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【DD】『死にゆくものの眼差し』

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【DD】『死にゆくものの眼差し』

リアクション

第一章 対策本部結成


 開館間もない空京美術館の展示フロアでは、あちこちで不安と恐怖が半ばした声が上がっていた。
 イーゼルとスケッチブックを持ち込み、展示されている絵を模写している者達に、一斉に異変が起きたのだった。
「……ねぇ、どうしたの!? 返事してよ!」
「おい、起きろ! こら! ンなキモい絵描いてんじゃねぇよ!」
 周囲からの呼びかけや刺激には一切反応せず、焦点を結ばない眼はぼんやりと眼前のスケッチブックのページに向き、そして鉛筆やチョークを持った手だけがせわしなく動いて紙面の上を走る。
 そうして描かれる絵は、首なしで傷だらけの男の上半身、という相当に猟奇なものだ。
 さらに言うなら、現在この美術館の中には、こんな猟奇なモチーフを描いた作品はどこにも展示されていない。

「普通じゃないな。どう思う?」
 二色 峯景(ふたしき・ふよう)は、騒がしくなった展示フロアの通路を通り抜けながら、傍らの『女神の手記』アテナ・グラウコーピス(あてーな・ぐらうこーぴす)に向かって話しかけた。
「お前の言う通りだな。普通ではない」
「どうすりゃいいか、って訊いてるんだ」
「それも私が答えることではない。既にお前は自分の為すべき事が分かっているのだろう。それをひとつひとつ進めていけば、いずれ答えにたどり着く」
 「いずれ」じゃ困る、「今すぐ」じゃないと――いや、それはさすがに無理か。
 急を要するからこそ、落ち着いて為すべき事をひとつひとつ進めていかねばならない。正論といえば正論だが――いや、こんな事で言い合っている場合じゃない。
(ならば、俺の第一手はこれだ)
 ふたりは「関係者以外立ち入り禁止」の通路に入ると階段を上り、「館長室」のドアをノックした。
「お忙しい所恐れ入ります。蒼空学園の生徒の二色 峯景と申します。現在起きている騒ぎの調査ですが、俺達に任せてもらえませんか?」

「ちょっと、はなちゃん?…縹!」
 佐々良 縁(ささら・よすが)は、取りつかれたようにスケッチを続ける蚕養 縹(こがい・はなだ)の姿に、不安ではなく恐怖を感じ始めていた。
 縹が絵を描き始めた時の集中力はよく知っている。周りの事が目に入らなくなり、スケッチブックやキャンバスに眼を向けながら、ひたすら鉛筆や絵筆を走らせるのだ。
 だが、いくら何でもこれは普通じゃなかった。
 呼びかけはもちろん、肩を揺すっても耳元で怒鳴っても、縹が手を止める事はない。のみならず、返事もしないし、せいぜいが肩を揺すった時にうざったそうにこちらの腕を振り解く位の反応しかしない。
 そんな時、せめて「邪魔をしないで」程度の事を言ってくれればまだ安心できるのに。
「縹ってば! 縹!」
 何度目かの問いかけにも、反応はない。
 何があった?
 何をどうすればいい?
 見当さえもつかない。焦燥が、気力を蝕み、削いでいく。
 不意に、肩が叩かれた。
「落ち着け、少女」
 肩越しに縁が振り向くと目前にドラゴニュート、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)の顔があった。
「ひっ……っ!」
「驚かせてすまん。そちらの相棒も大変なようだな」
「……そちらの相棒『も』?」
 ブルーズは頷く。
「展示フロア全体を見回って来たのだが、どうやら模写をしていた者全員に異変が起きているようだ」
「ホンマでっか?」
 そう横から口を挟んで来たのは、アイン・ディアフレッド(あいん・でぃあふれっど)だ。彼の傍らには縹と同じような状態になっている岬 蓮(みさき・れん)の姿もある。
「どうやらこの一件、相当厄介な事になりそうだな」
「妙な絵写してて知恵熱出たん違うんか」
「厄介って……でも、何をどうすればいいのかな?」
 その時、館内放送が鳴った。

《館内にいる「契約者」の者は、三階の会議室へ集合して下さい。繰り返します、「契約者」の者は、三階の会議室へ集合して下さい》

(誰だか知らないけど、対応が早いわね)
 それが、放送を聴いた時にリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)が感じた事だった。
 彼女は、別な異変を起こしている「もの」の在り処と、その名前をしっかり覚えてから、階段やエレベータを探し出した。
 その「もの」は、今回の展示の後の方に控えていた絵画である。
 作品名『死にゆくものの眼差し』。
 空京美術館の開館最初の企画展「アルベール・ビュルーレ展」において、遺作とされている絵画である。
 暗闇の中、涙を流して見開かれた双眸が、画面いっぱいに大きく精緻に描かれている。
 その瞳の中に、何人もの人の顔が浮かび上がっている。その数、およそ30近く。
 それらの中に、自分のパートナーシルフィスティ・ロスヴァイセ(しるふぃすてぃ・ろすう゛ぁいせ)を初めとして、館内で見かけた顔がいくつもあった。
 浮かんでいる顔の共通点は――まだ全員分を確認したわけではないが、絵の模写作業中に様子がおかしくなった者である、という事だ。

「集まってもらってありがとう。俺は蒼学の二色峯景という。さて……」
 峯景は一同に呼びかけた。
 会議室に集まったのは20人強。
 正面に立ち、その顔ぶれを見ながら「数は揃った」、と峯景は思う。次は集まった彼らが――いや、自分たちがどこまでやれるか、だ。
「知っての通り、現在この美術館の中ではろくでもない事が起きている。ついさっき、この美術館の館長にそいつを調べさせてくれ、と頼んで許可をもらってきた」
「ずいぶんと先走った真似をしたな」
 そう言ったのはダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)だ。
「相手に頼んでわざわざ自分から責任を背負い込むとは大した自信だ。お前にはこの騒ぎを解決する手立てがあるのか?」
 ダリルの問いに、「ない」と峯景は首を横に振った。
「だから、どうすればいいのか、知恵と力を出し合いたい」
「出し合って、そしてどうする?」
 その質問は、クレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)からのものだ。
「解決したら、手柄は全部独り占めにでもするつもりか?」
「そういう話は後でしませんか?」
 神和 綺人(かんなぎ・あやと)が穏やかにたしなめた。
「現在は緊急事態。こうやって、たくさんの人が顔を合わせ、知恵や力を出し合える場を作った峯景さんの動きは評価されてもいいでしょう」
「同感ですね。機敏な動きだったと、私も思います」
 リカインも綺人に同意の声を上げる。
 クレアは「ふん」と鼻を鳴らした後、ちょっとだけ頭を下げた。
「……失言だった。謝罪する」
「こっちも、気に障る言い方だったとしたらすまなかった」
 峯景も頭を下げつつ、内心で安堵した。素性の分からない相手に呼び出されていきなり「力を貸せ」と言われても、信用できるものではない。
 が、最低限、ある程度の主導権は確保できた、とは思う。
 さて、ブレーンストーミングの開始だ。パートナーのアテナ・グラウコーピスが立ち上がり、ペンを手にしてホワイトボードの前に立った。
「では改めて、知恵と力を出し合いたい。
 一番単純な点だが、異変が起きてるのは絵を模写していた人間だ。絵をよく見ている内に、絵に心を引っ張り込まれた、という解釈がまずできると思う」
「引っ張り込まれた先には、心当たりがあります」
 リカインが手を上げた。
「展示されている『死にゆくものの眼差し』という絵に、今回の件の被害者――と言っていいでしょうね――の顔が描かれています。最初から描かれていた、とはちょっと思えないのですが」
「その通りですね」
 神和 瀬織(かんなぎ・せお)が、目録を開きながら頷いた。
「目録を見る限り、人の顔が描かれている絵、というわけではありませんね」
「すると、絵の中の世界に心が取り込まれてしまったのでしょうか?」
 オルフェリア・クインレイナー(おるふぇりあ・くいんれいなー)の疑問を、「だろうな」と肯定したのはエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)だ。
「ひとまず方向性は見えたな。呪いの絵、もしくは生きている絵のやらかした悪さ、ってわけだ」
「付け加えるなら、その絵の作者であるアルベール・ビュルーレは約40年前に死んでいます。怨念妄執が絵に宿って、それが今回の件を引き起こしたのでしょうね」
 言いながら瀬織が目録の年譜の頁を開いた。1979年に死亡した、と書かれている。死亡診断書や葬儀の様子、お墓などの写真まで載っており、「死んだ」という事については疑うべくもない。
「それならまずは画家について調べるのが妥当でしょう」
 綺人が目録を覗き込みながら言った。
「俺は学芸員捕まえてみるぜ。専門家にあたってみるのが一番手っ取り早い」
「私は作品ごとの制作背景を洗ってみたい」
 エースとクレアも方針を決める。
「展示物には書簡等もあったな、それを直接調べられればいいが」
「あぁ、それは私も同感ですね」
 クレアと綺人の要望に、「そっちについても話は通せた」と峯景が答えた。
「絵やら展示資料の持ち主がちょうど今日来館していた。壊したりさえしなければ直接手をつけてもいい、と言質は取ってある。学芸員も同様だ」
 おぉー、という声があちこちから洩れた。
「やりますねぇ、『根回し』もお手の物ですか?」
「いや、情理をつくしての『説得』だ」
「亡霊騒ぎは、この世に残る怨念妄執の執着なり心残りを晴らすのがセオリーではある。直接絵の中に飛び込んで、被害者の心や精神を連れ帰る事が出来れば手っ取り早いのだがな」
 ブルーズの台詞に、「あ、それそれ」と如月 正悟(きさらぎ・しょうご)が人差し指を向けた。
「いい事言った。それ、できるかも知れないよ」