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我らに太平の時は無し――『恋愛訓練』――

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我らに太平の時は無し――『恋愛訓練』――

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第一章:純愛



 祭りの始まりは、一人の男の叫びによって飾られた。
「――俺の名は嫉妬刑事シャンバラン! カップル共よ! リア充達よ! 畏れ慄くがいい! 貴様達の汚れた日々はこの俺が粉砕してくれよう!」
 祭りの催される区画で最も高いビルの屋上に立ち、沈み行く夕焼けを背に神代 正義(かみしろ・まさよし)は高らかに宣誓する。
 白昼の太陽を背に深紅の仮面で眼下に蔓延るリア充共を俯瞰し、怨恨の宿った野球バットを高く掲げる。
「悪とリア充は滅びる定めにあり! 嫉妬刑事シャンバラン! モテぬ男達の為、今日も戦い続ける! さあ泣き喚け! 許しを乞え! 俺はその全てを粉砕してくれよう!」
 嫉妬の権化と化した彼は高らかに演説を始め――しかし不意に、彼の背後に燃える夕日の中心に影が兆す。
 それは人影だった。地に沈む太陽から降り立つかのようにしてシルエットは、
「……初っ端から何してるんですかぁ!」
 演説に意気を注ぐ正義の頭部へ強かに、掲げていたメイスを振り下ろした。
 鈍い打撃音を響かせて、正義は後ろにばったりと倒れ込んだ。
「ご迷惑おかけしましたぁ!」
 正義に代わり屋上から頭を下げて謝罪の声を張り上げる彼女は、大神 愛(おおかみ・あい)
 常日頃から正義のしでかした事のフォローに回っている愛は、案の定今回も暴挙に出た――しかも割りと本気で人様に迷惑を掛けようとしている彼を断固阻止する気概でいた。
 しかし気概の熱量で言えば、正義とて負けてはいない。
 否、寧ろ嫉妬の力が無尽蔵に胸の内で燃え続ける限り、彼の力は正しく無尽蔵と言えるだろう。
「……ふ、ふふ、甘い! 甘いぞ太陽戦士ラブリーアイちゃんよ! 今の俺をその程度で討ち倒そうなど笑止千万! リア充共が世に蔓延る限り、俺は決して負けはしなああああああああい!!」
 必死に頭を下げる彼女の背後で、正義が起き上がる。そして頭部を強打された事のダメージなどおくびにも出さず、彼は光学迷彩を被りその場から逃走を果たした。
 祭りに紛れ、リア充共に怨恨の一撃を見舞うべく。
「あ……ちょ! 駄目ですよぉ! どうしていつもいつもそー言う事しちゃうんですかぁ!」
 慌てて、愛も正義を追って屋上から姿を消す。
 早々の騒動に一瞬静寂が訪れ――その後ともあれ、実行委員の呆れ声によって祭りの開催が宣言された。


「恋愛訓練のためって理由だけで祭を催す。教導団ってよくわからんところだな……」
 祭りの人混みに流されぬよう道の外れで建物の壁に背を預け、匿名 某(とくな・なにがし)は小さくぼやく。
 そしてふと、先程の嫉妬刑事を名乗る深紅の仮面の男を思い出し、
「……うん、やっぱよくわからん」
 と、言葉を重ねた。
「ま……とりあえず行くか。ぼーっと眺めててもしょうがないしな」
 言いながら、彼は己の隣へ言葉と視線を運ぶ。
「そうですね、行きましょうか。それにしてもすごいですね〜。まるで本物のお祭みたいです」
 視界に広がる華やかな祭りに瞳を輝かせて言葉を返すのは、結崎 綾耶(ゆうざき・あや)。某のパートナーだ。
「……その、こう言うお祭りだって知った時は、ちょっとびっくりしちゃいましたけど」
 猫手を模した右手で口元を隠し、仄かに頬を赤らめ俯きながら、綾耶は呟く。
 元々普通の祭りのつもりでヒラプニラを訪れていた彼女としては少し驚きの事態だったようだ。が、それでも祭りが祭りである事に代わりはなく、彼女は普通に楽しむつもりでいるらしい。
 ちなみに、某もこの祭りが『そう言う』祭りだと知らなかったのか。或いは知っていたが綾耶に伝えなかったのかは――彼以外に知る由はない。
「……ん。じゃあ、ほら」
 気恥ずかしいのか僅かに顔を背けて、某は綾耶へと右手を差し伸べる。
 けれども綾耶は不思議そうな表情を浮かべて、首を傾げた。
 純粋に彼の意図が見えていないのか、それとも愛玩用の人工生命体である彼女に根ざした媚び諂いの本能がそうさせるのか。
 それは誰にも、彼女にすら分からない。
「えっとだな、こう……人混みすごいし、迷子になったら困るだろ? だからさ……」
 とにかく某は気恥かしさを更に強めた様子で、説明を始める。それでも全てを語るのは羞恥心に耐え切れないのか、言葉尻を濁していた。
「あ……えっと、その……分かりました。……ありがとうございます」
 だが彼のその様子に、何となく綾耶も言わんとする事を察する。つまりは、何処か恥ずかしい事なのだと。
 見てみれば周りのカップル達も、手を繋いだり、場合によって肩や腰に手を回していたりさえした。
 後者に関しては某も綾耶も恥ずかしさの余り憤死は免れないだろうと言う事で、二人の状態は手を繋ぐに落ち着く。
「綾耶。欲しいのあったら遠慮なく言ってくれよ」
「あ、本当ですか? じゃあ……わたあめ、いいですか?」
「分かった、わたあめだな? えっと……」
 某は首を左右させて露店を見回す。ずらりと道に並んだ露店は何故だか、たった二人で切り盛りしているようだった。
 尤も某にとっては、やはり「教導団って変なところだな」と思うだけで終わったのだが。
 それよりも彼にとって、そして彼女にとって問題だったのは――綿菓子でぬらりと光る女性の唇に指を這わせ、果てには指先を舌でなぞる男がいて。
 また相手のの女性も、戸惑いながらも満更ではない様子でいる事だった。
 某も綾耶も否応なしに、色恋の気配を意識させられてしまう。
「……あ、いや、わたがしだったよな!」
 はっと正気を取り戻してわたがしを買い、某は綾耶を連れてすぐさまその場を立ち去った。
 けれども何処もかしこも祭りはカップルばかりで、それらから遠ざかろうとする内に彼らは図らずも、人気のない道へと進んでいた。
(……こ、これはアレか? 俺もやっぱりなんかやったほうがいいのか? けど、『禁句』なしでやれって言われても……)」
 どうしても綿菓子を齧る綾耶の口元へと向かってしまう視線を何とか逸らしながら、某は懊悩する。
「(『禁句』なしで伝える方法ってなんだろう? 例えば行動でとか? こう、何も言わないでぎゅーっと……って! 何考えるの私はぁ!?)
 綾耶もまた、某と似たような事を考えていた。既に『伝える術』を考えている辺り、彼女の方が一歩先を進んでいるようにも思えるが。
 そうこうしている内に、二人の足は止まっていた。
 思考から滲んだ恥ずかしさの余り逆に正気に戻った綾耶はその事に気付き、
「え、えと! そ、そろそろ移動しましょうか!」
 居た堪れなさから某の手を取った。
 だが悶々としていた所に不意を突かれ、某は思わず手を引く。
 咄嗟の事に綾耶は体勢を保つ事など出来ず揺らぎ、そして――二人は綾耶を上、某を下にして、転んだ。
 丁度綾耶が某を押し倒すような形で。
「……ぁ。ち、違うんです! これはそのやっぱり言葉がダメなら行動かなって思って……そ、そうじゃなくて! と、とにかく違うんですよぉ〜!」
「わ、わかってる! 事故だよな! 事故! だから落ち着け!」
 わたわたと慌てる綾耶を某が宥め、しかし却って二人は静寂に包まれる事となる。
 綾耶の手が某の胸から肩へと滑り、彼女は段々と上体を倒し、彼に身を預けていく。
 そして、

「リ、ア、充! 死ねええええええええええええええええええええええい!!」

 仰向けに倒れた状態にある某の視界に、野球バットを振り上げた嫉妬刑事が映った。
「うぉお!? ちょ、まっ……それマジで死ぬ!」
 振り下ろされた私憤の一撃を、某は綾耶を抱き抱え辛くも逃れる。
「きゃっ……!? そんな乱暴に……うぅん、某さんがそうしたいなら……」
「もしもし綾ー!?」
 何やら半ば恍惚の状態にある綾耶をやむを得ず抱えたまま、某は逃走を図る。
 だが嫉妬刑事の猛追は、彼女を抱いたままでは凌げぬ程に熾烈だった。
「リア充増加促進訓練はここで中止とさせてもらおうか! 血盟団団長にして嫉妬刑事シャンバラン! ここに推参! そして死ねい!」
 嫉妬の雷を纏ったバットが避け切れぬ位置で振り上げられる。
 某は表情を苦めて、せめて綾耶を庇おうと彼女を包むように身を丸める。
 しかし、嫉妬刑事の一撃が某を捉える事は無かった。
 恐る恐る見てみれば、彼は気付くだろう。
 眼前の嫉妬刑事が己に背を見せ、背後からの襲撃者と対峙している事に。

「……ぬぅ!? 背後からの不意打ちとは卑怯な!」
「喧しいな。人の恋路を阻むような阿呆は、この俺が馬に代わって蹴り飛ばしてくれる」
 夕暮れに煌めく怪力の篭手を起点に光学迷彩が解け、橘 恭司(たちばな・きょうじ)の姿が顕になっていく。
 殺気看破と光学迷彩によって静謐の内に妨害者に退場願うつもりだった彼の拳は、しかし嫉妬刑事の女王の加護によって感知されてしまった。
 とは言え彼の行動は、某を救い更に逃げ出すだけの時間を与えるには十分だった。
 一言礼を述べて、彼は若干惚けた態の綾耶を連れて逃走を果たした。
「な、待ていリア充! クソ、よく見たらお前もイケメンじゃねーか! 本当なら原型留めないくらいボコボコにしてやりたいが俺はカップル粉砕に忙しいのだ! 運が良かったな!」
 完全に悪党丸出しの台詞を残し、嫉妬刑事は光学迷彩を被り逃走を果たした。