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リアクション
夜のバルトリ家前。ロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)は手元のメモを街灯に照らしながら繰りつつ、携帯電話に話し続けていた。
「そうです。カヴァルロという貴族は存在しないと、校長にも情報提供があったようです」
「はい……これらの話を総合しますと、おそらくティーカップはアウグストさんからビアンカさんへ流れ、そのままディーノさんに渡されたのだと思われます。きっとアレッシアさんとの間に亀裂を作り、援助を打ち切らせるためです。これによりディーノさんを援助して繋がりを深くでき、各地の貴族の情報も手に入りますし、」
「……ええそうです、アレッシアさんを追い込むこともできますから。あとはアウグストさんを唆せば、バルトリ家の没落は容易いのでしょうね。これは全て一人の貴族の依頼を受けてのこと──」
真実を知りたい。自殺未遂の真相を突き止めることが、ヴァイシャリーや校長のためになる……とロザリンドは思って、友人たちの連絡役を買って出たのだが……、情報が集まれば集まるほど、事態は予想以上に深刻な色を帯びてきた。
「それがドナート卿なのね」
「おそらく。……ええと後ですね、なんだか色々と縛ってしまったりしたそうなので……はい、宜しくお願いします」
「──だって」
彼女からの電話を切ったブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)が、目の前の三人に伝言を伝える。
こちらはビアンカの屋敷前。終結した四人は百合園女学院推理研究会の面々だ。
ブリジットの異母妹イルマ・レスト(いるま・れすと)は、
「不審者が入ったという通報があった、と言って乗りこむつもりでしたけれど……もう現場を言い訳やねつ造をする必要もありませんわね」
「現場を押さえよう。違法賭博場がないか徹底的に調べよう。なかったとしても関係書類が見つかるかもしれない」
イルマのパートナー朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)は腕を組み、一人屋敷を見据えている。
──が、賭場を押さえたいという正義心に燃えているのは彼女の一人のようで……。
ブリジットなどは、小腹が空いたからとパウエル商会謹製・ヴァイシャリー銘菓「ケロッPカエルパイ」ミニサイズを口に放り込みながら、
「卑しい商人風情の娘としては、これ以上バルトリ家の人たちには関わりたくないんですけど?」
「そうですわ。商人風情の捨て台詞は聞き捨てなりませんわ。バルトリ家こそ、カビの生えた過去の遺物ではないですか」
イルマもこの前のアウグストの台詞を思い出して憤慨する。
「まぁ、乗りかかった船だし、仕方ないから協力はしてあげるけどね。にしても、噂から推測すると、アウグストは屋敷内に居場所ないもんだから、外で博打に手を出した挙句に大損して、家財を売り払ってるっぽいわね。これがヴァイシャリー派の有力貴族の実態とは、情けない限りね」
「とはいえ、あれでもヴァイシャリー派の貴族ですしね。賭け事などからは足を洗って、立ち直って頂かないと。これ以上ラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)様の顔に泥を塗る様なことを出来ませんもの」
「そうそう」
事実とはいえ、二人して散々な言いようだ。
そんな中、ブリジットのパートナー橘 舞(たちばな・まい)だけはお嬢様らしくおっとりと。
「でも、自殺を図るなんて……アレッシアさん、そんなに思いつめておられたんですね。アウグストさんには、もう一度ちゃんとアレッシアさんと話し合ってもらいたいです。まだ望みはあると思うんですよ。私、頑張って、アウグストさんを説得してみせますよ」
両手を組んで純粋に見つめてくる彼女に、ブリジットとイルマは顔を見合わせてため息をついた。
「純粋ねぇ……舞の説得が成功したところを見たことないけどね。だいたい話し合えって言ってもあの馬鹿夫婦、人の話を聞きそうにないわ」
「アレッシアさんが倒れた時、アウグストさんは、本気で心配していたと思いますよ。だから、気持ちが高ぶって思わずフェルナンさんを罵倒をしてしまったんだと思いますし」
「そういうことにしてもいいけどね。それじゃ、もう逃げた頃合いだし、さっさと行きましょうか」
「そうだな」
推理研究会の面々は頷き合うと、カヴァルロ邸へ入っていった。
既に侵入していた不審者二人(仲間であったが)は裏口から退散した後だ。居間にはビアンカとメイド、そしてがアウグストが転がっていた。
気絶させて縛っただけだとは事前に聞いてたのだが、
「大丈夫ですか?!」
彼らの手の甲から少し血が流れている──忘却の槍の穂先でつついた──のに気付いた舞は、慌てて駆け寄って、彼らの縄を解いて手当を始めた。
舞が手当てを終えてアウグストを揺り起こすと、彼はしばらくぼんやりとしていたが、“吸精幻夜”の影響が解けたのか徐々に正気を取り戻した。
「何が起こったんだ……!?」
周囲を見回し、倒れているメイドに驚くアウグストは、まだ混乱しかかっている頭を振りつつ思い出そうとする。
「確か……見覚えのある百合園の生徒が……」
「落ち着いてください、私達は貴方を助けに来たんです。立てますか? 手は痛みませんか? 肩をお貸ししますが……」
舞に言われて彼が手を見ると、可愛らしいハンカチが巻きつけてある。アウグストは顔を少し赤らめながら、
「これは君が? ……一先ず礼を言っておこう。だが私は、女子供に心配されるほど落ちぶれてはいない」
減らず口を叩くと、よろよろと立ち上がった。
「それは良かったわね」
「ブリジット! ──この家はもう安全です、一度おかけになってください。それから、何が起こったのかよく思い出していただけませんか……?」
彼女たちがアウグストを騙している間、千歳はアウグストに名乗るだけ名乗ると、表に回ってアウグストの御者に向けて話しかけた。判官の腕章を叩き、不審者が侵入したとの通報を受けたこと、不法行為が行われた可能性があること、倒れていたアウグスト・バルトリ氏を保護したこと。現場を保存する必要があること。そして、
「氏はまだ混乱されている。落ち着いたらこちらにお連れするので、もう少し待っていただきたい」
(オペラ開演前にアウグストと気兼ねなく会話できるとしたら、今しかない)
千歳は彼らを何とか納得させると、門の前で腕組みをした。
トマス・ファーニナル(とます・ふぁーになる)がカヴァルロ邸の異変に気付いたのはこの頃だった。アウグストを尾行し、外で彼が出てくるのを待っていたのだが……、同じ目的だろうと思われる判官の腕章をつけた少女が、アウグストの馬車に向かって何やら話し、その後堂々と門前に陣取ったのだ。観察を続けるような事態ではないことは確かだろう。
トマスはパートナー達を伴って、屋敷に近づいて行った。
千歳もトマスも、誕生日パーティで互いに見かけた覚えがある。アウグストの説得に来たと話すと、千歳は快く道を開けてくれた。
暗い屋敷の中、光が漏れる居間からアウグストと少女たちのやり取りが聞こえてくる。どのタイミングで入ろうかしばし迷っていると、二階からパートナーの一人テノーリオ・メイベア(てのーりお・めいべあ)が現れた。彼は実はブリジットたちよりも先に、裏口から部屋に入っていた。
「何だ、入ることにしたのか? 健全な青少年がいていいところじゃないぞ」
「ちょっと事情が変わってね。アウグストさんはあっちにいるみたいだ。そっちは何か見つかったか? 説得の材料になりそうなものとかさ」
「トマスは御婦人に弱い、というか甘いなぁ。まあ、アレッシアさんには同情するよ」
テノーリオトマスに手紙やら書類の束を差し出した。このうち大半はピッキングで手に入れたものだ。
「ま、“これまで”のことは、“これから“やりなおしたりできるはずだ、本人達がその気になりさえすれば。……うまく話してくれよ」
トマスは受け取った紙類に目を通す。
中身はビアンカとアウグストの手紙のやり取りだった。どうやらビアンカはマメな性格だったらしい。一番古いものは三年前で、客としてのアウグストと出会った頃のものが残っていた。手紙の内容を追うに、彼女はいつしかアウグストの愛人のような立場になっていたようだ。尤も彼女としては商売なので、彼以外の顧客も多いし、アウグストもそれは承知している。“特別な客”というのが丁度いい表現だろうか。
その“特別な客”は、ビアンカに資金の援助をし、物品を貢いでいたようだ。時にはそそのかされるままに賭博をしたこともあるらしい。
トマス達は事情を把握すると、居間へと入っていった。
また新たに四人も入ってきたので驚くアウグストに彼は、夫人に脅迫状が届いたから、夫であるアウグストさんも狙われる可能性があると思ってやってきた、と表向きの理由を話す。無論そんなのは嘘なのだが。証拠探しと彼の説得が真の理由である。
トマスはあんなことがあったのに妻をほおっておいて遊びに出るなんてと、素朴に疑問を抱いていた。政略結婚ならなおさら大切にしなければならない相手なのに。
「だけど、まさかこんなところに来てるなんて……。もし浮気を奥さんや他の方に知られたくないなら、奥さんとちゃんとオペラを聞きに来てほしいんだ」
世間ずれしていない青少年の真っ直ぐな瞳に、舞に手当てされ椅子に座らされていた、情けない姿のアウグストは微妙にたじろぐ。
「アレッシアさんの愛情が、芸術『にも』注がれるのがイヤなの? 自分だけのものにならないから、だからあのいい人を裏切るの? あなたがきちんと愛せば、愛しかえしてくださる奥様を」
年配の魯粛 子敬(ろしゅく・しけい)は純粋なパートナーをほほえましく思いながら、大人の男の立場から、
「浮気もまあ、男の立場から……」
言いかけて、もう一人のパートナー・ミカエラ・ウォーレンシュタット(みかえら・うぉーれんしゅたっと)の射るような視線にびくつきながら、
「一事言わせてもらえれば、どうしようもないなら、仕方ない。私は許容します。が、優先しなくてはならない順序は弁えていなくては、一家の当主としては不適格ですね。アウグスト氏は、元々は次男坊さんだと聞きました。では、嫡男なればこそ叩き込まれる貴族の責務などには、疎くあられるかもしれませんね」
子敬の言葉に、アウグストは顔をまた、別の意味で赤らめた。
「そうだ、次男だった。家督を継ぐはずだった兄は事故で死んだきり、そのまま何も期待されず、何も──!」
「ですが、当主であることには、一家のものを守る責任が伴う、と。ただただエラソーにしているだけで、一家の当主が務まるなら苦労はないのです」
子敬は興奮するアウグストとは対照的に、冷静に言い放つ。
「最後の決定をするのは、自分の責任ですよ。先日のパーティでスキャンダラスな状態にある今、氏のなすべきことは、表向きでもいいから、妻と仲睦まじくすること……ではないですか?」
「私は浮気なんて反対ですよ」
ミカエラはもう一度子敬に釘を刺すように言う。再び彼の肩がびくっ震えるが、それはきれいに無視してアウグストに向き直ると、
「お二人とも、心に思う方がいらしたのかもしれません。けれど『一族』の命運の為に政略結婚を引き受けたならば、それはその身に引き受けた運命。あなたが妻からの補佐を受けているにもかかわらず妻に愛をそそがず、不貞を働いているならば、一族の当主としての任務違反です」
自分ばかりとは思わないでくださいね、とミカエラは続ける。
「無論それはあなたばかりではなく、アレッシアさんにも背負っている責任があるのです。アレッシアさんは苦しまれていらっしゃるにしても、重荷は引き続き負っていただくことになります。が、仕方ないでしょう。バルトリ家、の平穏の為に」
厳しく当主としての自覚のなさを突き付けられ、アウグストは再び、顔を別の赤に染めた。最初は照れ、次は怒り、そして今は羞恥。
古くからの名家といわれるバルトリ家にあって、次男とはいえ自身の不足をこうまで指摘されるほどに、自分には何もないと思い知らされたのだった。
彼はいわゆる「前時代的な貴族」だった。彼が誇るのは血筋と家名であり、それが彼の全てだった。先祖が築いてきたものにあぐらをかいていたところで大した障害ではなく、周囲が過ちを何とかしてくれていた。その家名も、使用人や妻からの信頼も目減りするものであることにも気付かなかった。
いや、気づいていても気づかないふりをしていたのだ。そして妻も同じような重荷を背負っていることにも。
「今更何をすればいいと言うのだ……? バルトリ家は既にアレッシアのものだというのに!」
打ちひしがれたアウグストを気の毒に思ったのか、舞が優しくアウグストにお茶を差し出す。
「確かにアレッシアさんには、才能はあるのかもしれません。でも、その才能を生かせる環境が必要ですよ。それに、本当に強い人なら自殺なんてしません」
アウグストは疲れた目を舞に向ける。彼女は優しく微笑んだ。
「……今のバルトリ家はアレッシアさんが支えているのだとしても、アレッシアさんは誰に支えてもらうのですか? 今、アレッシアさんを支えられるのは、アウグストさんしかいないんですよ。どうか、目を覚ましてください」
ブリジットのもう一人のパートナー、カルラ・パウエル(かるら・ぱうえる)もきゅっと白いドレスのスカートを握りしめる。
「バルトリ卿の気持ちも理解できますわ。兄の死という偶然で家督を継ぐことになっただけで、お前には誰も期待していないと言わんばかりの仕打ち。アレッシアは、自分をヴェロニカに準えたつもりかもしれませんが、彼女はバルトリ卿を一人の人間として向き合おうとしたことがあるのしょうか?」
首を振り、悲しげな視線をアウグストに注ぐ。
「私も生前似た境遇だったので……兄が急逝して家督を、私は結婚させられる前に戦死してしまいましたけどね。私は死んでしまいましたけど、生きているのだから、やり直しは出来ますわ。バルトリ卿に、このまま終わって欲しくはないのです」
カルラは初陣で戦死している。今の姿は魔鎧としての自分。白いドレスは、そのやり直しだ。生前は好きなドレスも思うように着れず、甲冑で身を固めていたから。
できることなら生きている時に好きなことをしたかったに違いない──そんな彼女の心情を思いながらも、ブリジットは不服そうだ。
「カルラったら、自殺を計った妻を置いて火遊びに出るようなのを庇うの?」
「ええ、同情かもしれません……ですが、一言だけ言わせてください。諦めたらそこで終わりですよ」
アウグストは紅茶を一気に飲み干すと、カップを舞の掌に乗せる。
「ありがとう、少し落ち着いた」
彼は椅子から緩慢に立ち上がると、周囲を見回して、自嘲交じりの苦笑を漏らす。
「自分より若い人間にこれだけ言われては仕方ないな。オペラを見に行ってやる。その時気が向けば、アレッシアとも一度話してみよう。──言っておくが、話してみるだけだからな」
そしてアウグストは彼らに付き添われながら馬車に乗り、自宅へと戻っていったのだった。
なお、ビアンカについてはこの後“押し込みの被害者”として千歳らによる簡単な取り調べが行われたが、彼女は事を荒立てることを望まず、何も盗まれていなかったと主張。
犯人は捕えられることもなく、このまま“事件”は収束していくのだった……。
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