慌てふためく。
レアルの頬に、いやらしい笑みが浮かんだ。
「こりゃ、ワレンティヌス様からの遅いプレゼントだな」
レアルは、すばやくアリアの身体を抱えあげるや、その場から駆け出した。
(い、いや―――――ッ!!)
激しく揺れる視界の中、力の限り張り上げたアリアの悲鳴は、誰にも届くことはない。
「へっ、へへっ。ここまで来りゃあ、誰も追っかけてこねえだろ」
男子トイレの個室に駆け込み、鍵を閉めて、レアルがニヤニヤと笑う。
視線一つ動かせないまま、薄汚れた壁に押し付けられて、アリアは震えた。
(やだ……なに、これ……)
「へっへへ……しかし、パねえ完成度だな、こりゃあ。まるで生身の人間だ」
レアルの節くれ立った指が、アリアの頬に触れてきた。
かさかさと乾燥した指の感触が、動けないアリアの背筋を駆け上る。
「うーむ……固ぇ……。所詮は樹脂製か……」
(外から触れると固いんだ……)
よかった、とアリアは思った。これで、興味を失ってくれればいいのだけれど。
「……いいや、こういうフィギュアってのはコストダウンのために、必要な部分以外は固く出来てるってこともあるな、うん」
(こういうフィギュアってどういうフィギュアよー!!)
「では……必要な部分を……」
レアルが、アリアの両胸をわしづかみにした。
(ひっ……!?)
ごつごつした手の感触が、胸をこね回す。
胸の奥から広がっていく嫌悪感に、しかしアリアは涙すら流すことが出来ない。
「んー……ここも固い……。そういう人形じゃあ、ねえのかな……?」
アリアの胸からぱっと手を放して、レアルが唸った。
(ひどい……ひどいよ……こんな……)
アリアは心の中で、声にならない嗚咽を漏らす。
「つーことは、完全に観賞用のフィギュアってことかよ……。つまんねーなぁ……。こんなもん買って、一体何に使うってんだよ、あーあ」
頭の後ろで両手を組んで、レアルは心底がっかりしたように息を吐いた。
「こんな人形……ああ、そうか」
にやり、とレアルの口元に、またいやな笑みが浮かぶ。
アリアの心臓が縮み上がった。今すぐこの場から逃げ出したいのに指一本動かない。
けれどもし身体が動いていたとしても、この状況じゃ腰が抜けて動けなかっただろうとアリアは思った。
「観賞用だもんなぁ……鑑賞すりゃいいんだよ、色んなものをさぁ」
レアルのごつごつした手が伸びてくる。節くれ立った指が、シャツのボタンの間から、するりと滑り込んできた。
(いや……いや……いやぁ……)
「ずいぶんリアルなフィギュアだけどよ、下着もちゃんとリアルなのかね? それとも……」
レアルの指に力がこもる。
シャツのボタンがぶちぶちとはじけ飛ぶ。
(やだ……やだやだやめて! もう……いや……!!)
「おっ……このレースは……」
「――みィつけた」
レアルの肩がびくりと跳ねた。
硬直したアリアの瞳が、個室の扉の上で輝く、蛍光グリーンの瞳を捉えた。
「あ、あわわ、おまえ……ここ男子便所……」
益代はチェシャ猫のようにニヤリと笑って、扉を乗り越え、個室の中にすとんと落ちてきた。
自分の胸くらいまでしかない益代に見据えられて、レアルは情けなく震えていた。
あとずさってきたレアルの背中が、アリアの身体にぶつかる。
「なんだよ、なんだよお前……何なんだよ、その模様……!!」
帽子もマントもヴェールもない、薄い夏服を纏っただけの益代は、蛍光灯の明かりに照らされながら、いたずらっぽく小首をかしげた。
アリアを背中と壁との間に押しつぶしながら、レアルが、きつくこぶしを握る。
(益代ちゃん、あぶない……!!)
アリアは強く念じたが、どんなに頑張っても声にはならない。
「なめんじゃねえぞ、テメェ―――!!」
野獣のように吼えて、レアルが棒立ちの益代に殴りかかった。
アリアの視界を、一瞬、緑色の光が支配して――……。
ごとん。
人形のように硬直して動かなくなったレアルが、薄汚れた床に倒れた。
(たっ……たすかっ……た……)
乱れた髪を平然と払った益代を見ながら、アリアは心の中で、安堵のため息をつく。
「綾乃さんたちを呼ばなきゃね……」
倒れたレアルを見下ろして、うんざりしたように益代が言った。
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