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緊迫雪中電車――氷ゾンビ譚――

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緊迫雪中電車――氷ゾンビ譚――

リアクション


■■第一


 コチ、コチ、コチ、コ、コ……――∞、それは一瞬にも満たない悠久だ。
 白い手袋をはめた掌で、金色の懐中時計の秒針を一瞥しながら、車掌のアロイス・バックハウスが帽子を被り直す。さながら帽子屋じみた少しばかりツバの深い黒い制服の襟元を正しながら、彼は黒い瞳で時を刻むことを止めた時計の蓋を閉める。
――バチン。
 些か乱暴な音に伴い、懐中時計は少々大柄の装飾具へと姿を変えた。
「6時丁度、螺旋も電池も正常――壊れるはずがない。壊れるわけがない、壊れればSLの運行に支障をきたす。ここまで時間の機嫌を悪くしたのは、童話の中で彼が女王に切り刻まれて以来の事だろうな――あるいは」
 車掌は非常時対応用に『積んでいた』副車掌を一瞥した。
「そう言えば、特殊な時計を持っていると自慢げな常連客が、今日も乗車していたな」
 三月に入り狂ったように、自分を好きだ好きだと喚いていた一人の乗客がいた事を、不意に車掌は思い出す。決まって自身のシフトの時に最後尾にある個室を予約する、富裕層の顧客だ。
 何でも代々、兎じみた耳を頭につけた彼女の家には、『時間くん』すら強制させる時計や革製の手袋、センスが伝わっているとの話しだった。
「冗談だと思っていたが、こうも時が進まずトンネルを出ないとなると……」
 さる童話に出てくる時計兎の末裔の傍系を名乗る兎を代々飼育しているという常連客の少女は、車掌の同僚達から『三月兎』の末裔の間違いだろうと揶揄されることがある程、三月から狂ったように『愛』と『暇』を訴えているのではなかったか。
「これは非常事態だ。それ相応の対応をしなければならない」
 帽子を被り直した車掌は、傍らに置いてあった副車掌の双眸を、手袋をはめた手で開いた。青い皮膚をしていて、氷のように冷たい――いや、ある種の氷である『ソレ』を、淡々とアロイスは眺める。
――時が止まった時用の、非常時対応物。
 これはSLを運営する会社の上層部が、死霊術を応用して構築した、ある種のシステムである。
「まさか在職中に、使う日が来るとはな。てっきり、冗談品だとばかり思っていた」
「……」
 声をかけた車掌に対し、氷ゾンビと渾名される副車掌兼非常時用の積荷は、何も応えない。
「車両の各所に設置したカメラにも、チェックのチョッキを纏ったパラミタ兎が、時計をぶら下げて走り回っているのが見て取れる。原因はアレに違いない」
 断言したアロイスの瞳を、ぼんやりと氷ゾンビの副車掌は見返した。
「アレを追いかけろ。時が止まっている間は、どうせ『無かった事』になるのだからと、マニュアルには書いてある。捕まえろ、そして時を、時間を、元に戻すんだ」
 最前列にある運転席の扉を開放し、アロイスは副車掌を送り出した。


 切符の点検だろうかと、その姿に目をとめた乗客の一人が身を乗り出す。
 その首元へと――ガブリ。
 犬歯を突き立てた副車掌、周りからあがる声無き驚愕。
 一時車内には、不自然な沈黙が訪れた。
「嘘……死んじゃったの?」
 ぐらりと傾いた乗客の体と、蒼い副車掌の姿に、他の乗客が呟く。
 それを皮切りに、その車両の各所から、叫声があがった。
――だが。
 始めに噛まれた乗客は、緩慢な動作で、その体を起こしたのだった。
「うさぎ……ウサギ……兎、パラミタウサギ……」
 そう口にして、その客は、悲鳴を上げていた乗客へと襲いかかっていく。副車掌もその牙を止めることはなく、最前列の車両は、悲鳴と氷ゾンビの巣窟へ成り果てていった。
「時が止まったままならば、いずれはこのSLごと、異世界へ飲まれるだろう」
 そんな光景を一瞥しながら、氷ゾンビと化した皆へと指令を下すようにアロイスは続ける。
「三月兎が全ての皆を石化し、この電車が異次元に飲まれる前に」
 一呼吸おき、車掌は指示するように後方の車両を指さした。その腕は真っ直ぐに伸びていて、黒色の制服には皺一つ無い。
「時計兎を捕まえろ。仲間をなるべく多く増やしながら」
 その瞬間から、前方車両から氷ゾンビが、一匹のパラミタウサギを捕まえるために、仲間を増やしながら解き放たれることとなったのだった。他にも兎と同乗した客は多数板が、区別する唯一の点は、三月兎と呼ばれた少女がペットに着せたチェックのチョッキと、時計兎と呼ばれるパラミタウサギが身につけている時計の他にはない。
 だが、そこまで意識が回るゾンビはごくごく少数で。
――『仲間を増やす事』、それにばかり気が向く氷ゾンビも多数だった。
 後部車両へと向かっていく氷ゾンビ化した乗客を見守りながら、車掌のアロイスはただ一人嘆息する。無事に時間が戻り、トンネルを抜ける事を祈って。