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消えた愛美と占いの館

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消えた愛美と占いの館

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未来予想図1
 レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)は、占卜同好会部室……通称「占いの館」のスライドドアに手をかけた。
「失礼……しまーす……おっと?」
 ドアの向こうは、真っ黒だった。
「何? 暗ッ!? 魔法!?」
「ただの暗幕じゃろうが」
 するりと前に出たミア・マハ(みあ・まは)が、レキの視界をふさいでいる分厚い暗幕を、一息に引いて退かした。
 一枚。二枚。三枚目の暗幕をめくった先に、やっと、薄暗闇に沈む部屋の中が見えてくる。
「窓も日よけがかけられておるのか? あきれた日向嫌いじゃの」
 ミアを押し込むようにして、レキも部室に足を踏み入れた。
 二人が通り抜けると、分厚い暗幕はまた勝手に閉まって、光を完全に遮断する。濃い霧のような闇の中、レキとミアは周囲を見回した。
「浦深さん……留守かな?」
 周囲には大小さまざまな影があったが、みんな闇の中に沈んでいて、それらが何なのかははっきりしない。
「出直したほうが……いいかな?」
 二人の目が、だんだんと暗闇に慣れてくる。
 大小の影にしか見えなかったものの輪郭が、次第にはっきりしてくる。
 二人の周囲にずらりと居並んでいたそれらはすべて、人間だった。
「――うわっ!?」
 レキはびくっと飛び上がった。
「ミア!? これ、人間!?」
「んー?」
 ミアは眼鏡をちょいと持ち上げて、影のひとつに近づいた。
「……これは、人形じゃろ」
「……本当?」
「ああ。大方、呪詛にでも使うわら人形に似たもんじゃろう。わらわはそれほど詳しくないがな」
「魔女なのに?」
「せせこましい呪詛などに興味はないわい。わらわの魔法が目指すのは「おおきくする」ことのみじゃからの」
 ミアが、平たい胸の前でボールを二つ作るようなしぐさをした。
 レキが首をかしげる。
「おっきく?」
「……口が滑った。忘れるがよい」
「ふーん?」
 生返事ひとつして、レキは目の前に立ち尽くしている人形に目をやった。
 黒髪の女性を模った、サファイア色の瞳を持つ精巧な人形だ。
 女神のように柔らかな微笑を浮かべており、口の端にはなにか、赤黒いしみのようなものがこびりついている。
「……あれ? なんだろうこれ」
 レキは、人形に向かってそっと手を伸ばした。
 突然、レキの手首がきつく掴まれる。
「!?」
 薄闇にぼんやりと浮かび上がる乳白色の手が、長く伸びた爪を食い込ませんばかりの強さでレキの手首を掴んではなさない。
「えっ!? なに!? ちょっと……」
「触らないで。壊れ物だから」
 隙間風のような声が、レキのすぐそばで響いた。
 ふと視線を落とすと、蛍光塗料によく似たグリーンの光が闇の中に二つ、ぽっちりと浮かんで、レキを見ていた。
「……そなた、浦深益代か?」
「そうよ」
 浦深益代は短く答えた。声は、やはり変にかすれていた。
 益代がレキから手を離し、一歩離れる。そこで初めて、レキは、益代の目と手だけが闇の中に浮いていたのか、なぜ声がかすれて聞こえていたのか、理解した。
 益代は、体全体を闇と同じ色のマントですっぽり覆っていた。いまや、あの生白い手さえもその中に隠れてしまっている。
 さらに、口元も闇色のヴェールで覆っている。これが、どこか遠くから聞こえるような声の原因だった。
 腰まで伸びた真っ黒い髪は、顔の輪郭をすべて覆い隠し、頭に載せたとんがり帽子はサイズが大きすぎるせいで、益代の頭を目の上ぎりぎりまで隠している。
「お待たせしたわね、はじめましょう」
 ぱちん、と益代が指を鳴らすと、部屋の四隅に立てられたろうそくに、ぼう……と灯がともった。狭い部室が薄橙色に照らされ、甘い香りが満ちていく。
「ほう? アロマキャンドルかのう?」
「そんなとこ」
 益代は頷いた。部屋が炎で照らされても、とんがり帽子の広いつばから落ちる影が益代の顔を覆い隠していて、表情ひとつ覗うことさえできない。
「あっ、えっと、占って欲しいのはですね……」
「そっちの背の高いあなたと、そっちの眼鏡のあなたの相性」
「えっ……どうして分かるんですか?」
 蛍光グリーンの瞳が、驚きに見開かれたレキの目を見上げた。
「分かるわよ。大した悩みもなさそうだもの」
 一呼吸おいて、益代は少しだけ強い口調で続ける。
「――美人だものね。二人とも」
 レキの細眉が、きゅっと寄った。
 ミアが口元に手を当てて、「ほほ」と笑う。
「褒め言葉と受け取っておこうかの」
「ボクは……そう言われるの嫌いです」
 すねた口調でレキが言うと、益代の瞳が細まった。
「贅沢ね。じゃあどう言われたいの?」
「えと……かっこいい、とか?」
「大差ないわね。美しさを表す言葉としては、どちらも」
「大差あるよ。だって男の子には……っ、あれ?」
 不意に、レキは頭を押さえて、たたらを踏んだ。上靴の底がリノリウムの床にぶつかる、くぐもった音が響く。
 ――それを合図にしたように、部室の中にまぶしい光があふれ出した。
 先ほどまでの暗闇がウソのように、山吹色の陽光が辺りを包み込む。
 狭苦しかったはずの室内は、緩やかな曲線を描く地平線まで見えそうなほどに広がり、足元には輝くような黄色の菜の花が咲き乱れている。
 たち込めていた甘ったるい匂いも今はなく、代わりにむせ返るような青い匂いと、柔らかな花の香りだけが、光り輝く花畑に満ち満ちていた。
「えっ……ここ、どこ……?」
 レキは、先ほどと変わらず隣に立っているミアを見た。
 眼鏡の奥の知的な瞳が光る。ミアはまっすぐにレキを見返しながら、豊満な胸の下で腕を組んだ。
「よかった、ミアはそのままで……あれ? ミア、どうしたのその体!?」
「ほほ、わらわにも分からぬ」
 大人びた声で優雅に笑うと、ミアはちょっとあごをそらして、見下すようにレキを見た。
「わからぬ……が、そなたを見下ろせる背丈がここまで気分のよいものだとは思わなんだ」
「背丈だけじゃなくて! 胸も! お尻もっ!」
「ぼんっ、きゅっ、ばーん! じゃろ?」
 くすくすといたずらっぽく笑って、ミアはレキの頬に触れた。
 赤い短髪の下から覗く、健康的な肌色のうなじへと、ミアは長い指を滑らせた。
「あれっ!? ボク、髪の毛は?」
「短くなっとるのう。悔しいことに、背も少し伸びておる」
「えっ? えっ? どっ、どーゆーこと!?」
「わらわにも分からぬ。しかしまあ、レキよ、そなた、普段より一段も二段も、凛々しゅうなっておるぞ?」
「凛々、しい……?」
 オウム返しに言ったレキの言葉が、かすかに震えた。
 ミアは、レキをまっすぐに見据えたままで、ちょっと首をかしげる。
「どうじゃ? 今のわらわとそなたと、お似合いだとは思わんか?」
「ええっ!? なにそれ!?」
 薄く頬を上気させて、レキは叫んだ。
「……わらわとお似合いでは、イヤか?」
 ミアのすねたような口調に、レキが肩を跳ねさせて、うつむく。
「いや……別にいやとかじゃ、ないけどさ」
「そうか……まあ、今はそれで十分かの」
 ――ふっ。
 鋭い息の音と共に、満ちあふれていたすべての光が消えた。
 薄暗闇と、居並ぶ人形と、甘ったるい匂いが、瞬時に二人の周囲へと戻ってきた。
 ミアはいつものように、眼鏡越しのいたずらっぽい眼差しでレキを見上げている。胸もぺたんこだし、お尻も貧相だ。
 レキは自分の頭に触れてみた。後ろでひとつにまとめた真っ赤な髪は、ちゃんとそこにある。
「どういう……こと……?」
「――好ましい未来図だったようね」
 益代の存在をすっかり忘れていたレキは、不意に響いたかすれ声に、思わず飛び上がった。
「わっ!? えっ? ……未来図?」
「そうよ、今見えたのがあなた達の未来図。――光に満ち満ちた未来の地平は、どこまでも広大で、限りなく自由であろう。その広さゆえに、時に足がすくむとて……握り合える手、共に歩める足が、必ず傍らにあるであろう」
 ろうそくの明かりすら消えた、薄暗い部室の中で、蛍光グリーンの瞳が、ちょっと笑ったようだった。
「え……。じゃあ、じゃあ、あのイエローキャブなミアも、未来のミアってこと!?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
 あっさりと、益代は言い切った。
「占いは、未来に行くほど精度が下がるの。あなたたちの未来図なら、少なく見積もっても数年後かしら。運命が揺らぐには、十分な歳月だわ」
「えっと……つまり、当たるも八卦、てこと?」
 レキが首をかしげると、ミアが無邪気に笑った。
「ほほほ。まあ、魔法などと言うのはそのようなものよな。わらわは、それでも存外に楽しめたがの」
「そう。なにより」
 短く言って、益代は軽く頭を下げた。
「大事なのは、理想の未来に向かおうとする本人の気持ちよ。占いなんて、結局そのための道しるべでしかないんだわ。……またのお越しを」
 レキとミアは、連れ立って部室の外へ出た。
 薄暗い部屋から出てきたせいだろうか、窓から差し込んでくる光は、眩しいほどの山吹色をしていた。

 ※

 霧雨 透乃(きりさめ・とうの)が、「占いの館」のスライドドアを二度、鋭く叩いた。
「入ってますか〜?」
「いや、トイレじゃねーんだからさ」
 霧雨 泰宏(きりさめ・やすひろ)は、抑えた声でたしなめた。
 けれど、透乃はそれを気にした風もなく、益代の返事を待つこともなく、一気にスライドドアをひき開けた。
「おじゃまー!」
 暗幕を弾き飛ばして、透乃が部屋の中へ踏み入る。一歩遅れて、泰宏も薄暗い部室へと足を踏み入れた。
「いらっしゃい。ドア、閉めてね」
 手狭な部屋の一番奥から、かすれた声が響いてくる。
 後ろ手にドアを閉めながら、泰宏はふと、暗闇にぼんやり浮かんだ蛍光グリーンの目玉に目を留めた。
「……おまえが、浦深益代?」
「そうよ。ようこそ、霧雨 透乃。霧雨 泰宏。私の占いの館へ」
 益代は立ち上がったようだった。
 暗闇の中に、二つの目玉だけがふよふよと漂っているようで、気色悪いなと泰宏は思った。
「また、大きなひとが来たわね」
 益代が透乃を見上げて言うと、透乃は大きな胸を張った。
「でしょー?」
「私が言ったのは胸ではなく背丈よ。あと、別に褒めてない」
「でも羨ましいでしょ?」
「お黙りなさい」
 益代の瞳が針のように細まる。透乃は止めて聞くようなやつじゃないのは分かっているから特に何も言わないが、泰宏は内心ひやひやしていた。
「無駄話はよして、占いを始めましょうか。占って欲しいのは、二人の相性ね?」
「え? 何で分かったの?」
「一日に二度も同じことを言いたくないから理由は言わないわ。強いて言えば、二人とも顔が綺麗だからよ」
「なにそれ?」
 透乃は首を傾げたが、益代には答える気がないようだった。
 益代がマントの下で、ぱちんと鋭く指を鳴らす。
 部屋の四隅に、ぼっと淡い光がともる。
 なんともいえない、獣脂のようなねっとりした臭いが、部屋の中に満ち始めた。
「なんだ……、この臭い……?」
「さあ?」
 益代はまじめな声で、短く言っただけだった。
「ん……目、かすんできたかも」
 透乃がぽつりと呟いて、目をこすり始めた。
「おい、透乃ちゃん? ……お前、なんかしたんじゃないだろうな……?」
 泰宏は、暗闇に浮かぶ二つの目玉を見据えて、ずいと一歩踏み出した。
 力強く踏みつけた床は、ざらざらした土の感触がした。
「……なんだ?」
 泰宏の周囲は、ほの暗い森に変わっていた。
 厚い葉っぱを茂らせた広葉樹が、周囲を覆い隠している。
 足元は、湿った土がむき出しになっていた。獣道だ。
 泰宏の背後から、目線の先へと、森を貫くようにまっすぐ続く一本の獣道が続いている。道の終わりには、森の出口だろうか、針穴から漏れ出すような光が浮かんでいた。
「ここどこだ? おい、浦深益代? 透乃ちゃん!?」
「大きい声出さなくても聞こえるよ、やっちゃん」
 泰宏の隣でかすかに震えた声がして、柔らかな手のひらが手首を掴んできた。
「下手に動かないでね。はぐれたら困るから」
「……はぐれる?」
いらついたように、透乃が進む先を指差した。
「だって見てよ、こんなにたくさん道があって……その先もどんどん分岐してて、まるであみだくじじゃない」
「……」
 泰宏は、透乃が指差す先を見た。たった一本の獣道が、光のほうへと伸びている。
「……なあ、透乃ちゃん」
「なによ? ……うわっ!?」
 透乃が、水をかけられた猫のように飛び上がった。
「どうした!? ……あっ」
 おびえたような透乃の、目線の先には小さな影があった。
 ふるふると震える、茶色い体毛に覆われた小さな体。顔に比べてでかすぎるほどでかい、耳と目玉。
 それは紛れもなく、チワワだった。
「ひっ!?」
 透乃がしゃっくりに似た声を上げる。
 森の中から歩み出てきた数匹のチワワが、愛らしい瞳を泰宏たちのほうへ向けながら、じわじわと近づいてきていた。
「やっちゃん、やっちゃん、逃げよう……ね?」
「え? なんだ、透乃ちゃん、おまえ犬苦手だったっけ?」
「犬!? こんなでっかい狼の、どこが犬だってのさ!?」
「はあ!?」
 薄暗い森の中、泰宏はじっと目を凝らしてチワワを見た。しかしいくら凝視しても、それは紛れもなくチワワで、百歩譲ってカピバラと見間違えることはあるかもしれないが、狼と見間違えるにはだいぶ無理がある。
「おい、透乃ちゃんさ。ちょっと落ち着けよ」
「落ち着いてるけど! ああっ、そっか。逃げるにしても、正解の道を見つけなきゃなんないのか!」
 透乃は泰宏の脇を抜けて前に出ると、行く先に目を凝らした。
 エメラルドグリーンの瞳が、泰宏には見えもしないいくつもの道を捉えていく。
「……ええいっ、ここは勘だよ。やっちゃん、こっち!」
 泰宏の手首をぎゅっと掴んで、透乃が駆け出した。
 泰宏は、透乃が見据えている辺りをじっと見ながら、動かずその場に立ち尽くす。
「……ちょっと!? やっちゃん、早くしないと狼が!」
 透乃が、進もうとしていた先を指差して言った。透乃の指の先には、深くて暗い森が広がっているばかりだ。
「平気だ。狼は襲ってこない」
「え? なんでそんなことがわかんの?」
「大丈夫だ。道も分かる」
「え? やっちゃん?」
「たまには、私にもカッコつけさせてくれ。な?」
 泰宏は、透乃の戸惑い顔にウインクひとつ投げた。
「え? ちょっ、わっ!?」
 透乃の長身を、足を救い上げるようにして抱え上げた。お姫様抱っこと言うやつだ。
 泰宏は駆け出した。まっすぐ見えている一本の獣道を、光のほうヘ向かって。
 小さな点のようだった光はすぐに大きくなり、やがて泰宏と透乃の視界を、一杯に覆い尽くした。
「――おかえりなさい」
 すぐ目の前に浮かんだ蛍光グリーンの目玉を見て、泰宏は飛びのいた。
「うわっ!? ここ、どこだ!?」
「占いの館よ。ずうっとね」
 蛍光グリーンの瞳が笑って、くすくすとかすれた声が響いた。
「……そうだ、透乃ちゃんは? 無事か!?」
 透乃は、泰宏のすぐ傍らにぼうっと立ち尽くしていた。ろうそくの火が消えた暗闇の中、益代とは違う明るい緑色の瞳が、泰宏を捉える。
「やっちゃん……すごいね。どうして、進む道が分かったの?」
「え? ……わかったつーか、見えてたんだよ。私には、最初から」
「見えてた……?」
 突然、益代が咳払いをした。
 泰宏と透乃は、ふと闇に浮かぶ瞳を振り返る。
「猛き勇者が惑うとき、傍らの騎士が手を取り進むべし。勇者守りし騎士の視点は、時に隠された光明を探り当てるだろう」
 蛍光グリーンの瞳が、柔らかく細まった。
「悪くないと思うわ、あなたたち。霧雨透乃、あなたが騎士の助言を聞き逃しさえしなければね。……またのお越しを」



 スライドドアを引きあけ、三重の暗幕をゆっくりとくぐって、七尾 蒼也(ななお・そうや)は占いの館に踏み入った。
「――いらっしゃい」
 蛍光グリーンの目玉が、薄暗闇に浮かんで蒼也を捉えた。
「おやおや、これは暗い。蒼也、足元に気をつけてくださいね」
 やわらかい微笑みを浮かべながら、ラーラメイフィス・ミラー(らーらめいふぃす・みらー)も部室の中に滑り込んでくる。
 火傷を隠した桜の花びらのペイントが、薄暗闇にぼんやりと浮かんでいた。
「窓にまで暗幕を引いているのですか? これでは、あなた自信も暗くて不自由でしょう? こんなに暗いのは、占いのためですか?」
 益代の目が、不愉快そうに細まった。
「いいえ。あなたの桜のペイントと似たようなものよ」
「ああ……」
 ラーラメイフィスは戸惑ったように頷いて、そのまま口をつぐんだ。
「それで? 占ってほしいのはどなた?」
「ああ、俺なんだけど……」
 手を上げたはいいが、蒼也は少し口ごもった。
「なんだけど、なに?」
 益代に促され、蒼也は仕方なくその続きを口にした。
「まあ、こんなこといっちゃなんだが、占いなんて大して信じてないんだ。ンなわけで、まあ、お手柔らかに頼むぜ」
「信じてない、か、その心がけは間違っちゃいないわ」
 あっさりと、益代が言った。
「はぁ? おまえは占い師なんだろ?」
「そうよ? だから普通の人よりは、占いのいい加減さや無意味さも分かっているつもり」
 蒼也に歩み寄りながら、益代は言う。
「占いの結果は、結局のところ未来への指標にしか過ぎないから。目標にするのはいいけど引きずられれば痛い目を見るわ。大して信じていない。けれどどこか気になってしまう。その距離感が大切よ」
 蛍光グリーンの瞳が、いたずらっぽく微笑んだ。
「さて、じゃあ占いましょうか。あなたと、あなたの気になる人との相性を」
「えっ……俺、占ってほしい内容言ったっけ?」
 益代はもう一度微笑んだだけで、何も答えなかった。
 マントの下で、指を鳴らすくぐもった音が響く。
 部屋の四隅に、オレンジ色の明かりが灯った。
「……?」
 蒼也の鼻を、嗅ぎ覚えのある匂いがくすぐる。
「……なあ、これ、何の匂いだろ」
 蒼也は、くるりとラーラメイフィスを振り返った。
 けれど、ラーラメイフィスは占い中の蒼也に気を使ったようで、部室の入り口近くに引っ込んでいた。
 部屋が暗いせいもあって、もう居並ぶ人形たちと区別がつかない。
「占いに集中して」
 益代にぴしゃりといわれて、蒼也は視線を正面に戻した。
「なにか匂う?」
「ああ……でもなんの匂いだろう……?」
 蒼也は鼻をひくつかせて、あたりに漂うかすかな匂いを嗅いだ。
「冷蔵庫の匂い……? ううん、もう少し澄んだ……そう、すげェ寒い日の、外の匂い……とか」
「北風の匂い?」
 益代が、手助けするように言ってきた。
 蒼也は集中するために目を閉じて、もう一度深く、周囲の空気を吸い込んだ。
「いや……ああ、そうだ。これは雪の匂いだ」
「……目を開けてみて」
「ああ、わかった」
 蒼也はぱっと目を開いた。
 そこには、部室の壁も、揺らめく炎も、蛍光グリーンの瞳も、なに一つなかった。
 代わりに、雪で覆われた白銀の世界が、遠く彼方まで続いていた。
「!? なんっ、なんだこれ!?」
 蒼也はきょろきょろと辺りを見回したが、ラーラメイフィスも、益代も、影も形も見えなかった。
 代わりに、すぐ近くにもみの木が一本、ぽつんと立っていた。
 もみの枝には、どっさりと雪が積もっている。
 木に歩み寄ると、枝葉の下にいるというよりは、雪の下にいるようだった。
「……やっぱ、雪の匂いだったんじゃん」
 蒼也は鼻をひくつかせて言った。
 不思議と寒くはない。代わりに、なんだかとても喉が渇いていた。
「……あっ」
 もみの木のすぐ脇に、いつの間にか泉が現れていた。
 ガラス板のように波一つ立たない泉は、真っ青だった。
 その深い青と同じ色の瞳と髪を持つ人間を、蒼也は知っていた。
「喉……渇いたな……」
 蒼也は泉のふちにしゃがみこんだ。
 喉がひどく渇いている。しかも、この泉の水でその渇きを満たしたくて仕方がなかった。
 蒼也はかがみこんで、泉に口を近づけた。まるで瞳に映るように、水面に蒼也の顔が浮かび上がる。
 泉に口をつけると、固く冷たい感触があった。
 氷が張っているのだ。
「……くそっ」
 けれどどうしても、この水を飲みたい。
 蒼也は舌を出して、氷を舐め始めた。
 少しずつ、氷が解けて水に変わっていく。
 そのまま、長い長い時間、蒼也は泉に張った氷を舐めていた。
 ふと、蒼也の舌先に氷以外の何かが触れた。
 水だ。氷の下から水が湧き出してきた。
 蒼也は氷に強く唇を押し付けて、湧き出してくる水を吸った。
「――何が見えた?」
 いつの間にか、蒼也の周囲に薄暗い部室と、蛍光グリーンの光が戻ってきていた。雪のにおいも、もみの木も、泉も、もうどこにもない。さっきまで部屋の四隅で揺らめいていた炎も、幻のように掻き消えていた。
「何が見えたかしら?」
 益代が重ねて問うてきた。
「雪の下に、青色の泉があった……」
 蒼也は、今しがた見た景色と、不思議な体験を、もらさず益代に話した。
 益代が、何度も頷きながらそれを聞く。
「……なるほど」
 蒼也が話し終わると、益代は最後にもう一度、深く頷いた。
「雪と泉は象徴ね。あなた、ユキノシタとか、アオイイズミとかに覚えは?」
「あるといえば……あるな」
「ふうん、なるほど? ……そして、あなたはその象徴的な泉で、どうしても渇きを潤したかった。つまり、この雪と泉の元となった人物を、内心であなたは強く強く求めているのね。それこそ、雨を待つ砂漠の花のように」
「なんか、恥ずかしいな、それ」
 蒼也は苦笑した。
「けれど、泉には氷が張っている。……あなたは、あなたの思い人との間に、まだ壁があると感じているわね。そして、その壁は、あなたの体温でのみ、溶かせることを知っている」
「体温、って、なんか妖しいなぁ……」
 目を細めて、益代はかすかに微笑んだ。
「体温を分け与える、と言っても物理的な意味ばかりじゃないわよ? つらいときに隣にいてあげる、一緒にご飯を食べる、それもりっぱな、体温を分け与えると言うことよ。……まあ、望むなら、物理的に体温を分け与えたってかまわないけどね?」
「はは……」
 蒼也はなんと言っていいか分からずに、あいまいに笑って見せた。
「訓戒的に言うならば……そうね――……彼の者と汝の間には、薄き氷が横たわる。冷たく澄みしその壁は、硬く握った拳ではなく、彼の者を思う体温でこそ、緩やかに溶け消えるであろう」
「拳ではなく……体温……か。ありがとな」
 蒼也は、益代に向かって微笑んで見せた。
「なんか、思ってたのとはぜんぜん違う占いだった。これなら、俺も信じる甲斐がありそうだ」
「そういっていただけるなら何よりよ。でも、引きずられすぎないようにね? ……またのお越しを」
 頭を下げた益代に会釈を返して、蒼也は出口を振り返った。
「おーい、帰ろうぜ」
 蒼也の声に応えて、ラーラメイフィスが暗がりから歩み出てきた。
 こっちへ歩いてきながら、ラーラメイフィスが何かを振り返って微笑んだように見えて、蒼也は首をかしげた。
「なんだ? 誰かいたのか?」
 蒼也が問うと、ラーラメイフィスはいたずらっぽく微笑んで、肩をすくめた。
「さあ、どうでしょうか」